魚サンドと焼き魚
「だから、こんな旅は嫌だって言ったのよ! せっかくの新婚旅行なのに……。私はアムカトルのリゾートが良いって言ったじゃない!」
「まさか関所が封鎖されてるなんて誰も思わないだろう⁉ お前だって多種族の国を見てみたいって乗り気だったじゃないか!」
「入国できなきゃ、なんの意味も無いじゃない! わざわざ登山までしてきた結果がこれ⁉」
関所前の広場に響く喧嘩の声。何の前触れもなく入出国を停止されたハキューネの関所前は、連日こんなやり取りがいたるところで繰り広げられている。
「もう、いい! 離婚する!」
マリエッタは、そう吐き捨てるとその場にしゃがみこんだ。
「はぁ⁉ なんで、そんな話になるんだよ! 俺のせいじゃないだろう⁉」
カルリトが何を言っても、マリエッタは両手で耳を覆い。頑なに動かない。
本当だったら、今頃はハキューネの宿で豪華な寝具に包まれて寝ているはずだった。
数日前に降った雨で地面はぬかるみ、おそろいで買った登山靴はドロドロ。何時間も歩き続けて足はジンジンと痛み、空腹ももう限界を迎えている。
その時、風に乗ってほのかに美味しそうな匂いが漂ってきた。
門前に出来ていた人の群れが、一つ増えている。
「おい、マリエッタ」
「うるさいな! もう別れるって決めたんだから!」
「いや、ちょっと待てって。何かいい匂いがしないか?」
「良い匂い?」
マリエッタは顔を上げてクンクンと空気を嗅いでみた。
確かに風に紛れて魚が焼ける匂いがする。
幼少期を港町で過ごしたマリエッタには懐かしい香りだ。
「本当だ。魚と磯の匂い? こんな山の中なのに……」
「ちょっと見てくる! 待ってて!」
カルリトは財布をひっつかむと、匂いがする方へ走った。
せめて何か美味しい物をマリエッタに食べさせなければ!
彼女の両親に何度も何度も頭を下げて、ようやく結婚を承諾してもらった妻を、わずか三日で失うわけにはいかない。
「魚サンドが三つお待たせ! 注文がまだの人は右に並んで!」
人垣の向こうで若い男が大声で指示する声だけが聞こえる。
「あんた、注文はまだ? こっちが最後尾だから、順番に並んで」
後ろから声をかけてきたのは妙齢の女性だった。長剣を脇に刺し、白いチュニックの上に革の胸当てを付けた姿は、衛兵というより冒険者のように見える。
「あの、この列は何ですか?」
「キラキラなんとかって商人のパーティーが焼き魚を売ってんだよ。魚に珍しいソースを塗ってくれたり、パンに挟んだ『魚サンド』ってのもあるみたい」
「あるみたいって、あなたはそのパーティーの人じゃないんですか?」
「私は、冒険者ギルド受付の護衛係。今は他の奴に交代して休憩中なんだけど、こっちの店が大変そうだから、勝手に手伝ってるんだ。ここの商人パーティー、面白くてさ」
カルリトは感嘆の溜息を洩らした。カヌセーヌ人は困っている相手への助力を惜しまないと本には書いてあったが、それが正に目の前で起きている。
知っていたことも知らなかったことも、実際に現地へ赴いて体験する。
旅の醍醐味だ。
焼き魚と魚サンドも、きっと旅の思い出になると、カルリトの気持ちが高まった。
「教えてくれて、ありがとう。俺も買ってみるよ。ここに並べばいいんだな?」
「あぁ。行儀よく並んでなよ? 面倒事を起こしそうなら、先頭には店の護衛に魔術師が目を光らせてるからね」
女性の忠告にも、思わずワクワクと身を乗り出してしまう。
カルリトとマリエッタが住むラジュパンでは、魔術師は滅多にお目に掛かれない上位職だ。
こんな広場にいて、しかも商人の護衛をしているなんて考えられない。
ここが魔術文化に優れた東側の土地であることの証拠だ。
順番は思っていた以上にスムーズに進んだ。連れと一緒に並んでいた人がいたのもあるが、商人の注文を受けるスピードが速い。こんなにテキパキと注文と会計をこなす商人は見たことが無い。
他にも冒険者が手伝っているようで、並んでいる最中に何がいくらで売っているのかを細かく教えてくれた。
魚の切り身を焼いたものとケチャップというソースを挟んだ魚サンド。
干し魚というのは、手のひら大の魚を縦に切って開いたものを天日で干したものらしい。
串焼きは、やはり干した魚を切って串に刺したものだが、こっちは少し身が厚い。
焼き魚というのは干し魚と串焼きの間くらいのサイズの、これまた干した魚。
どれも干して焼いた魚なわけだが、とりあえず魚の種類が違うらしいことは理解できた。
注文の受付が近づいてくると、会計台のすみに小さな皿が並んでいるのが見えた。
その前には子どもが書いたような雑な文字で、なにかの言葉が書いた紙を置いてある。
「これが、ソースの見本なんだと。ちょっと舐めていいらしいぜ?」
前に並んでいる旅人が話し合うのを聞いて、カルリトも指をのばして掬い取ってみた。
『しょうゆ』と書かれた黒いソースは汁っぽく、指先を濡らす程度にしか取れない。しかし、味がとても濃厚だ。強い塩味と香ばしい香り。これまで食べた事が無い味わいだ。鼻を抜ける香りはとても良いが、見た目が少し気になる。黒く透明な水。まるで錆びた水差しの水のようだ。
次の茶色いソースは『みそ』と書いてある。打って変わって水っぽさがまるでない。柔らかい粘土のような、泥のような。口に運ぶのに勇気がいる見た目だ。しかし、香りがいい。さっきの『しょうゆ』と比べると、格段に重層感がある香りだ。味は、やはり塩味が強い。しかし、複雑に折り重なった旨みとほのかな甘み。そして酸味。これは美味い。このまま舐めているだけでも酒が進みそうだ。
次は白いクリームのようなソース。『マヨネーズ』と書いてある。アリオリに見た目がよく似ているが、ニンニクの香りがしない。しかし、豊かなコクと心地よい酸味。まったりとした滑らかな舌触り。
初めて食べる味だが、どこかなじみ深いような感じもする。
最後は『ケチャップ』と書かれた赤いソースだ。これはトマーテのソースだろうか? 果実身が無いがパプリーカかトマーテに色が近い。
『マヨネーズ』よりは柔らかいが指先にしっかりと乗せられる硬さはある。
これは、美味い!
フルーティーな酸味とほのかな塩味。複雑に折り重なったスパイスの香り。
そして、やはりこれはトマーテのソースだ。特有の旨みと甘みを感じられる。
しかし、こんなに濃厚で果実の旨みを凝縮したようなトマーテのソースは初めてだ。
「お待たせいたしました。ご注文をどうぞ」
ソースを試しているうちに順番が来てしまったカルリトは、オロオロと慌てながら「えっと、魚サンドを二つと……」と、言いながら横で注文品を受け取る人の手元を盗み見た。
「あの切り身の魚に付けてたマヨネーズってやつ、ケチャップってのに変えてくれないか?」
マヨネーズは美味かったが、マリエッタの好みはきっとケチャップの方だと思っての注文だった。
「マリエッタ! お待たせ。食べ物を買ってきたよ。焼いた魚にソースを付けた物と、切り身の焼き魚とソースをパンに挟んだ物だって。焼きたてをもらってきたから食べよう」
カルリトはハァハァと息を弾ませながら、紙に包まれたパンと串焼きの魚を差し出した。
一瞬、マリエッタは意地を張って突き返そうと思ったが、自身の空腹がそれを許さなかった。無言で受け取ると、その暖かさが手をつたって身体に上ってくる。
「ありがと」
受け取ったマリエッタがそれに口を付けると、カルリトは満足げに微笑んで、隣に腰を下ろした。
「これさ、魔方陣で焼いてたんだ。調理用魔具じゃなくて、魔方陣だよ? すごくない? 白い髪の子どもが焼いてたんだけど、魔方陣もあの子が操作してるのかも。耳が尖ってたから、エルフかな? もしかしたら悪魔かも!」
カルリトは子どものように目を輝かせながら、興奮した様に店の様子を話した。
「まさか、悪魔なんて……」
「いやいや、ありうるよ。だってここは壁を越えたらカヌセーヌだ。あらゆる種族が共存する国だよ。しかも、その向こう隣りはトロキオ王国。悪魔族の国だろ? すごいな。悪魔が焼いた魚を食ってるんだ」
そう言いながら、カルリトは串に刺さった焼き魚に食らいつく。
表面に塗られた赤いソースが口の端にこびり付いた。
「このパン、柔らかい……。こんなに柔らかいパンは初めて食べたわ」
「カヌセーヌのパンは柔らかいのかな? 本には書いてなかった。やっぱり来てみないとわからないな。あ、あの店さ。護衛が魔術師だったんだ。しかも若い女の子!」
マリエッタの顔が一瞬で険しくなる。
「若い女の子?」
「へ? あ、いやいや、そう言う意味じゃなくって。俺たちの国では魔術師なんてみんな爺様ばっかりじゃない。若い子が魔術師になれるんだなって思ったんだよ。さすが東側だなって。もしかしたら、あの子も悪魔かな?」
次々と店の様子を話して聞かせるカルリトを見ながら、マリエッタは魚サンドを二口三口と食べ進める。
柔らかく甘みのあるパン。
プリプリと弾力がある魚肉は噛むごとに旨みがジュワっと口いっぱいに広がる。そこに、甘酸っぱくフルーティーなソースか絡み、気づけば一気に半分以上食べてしまっていた。
初めて食べる味。でも、どこか懐かしさも感じる。
これは、トマーテの味だ。優しく甘酸っぱい母の味。
初めて知る懐かしい味を噛みしめながら、マリエッタは楽しそうなカルリトの姿を見つめていた。
こんな風に、好きな物について話す彼が好きだった。
知らない物を探求し、どんどんと新しい知識や経験を蓄えていくカルリトを好きになった。
彼の傍にいることで、自分もまだ見ぬ世界を見られるような気がして、カルリトと付き合い始めてからは自分の世界が広がる興奮に夢中になっていた。
でも、結婚が決まって、いままで他人事と見ていた花嫁と言う物に自分がなるのだと実感して『誰もが憧れる幸せな花嫁像』に自分を当てはめることに執着していた。
友人や姉妹たちと同じように、それ以上に、素敵にキラキラした『花嫁』になりたいと。結婚式のドレスも、披露宴の料理も、新婚旅行も完璧じゃないといけないと、必死になっていた。
魚にかぶりついて笑うカルリトの笑顔を見て、ようやく思い出した。
あぁ、私はこの人が好きで結婚したんだ。この人と新しい世界を見たくて結婚したんだと。
気づくと、マリエッタは涙をポロポロと流しながら、笑っていた。
カルリトがギョッとして、彼女の頬をつたう涙を指で拭う。慌てて伸ばした指先にケチャップが付いていたものか、マリエッタの頬に赤い線が走った。
「あぁ、ごめん! 汚しちゃって。今拭くから。……えっと、ポケットに綿布が……」
立ち上がろうとするカルリトの手をマリエッタが抑え、その顔がカルリトの顔に近づいた。
頬が触れ、唇が重なる。
ケチャップの赤い線が、カルリトの頬に写し取られる。
「マリエッタ?」
「思いだしたの。あなたが、好きだなって。ごめんなさい。別れるなんて、もう言わない」
彼女の心変わりの切っ掛けはカルリトにはわからなかった。
ただ、その言葉で、カルリトも思いだした。
珍しい物を見つけるたびに、それを見せると喜んでくれる彼女の笑顔が好きなんだと。
それが見たくて結婚したのに、いつのまにか自分がやりたいことばかり優先していた気もする。
上等な登山靴を用意したり、護衛の冒険者を雇うのではなくて、マリエッタの負担にならないようなプランを考えるべきだった。
「これだけじゃ足りないだろう? ノーヅ港からこっち、何も食べてなかったし。もっと買ってくるよ。同じやつでいいかな?」
再び財布を手に立ち上がったカルリトに合わせるように、マリエッタも腰を上げる。
「ううん。私も行く。どんな物があるのか見てみたい。若い女の子の魔術師も、白い髪の悪魔の子も、魔方陣で魚を焼いてるところも。一緒に見たい」
「わかった」
カルリトは照れくさそうに頭を掻きながら、もう一方の手でマリエッタの手をしっかりと握りしめた。
いつか二人はこの日の出来事を、こう振り返るだろう。
『夫婦最初の冒険は、大きな災難に見舞われた。そこで得られた宝物は、二人の絆とトマーテ味の焼き魚だった』




