第三章 龍見 (八)期限
課目としての軍格闘が終わった後も鮫上に挑み続けたが、ついに新兵教育隊の期間に鮫上に勝利する事は叶わなかった。実家による手回しにより鮫上と同じ部隊への配属が決まった後、これからも挑戦させてくれ、と頼み込んだ時も鮫上は快諾してくれた……鮫上の預かり知らぬ私の卑怯な手により、私の夢はどうにか繋がった。
こうなったらもはや、是が非でも勝たねばならなかった。中隊に配属されるや否や、軍格闘練成隊の門を叩き、そこで必死に鍛錬した。先輩方に鮫上という逸材の存在を知らせ、鮫上を定期的に練成隊の訓練に参加させた。先輩方が鮫上とどう戦うか、鮫上が先輩方をどのように退けるのか……事細かに観察し、何度もシミュレーションした。
成果が身を結んでいくのを感じていた。勝ててはいないにせよ、鍛錬に費やす時間に比例して鮫上との一試合当たりの試合時間も長くなっていった。夢に近づく実感が確かにあったが、この進捗のままでは問題点もあった。
上等兵になったら士官候補生の選抜試験を受ける、という父との約束だ。無論、選抜試験に受かれば翌年3月には士官候補生学校へ行く事となる。それは私がこれまで繋いできた、未来への営みを否応なく終わらせるものだった。
大いに悩みはしたが、自身の初めての欲求には勝てなかった。私は入隊三年目六月から開始された選抜試験、その一次試験を……一次通過できないような解答をした。約束を反故にした後ろめたさは当然あったが、それを振り払うように軍格闘の鍛錬に打ち込んだ。
そしてその年度の3月、ついに私は鮫上から初めて1本獲ることに成功した。紛れで勝てるものではなく、これまでの努力の結実であった。その後は立て続けに2本取られて負けはしたものの、明らかな進歩を感じた。鮫上も試合後に、自分の事のように喜んでくれていた。この調子でいけば来年度中に勝てるかもしれない。それから次の士官候補生の選抜試験に通れば、何もかもが問題ない……そう思っていた。
入隊4年目の5月だった。休暇で帰省した私を到着早々に自室に呼んだ父は、思えばいつもより纏う雰囲気が静かだった。士官候補生試験の結果について苦言を呈されるのだろうな、と思っていた私は気にせずに入室したが……そこで私は自身の考えの甘さを思い知らされる。父は確かに、選抜試験の件についても把握していた……それにしても一体、私の解答の写しまでもがその手元にあるのはどういう事なのか。
それだけではなく、私が軍格闘練成隊に入り浸っている事も、それによって前線での装備品運用などまるで未熟な事も把握されていた……せっかくの対機甲中隊所属だというのに、私は未だに基本操作以外の器材の取扱いを理解出来ていなかった。それでも中隊としては軍格闘の担い手の方が不足していたので、特段咎められる事も無かった。
しかし、我が家にとっては問題であった。そもそも現場を知りたいから兵卒から始めたい、と言っていたにも関わらず、軍格闘にかまけてばかりいる。その上、士官候補生選抜試験にも故意に落ちるような真似をしている……その結果として今、私は父の自室において……お前は一体どういうつもりなんだ、と問いただされているのであった。
本当の理由だけは誤魔化したかった。私の執着を父に悟られたくなかった。それについて、どうにか言い逃れが出来ないかと頭を回転させている時、意識が無防備になったその瞬間に、目の前に写真が差し出された。鮫上の人事書類の写し。父は、何もかもを知っていた。
私の情念を、鮫上に軍格闘の勝負を挑み続けている事も知っていた。さすがに勝負に勝ったら結婚してもらう、という二人だけの約束までは知らないようだったが、私の鮫上への想いは完全に露呈してしまっていた。その上で、父は私に諭すように言う。
「相応しい相手をちゃんと探してあるから、よしなさい。」
鮫上が施設育ちであることを聞かされた。だから、何だというのか。そんな事は関係ない。一体何をよせと言っているのか。誰が私に相応しいのか。誰が私に相応しくないというのか。父の考えている事も言いたい事も解っていたが、絶対に解りたくはなかった。あれは、鮫上は私が自分で見つけた宝物だ。
「……父様、私は」
「違う、お願いじゃない。やめろと言っている。いいか、お前は何の気なしに将校になる道を一年遅らせたのかもしれないが、軍も企業も10年以上先を見て人事計画を作っているんだ。ましてやお前は、兵からの道を自分で選んだ……私も最終的に賛成したからこそ、2年遅れの人事計画も用意した。それをふいにした、という意味をよく理解するんだ。」
発言は遮られた。鮫上について話をさせて欲しかったが、父は私の所業の話でそれを流しだした。至って冷静な口調だが、言葉の端々に怒りを感じて口を挟める状態ではなかった。
「いいか。来月からの選抜試験を通過し、来年3月から士官候補生としてキャリアをスタートさせるんだ。それならまだ容認できる、人事計画の更なる修正もしよう。だがしかし、それも叶わないのであれば、ウチの会社には関連企業も含め入る事はできない。軍でやっていくか、除隊して他に行くか……いずれにせよ、自分でやることだ。ウチからの援助は、一切ない。」
よく考えてくれと言われ、何の反論も許されず部屋を追われた。言われずとも考えていた……私は6月からの選抜試験を問題なく通過するだろう、この入校は来年3月からだ。鮫上も恐らく下士官選抜試験を受けて、これを通過するだろうから来年の1月には入校してしまう。つまり私は、これからあと半年の間に鮫上に勝たなければならない。出来る出来ないではなく、勝たなければならない。
勝負を始めた頃に毎週のように挑んだせいで、挑戦は月に1回まで、と決められてしまったのが今更になって悔やまれた。どうせあの頃の私は箸にも棒にもかからないのだし、もう少し大人しくしていれば……と、今更ながらの後悔をした。過去の私のせいで、あと6回しか鮫上に挑めない。だが、関係ない……可能な限り時間を鍛錬に注ぎ込むしかない。
長く伸ばした髪も、必要な手入れを考えると私の時間を奪うだけだ。実家から戻ってすぐ、駐屯地内の理髪店で可能な限り短くした。もう丸刈りでも良かったのだが、店主に断られた。時間を奪うものは全て遠ざけて、鍛錬に注ぎ込んだ。
鍛錬の合間、士官候補生の選抜試験を受けた……勿論、一次試験などは問題なく通過した。あとに続いた二次試験以降も、私にとってはまともにやれば落ちるものではない。
それとは裏腹に、鮫上にはまるで勝てなかった。私が成長するように、鮫上もまた成長している……だからこそ軍格闘にだけ打ち込みたかったのに。6回、5回、4回、3回、2回……残りの試合数が減っていく度、じわじわと喉を締め込まれている気がしてきた。そのうち不安で眠れなくなると、睡眠時間さえも削って鍛錬に注ぎ込んだ。終わりに向き合うくらいなら、気絶するまで鍛錬する方がまだマシだった。
そうこうしている間に、11月の挑戦も終わってしまった。次が、最後。
私の夢が、醒めてしまう。




