第四章 白鳥 (二)進退
「本当にユキも辞めるのか?」
結局、食堂で昼食を食べそこねた僕とユキは……二人して駐屯地内の喫茶店で遅めの昼食を摂ることにした。今、僕は食後のコーヒーを飲んでいる最中だ。
「当たり前だろ、サメ以外が出した射撃諸元で狙撃なんて……そんなのもう、浮気だよ。」
コーヒーが苦手なユキは、オレンジジュースの入ったグラスの中でストローをくるくる回しながら、斬新な切り口で独自の貞操観念を語っていた。その目や口調からは冗談を言っている節は見当たらないので、これはきっと本心だろう。そして本心である以上、もはやどう説得しても梃子でも動かないのは女房である僕もよく知っていた。
「じゃあ二人して遅めの就職活動だな……でもユキも3月に辞めるんなら早目に伝えないと、中隊もきっと困るぞ。週明けにでも伝えるのか?」
「いいや? 飲み物待ってる間に辞めるってメールしたから。先任と中隊長に送っといたから大丈夫でしょ……」
ユキはそう言って、半分程残っていたオレンジジュースをストローで飲み干した。悪びれる様子は一切無い。言おうか言うまいかを考えていると、ユキが先手を打つ。
「サメ、解るよ……不義理な事を、って思ってるんだろ? でもね、オレからしたら軍がオレの女房にする仕打ちの方がよっぽど不義理さ。そんな相手に敬意は払えないよ……オレ、昔は体力とかそういう面で軍隊に向いてないって思ってたけど、違ったね。オレが軍隊に向いてない本当の根っこは、こういうところだったんだな……」
ユキはおしぼりで手を拭きながらしみじみと語る……確かに、そうなのかもしれない。軍隊は決して清廉潔白な組織ではない。国や組織としての正しさは現場の思う正しさとイコールではなく、必ず歪みが生じている。兵隊はともかく職業軍人としてやっていくには……清濁併せ呑むとまでは行かなくとも、組織としての正しさの為に真実が変容する事への許容は求められていた。そして、ユキは軍のそういうところが苦手だった。
「大丈夫だよ、僕はユキのそういうところも好きだからね。それにホラ、早速呼び出しだ……着いてってやるから、まず一緒に謝ろうな?」
指差した先で、ユキの携帯電話が鳴動している……先任からの着信であった。僕は顔を赤くして狼狽えるユキの代わりに、着信に応答して……結果、その日の内に面談の機会が設けられてしまった。本日二回目の面談である。中隊長室には中隊長、先任、僕とユキが居て、時刻は1600を少し回ったところだ。面談は謝罪から始まった。
「中隊長、申し訳ありません……労苦を共にした兎川特技兵の前では、自分の拙い嘘は通用しませんでした。それゆえ先般の事故に関して、兎川特技兵には自分の知る全てを話してしまいました。お叱りは甘んじてお受けします。」
すかさずユキもこれに続いた。
「先程は不躾なメールを失礼しました。中隊長や先任からは、鮫上特技兵に最大限配慮して頂いているにもかかわらず、そのお二人に対してあのような手段で辞意を伝えたのは過ちであったと反省しております。また、自分は鮫上特技兵から無理に事情を聞き出しました。どちらについても、お叱りは自分が甘んじてお受けします。」
安藤少佐は目を閉じて腕組みしながら時折頷き、謝罪を聞いてくれた。先任はその横で姿勢正しくソファに浅く座って……その目線と顔は、常に発言者に向けられていた。全ての謝罪を聞き終えた中隊長が、ゆっくり目を見開く。
「いや、いいさ……君らの間では隠し切れないだろう、というのは薄々解っていたよ。本当にどうにか騙しきってもらうつもりなら、こっちで台本でも用意していたさ。しかし……本当に兎川特技兵も除隊するのか?」
「はい、三月に鮫上特技兵と除隊します。」
迷いを見せない、即答だった。そこに先任が静かに食いつく。
「下士官候補生の枠を取っておきながら、選抜に落ちた奴らに悪いとは思わんのか?」
「いえ、こんな自分に負けて選抜に落ちた奴が悪いのです。人生が掛かっているなら、もっと必死にやるべきでしょう。そして自分は、まだ兵隊なので任期除隊する権利があります。」
先任にも臆せずユキは即答した。雰囲気が重くなりかけたところで、中隊長が割って入る。
「先任、よしましょう。兎川特技兵は、真相を知って……事実を隠蔽して、相棒に泥を被せて除隊させる組織には居ちゃおれん、となったんだろう?」
ユキは何も答えなかったが、中隊長はそれを肯定と捉えて話を進める。
「まぁそう考えるのも無理はないし、そういう気持ちを抱えたままやっていける仕事でもないのも確かだ……そうだな、中隊長として兎川特技兵の任期除隊を認めよう。下士官候補生の件も気にしなくていい、連隊には文句言われるだろうが何とでもなるさ……だが、表向きの理由だけは考えておいてくれ。さっきみたいな理由で下士官候補生を辞退して任期除隊する、ってのはさすがに通らんからな……」
「わかりました、近日中に報告します。」
「いや、先任から書式をもらったらそれに記載してくれ。直接報告せずとも、それで十分だ。それから、明日からは鮫上特技兵と同じく、職業訓練に向けての準備に掛かりなさい。連隊にも報告していないが、結論が変わらない以上は次への動きは速いほうが良いからな……」
きっと中隊長はこの後、連隊の幕僚に情報を提供し、明日には連隊長に本件の報告に上がるに違いない。結局、今日も一日出勤していたし、この数週間はロクに休めていないだろう……それでも疲れを兵隊に悟らせない辺り、やはり歩兵中隊長であった。
その中隊長が、こちらを向いて唐突に、思い出したように
「そうだ鮫上特技兵、急で悪いんだが面接が決まった……次の金曜日に行ってもらう。」
本当に急な話だ。面接、というと就職の面接で良いのだろうか。
「面接、ですか? 自分はまだ、履歴書なんかも何処にも出していませんが……?」
中隊長は少し言い辛そうに目を閉じて、やがて目を開くと
「向こうから声を掛けてきたのさ……巽重工業からだ。まぁ、言ってしまえば加害者側の一族だな。この面談の直前に、連隊長から電話で聞かされたんだ。そういう経緯だから、面接にだけは行ってもらわんといかん。いいか、当日の集合時間は……」
本当に龍見は軍事産業会社の関係者なのか、と感心するのと同時に……面接の体とはいえ、名指しで呼び出される理由について考えていた。謝罪だろうか、それとも……いや、そもそも龍見本人にもまだ会えていない。きっと龍見自身、相当参っているだろうと思うから……同期としては面接に行くまでに会っておいて、元気づけてやらないと駄目だろうな。
面接の細部についてメモを取りながらそんな事を考えていると、ふと龍見との勝負について思い出していた。前回の勝負の後、二人で格闘場の後片付けをしながら……次で最後だな、と呟いた龍見の寂しそうな横顔が思い浮かぶ。
ひっそりと戦闘服の裾を摘む感触があったが、僕は素知らぬ顔でメモを取り続けた。




