Sal3-48 鼓動を感じて
姉様と香恋様がなにやら会話をしていた。
ただ話をするだけであれば、別に咎めることはないし、そもそも私自身が咎められる立場ではない。
それでも、やけにおふたりの会話が気になってしまっていた。
おふたりの会話は腐肉共の悲鳴じみた雄叫びいよってかき消されていて、ほとんど耳に入ってこない。
ただ、ときどき漏れ聞こえるような声が聞こえてくる。
聞こえてくるものは、「抱く」や「我慢」など、どう聞いてもその手の単語としか思えないものばかり。
「「常在戦場」はどこへ行ったんですか?」と姉様を小一時間ほど問いつめたい気分ですね。
「……むぅ」
なんだか、やけにイライラとします。
戦場では冷静さを失ったものから死ぬというのはわかっている。
だというのに、いまの私は冷静さを徐々に手放しつつある。
まずい傾向だというのはわかっているけれど、それでも苛立ちを止めることはできなかった。
「トワお姉ちゃん。どうしたんですか?」
腕の中のルイちゃんが心配そうに声を掛けてくれる。
ティアちゃんも言葉にはしていないけれど、私は心配そうに見つめてくれている。
ふたりの姿に、苛立ちがわずかに解けていく。
「……なんでもない、と言いたいところですが、私にも事情がわからないんですよね」
「わからない、ですか?」
「なんでなのです?」
「ん~。なんででしょうね」
本当になんでこんなにも苛立つのやら。自分のことのはずなのに、まるで理解できなかった。
苛立つことなんてない。
そう、ないはずなんです。
だけど、いま私はたしかに苛立っていた。
特に、人には「常在戦場」とことある毎に抜かすくせに、ちょっと想い人と触れ合っただけで、いつも口にされている格言を忘れてしまっている誰かさんに対してとか。
……あぁ、そうか。
私は姉様にと苛立っていたのか。
姉様と香恋様がなにやら親密なやりとりを交わしているのを見て、やけに苛立ってしまったけれど、どうやら私は姉様に対して苛立ってしまっているのかもしれませんね。
でも、なんで姉様に苛立っているのやら。
恋に現を抜かすことなど、よくあることです。
たとえば、時の権力者とて色恋によって身を滅ぼすこともある。
または、恋人のために致死の状況からどうにか生還することもある。
恋愛というものが持つ力は、破滅にも繋がるし、生還を果たすための原動力にもなる。
ゆえに、恋愛というものを私は否定しない。
否定しないけれど、まさかあの堅物の姉様が、という気持ちはあるんです。
まるで置いて行かれてしまったような気分です。
姉様がどこか違う場所へと向かってしまったかのようです。
……「ヴェルド」のときのように。
「……嫌だなぁ」
「ヴェルド」のときは再会を果たすまえに、姉様とは死別してしまった。
それがこの世界ではどうにか再会を果たすことができたうえに、家族としての日々を過ごすことができている。
私にとって、これ以上となく幸せな日々。
そんな日々が失われることはひどく怖かった。
それにいまはルイちゃんやティアちゃんという新しい家族がいる。
私と姉様はふたりを引き取るつもりですし、ふたりも私たちを新しい家族として見てくれている。
まぁ、引き取りはするけれど、新しい両親になるわけではないんですが。
実際、ルイちゃんは私たちを「お姉ちゃん」と呼んでくれるけれど、「父」や「母」と呼ぶわけではない。
家族ではあるけれど、少し歪な形の家族。それでも私たちは家族になるんです。
だというのに、姉様はまるでそこから一抜けするかのように、恋に現を抜かしている。
きっと私はそれが嫌なんでしょうね。
家族になる、と言ったばかりなのに、その家族を捨てるとはなんのつもりなのか、と問いつめたいところです。それこそいますぐにでも。
「……あ、わかったのです」
ぽんとルイちゃんが手を叩きました。なんだろうと視線を向けると、ルイちゃんはとてもきれいな笑顔を浮かべると──。
「トワお姉ちゃんは、カナタお姉ちゃんが浮気をしているのが嫌なのです」
──おかしなことをぶっ込んでくれました。
「……はへぇ?」
あまりにもおかしな内容すぎて、私の声もおかしなことになりました。
っていうか、なんですか、浮気って?
そもそも、誰が誰と浮気をするんですか?
「こ、こら、ルイ。思ったことをそのまま口にしたらダメだってば」
「でも、お姉ちゃん。トワお姉ちゃん、まるで隣のおじちゃんが近くのお姉さんと浮気をしていたのを見たおばちゃんみたいになっているの」
「そ、それは。でも、あれはおばちゃんの勘違いだったでしょう?」
「それでも、そのときのおばちゃんとトワお姉ちゃんはそっくりなのです」
「……あー、それは、まぁ」
ルイちゃんが持論を展開していくと、ティアちゃんはどんどんと言葉を濁していく。言葉を濁しながら、私をちらちらと見ているんですけど、どういうことなんでしょうね?
「やっぱり、トワお姉ちゃんとカナタお姉ちゃんはふーふなのです」
「えっと、まぁ、そういう風にしか見えないのは事実だけど」
「え、あ、あの、ちょっと、どういうことで?」
「そのままの意味なのです。ルイの目にはトワお姉ちゃんとカナタお姉ちゃんはご結婚されているとしか思えないのです」
「いやいやいや、私たちはふたりと同じで姉妹ですから」
「姉妹でも、お姉ちゃんたちは好き合っているんじゃないんですか?」
じっとルイちゃんが私を見つめていく。無垢な一対の瞳が私を見据えている。
その瞳には「嘘を吐くな」と言われているように思えました。
「私、は」
私は姉様をどう思っているのだろう、と思った、そのとき。
「っ! トワ様!」
ティアちゃんの慌てる声とともに、雄叫びがすぐ近くから聞こえてきた。
視線を向ければ、すぐ近くにまで跳び上がってきた腐肉の一体がいた。
「っ! 油断しましたか」
すれすれのところで、腐肉の突撃を避けるも、跳び上がってきたのはその一体だけではありませんでした。
跳び上がってきた腐肉は、総勢十体ほど。十体の腐肉どもが一斉に跳び上がってきたのです。
最初の一体は、陽動のためだったんでしょうね。
もともと、腐肉たちの触腕がわずかに届かない位置を飛んでいたこともあり、腐肉たちの突撃を躱すには若干距離がなさすぎました。
かと言って、ティアちゃんとルイちゃんに指一本でも触れさせることなど許せるわけもない。
であれば、私にできることはただひとつ──この身を盾にしてふたりを守ることのみ。
「ティアちゃん、ルイちゃん。ごめんなさいね」
ふたりに謝りながら、自分の身を文字通りの肉壁となるように腐肉たちへと背を向けた。
ティアちゃんとルイちゃんがそれぞれ私の名前を叫んだ。
せっかく家族になれたばかりだったのだけどなぁと、残念がりつつも、家族を守るためであれば、と私は私の終わりを受け入れた。
ですが──。
「私の妹に触れるんじゃない。腐肉ども」
──私たちを守るように一陣の風が吹き荒れたんです。恐る恐ると振り返ると、そこには腐肉どもを片手で相手取る姉様がおられたんです。
姉様は片手を腐肉どもに向けていた。たったそれだけで、腐肉どもは塵と化していく。
あまりにも圧倒的すぎる光景でした。
「ね、姉様」
「……油断をするな、トワ。ここは戦場だ。油断をしたものから死んでいく。わかっているであろう?」
「……失礼しました」
「次からは気を付けろ。常に私がおまえを守れるわけではない」
「……そう、ですね」
「とはいえ、私はおまえが大切だからね。守れる範囲にいるのであれば、いくらでも守るよ。それでもあまり油断はしないでおくれ」
それまで仏頂面だったのに、急に姉様の表情が変わったんです。
その笑顔はとても優しいものでした。
その笑顔を見た瞬間、なぜか胸の奥がどくんと高鳴りました。
「……メロるのもいいけど、まだ戦場なんだから気をつけてちょーだい」
胸が高鳴ると同時に、香恋様のぼやきによって私は慌てました。姉様は姉様で「メロるってなんだよ」と呆れていましたが、当の香恋様はお答えする気はないようで、「ほら、次々来るわよぉ」とやる気のない声を出されていました。
「まったく」と呆れつつ、姉様は「トワ、やるぞ」と声を掛けられました。
私はなぜか「は、はい!」と慌てながら頷きました。姉様は怪訝そうに顔を顰められましたけど、「まぁ、いいか」と仰り、先陣を切るようにして腐肉どもへと向かっていくのです。
その後を私は追いかけました。
追いかけながら、ルイちゃんに「トワお姉ちゃん、顔真っ赤なのです」とからかわれてしまいましたけど。
言われるほどに顔が真っ赤なんですね、いまの私は。まぁ、たしかに顔がやけに熱いですけども。
いったい、私の身になにがあったというのか。
まるで状況がわからない。
状況がわからないまま、私は襲い来る触腕を姉様の後を追いかけるようにして躱していく。
先陣を切る姉様のお姿から目が離せないまま。私は戦場を駆るのでした。




