第四章 白鳥 (一)家族
「ユキ、ひとつ確認してもいいか……投擲手を知ってどうする?」
「殺す」
迷いの無い即答。これじゃ何も言えやしない……頭を抱えたくなった。それでも、黙っているだけでは何も進展しないし、少なくともガス抜きぐらいはしないと駄目だろう。ユキは僕のために怒っているのであろうし、この役目は僕にしか出来ないだろう……どうにか、軟着陸させなくてはならない。
「……まず、起きた事実を話す。それについて僕の考えを言って、それから軍としての収拾の付け方を話して、最後に投擲手について話す。それでいいかな?」
ユキは黙って頷いた。それを受けて僕は、投擲手の名前を伏せたまま起きた時系列に沿ってあの日の話をした。ユキは終始、何も話さず静かに聞いていた。傍目にも大分、冷静になってきているのを感じる……もしかしたら、大丈夫かもしれない。
「……そんな訳で、僕がもっと低めに投げてれば誰も怪我せずに済んだんだよ。だからまぁ、僕の処置も良くなかったと思うんだよな……」
「そんな訳ないだろ」
黙っていられない、といった感じでユキは口を割って入った。口調が強い。全然大丈夫じゃないかもしれない。普段は丸く愛らしい目も半眼で鋭く尖っている。そのままユキは続ける。
「どう考えても投げ損ねて、排除を邪魔して、避難しなかった奴が完全に悪い……ツーアウトまでなら誰も怪我しなかったんだ、投擲手はとんだ間抜けだよ。そんな奴は、軍に居ちゃ……いや、生きてちゃ駄目だろ」
ユキの殺意は鎮まらない。あんまり庇えるところが彼女に無いのは僕自身も解ってはいる……しかしながら、これ以上荒れた事態に発展するのは本当に望ましくない。ユキの発言には答えず、僕は話を続ける。
「ともかく、軍としてはさっき言ったように安全係のミスで話を終わらせる予定だ。それで僕は譴責くらいの処分は受けるらしいけれど……それでもまぁ、もう軍に居られないのなら別に大した問題じゃない。僕は気にしてない。それで……ユキ、こういう収め方になったのは……相手も入校予定者だったからだ……」
ユキの目が、瞳孔が大きく開いた……既に頭の中で正解に行き当たっている可能性がある。すぐに反応できる心積もりをしてから、短く告げた。
「龍見だ」
瞬間、弾かれたようにドアに向かったユキ。それをどうにか後ろから抱きとめる。腕の中にあってもなお、身体ごと引きずっていきそうな勢いでユキは進もうとする。動きに備えておかなければ、きっと取り逃がしていた……その場合、ユキは本当に龍見の下へ向かっていたかもしれない。そのままユキの身体を持ち上げて推進力を奪って、近くの僕のベッドへと倒した。すぐさま起き上がろうとするので、縦四方固めで抑える。
「ユキ、待て! 落ち着いて……」
「……あの女ッ! なんで! なんでぇ! サメッ! 放して!」
涙をボロボロ溢しながら、どうにか僕から逃れようと暴れるユキを抑え続けた。10分か、20分か……時計を見る余裕も無かったが、ユキは小さな身体で本当に長い時間暴れ続けた。今は体力が切れたのか……暴れるのを止め、僕の身体のすぐ下で荒れた息を吐き続けていた。話をするなら、今しかないだろう。
「……僕はユキに復讐して欲しくない。本当に殺しでもしたら……いや、傷害を負わせるだけで軍法会議だよ。軍に居られないどころか、刑務所行きかもしれない……軍を辞めなきゃいけないのも辛いのに、その上ユキにも会えなくなるなんて、僕には耐えられない。」
赤く充血した、潤んだ目が僕を見ている。息は荒れていて、まだ喋り出しそうにない。
「もう軍で相棒をやれなくても、僕はもうユキの事を家族だと思ってるんだ……だからユキ、自棄にならないでくれ。せっかく頑張って斥候狙撃兵になれたんだし、すぐに下士官になる。ユキは誰よりも優れた兵士だって、他でもない僕が知っている。だからその大事な未来を……去っていく僕の為に、ふいにしちゃ駄目だよ……」
途端に、ハハハ……と力無い乾いた笑い声が、身体の下から聞こえた。
「違う……全然、違うんだ……オレはね、別に軍隊に居たかった訳じゃないよ。サメと一緒に居て、サメの一番になりたかっただけなんだ。でも、オレは……男だから。軍で、互いを高め合う相棒で、二人一組の斥候狙撃兵……それに縋るしかなかったんだ……だから、サメ以外と組むのは嫌だし……一人で軍隊に残っても、何の意味もない……もう、何も……」
小さな声でポツポツと語った、その身体と声は震えている。泣いているから、と言う訳でもないのは話している内容でわかった……ユキは怯えている。自らの胸の内を晒す事と、それに対する僕の反応に。僕は黙って聞いていた。
「ねぇサメ、家族って何……? オレは実家があんなだから、何にも解らない……軍は辞めても家族だよ、って言われても全然ピンとこないよ……ねぇ、サメ……オレはその家族の中で、何番目に大事なの? オレは、サメの……」
これ以上、ユキを不安な気持ちにさせたくはなかったし、ユキから何も奪いたくなかった。そうなると黙っているのも限界だった。抑え込む姿勢を緩めて、小さな身体を抱きしめ直す。
「旦那だろう? 僕の自慢で、いつだって僕の一番だよ。これからも……」
「同情ならやめて……気持ち悪いって、思ってるんじゃないか……オレのは、人間愛だとか、そんな話じゃないんだぞ……オレ……オレは、」
「いいや、わかってるよ……ユキも僕も男だよ。でも、僕らは普通の家族なんて知らない同士なんだから……僕らの家族の形でいいだろう? ユキと僕が、互いの帰る場所になれれば……それでいいんじゃないか?」
返事のない代わりに、ユキも僕を抱きしめ返した。僕はユキの頭を撫でながら、これまでの日々を思い返す……ユキの想いを知った後でも、僕のユキとの思い出は燦然と輝くままで少しも色褪せはしなかった。むしろ、こうなることが自然であるかのようにすら感じている。
「……サメ、本当に……いいんだね? 後からナシだなんて、聞けないよ。」
いつしかユキは腕の中から上目遣いでこちらを伺っていた。その目の中にあった怯えは消え去り、そこに僕がいつも隣から見ていた1000メートル先を狙う目があった。僕の旦那は、絶対に的を外さない。的が僕でも、きっと同じ事だろう。
「旦那に嘘つくような女房じゃないよ、僕は……」
「ついさっき、オレに嘘の説明したよね?」
「あれは、いや、そう……そうだな、悪かった。僕は酷い女房だった……」
ようやくユキは柔らかく笑った。悪戯な笑みを浮かべて、
「じゃあ、そんな女房にはお仕置きが必要だよな……」
薄く形のいい唇で、僕の右瞼にそっと口付けた。
「……オレは優しい旦那だからな。病み上がりだから、これぐらいにしといてやる……」
ユキは耳まで真っ赤にしながら小さな声でそう言うと、僕の胸に顔を埋める……今になってようやく、帰って来られた気がした。




