Sal3-43 悪臭の中を
鼻が曲がりそうだった。
どこもかしこもすっごい臭いがしていた。
呼吸をすることさえ憚れるほどの臭い。
汗と糞尿、そして血。どれもこれもとんでもなく充満していて、ここにいるだけで吐き気がするほど。
そんな吐き気のする空間の中を、私はフブキお姉ちゃんと一緒に駆け抜けていた。
「うぅぅぅ、臭いぃ~」
あまりの臭さに鼻どころか、口元を押さえる私。
「が、頑張るんやで、カティちゃん……うっぷ」
そんな私の隣でフブキお姉ちゃんが私を励まそうとしてくれている。が、当のフブキお姉ちゃんもわりと限界そうだった。
私もそうだけど、フブキお姉ちゃんもかなり鼻が利く。
私は狼の魔物だし、フブキお姉ちゃんは妖狐族。どちらも鼻の利く種族だった。
そんな私たちがこんな地獄のような環境にいるのは、フブキお姉ちゃんの主であるタマモさんのせいだった。
もともとは私とフブキお姉ちゃんは、お姉様上やアンジュママ、それにプロキオンお姉ちゃんと一緒にクラウディウス卿と対峙していたのだけど、そこに北を一掃したタマモさんとマドカお姉ちゃん、なぜか見知らぬ双子を連れていたトワ先生とカナタ先生が合流したんだ。
まぁ、合流と言っても、そのときにはお姉様上だけじゃなく、アンジュママもかなりピンチだった。
先生たちはプロキオンお姉ちゃんと一緒にお姉様上の援護を、タマモさんたちはアンジュママの救助に別れてくれた。
私とフブキお姉ちゃんは、アンジュママの救助に向かうつもりだったのだけど、そこでタマモさんからの「待った」が掛かったんだ。
『カティちゃん、フブキ。お願いがあります』
タマモさんは私たち全員にだけ通じるように「念話」で語りかけてきたんだ。
いきなりどうしたんだろうと思っていると、タマモさんは淡々とあるお願いを口にされたんだ。
そのお願いとは、私とフブキお姉ちゃんに「遊撃」を担当してほしい、というものだった。
『このまま、ふたりも戦線に戻って欲しいところではありますが、戦線に戻っても決定打になることはないでしょう。なにせ、アンジュさんがダメージを負わされる相手ですからね』
『だから、遊撃、ですか?』
『ええ、状況を見てこの場のどちらの戦闘にも援軍として参加できるように動いて欲しい。それもできれば、不意を打つ形で。本来なら相手にとって頭数に入っていない状況での介入が望ましいですが、さすがに状況的には難しいですからね。不意討ちをすることだけ考えてくださればいいです』
淡々としたタマモさんの指示に、私もフブキお姉ちゃんも「なるほど」と頷いた。
たしかに、不意の介入が一番望ましくはある。けれど、状況的にはそれを行うのはかなり難しい。
それにアンジュママが結構なダメージを負わされる相手であるのだから、私とフブキお姉ちゃんがそのまま戦闘に参加してもそこまで状況が好転しそうにもない。
タマモさんの言う通り、「遊撃部隊」として助教に応じての介入が望ましいと思ったんだけど、そこに別方向から、先生たちからの「待った」が掛かったんだよね。
『待て、タマモ。「遊撃」よりも決定打になるかもしれんことがあるぞ』
『というと?』
『実はここの地下に巨大な人の臓器が入った試験管のようなものがあるんです』
『試験管、ですか』
『ええ、明らかに怪しすぎたので、姉様と一緒にしばらく観察していたのですが、観察しても特に変わった様子はありませんでした』
『が、放っておくのもなんだから、一応の処置はしてある。遠隔操作で破壊できるように私の魔力を大部分使った魔法陣を設置しているんだ。それをカティたちで起爆するんだ」
『起爆、って』
カナタ先生の言っていることは、危険なものだった。
でも、危険を冒すだけの価値はあるかもしれない。
クラウディウス卿という、差し迫る問題があった。
なにせ、アンジュママの結界をあっさりと打ち破って、アンジュママを負傷させたんだから。
アンジュママの結界は、そう簡単に破れるものじゃない。
「ベヒリア」では巨人と化したファラン少佐によって破壊されているし、「フェンリル」化したプロキオンお姉ちゃんにも破られている。
でも、それらには理由がある。
ファラン少佐のときは、アンジュママ自身がまだ神様になったばかりだったから、お手本通りに結界を精製してしまい、その要をファラン少佐によって打ち抜かれたから、破壊された。
プロキオンお姉ちゃんの場合は、もっと単純だ。「ロード・クロノス・オリジン」である、お姉ちゃんが「フェンリル」と化したことでアンジュママの結界を凌駕する力を持ってしまったからだ。
片や未熟だったからこそ、片や単純に力負けをしたからこそ、という理由があったんだ。
でも、クラウディウス卿の場合は違っていた。
見ようによっては力負けという風には見えた。
けれど、私にはアンジュママの結界そのものが通じなかったように思えた。
鬩ぎ合いの末に力負けしたわけではなく、そもそも鬩ぎ合いという土俵にも上がれなかったように見えたんだ。
それこそ「フェンリル」となったプロキオンお姉ちゃんよりも、危険な存在となったように思えてならなかった。
そんなクラウディウス卿を放っておくことはできない。
できないけれど、どうすればいいのかもさっぱりとわからなかった。
でも、地下の巨大な臓器の入った試験管とやらの存在を聞いて、思うことがあったんだ。そしてそれは私だけではなく、タマモさんもだった。
『……その臓器こそが力の源なのかもしれないね。クラウディウス卿が実力者なのはわかっていたけれど、少なくともアンジュさんの結界さえ通じないほどの化け物ではなかったはずだ。化け物になった理由があるはずだよ』
『その理由が試験管ってこと?』
『可能性はあるね。まぁ、なんの関係もないって可能性も否めないけど、なにかしらの動きがあるはずだからね。だからこそ、ふたりにはカナタの言う通り、その試験管を破壊してもらいたい』
タマモさんの言葉には説得力はあった。件の臓器とクラウディウス卿になんの関係もない可能性はある。
が、放っておくこともできないのも事実。
それに破壊できれば、なにかしらの動きがあることは間違いない。
それが私たちにプラスになるか、マイナスになるかは破壊するまではわからないけれど、現状を変える切っ掛けになることは間違いなかった。
『でも、そんなうまく行くかな?』
正直なことを言うと、クラウディウス卿に気付かれずにこの場を離脱できるものだろうか。
どんなにうまくことを運ぼうとも、いまのクラウディウス卿にはお見通しの可能性があると思ったんだ。
でも、タマモさんは「問題ありません」と言い切ったんだ。
『メイサちゃんが私たちの味方になってくれましたからね。メイサちゃんとプロキオンちゃんがアルトリアを抑え、クラウディウス卿を私と円香、それにアンジュさんで抑えれば、さしものクラウディウス卿もカティちゃんたちの離脱には気づきづらくなるはずです』
『加えて、私たちも空から撹乱すれば、よりふたりの離脱に気付かれなくなるだろうな。この場にいる全員で「臭い消し」をすればいい』
『数人でではなく、全員で「臭い消し」に徹すれば、こちらの目的には気付かれづらくなるでしょうね』
『あとはカティちゃんたち次第です。やってくれませんか?』
タマモさんたちの要請に、私もフブキお姉ちゃんも迷ったよ。
迷ったけれど、このまま私たちがそれぞれの戦いに参加しても大した戦力になれるかはわからない。
であれば、戦況を変える切っ掛けになるという起爆班に回る方が戦況的にはありかもしれない、って思ったんだ。
フブキお姉ちゃんも少し迷っていたけれど、最終的には私ともども頷いたんだ。
『カティ、フブキちゃん』
要請を受けた私たちにとお姉様上は声を掛けてくれた。その内容は──。
『あまり無茶をしないでね。カレンが悲しむわ。あいつが悲しむと、私が大変になるからね』
──なんともお姉様上らしいものだった。
もっと素直に「私も悲しい」とか言えばいいのにね。
私もフブキお姉ちゃんも揃って頷いた。お姉様上は「よろしい」と満足げに頷いていたね。
そうしてタマモさんたちの要請を受けて、私とフブキお姉ちゃんは折りを見て戦場を離脱して、地下への入り口があるという路地へと向かい、そしていまに至っている。
が、まさか悪臭が充満しているとは思っていなかった。
私もフブキお姉ちゃんも、ただでさえ鼻の利く種族だから、悪臭には弱い。
でも、我慢して悪臭の中を駆け抜けていた。
というのも、悪臭の先にはっきりとクラウディウス卿の臭いがしていたんだ。
「この先だよ、フブキお姉ちゃん! うぅっ」
「はっきりと感じんで! うっぷ」
私もフブキお姉ちゃんもえずきそうになりながら、必死に地下の奥へと向かっていた。
地上ではまだ震動がある。
戦いはまだ続いている証拠だった。
そしていまこの状況が私とフブキお姉ちゃんにとっての戦いだった。
長く苦しい戦いだけれど、その戦いも終わりが訪れた。
「「見えた!」」
暗がりの中にぼうっと浮かぶ人工物が見えた。その人工物へと私たちはまっすぐに駆けていき、そして──。
「「あった!」」
──私たちはカナタ先生たちの言う、巨大な臓器の入った試験管へと辿り着いたんだ。




