第二章 兎川 (八)事故
「えっ、サメ行けないの?」
8月に下士官選抜試験を通過したオレたちは、抜かりなく年明けからの教育課程に参加する準備を進めている。そんな中、11月下旬に中央で開催される軍事産業展示会への研修参加枠が中隊に降って湧いたので、二人でこれに申し込んでいた。大きな訓練も無いし、最先端の装備を研修して見識を広げよう、ついでに自由時間は中央を観光でもしようかと二人で決めて……それももう、明後日に出発が迫っているというのに
「山本伍長が今日の午後、忌引で実家に帰られたらしい……僕がその代打で、手榴弾投擲訓練の安全係だってさ。」
そう言って肩を落としながら、サメはせっかく作った研修準備を済ませた鞄を解いている。なんてツイてないんだ、せめて他の誰かが……と思わないでも無かったが、他の先輩方も色んな教育なんかに参加していることを考えると、残った面子の中で安全係として選べそうなのは確かにサメかオレくらいのものだった。そうか、オレもあり得るか。
「オレっていう選択肢は無かったのかな。」
「どっちかに頼みたいって言われたから……女房の僕が買って出たよ。すぐにでも修正命令を切るって言うから、その場で決めてしまったんだ。ゴメンな、ユキ。」
サメは申し訳なさそうな顔をしてそう言った。事情が事情だけにどうしようもなかっただろうし、きっとオレがその話を聞いていたら同じようにしただろう。誰も悪くない……それでもちょっとだけ、本気じゃないけどサメを責めたくなった。
「……何か、埋め合わせが欲しいな……」
そう言って、鞄をすっかり解いたサメの方をチラリと見ると、サメはニッと笑った。
「そう言うんじゃないかと思ってね……ほら。」
ベッドに腰掛けたオレの隣に座ったサメは、何やら携帯電話の画面を見せてきた……中央にある旅館のウェブサイトが表示されている。
「研修も観光も全てお流れじゃ悲しいからさ……12月の休暇に、観光だけでも取り戻そう。ユキの誕生日には教育が始まっているから、1か月早いけどここでお祝いしないか?」
まったく良く出来た、自慢の女房だった。提案された完璧な埋め合わせに、オレはもうすっかり機嫌を直していた。展示会の話は切り上げて、12月の旅行の話を詰めにかかる。思えば部隊に配属されてからはバタバタしていたので、二人で泊りがけの旅行に行くのは新隊員の夏以来だった……あんまりワクワクして、その日はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。
◇ ◇ ◇
研修への出発の日、朝早くに車で出るというのに、サメはわざわざ見送ってくれた。思い返せば、オレたちは日を跨いで離れた事があまりに少なかった……そのせいか、サメだけ置いてバスが走り出した時、自分の半身が置いていかれるかのような不安に駆られた。今日は移動して泊まって、明日は丸一日研修し、明後日に帰隊する。移動時間を含めても3日は会えない。3日も会えない。窓を開けると、手を振るサメの声が聞こえる。
「ユキー! 事前偵察、頼んだよ〜」
呑気で愛おしい声だった。その顔と声で、3日ぐらいは保たせられそうだった。やがて姿は見えなくなって、窓を閉じ……座席に座り直したところで、隣から声が掛かる。
「噂通りで本当に仲が良いのね、君たち……」
同じ中隊の、隣の小隊長だった。そう言って少し笑っていたが、からかうような不快な感じではない。中隊からは三人で研修する予定が、サメの不在でオレと中尉の二人になっていた。
「はい、新隊員からずっと一緒なんです……すいません堀田中尉、挨拶が遅れました。今回の研修、よろしくお願いします。」
すっかり忘れていた今更な挨拶を、中尉は笑って
「いいのいいの、軍のこういう研修はね……もうほぼ旅行だから。気楽に行きましょ。とは言え、成果報告は出す必要があるから明日の研修中は一緒に動いてもらうわ。成果をまとめ終わり次第、その事前偵察とやらに……ところで何の偵察?」
そう言った。これまでちゃんと話す機会はあまり無かったが、さっぱりした性格の人だと話していて解った。そこからはオレたちの話をしたり中尉の話を聞いたりして、途中で昼食を挟んだ後は車内で眠ったりもして……それを繰り返す内に、夕刻頃に中央に到着した。まず研修に向けての事前説明やらを受けて、また移動して、そこから食事なんかを済ませると、もう結構な時間であった。今は解散して、オレは宿泊先のホテルの狭い一室に居た。
無機質な部屋にふと寂しさを感じて携帯電話を取り出す。電話しようかと思ったところで、明日は手榴弾投擲訓練の日であることを思い出した……つまりは朝の行動開始時間が早いはずで、連絡することは憚られた。訓練前のサメは寝るのが早いので、もう起きていないだろう。
ロック画面を解除すると、メッセージが来ていた。サメだ。
「無事に着いたか? 僕は明日早いからもう寝るよ。おやすみ。」
1時間前に届いていた。あぁ、もっと早くに確認していれば……電話しないにせよ、おやすみって送れたのに。少し迷ってからメッセージを送るのを諦めて、ベッドに入り込む……明日、訓練が終わった頃に電話しようと決めて、眠りについた。
翌日、普段よりも遅めに起床する。きっとサメはもう、訓練準備で動き回っていることだろう。中尉と合流して朝食を取り、部屋に戻って着替えたらバスに乗り込んで、展示会場へと向かった。会場では様々な国の軍事企業が出展している兵器が見られたが、どちらかと言えば航空機器や装甲車両、誘導兵器の展示が多かったため、オレが現場の意見を言えそうな代物はさほど多くなかった。それでもどうにか中尉の役には立てたようだった。成果をまとめる方向性を決め終えた後、今は中尉と二人で少し遅めの昼食を取っている。
「助かったよ兎川……色々と貴重な意見ありがとう。展示は全て見終わったし、写真も撮った、研修成果はもう出来たも同然……1300と少し早いけど、もうコレ食べ終わったら解散でいいね。君もそれをお望みでしょ?」
中尉は上機嫌だった。中尉もこの後、久しぶりに同期と会う約束をしているらしく、今日の研修を不足なく、なおかついかに早く終わらせるかに心血を注いでいた。
「大丈夫ですかね、さすがに早すぎませんか?」
何時まで研修せよとまでは決められていないにせよ、あんまり早くに会場から姿を消すと、後から何か言われるのではないだろうか……少し心配してそう言うと、中尉は懐の内ポケットに手を突っ込みながら
「わかったわかった……慎重な兎川特技兵のために、研修班長にお伺い立てるわ。そうすれば安心でしょ?」
取り出した携帯電話の画面をしばらく凝視し……いつもは眠たげな目を大きく見開いて
「……訓練事故ォ……!?」
いつもより低い声で、忌々しげに小さく呻いた。中尉が発したのはたった一言で、その後は画面上のテキストを目で追い……やがて両目を閉じて顔を伏せ、深く息を吐いた。沈黙の恐怖に突き動かされて、慌てて自分の携帯電話を取り出してロックを解除する……だがそこに新規メッセージはない。それはそうだ、事故の急報を兵にまで送付することはない。胸がザワつく……別に連隊単位で言えば、今日やっている訓練は手榴弾投擲だけという訳じゃないのに、中尉の様子は明らかにオレの頭の中にある悪い予感を裏付けていた。
「あの、堀田中尉……?」
「兎川、落ち着いて聞いてね……手榴弾投擲訓練で訓練事故発生、負傷者あり、2名が搬送。今現在で解ってる情報はこれだけ……いい? 私は予定をキャンセルしてホテルの自室で情報を待つ……何か伝えられる情報があったら、知らせるわ。」
咄嗟に携帯電話からサメに発信する……ややあって、電源が入っていないというアナウンスに切り替わる。いや、いや、違う……大丈夫だ、きっと勤務員だから訓練中に鳴らないように電源を落としているだけだ……本当に?
わからない。
すぐに掛け直してくれ、とメッセージを送っておく。事故が起きても巻き込まれていなければ、事態が収束した後にこれで連絡をくれるはずだ。そのはずだ。そのはずだった。
中尉と解散した後、ホテルの部屋でオレは携帯電話を握りしめてうずくまっていた。定期的に呼び出しても電源は入っておらず、メッセージも返らず、中尉からの連絡もない。
そのままオレは、一睡もできなかった。




