十年後の姉弟とセシル君
「一つ聞いて良いか」
頭上から降り注ぐ声に、ぴたりと寄り添った体勢から顔を上げて頭を持ち上げます。
引き締まった腕に絡めた自分の腕はそのままに顔を下から覗き込ませると、微妙に引き攣った頬の動き。金色の双眸が、首を傾げたような体勢の私を写していました。
絡み付けた腕とは逆側の手で持った本は、私が覗き込もうとくっつく度にぶるっと震えていて、今も居心地悪そうに少し安定を失っては揺れています。
「お前ら三人は何故俺に構いたがる」
「セシル君だから?」
「兄様だから」
「セシルさんだから」
因みに、私、ルビィ、ミストの順での台詞です。私はソファに腰掛けたセシル君の左腕にぺったり、ルビィは背凭れの後ろから覗き込む形、ミストは私とは逆に右側に座って本を眺めています。
背凭れに外側から凭れかかるように本を覗き込むルビィの横顔は、父様にとても似ていました。
父様を若くしてちょこっとベビーフェイス気味にしたのがルビィ。お陰でマダム方や令嬢方に人気です、何でも庇護欲をそそるような顔立ちなのだとか。中身は結構したたかに成長しましたけどね、セシル君や私に対する態度を除き。
逆に母様……というか私に似たのがミスト。少し襟足長めの髪にぱっちり紅の瞳、細っこい体と良い女装させたら余裕で女の子に見える男の子です。
可愛らしい外見のお陰で誘拐されそうになった事もしばしば。勿論ブッ飛ばしてます、私とセシル君が。
私は……まあ相変わらずです。顔立ち自体は母様の遺伝で、自分で言うのもあれですけど整ってますから。傾城の美女とかではなく、まあまあ居るよねな感じですよ。
そんな私達姉弟は、現在進行形でセシル君にべったりな訳です。
「歪みねえなお前ら」
三人で声を揃えた事でセシル君は顔の強張りを強めます。居心地悪そうにソファに座る位置を微妙にずらしたり私から離れようとしたりしていますが、挟まれてるので逃げる事は叶っていません。そもそも腕ホールドしてますし。
「セシル君がお兄ちゃんなのが駄目なんですよー、ついべたべたしたくなるもん。ねー?」
「ねー」
相変わらずセシル君大好きなルビィ、くっつく事は年齢的にしなくなったもののちょこちょこセシル君の後をついていたりはします。そもそも役割的に魔導院と連携を取れなきゃ駄目なお仕事に就いていますからね、ルビィ。まあルビィ的にも好都合なのでしょう。
「俺はセシルさんを尊敬してるから。肩でも揉みましょうか?」
まるで二人目かのようにセシル君を慕うのは、末っ子のミスト。
十歳にして明瞭な語り口と思考をしているのは、恐らく私とセシル君に影響を受け過ぎたのでしょう。賢過ぎてちょっとどうしようかなあと。将来魔導院より文官系のお仕事に就けそうです。勿論魔力も高めなので魔導院も余裕ですし、ミストが選べますが。
因みにセシル君や私には敬語使いますが、ルビィには使わない辺りルビィは舐められてますね。親しまれてると言っても良いですが。
「や、そんな歳じゃねえ」
「えー、書類整理してたら肩こり激しいとか言ってた癖にー」
「やかましい」
相変わらず二人で研究室……というか私はちょっと違いますけど、基本研究室に居ます。ジルは研究ではなく取り締まりに回ってます。
まあ二人っきりなのもしょっちゅうですが、セシル君うずたかく積まれた書類を処理する度に肩を回したりストレッチしないとやっていられなさそうです。流石研究部門のトップ、仕事もかなり増えています。
「もうセシル君も良い歳してるんですから」
「お前もな」
「女性に年齢の話は禁句なのですよ? それに、まだぴちぴちです」
「どうだか」
鼻で笑われたので、ぷくっと頬を膨らませて抗議。
た、確かに十代よりは瑞々しさは失われたかもしれませんが、きっちり手入れして潤いすべすべ肌はキープしています。肌艶ばっちりですし、適度に動いてたるみはないです。馬鹿にされる程情けない体はしていません。
「むー。じゃあ脱ぎますか? 何なら確かめても良いですよ?」
「止めろ痴女、そんなんだから嫁の行き手がなくなるんだぞ」
「私に辛辣じゃないですか?」
最近セシル君私にきつい言葉ばかりかけて来る気がするのですけど。照れ隠しなのは分かりますけど、それは酷くないですか?
むにむにと絡み付かせた腕に力を込めてくっつくと、微妙に頬を赤らめたセシル君から「止めろ」と震えた声で懇願されました。
そういう所はセシル君純情ですよねえ、娼館みたいな所行かないでしょうし。未だに伴侶を持たないセシル君って、多分まだなんだろうなあと思います。いや私も人の事言えませんけど。
べたべたしてみる私に、ルビィは上から眺めては溜め息。
「兄様はいつ姉様と結婚するの? 僕そろそろ待ちくたびれたんだけど」
「いつ俺がこいつと結婚する事になったんだよ」
「僕の中での決定事項だったんだけどなあ。姉様も良い歳だし身を固めて欲しいし」
ルビィ、途中の一言要りませんから。まだ若いです、適齢期過ぎてるけどまだ若いですから。
「俺もセシルさんが兄になったら嬉しいです」
「私もセシル君がお兄ちゃんになったら嬉しいです」
「お前は違うだろ!」
ミストに追従してみると、やっぱり突っ込みが入りました。
まあセシル君お兄ちゃんにするなら養子の形ですからね。シュタインベルトの次期当主を養子にする訳にもいきません。でも突っ込みが激しい気がするのですけど。
「ふふ、冗談ですよ。でも本当にそろそろ結婚しないと父様が嘆くばかりですし」
父様は本当に心配してます。私がこの歳になっても婚姻を結ぶ気を見せていないから。あれだけ嫁に行くなって言ってた父様ですが、今は早く幸せになって欲しいと直訴されました。
貴族の適齢期は過ぎ去った私ですが、未だに申し出は来ます。理由なんか分かりきってますからお断りしてますが、やっぱり早く結婚しないと周りが煩いんですよね。
「ヴェルフが俺にも一々言ってくるからな……」
そして父様に目を付けられているであろう適任なセシル君が、頭を押さえて溜め息ついてます。セシル君も未婚ですからね、というか殆ど女の人と積極的に関わろうとしませんし。
例外的に私とは仲良くしてくれています。ちゃんと女性としての扱いはしてくれますが、たまーにデコピンとか攻撃的な言葉が飛んできたり。それも大抵照れ隠しだから可愛いですけど。
「ほら、兄様押して押して!」
「俺の意思は無視かよ」
「まさか。ねえ兄様、僕分からないと思う?」
ルビィがわざとではないかと思うくらいのにっこりとした笑みを向けると、セシル君は押し黙ります。
「俺、実は見てました。セシルさんが姉さんの寝顔見て優しく見守ってたのとか額にキ、」
「ミスト黙れ」
「すみません」
「兄様なんでそこで口にしなかったの」
「お前も本当に黙れ」
先程の比ではなく顔を赤らめてルビィを睨み付けるセシル君。結構したたかに育ったルビィにセシル君もたじたじだったりします。ルビィがセシル君を慕うのは変わりないんですけどね。
「どうでも良いですけど私あの時起きてましたからね」
「お前も黙っ、……おい待て」
「だって、ねえ。その後悶えてたセシル君見たら寝た振りするしかないと思って」
仕事で疲れ果ててうっかりソファでうたた寝してた時にセシル君が顔覗き込んでじーっと見てきたから、寝た振りして様子見してただけなのに。
そしたらセシル君が髪するするといて穏やかな顔で口付けて来たから一瞬息止まりました。ばれてなかったみたいですけど、普通に起きてましたよあの時。因みに額じゃなくて瞼です。
どうしようかなあと羞恥を我慢してたらセシル君も顔押さえて悶えてたから、起きたら逃げ出すと思って寝た振りをした訳です。我ながらナイス判断だと思ったのですが。
……でも、その後セシル君悶えてる割には私を軽々持ち上げて仮眠室に運んでくれましたし。やけに積極的だなーとか思いつつもセシル君が何かするとは思わないので寝た振り続行してましたが、そのまま寝顔観察してましたね。時々頬擽られたり。その辺を魔導院に遊びに来たミストに目撃されたのでしょう。
まさか本人が起きているのだと思ってなかったらしいセシル君、何かよく熟れた赤い果実のように顔を真っ赤にしてます。微妙に涙目になってるのは羞恥のせいなのでしょう。
「言えよ! 起きてたって言えよ!」
「起きたのばれたらしてくれなかったし」
本当に珍しくセシル君が私を女性として見ていた事を思い知らされる事態だったので、空気を読んでみました。
「ほら兄様、責任取って結婚」
「セシルさん」
「止めろ、外堀埋めようとするな」
「もう遅い気がしますけどね」
ミストの一言に押し黙って頭を抱えだしたセシル君。目撃されてた時点で多分アウトでしたね。
セシル君が押し黙って顔を隠し出したので、これ以上からかうのも悪いと思ったのか、はたまた何かの空気を読ん打のか。
ミストとルビィは顔を見合わせて、それから何か私に含みを持った笑みを向けて来ます。何処でこの二人は結託してるのですかね……セシル君を悪意なく追いやるの得意ですよね。
「……あ、僕達居たら言えるものも言えないか」
「じゃあ俺達は席外しますから。行こうか、兄さん」
「おいこら何勝手に 」
「ごゆっくりー」
セシル君的にはすごーく要らない空気の読み方で、二人っきりにされました。部屋には私とセシル君だけです。
体勢は変わらないまま、セシル君にひっついている状態。もう引き剥がす事は諦めているらしく、セシル君は項垂れたまま私は放置されていました。
「あの子達セシル君大好きですよね」
「はあ……」
「でも、嫌じゃないでしょ?」
「……うるさい」
「ふふ」
セシル君があの二人を本気で拒む事はないと分かっていますよ、何だかんだであの兄弟を好きなんですよねセシル君は。
素直じゃないですよねえ、なんて感想が思い付くものの、それは私にも返ってきちゃうのですけどね。私も相当に素直ではありません。セシル君は私を無邪気と言いますが、結構に身勝手で打算ありなのですよ。
だからこそ、今の状態に甘えているのですが。
可愛いげないなあと分かりつつも、この状態は心地好くて、変えたくない。けれど、もう変化を迎えなければならない次期でもあります。
もう子供の時期は過ぎましたよね、と苦笑いをひっそり。それから、セシル君の腕に自分のものを絡めたままこてんと肩に頭を寄り掛からせます。
座高以前に身長自体違い過ぎるから、腕に頭をくっつける形なんですけどね。それでもセシル君はびくりと肩を揺らしました。
「おい」
「……そろそろ、本当に身を固めたいとは思ってます。私ももう適齢期は過ぎて売れ残りですから、誰も貰ってくれません」
こんな事を言うのは情けない限りなのですけどね。
でも、私はもう二十四歳。もうすぐ成人から十年経とうとしています。適齢期なんて数年前に終わってしまいましたし、私を好きになって受け入れてくれる人なんて限られてます。
セシル君は私が苦笑いを含めて囁いた言葉に少し押し黙って、それから絡めていた方の掌を動かして私の掌に重ねます。
握る訳でもなく、ただそっと置いただけ。でも、それだけで、ふわっと暖かくなって何となく幸せになってしまいました。
私もセシル君と関わって十七年。赤ん坊が成人する期間共に過ごして来た訳です。セシル君の研究室で過ごすようになって、成人前より一緒の時間も長くなりましたし。
……此処まで長く居て、自分の気持ちが分からない程私は馬鹿ではありません。まあ気付いたのは成人してから数年後でしたけど。
「……お前なら、引く手あまただろ」
「セシル君だって。知ってるんですよ、一杯求婚来てるの」
女性と違って男性の貴族は適齢期は長いですし、まだまだ適齢期の範疇なセシル君。家柄は完璧、文武両道で端整な面立ちのセシル君はフリーな事自体おかしいのです。とうの昔に結婚していそうなスペックなのに。
……まあ、私も……原因がある事くらい自覚していますけど。
「その誘いを受け入れずに此処まで独身貫いている理由、聞いちゃ駄目ですか?」
察してはいます、だって私達はもう大人だから。
でも、どうせなら、セシル君の口から聞いてみたかった。今の関係を崩す勇気がセシル君にはあるのかを。
「……どうせなら、トップを目指そうと思ったんだよ。まあお前方が先に進んでるけどな」
「こればっかりは魔力総量のおかげですよ。まあ、これのせいで遠巻きにもされるから行き遅れですけど」
求婚は来るものの、誰にも靡かないし最強の後ろ楯があるから無理矢理ものにしようなんて馬鹿は居ませんでした。それに、私がセシル君と仲良くしてるの皆分かってるから、勝てないって思ったのでしょうね。
……逆に令嬢さん方は頑張りますね……。
行き遅れ、の単語に少しだけ気不味そうに眉を動かすセシル君。すっかりあどけなさの抜けた美貌は、私をじっと見つめております。
……真っ直ぐな眼差し、お月様のようなこの瞳が、私はとても好きです。ただ囲って大切にしてくれるジルとは違う、穏やかに寄り添ってくれるような、澄んだ眼差しが。
「……ねえセシル君、お願いを一つ言っても良いですか」
「何だよ」
「……セシル君、私を貰っ……」
最後まで言わせてくれないのは、ちょっとずるいです。
ふわっと鼻先を擽った馴染みの香り。いつもくっついて嗅いでいる筈なのに、今日ばかりはとても甘いように思えました。
ふ、と至近距離で緩んだ金の瞳に触発されたのか、じわじわとせり上がる熱と羞恥。それはセシル君も一緒だったらしく、直ぐに顔を真っ赤にしてます。でも、こんな近くに居ても私から目を逸らそうとはしていませんでした。
「……そういう事は、男の俺から言わせて欲しかったんだが」
するっと絡み付かせた腕をほどかれて、今度は逆にセシル君が求めるように私を引き寄せます。ああ、セシル君もどきどきしてるんだなって押し付けられた胸板から伝わって来て、何だかふわふわ幸せな気分。
……一緒の感覚を共有するのは、こんなにも気持ちがよくて幸せな事なんですね。もうちょっと早く知りたかったなあ、なんて。
「……セシル君にそんな積極性ないと思って」
「やかましい」
「ふふ、でも、今のセシル君はちょっと積極性ですね」
まさかセシル君が口付けて来るなんて、思ってもいませんでしたから。セシル君は初めてだったのではないでしょうか、その割に結構適切な押し付け具合でしたが。
珍しきかな、今もセシル君の積極性は続いていて、私を抱き締めては髪を梳いています。仕草は優しく、落とされる眼差しはひたすらに甘い。……セシル君、って、本当に……うん、格好いいですよね、此方が照れちゃいます。
「……いつまでうだうだしてんだと色んな奴から言われてるからな」
「……もう少し早く貰って欲しかったかもです。……若々しさなくなってますよ?」
「実は根に持ってるだろお前」
そんな事はありませんよ?
まあちょっと若さを疑われて不服ですけど、確かに十代の頃に比べたら若さはないですし。その分落ち着きはしたのですけど。
「……昔も今も、綺麗だろ」
「へ、」
怒ってない、そう言おうと思った時には、セシル君から爆弾を落とされました。
一瞬呆けてしまって、それからセシル君が真面目に且つ照れ臭そうに呟いた顔を見て一気に熱がのぼってくらくら。顔から火が噴きそうと思ったのは、初めてかもしれません。
ずるい、本当にずるい。勝ち目ない、絶対に。……どうして、私の心をこんなにも掻き乱すんですか。心臓がどきどきして仕方ないです。
セシル君のばか、と胸に顔を埋めて小さく呟いたのも聞こえたらしくて、セシル君は困ったように笑って大きな掌を私の髪に通します。
顔、上げられない。大人になった筈なのに、自分でも分かるくらいに今の私は初心っぽいです。逆に、こういう時に限ってセシル君何か大人びてるし。ずるい、本当にずるいです。
お互いにとくとくと心臓の鼓動が早まっていて、それが擽ったくて、でも、嬉しい。抱き締められたまま耳元に唇を寄せられて、息がかかってぴくっと肩を震わせてしまいました。
「……俺の物になってくれ」
そうして愛しげに落とされた言葉に、もうとっくの昔に決めていた言葉を返す事にしました。
「……喜んで」
「セシル兄様も本当に奥手だよね」
「確かにセシルさんは押しが弱いけどな。でも、姉さんを気遣ってるだけだろ」
「ミスト、僕には敬語使わないよね……。まあ、二人して臆病で、奥手だけど」
「良いんじゃないの、発破かけたし」
「まあなるようになるよね」