第08話 シャーにも種類がある
人間は学習する生き物だ。
毎日同じことを繰り返していれば、嫌でも分かってくることがある。
猫も、たぶん同じなんだろう。
そして、最近、俺にも一つ分かったことがあった。
「チコの『シャー』には種類がある」
朝、エサを用意する。
「はい、朝飯」
カリカリの音を聞きつけて、三匹が集まってくる。
キナコは真っ先に皿の前へ、アンコは少し後ろで静かに待つ。
そして、チコは「シャー」顔が怖い。
「はいはい」
俺は二歩だけ後ろへ下がる、するとチコは何事もなかったように皿へ顔を近づけ、黙々と食べ始めた。
「今日は軽めだな」
最初の頃のような迫力はない。ただ、『近い』という意思表示なのだと、最近ようやく分かってきた。
仕事を終えて帰宅する。
「ただいま」
キナコが廊下を駆けてくる、アンコは少し離れた場所からこちらを見ていた。
チコも姿を見せる。「シャー」
「こんばんは」そう返すと、自分で少し笑ってしまった。
もちろん意味なんて通じない。
それでも最近は、このやり取りが挨拶みたいなものになっている。
夜。
缶ビールを片手にテレビを眺めていると、アンコが隣へやって来た。
キナコはソファの背もたれで寝転び、今にも落ちそうになっている。
アンコはきれいに丸くなって動かない、チコは窓際で目を閉じていた。
車が通る。耳がぴくり。庭で鳥が鳴く。また耳が動く。キナコが寝返りを打つ。今度はそちらへ耳が向いた。
「……ちゃんと見てるんだな」
眠っているように見えて、ちゃんと子どもたちを気にしている。
その姿を見ていると、チコが俺を警戒する理由も少し分かる気がした。
そんなことを考えていると、ふいにチコと目が合う。
「ん?」
チコはゆっくり立ち上がった。一歩、また一歩、こちらへ歩いてくる。
「お、おい……」思わず背筋が伸びる。
もしかして、ほんの少しだけ期待した。
チコは俺の足元まで来るとすっと横を通り過ぎた。
「あ」
そのまま水飲み場へ向かい、何事もなかったように水を飲み始める。
「……だよな」
勝手に期待して、勝手に肩を落とす。我ながら単純だ。
「ニャ」
横を見ると、アンコがこちらを見ていた。
「笑うなよ」
もちろん笑っているわけじゃない、それでも、なんとなく見透かされた気分になる。
翌朝、靴を履き、玄関で振り返る。
「行ってきます」
いつの間にか、誰もいない部屋にもそう言うようになっていた。
キナコは廊下からこちらを見ている、アンコは朝の毛づくろい中、チコはリビングの入口で座っていた。
「留守番、頼むな」
ドアノブに手を掛ける、その時だった。
「ニャ」
小さな鳴き声が聞こえた、思わず振り返る。
チコはいつものように座っているだけだった。
「……気のせいか」そう呟いて家を出た。
その日一日、不思議とあの小さな鳴き声が頭から離れなかった。
仕事を終えて帰宅する。「ただいま」
チコがこちらを見る。「シャー」
「……やっぱりそれか」思わず吹き出した。
靴を脱いで部屋へ上がる。
チコはもう俺のことなど気にしていないのか、水を飲み終えると、その場で毛づくろいを始めた。
「それでいいか」
上着を脱ぎながら苦笑する、シャーでもいい。
無理に仲良くなる必要なんてない、明日もまた、朝になればエサをやって、トイレを掃除して、仕事へ行く。
そんな毎日が、少しずつ当たり前になってきていた。




