第4話 毎日、ウンコを片付ける男
人は慣れる生き物だ。
最初は嫌でたまらなかったことも、毎日繰り返しているうちに、それが当たり前になってしまう。
……良いことなのか、悪いことなのかは分からない。
少なくとも、俺にとっては少し複雑だった。
朝。
目覚ましが鳴るより早く、キナコの鳴き声で目が覚める。
「ニャー!」
腹が減った、という催促だ。
「はいはい、今起きるよ」
眠い目をこすりながらベッドを降り、マスクを外し顔を洗い、歯を磨く。
コーヒーを淹れるころには、もう頭も少しだけ働き始める。
毎朝、最後に向かう場所は決まっていた。
猫のトイレだ。
「おはようございます」
誰に聞かせるでもなく呟いて、スコップを手に取る。
猫砂をかき分ける。コリッ。「一個目」
袋へ入れる、さらに砂を掘る。「二個目」
まだある。「三個目……昨日、お前ら何を食べたんだ?」
もちろん返事はない。
朝から猫のウンコと向き合う三十代、学生の頃の俺が知ったら、きっと笑うだろう。
『将来の夢は?』
そう聞かれて、『毎日猫のウンコを片付ける男になります』
なんて答える子どもは、世界中探してもいない。
人生、本当に何が起こるか分からないものだ。
掃除を終え、新しい猫砂を足していると、アンコが静かにやって来た。
俺の隣に座り、トイレをじっと見つめる。
「……点検か?」
中を確認し、ひとつ頷いたように見えると、そのまま去っていく。
「現場監督、お疲れさまです」
思わず苦笑した。
次は水とエサの交換だ、器を洗い、新しい水とエサを注ぐ。
そこへキナコが待ちきれない様子で顔を突っ込んできた。
「まだ入れてる途中だって!」
勢い余って水が跳ねる、本人はまったく気にしていない。
「朝から元気なのは結構だけど、もう少し待てないのか」
チコは少し離れた場所から、その様子を眺めている。
相変わらず警戒心は強い、俺が近づけば、すっと距離を取る。
「もう一か月近くになるのにな」
そこまで信用されないと、逆に感心してしまう。
まあ、突然知らない男が家に住み始めたようなものだ。
警戒するのも無理はない。
仕事へ行く準備を始める。マスク。ティッシュ。目薬。アレルギー対策三点セットだ。
「今日も頼むぞ」
マスクを着け直すと、それだけで少し安心できた。
仕事を終え、家へ帰る。
「ただいま」
玄関を開けると、キナコがいつものように走ってくる。
アンコは少し遅れて姿を現した。
そして、チコは以前なら物陰から見ているだけだったのに、最近は廊下の途中まで出てくるようになった、もちろん、近づけば逃げる。
それでも、ほんの少しだけ距離が縮まっている。
「……進歩、したのかな」
そんなことを思ってしまう自分がいる。いや、違う。認められたわけじゃない。
せいぜい『危険な人間ではない』くらいの評価だろう。
そう考えておくことにした。
夕飯を済ませると、何気なくテレビをつけた。ちょうど動物番組が始まる。
『今日は猫ちゃん特集です!』
「またか」
画面では子猫が転げ回り、出演者たちは頬を緩ませている。
『かわいい〜!』
『癒やされる〜!』
確かに可愛い、それは認める。でも、思わずツッコミたくなる。
「その十分後も映せよ」
テレビに向かって呟く。
「トイレ掃除も映せ。毛玉を吐くところも朝五時に起こされるところもソファが毛だらけになるところも。」
そこまで映してこそ、本当の『猫との暮らし』だろう。
もちろんテレビは何も答えない。
代わりに隣でアンコが「ニャ」と短く鳴いた。
「お前もそう思うか?」
いや、違うな。たぶん画面の鳥を見ていただけだ。
その勘違いがおかしくて、思わず笑ってしまった。
番組が終わる頃には、三匹とも寝息を立てていた。
チコはキャットタワーの上、キナコはソファ、アンコはテレビ台の前。
静かな夜だ。
そして、俺にはもうひとつだけ仕事が残っている。
猫トイレ。
「さて、本日二回目の回収業務を始めますか」
スコップで砂をかき分ける。
「……増えてる」
朝きれいにしたばかりなのに、しっかり追加されていた。
「本当によく出るな、お前ら」
袋の口を縛り、ゴミ箱へ入れる。
手を洗い終えた頃には、時計の針は午後十時を回っていた。
「これで今日も終わりか」
誰に褒められるわけでもない。給料が出るわけでもない。感謝されることもない。
それでも明日の朝になれば、また同じ一日が始まる。
鏡に映った自分を見て、思わず苦笑した。
「俺……」
マスクを外しながら、小さく呟く。
「すっかり猫の使用人になっちまったな」
その声が聞こえたのか、部屋の奥からアンコが短く鳴いた。
まるで『今さら気付いたのか』
そう笑われたような気がした。




