第三章 龍見 (二)暗転
「そもそもお前の思う正しい内容ってのは何だ? 大サービスで聞いてやる、言えよ。」
ようやく、受けた衝撃から立ち直りつつあった。話を聞いてもらえるのであれば、どんな流れであっても機会には違いなかった。一息に伝える。
「……はい、今の調書には私が自分自身で退避行動を取ったように書いてあると思いますが、それは誤りです。実際には鮫上特技兵が、私を退避壕の位置へ移動させました。」
「へぇ、なぜ自分で動かなかった?」
すかさず返ってきた問いに、答えられなかった。あの時の自分は冷静さを欠いていたというか、頭の中が思考で埋め尽くされていた。つまりは上の空だったと言ってもいいのだろうが、その内容について話す事は憚られた……誰にも、聞かせられないと思った。
「それは……」
「言えない訳ないよな? 調書には必要だろう、お前が退避に動かなかった理由や、その時にお前――供述者が考えていた内容の記載がよ……それで? 何なんだよ、その理由ってのは。早く答えろよ……もしかして上等兵殿は、俺を暇人だと思っているのか?」
苦し紛れに逃れようとする。
「ボンヤリしていたんです、私が。」
「手榴弾の投擲をしくじった奴が何も考えずボンヤリするか? 違うな。まずそもそも、何か違う事を考えていたからボンヤリして投げ損なったんだろ? で、その後も退避以外の何かを考えていたからボンヤリして逃げ損なったんだ。そのそれぞれの原因となった考え事の中身を言えって言ってんだよ、おわかりか?」
何も言えなかった。その短い沈黙は、機会を打ち切るのには十分だった。
「喋らねぇなら、サービスタイムは終わりだ。こっからは喜べ、直々に俺が教育してやる……図体ばかりデカい、情けない女によ。準備はよろしいか、お嬢様?」
「……はい」
「まず第一に、お前がこの訓練事故で拘ってるところは本筋じゃない。あくまで訓練事故調査の目的は原因究明と、一番は再発防止だ……その点、お前の言うホントの所ってやつを反映したところで、その再発防止の中身が何か変わると思うか? 再発防止ってのは一兵隊の意識を変えようってモンじゃねぇ、事故を防ぐ為に仕組みから変えるんだ。だとしたら、どうだ……変わらんだろ? 本当にどうでもいいんだよ、お前が自分で逃げてようがそうでなかろうが。その結果で懲戒には少し変化があるかもしれないが、そんなのオマケだオマケ。」
何も言い返せない。
「第二に、既に調査は終了した。今日の朝、連隊長が師団長に調査結果の報告に入った。訓練事故の報告と、懲戒処分の報告のどちらもだ……大して本筋じゃない所の違いだけで、これを今からひっくり返す事が出来ると思うか?」
恐らくは出来ない。陸軍大佐を軽々に動かすことなど、きっと。
「第三に、連隊としての被害の局限だ。入校できなくなった鮫上はもうどうしようもないが、その上で……ホントの所ってヤツを明らかにして、お前の士官候補生学校行きも取り止めとするか、もしくは今の調査の流れで片付けて、お前を士官候補生学校に行かせるか……二つとも死なせるか、一つは生かすかを組織として考えた結果が、今の流れだ。」
既に全て解っていた? ……その上で、私に処分が向かないよう作為されたという事実に、頭がクラクラして責め立てられていた時よりも息が苦しくなってきた。
「そして第四に……当の鮫上特技兵は、全てを受け入れている。特技を失い、軍に居られなくなったと解ってもなお……全て理解した上で、正しい供述をしている。その上、恨み言ひとつ言わないときた。本当に誇らしいな、お前の同期は。」
おかしな事が聞こえた。あの日、退避壕に投げ込まれた後……炸裂音の少し後に被さってきた血塗れの鮫上を見て、気を失って……それから面会も出来なかったが、命に別状は無い、と聞かされていた。だから来月から予定されていた入校に間に合わないのは解る。
だが、軍に居られないというのは一体、何なのか。
「……申し訳ありません大尉……鮫上が軍に居られないとは、一体……」
「教育だと言ったのが聞こえなかったか? 勝手に喋ってんじゃねぇぞ上等兵殿……だがまぁいい、教えてやろう。いいか、よく聞け。これはお前の罪だ……これからずっと背負っていく事になる、とびきりデカいヤツだ。」
嫌な予感がする。しかし逃げる事は許されない。聞かなければならなかった。
「可哀想な事に……鮫上特技兵は、手榴弾の鋼片を受けて右眼球破裂で失明しているんだよ。もう下士官にはなれないし、兵としての任期も継続できない……解るか? 来年3月で除隊。その上、去り際に懲戒処分まで持たせちまうんだから、こんな話はなかなかねぇな……俺も人事畑は長いが、ここまで酷い話は初めてさ。」
言葉の意味を理解した途端、心臓にズキンと鋭い痛みが走る。その後を追うように身体中が冗談のように震えだして、呼吸さえ上手くできなくなった……自分は今、息を吸っているのか吐いているのかもよく解らない。せめて泣いてはいけない、と思って舌を噛んだけれど無駄な抵抗だった。勝手に両の目からは涙が溢れ出して喉も震え、次第に嗚咽が止まらなくなった。
「おい、泣くなガキ! お前にその資格があるのか!?」
そんな資格は一切ないと解っていても、大尉に一喝されたところで涙は止められなかった。私が、鮫上を、アイツを、その未来を……壊してしまった。奪ってしまった。殺してしまった。どの表現が正しいのかは解らなかったが、きっとどれも正しかった。
「聞け! 俺の最後の教育だ……いいか、決して鮫上特技兵に近づくな。お前の気を晴らし、ついでに許しを乞おうとする、卑しい謝罪なんぞに価値などないことを理解しとけ。ただただ黙ってこの罪を背負った上、この組織に貢献する……唯一お前に出来る事だ、わかったか? それからな、お前の言う道義なんてのは、退避しなかった理由を俺に言えなかった時点でカス同然だって事も理解しておけよ。別に内容に興味ねぇし聞きたくもねぇが、お前は自分の面子を優先したんだ。自分は公明正大な人間、なんて素振りは今後一切辞めろ。もし見かけたら、お前の実家が何だろうと関係ねぇ……本当に……殺してやるからな……」
もはや何も言えなかった。ただただ部屋の真ん中で立ち尽くして、子供のように泣き続けた。大事な同期の人生を壊してしまったことに。救いようのない自分の愚かさに。どうすることも出来ない恐怖に。無力な自分に。
「おい、お嬢様がお帰りだ。」
大尉が廊下に向かってそう言うと、扉が開かれて私の所属中隊の中隊長と先任が入ってきた。その後には人事軍曹たちが続く。誰も何も言わなかった。数多の失意の視線だけが、身体中に突き刺さるように感じられた。
「阿賀田大尉、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
「いえいえ中隊長、問題ありません……処置だけ、お願いしますね。」
誰からも掛けられる言葉はなく、先任に促されて退室した。終始無言のままに中隊本部まで連れて行かれると、そこでようやく中隊長から形式的な注意を受けた。その上で、この週末は自室で謹慎せよ、という沙汰となり解放された。
上位者の指導に反した上で、勝手に連隊本部に頭の悪い嘆願をしに行った……その割には、軽い沙汰だった。まるで、お前には手を掛ける価値が無いと言われているように感じられた。お前は3月にはこの中隊から出ていくのだから。抑圧しないから、大人しくしていろ、と。
自室に戻ると、同部屋の者は週末の課業外なので、泊まりの予定で外出している。暗い部屋で一人、電気も付けずにベッドに腰掛けてから携帯電話を取り出した。ロック画面を解除すると、背景に集合写真が表示されて、目が一瞬でその中のアイツの姿を捉える。その顔を認識した瞬間に胃がひっくり返って、中身を吐き出してしまった。
「ゲホッ! ……げぇっ、……ゔぇぇ……」
床に四つん這いになって、全てを吐き出した。胃が空になっても、吐き気は止まない。そのうち腕も足も力が入らなくなって、汚れた床に身体を投げ出した。全身が痺れたように自由が効かなかった。頭の中も、軍病院に居た時よりずっと不鮮明だ。
霞がかった頭で、今に至るまでの全てを思い返していた。




