過日譚 道標 (三)思慕
目を覚ますと、目の前の畳に茜色の光が差していた。焦点が合って視界がはっきりすると、窓の外はすっかり夕焼けで……手前の広縁で、サメが本を読んでいるのが見えた。
そのまま、盗み見る……真剣に手元の本に集中している横顔と少し遠い蝉の声。時折聞こえる静かに頁を捲る音と、籐椅子が奏でる軋み。畳の青い匂いと、古い木造家屋のしっとりとした木の香り。その光景をずっと静かに眺めていられる気がしたのは……オレの中の迷いが消えたからに違いなかった。やがて、視線を感じたのか横顔がこちらを向く。
「お、起きたか……気分はどうだい、ユキ。とりあえず、喉は渇いているだろう?」
立ち上がると、ペットボトルを手に持ってやってくるサメ……オレは急いで立ち上がって、サメと向かい合う。そうしないといけない……オレから言わないといけない、と思っていた。
「サメ、昼間は……助けてくれて、ありがとう。あの……あのね……オレ、今度からやたらと謝るの、控える事にする……」
サメが目の前で立ち止まった。そのまま聞いてくれているので、続ける。
「ミスする度、そこに気を取られ続けて謝っていたのは……自信の無さのせいもあるけど……一番は、サメを失うのが……自分から離れて行く事が怖かったからだって、今日解ったんだ。失望されたくない……見捨てられたくないって、必死で……そればっかりで……」
内心を言葉にして誰かに伝えるだなんて、今までの人生ではそうそうある事ではなかった。そのせいか、言葉を紡ぐ度にどんどん顔や喉が熱くなってくる。声も震えている気がする……感情が昂っている。サメは真っ直ぐにオレの目を見て、静かに聞いてくれている。
「でもね、今日、サメの気持ちを聞いて……サメはこんなにオレの事を見てくれていたのに、オレはいつまでも自分の事ばかり気にして……それって不誠実だって……このままじゃ嫌だって思ったんだ。オレ……サメと、二人の目標に対して、もっと真っ直ぐでいたい……」
目が潤んでくる。過熱気味の喉がつっかえそうになる。ちゃんと話せているのか自信がない。もうほとんど、考えて話すというよりも衝動のまま、心のままに話している。
「だから、ミスをカバーして貰ったら謝るよりもお礼を言いたい……ミスに囚われ過ぎずに、対策立ててどんどん原因を潰したい。今はまだ全然だけど……繰り返して、なんでも吸収して強くなるよ。そうやって、サメと並ぶ……いや、追い越すくらいに強くなる……絶対に……」
話す内容が、今の自分の身の丈に合わない程に大きくなっている……だけど、本心だった。オレは相棒として、サメを超える気概を持って同じ目標に突き進むべきで……後ろからついていって並び立つだけでは、相棒たり得ないと思っている。もう声の震えも明らかで、顔も目もずっと熱い……でも、まだ。伝えられていない。だから……まだ、泣くな。
「だから、サメ……これからも、オレを見ていて欲しい……絶対に、後悔させない……二人の目標を実現させるし……オレもサメの事、ずっと見てるから……いつもサメの事を考えるし、いつでも想うから……オレ、サメが……サメの事が……」
好きだから
そう言いかけたところで、ゆっくりと近付いてきたサメに正面から力強く抱き締められる。頭と背中に手を当てられて、顔を埋めた胸からサメの鼓動を感じる。腕の力は遠慮なくオレの身体を拘束して、身動ぎひとつ許さないほどに二人の身体を密着させていて……段々と、二人の鼓動がひとつに合わさっていくような感覚さえ覚えた。そうなるともう、まるで駄目で……こらえていたのに、結局泣いてしまう。サメは何も言わずに、そのまま……いつかのように、オレが泣き止むまで背中を撫で続けてくれた。
◇ ◇ ◇
「なぁ、ユキ……ちょっとだけ、部屋の玄関のところで待ってて貰ってもいいか?」
露天風呂を満喫してから、旅館内の食事処で夕食を摂って……客室に戻ってきた時に突然、サメが妙な事を言いだした。穏やかな笑みで何かを企んでいるらしいサメ……素直に言う通りにすると、客室に通じる襖を閉め切って何やら物音をさせている。玄関で待ちながら、直近で何か行事があったかどうかを思い返すも……やはり、何も思い当たる節は無い。
「ユキー、いいよ。入っておいで。」
声に応じて襖をそっと開けると……部屋は暗いまま、広縁のテーブルの上に火の揺らめきが見えた。ロウソクとケーキ……だった。しかし、一体なんのための物なのか検討がつかず……呆然として見つめていると、
「行く予定のひとつだった店……ケーキが美味しかったらしいんだ。それで、ユキが寝てる間に買ってきたんだよ。ほら、もう来月は僕の誕生日だし……ユキはまだまだ先だけど、休暇が終わったら僕らも忙しいから……今、合同誕生日会ということで……どうかな?」
苺と生クリームで飾られたケーキの中央に、チョコレートのプレートがあって……そこにはサメとオレの名前がしっかり入っている。結構強引で、突拍子も無い……思ってもみなかった展開に、つい笑ってしまった。
「笑ってる場合じゃないぞユキ……せーの、で吹き消すぞ。もう蝋が垂れてくるから……」
サメに急かされるまま、二人で吹き消した。二人で拍手して、おめでとうを贈りあって……それから二人で、ワンホールのケーキを食べた。かつては、食べようと思わなかったケーキ。妹の誕生日に食べる機会はあったけれど、苦手だからと嘘を吐いては避け続けていたケーキ。それがこんなに美味しいなんて、知らなかったな……でも今、サメと一緒に知れてよかった。
「オレ、初めて食べるけど……ケーキって美味しいね。苺と生クリームって合うんだな……」
「気に入った? まだまだあるから、いっぱい食べていいぞ……苺と生クリームの組み合わせが好みなら、ショートケーキもいいね。僕も作れるから、いつかユキに作ってあげたいな……」
「本当? 約束だよ、サメ。楽しみにしてるからね……」
それからは、布団に転がりながら寝付くまで話をして……あっという間に朝になって。不測事態に備えて早目に帰隊する予定だったから、午前中の終わりには帰りの電車に乗っていた。
あっという間に終わった旅行……体調を崩したせいで全然予定通りにはいかなかったけれど。それでも、この初めての旅行はオレの宝物になった。サメの気持ちを知り、オレのあるべき姿と、これからなすべき事が明確になって……オレのこれからの道標になった。
サメが好きだ。お互いに男だろうが関係ない。相棒として、ゆくゆくは斥候狙撃兵として、二人一組で生きていく……軍隊でなら、それが出来る。たとえ好きだって伝えられなくても、肉体的な繋がりが無くても……その生き方を続ける限り、オレとサメは相互理解をし続ける……それはもう、本当の夫婦みたいなもの……ひょっとしたら、それ以上じゃないか。
ふと隣の座席で寝息を立てているサメを見る……オレの女房役を標榜する、愛おしい相棒。今回の旅行にしても時々……オレの方が女房みたいに扱われているような気もするけれど……まぁ、どっちでも構わないか。サメの隣なら、それでいい。
「好きだよ……」
誰にも聞かれないよう、静かに唱えてから……サメの肩を借りてオレも少し眠る事にした。寝て起きたら、もう教育隊のある町の近くだろう……もう既に、明日からの練成が待ち遠しくなっている。
寝て起きたら……明日になったら……サメと……一緒に……
ずっと……
※「過日譚」了




