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除隊  作者: 丸隈
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第二章 兎川 (九)霧中

 朝になっても何もわからない状況は変わらず、中尉に新しい情報は、と聞いても首を横に振るばかりだった。携帯電話でニュースを検索するも、数年前にあった訓練事故関連のものだけが出てくる。決定的にそうだ、と言われてはいないのに、判明している状況が明らかにそうだ、と告げている。そうなるともう、頭の中には最悪の状況しか浮かばなかった……もしも、サメが、サメが死んだら。死んでしまったら。



 どうする? どうしよう? ――多分、オレも、死ぬ……それはオレの世界の喪失だから、きっと耐えられない。でも、そうなるのだとしたら、死ぬ前にやるべき事があるはずだった。全ての事象には原因があるのだから、それを知らなくてはならない。その上で、オレの世界を殺した奴を殺し返してやらないと、オレは死ねない。



 ずっとそうやって、帰るバスの中で同じ事ばかりを考えていた。頭の中で何度も、まだ正体も知らぬ投擲手を殺して、憲兵隊の包囲網から抜け出し、たどり着いたサメの墓前で死ぬ、という流れを想像した……想像と言うよりは、もはや脳内での試行に近かった。そうやってバスの窓の外を睨みつけていると、不意に肩が叩かれる。中尉だった。


「今、第二報が来たわ……搬送された1名は、やはり君の相棒だった。」


 息が詰まった。このまま窒息死するかと思うくらいに。しかし、


「……でも大丈夫、手術して入院してるらしいけど、命に別状は無いって。」


 そう聞いた瞬間、一気に身体が弛緩(しかん)した。肺腑から重たく湿った空気が全て吐き出されて、魂まで抜け出ていく気さえした。最悪の状況を脱したことからの、安堵のため息だった。サメが生きているという事実だけで、オレは比喩ではなく本当に目の前が明るくなった。深く呼吸ができるし、視界は広く鮮明になった。しかし、気になる事はまだある。


「サメ……鮫上特技兵の負傷状況は、書いてませんか?」


「残念ながら書いていなかったわ。それから、先に言っておくけれど……もう一人の情報は、聞かれても出せないからね。」


 手術までしたという負傷状況が判明しないのはもどかしかったが、サメが生きていてくれた事の喜びの方が勝っていた。手榴弾で負傷するが死亡に至っていない、という事は想像するにヘルメットや防弾サングラス(アイセーフティ)、防弾ベストで防護できなかった腕や足に鋼片が刺さったのではないか。その摘出手術であるならば、大した事にはならないだろう。


 そこまで思い至ると、本当にようやく安心できた。そうなるともう、中尉の言うもう一人、つまりは投擲手の事は完全に興味の外へと放逐された。どちらかというと、サメの復帰に向けたリハビリの事を考えたかった。年明けの入校には間に合わないにせよ、次の期には間に合うように組もう……オレも今期の入校は流してサメと一緒の期で行きます、なんて言ったら……きっと色んな人に怒られるだろうな。


 そんな事を考えていると、一日以上遅れてようやく眠気がやってきた。大して快適でもない狭いバスの座席で、オレはようやく久しぶりの睡眠にありついた。



 駐屯地に帰り着くと、土曜日の夜だというのに先任が待っていた。中隊長もまだ居るらしく、中尉はそちらの方に帰隊報告のため向かった。オレは先任に連れられて、中隊本部の真ん中にある会議机の席に座らされる。先任が切り出した。


「まずは研修お疲れだったな、兎川。昨日の手榴弾投擲訓練で訓練事故が発生している事は、堀田中尉から聞いたか?」


「はい、聞いています。それで、鮫上特技兵が……」


「そうだ。鮫上が安全係に就いた投擲場で、事故が発生した。鮫上は負傷したものの、手術を受けて今は軍病院に入院している。退院は一週間後の予定だ。」


 先任の言葉は簡潔だった。必要以上の情報は決して与えないという明確な意志を感じた……解っていても、何も聞かないという選択肢はオレには無かった。もう、そいつを殺してやろうとまでは思っていないにしても。


「投擲手も搬送されたと聞きました……投擲手は、誰だったんですか。」


「それについては答えない。」


 教えてもらえないと思っていたが、想像以上にすっぱりと切られる。食い下がったところで時間の無駄のように思えたし、ここで聞けなくても調べられる情報だとも思った。


「わかりました。……鮫上特技兵の見舞いに行きたいのですが、よろしいでしょうか。」


「それはできない。鮫上の入院中は今回の訓練事故の調査のため、面会は一切できない。手紙や電話なんかの連絡手段も、この間は止めることになっている。」


 これは予想外であった。サメが生きているなら、こっちに帰ってくればすぐ会えると思っていたのに……10日以上も会えないなんて。当初の三日の予定から比べると、あまりに酷い話だった。それでも無事に帰って来るなら良いか、とも思える。先任は続ける。


「今回の訓練事故については現在、連隊本部主導で事故調査が進んでいる……事故調査の結果がまとまって師団への報告が終わり次第、中隊でも中隊の皆に事故調査結果を情報共有する。だから兎川、言っておくが……勝手に動くなよ。犯人探しはするな。いいか?」


 そのうち答えはくれてやるから探りを入れるな、と明確に釘を刺された。別にオレも、サメの怪我が大したもので無ければ、自分でどうこうしようと言うつもりは無い。


「わかりました、中隊の情報共有を待ちます。」


 こうして、帰隊後に突如始まった先任との面談は終わった。生活隊舎の居室に帰ると、決して広くない空っぽの部屋がオレを出迎える。その小さな部屋が妙に広く感じられて、言いようのない不安に駆られ……耐えかねたオレは、サメのベッドを使わせてもらった。久しぶりの相棒の気配、その余韻を感じてようやく眠りにつくことができた。



 それからの1週間は長かった。相変わらず練成は習慣通りこなしていたけれど、サメの不在は張り合いがなかった。課業も同じで、何をしてても身が入りきらない気がした。ただただ、会える日を指折り数えて待っていた。夜は決まって、サメのベッドを借りた。


 そんな折にようやく、サメの退院日が日曜日に決まった事を聞かされた。昼前に到着して、中隊長に報告したら解散できるらしい。いよいよ会えるとなるとたまらなく嬉しくなったし、ちょっとした悪戯心も湧いた……これだけ心配させられたのだから、少しぐらい驚かせたって良いはずだ。


 早めに到着する可能性を考えて、1000頃に中隊本部のフロアまで来た。中隊本部の隣にある教材庫は、普段から人が入ってくることがあまりない。まして日曜日なら尚更だったし、ここからは廊下の声も中隊本部の声も良く聞きとれる。ここに潜んで、油断しているところを飛び出して驚かせてやろう……サメの顔を想像して、楽しくなる。


 しばらく教材庫の扉付近で耳を澄ませていると、階段を上がってくる音が二人分した。廊下を歩き、中隊本部に入ってくる……その手前で発した声で解った。これはサメじゃない、確か中隊の人事軍曹と訓練軍曹の声だ……一気に興味が失せる。だが、



「……鮫上が辞めなきゃならんとは、本当にもったいないですね。」



 聞き捨てならない話が訓練軍曹から聞こえた。聞き間違いだと思った。



「ね、しかも相手がアレでしょ? だからって、鮫上を処分しなくたって……」



 人事軍曹の言っている意味がわからなかった。


 サメが辞める?


 何を?


 相手?


 相手って何の?


 サメを処分?


 本当に言っている意味が何ひとつわからなかったので、扉を開けて中隊本部に駆け込んだ。言葉を取り繕うことも出来ないままに、


「サメが辞めるってどういうことですか!? 相手って!? 何の処分ですか!?」


 二人の顔はしまった、といった表情をしていた。明らかに、伏せておくべき情報を聞かれてしまった人間の反応で……その顔を見ているうち、次第に相手とやらの検討がついた。投擲手の事だ。訓練軍曹に言う。頼み込む。


「手榴弾投擲訓練の命令の元データ、見せて下さい。お願いします。お願いします!」


「……今聞いた事は忘れろ。そしてデータは見せられん……先任から話はあったろ?」


 ここから情報は取れないとわかったので、即座に中隊本部から駆け出した。各小隊本部と、訓練に参加した他中隊本部の事務所を回って、手榴弾投擲訓練の命令の写しを確認しに行ったが、射群編成と編成表だけが抜き取られている。どれも同じように、同じページだけが無い。


 諦められずに中隊、他中隊問わず、生活隊舎に居る隊員に聞きまわる。


 どこの誰に聞いても、断り文句が一言一句まで統制されたように同じ。


『訓練事故のあった手榴弾投擲訓練の件は、調査官以外には話せません』


 判で押したように画一的な……組織としての明確な、拒否反応だった。


 調べる手が尽きた頃に、辞めなきゃならない、という訓練軍曹の言葉が遅れて反芻してきた。頭を埋め尽くそうとする言葉のせいで、ずっと走っていた足が止まり、立ち尽くす。足を止めると途端に立って居られなくなって、床に膝から崩れ落ち、そのまま倒れ込んだ。倒れ込んでも、言葉は頭の中で増殖しながら俺の思考を占領し続ける。連隊隊舎の一階ホール、その階段裏で、全てに耐えられなくなったオレは床に身を投げ出していた。この上なく惨めだった。



 頭の中はグチャグチャで、論理も因果関係も崩れていた。オレが惨めだからサメが軍を辞めなきゃいけない、といったおかしな考えが脳髄の中を飛び回っている。おかしいと解っているはずなのに、その考えが真実めいてオレを責め続けている。視界はもうずっと、勝手に溢れる涙で不鮮明なまま。



 そのうち、サメの後姿まで見えた。両手に鞄を持って、今まさに連隊隊舎から出ていこうとしている。オレを捨てて行くのだと思った。永遠の別れに思えた。




「……サメ、サメ! 待って!」




 起き上がって、精一杯の声を絞り出し、走った。

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