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Sal3-42 勘違い

 腐肉たちが触腕を伸ばしてくる。


 触腕がどうにか届くほどの高度に私がいるからなのでしょう。


 少し前までは私たちを見上げるだけだった腐肉たちが、いまや咆哮をあげながら、無数の触腕を伸ばしてくる。


 腐肉たちの触腕がどこまで届くのかは、いままでのやりとりで、だいたいは理解できていた。


 個体ごとにばらつきはなく、すべての個体で伸ばせる距離は定まっていた。


 腐肉たちの触腕を伸ばせるのは、五、六メートルほど。


 二階建ての家くらいの高さが伸ばせる限界のようでした。


 つまりは二階建ての家をギリギリ超えないくらいの高度までであれば、腐肉たちの触腕が私たちに触れることはない。つまりは境界線である、ということ。


 その境界線まで私は、いや、私たちは高度を下げていた。


 境界線ギリギリだというのは、腐肉たちもわかっているのでしょうが、それでもと腐肉たちは触腕を必死に伸ばしてくる。


 ですが、どれほど伸ばしても触腕が私たちに触れることは叶わない。


 触れられないように私が立ち回っているというわけではない。


 ギリギリを見極めたうえで、境界線よりも少しばかり高い位置を私が飛んでいるからです。


 境界線ギリギリと思っているのは、腐肉たちだけ。


 実際のところは、境界線には一切触れていない。まぁ、かなり近いところにはいますけど、その境界線を腐肉たちが超えることはない。


 相対的に安全な位置。それがいまの私たちのいる場所でした。


「と、トワお姉ちゃん、怖いです」


「あいつらのが、伸びて」


 相対的に安全ではあるんですが、ティアちゃんとルイちゃんにとって、腐肉たちはトラウマを刺激する存在だからか、触腕が伸びてくるたびに悲鳴をあげていた。


 その悲鳴が腐肉たちをそそらせるのでしょうか。奴らは我先にと触腕を伸ばしてくる。


 境界線付近まで高度を下げれば、殺到してくるだろうと思っていましたが、ティアちゃんたちのおかげで思っていた以上に奴らの注目を集められているようです。


 反面、ティアちゃんたちを怖がらせてしまったのは、失敗ですけどね。


「……大丈夫です。ここなら絶対に届きませんから」


「ほ、本当ですか?」


「すぐそこまでびょーんと伸びてくるです」


「そうですね。でも、逆に言えば、すぐ近くまでしか伸びてこないということでもあります。……まぁ、油断をしたら捕らえられる可能性があるんですけど」


 ここは相対的に見て安全な距離ではありますが、油断でもしようものならば、腐肉たちの触腕の餌食になるのは火を見るよりも明らかです。

 

 あくまでもこの高さは相対的に見れば安全というだけであり、絶対的に安全というわけではない。


 腐肉たちが跳び上がりながら、触腕を伸ばしてくれば、わずかでも跳び上がれば、それまでの境界線を押し上げることになる。


 私たちがいるのは境界線よりも少し高い位置でしかないため、境界線を押し上げられることがあれば、それだけで境界線内に飛びこむことになる。


 つまりは、触腕の餌食になる距離に入り込むことになってしまう。


 もっとも、奴らが跳び上がってきたら、境界線を押し上げてこようものならば、それに合わせて高度の調整をする予定ですけどね。


 境界線が押し上げられたのに、それまでの高度を保つなどバカのすることです。


 特に、いまの私の腕の中にはティアちゃんとルイちゃんが、私と姉様が養子として引き取る予定である子たちがいるのですから。


 養子であるティアちゃんたちに危害を加えさせることなど許せるわけもない。


 ……まぁ、その養子たちを危険な戦場へと連れてきてしまっていることも事実なわけなんですが。 


「と、トワ様。当たらないのは本当ですか?」


 ティアちゃんが震えながら私を見上げている。ルイちゃんは涙目になりながら、必死に私を見つめていました。


 正直なことを言うと、やはり拠点に連れていった方がよかったのかもしれませんね。


 ……怖い目に遭わせるつもりはなかったので。


「……やっぱり、怖いですよね」


「怖い、です」


「お父さんとお母さんみたいになっちゃうって思っちゃいます」


 ティアちゃんもルイちゃんも正直な想いを告げてくれる。


 無理もない。

 

 ご両親を喪って、まだ数時間ほど。


 しかも、ご両親は腐肉どもの別個体に食い殺されてしまっているのを、ふたりは間近で見ているのですから。


 それで怖がるな、というのは無理がある。


 とはいえ、私たちの手を放さなかったのもふたりであり、その時点で覚悟は決まっているはずではないのか、とも言えなくもない。


 ……まぁ、「神魔族」とはいえ、まだ子供であるティアちゃんとルイちゃんにそれを言うのは酷というものなので、口にはしませんけどね。


「……もう少しだけ我慢してくださいね。「臭い消し」の最中なので」


「臭い消し?」


「……カナタお姉ちゃんと素直じゃないお姉さんも言っていましたけど、それってなんのことなんです?」


「あぁ、そうですね。ふたりには「念話」が届いていませんでしたからね」


 いま私たちが空の上で逃げ回っているようなことをしているのは、香恋様の治療も理由ではありますが、私たちが囮役を担っているからです。


 特に腐肉たち、いえ、アンジュ様たちが対峙している巨大な肉塊の意識を私たちに向けさせることが私たちの役目なんですよね。


 香恋様と私と姉様だけであれば、囮役を務めることにはなんの問題もなかった。


 が、ティアちゃんとルイちゃんがいるいま、囮役を務めるのは問題しかない。そう反論したのですが、……聞き入れて貰えませんでしたね。


 むしろ、「好都合じゃないですか」と言われてしまいましたし。


 おかげでティアちゃんとルイちゃんをずっと怯えさせることになってしまったのです。


 ……あとでタマモ様には苦情を入れさせていただきますので、覚悟してもらいたいですね。


「「念話」って、さっき頭の中で声が聞こえていたことですか?」


「知らない人の声がいっぱい聞こえてきたのです」


「……聞こえていたのですか?」


「声だけは、ですけど。言っていることは全然わからなかったです」


「ルイもなのです。いっぱい声が聞こえているなぁとしか思えなかったのです」


「そうですか」


 教えられてもいない「念話」を傍受できるとは。さすがは「神魔族」の末裔というところでしょうね。


 ちゃんと戦場から連れ帰ることができたら、いろいろと教えてあげる予定でしたが、教えることがまたひとつ増えましたね。


 これはこれで腕が鳴りますね。


 まぁ、いまはそれよりも、です。


「その頭の中で聞こえてきた声が「念話」です。その「念話」で私たちは囮役になってほしい、と頼まれているんです」


「囮、ですか?」


「どうして囮になるのです?」


「それはですね」


 事情を説明しようとしたとき、地下からの震動が起きました。


 ようやく終わったみたいですね。


「トワ。カティとフブキが終わらせたようだな」


 姉様が私たちの隣を飛びながら、いくらかお疲れの様子で言われました。


「ええ。その様ですわね」


 腐肉たちがなにやら動揺していますし、膠着しつつあったアンジュ様方にも動きがあったようですし、作戦成功というところでしょう。


「では、姉様」


「ああ、そろそろ反撃開始だな」


「ええ。存分に」


 にやりと姉様に笑いかけると、姉様も人の悪そうな笑みを浮かべられていました。


 そんな私たちの笑みに、ティアちゃんとルイちゃんは「イタズラが成功したみたい」と言ってくれました。


 ……まぁ、言い得て妙というか、その通りなんですけどね。


「……まぁ、とはいえ、香恋様の治療はまだ途中なので、大暴れはできませんが」


「それだけ傷が深かったということだ。まったく無茶をするものだよ」


「……うるさわいねぇ」


 香恋様は私たちのお小言を嫌がられていましたけど、事実は事実ですからね。どれほど嫌がられようと否定はできませんし、させるつもりもありません。


「……それよりも反撃するのであれば、さっさとしたら?」


「言われるまでもない」


 姉様は香恋様を片腕で掻き抱くと、腐肉たちへと向かって風を巻き起こしていく。


 巻き起こった風によって、腐肉たちは続々と千切れ飛んでいきました。


「さすがね」


「お褒めいただき光栄だよ」


 ふふん、と得意げに笑う姉様に、香恋様は若干の呆れを混ぜながらも穏やかに笑っていました。


 そんなふたりのやりとりを見て、胸が少しだけ痛んだ。


 この痛みはなんだろうと思いつつ、私の脳裏には先日の姉様が、「ドラグニア」の本拠地で姉様が仰っていたことが、姉様には「想い人」がいるという言葉が蘇っていく。


(もしかしてとは思っていましたけど)


 姉様の想い人。私にはそれが香恋様なのだと思えてならなかった。


 叶わない想い。


 その理由は香恋様が別の方を想われているから。そう考えれば納得ができてしまうのです。


 どくん、どくんと胸がやけに高鳴っていく。


 背中の辺りがやけに冷たくなる。


 姉様が叶わない想いを抱き続ける、と考えただけで胸が痛くなってしまう。


 でも、妹でしかない私には、見ていることしかできない。


 それがただ歯がゆかった。


(……私にできることはないのでしょうか)


 大好きな姉様の恋路に、なにもしてあげらない。


 そんな自分に苛立ちと、姉様の今後への悲しみが募っていく。


「行くぞ、トワ」


「……はい、姉様」


 勇ましい姉様の声を聞きながら、私はやりきれない想いとともに、姉様の隣で戦場を飛び交っていく。


 胸をこみ上げる、あまりにも強すぎる悲しみに揺れ動きながら、私は戦場を飛び続けるのでした。

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