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除隊  作者: 丸隈
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第二章 兎川 (六)帰路

 はたと気づくと、小休止の時間を5分も超えてしまっていたが……問題はなかった。休止中に背嚢の中身を触っていた覚えのある場所、その茂みに弾倉ポーチが鎮座しているのをすぐに見つけられたから。裏返すと、白いビニールテープの上にはオレの字で兎川、と書いてある。中身にも異状は無かった。鮫上はそれを確認すると、無線機のマイクを掴んだ。


「00、こちら01。装備品を回収した。現在まで人員、装備ともに異状なし。2210より集結地に向けて前進開始する。」


「00了解。終わり。」


 そこからの帰り道は、鮫上の提案で時速5キロメートルの速度で行くことになった。さすがに疲れたからさ、と鮫上は(うそぶ)いていたが、まるでそんな様子は見受けられない。じゃあオレが軽機関銃と背嚢を持つよ、と言っても笑って誤魔化された。行きよりも緩やかなペースで歩きながら、いつの間にか晴れた夜空の下で鮫上と色んな事を話した。


 鮫上に両親が居ないこと。育てられた施設で入隊するまで過ごしたこと。施設を運営している人に軍隊を勧められたこと。その人から軍格闘を習ったこと。徴募官から斥候狙撃兵の話を聞いたこと……鮫上の事をたくさん聞いた。その度にオレの中で鮫上に肉付けがされていく。解像度が上がって、鮮明になっていく。


 その反面、オレは自分自身の事についてまるで語ることができなかった。家族の話は、家族構成を伝えたところで止まってしまう程だった。その他にも……どんな食べ物が好きだとか、そんな些細な話ですらオレは答えを捻り出すのに酷く苦労した。鮫上は急かすでもなく、オレの大して中身のない、拙い話を優しく聞いていた。



「なぁ兎川……せっかく相棒になったし、お互いの呼び方でも変えてみるか。」


 話題の切れ目で、鮫上が唐突にそう言った。


「呼び方?」


「今は苗字で呼び合ってるだろ? 例えばそうだな、ジョーとか、好きに呼んでいいぞ。僕は兎川の事をなんて呼ぼうかな……」


 そう言うなり、鮫上はうーん、と考えだしたのでオレも歩きながら考え始める。呼び方……班員の内の数名が、よく鮫上の事をジョーと呼んでいるのは聞いている。でもオレは、誰かと同じ呼び方で鮫上を呼ぶのは嫌だった。オレだけの呼び方が欲しいと思った。


「サメ……サメって呼びたい。」


 口をついて出た、誰とも被っていないであろう呼び方。鮫上を呼ぶ言葉としては初めて口にしたはずなのに、これ以上なく唇に、喉に、肺腑(はいふ)、耳にまで馴染んだ気がした。


「おぉ、いいぞ。……じゃあ、僕も兎川から頭二文字でトガ、っていうのはどうだ?」


 振り返ってサメがそう言う。他の班員なら別に、それで良かったのかもしれないけれど……サメには家の名前でオレを呼んでほしくなかった。だから、


「サメ……オレ、自分の苗字好きじゃないから……下の名前で、呼んでくれないか……?」


 そう言った。言ってから、思い返す……下の名前で誰かに呼ばれるだなんて、あの時の両親以外にあっただろうか……そのような記憶は見当たらない。そう思い返した後でふと、サメはオレの下の名前を知らないんじゃないか、と思い当たった。知っているだろう体で、オレは何を言ってるんだと恥ずかしくなりかけた時、



「ユキ」



 サメがオレを呼んだ。優しい声なのに、心を()き乱す声だった。赤くなった顔が、月明かりでバレてしまうんじゃないかと思って顔を()らしてしまう。その様子を見て、サメは


「フフ、ユキは可愛いな。」


 そう言って笑った。心臓が跳ね上がった……もはや月明かりなんて無くても、顔が赤いのがバレてしまうとさえ思った。オレはどうにか、声だけでも平静を取り繕ってサメに言う。


「……ふん、オレが女だったら良かったか?」


 オレは()ねたような声で、いつかの母親の言葉をなぞっていた。だけど、


「いや、ユキはユキのままで良いんだよ。」


 サメにはもう、何を言っても勝てない気がした。だからしばらくの間、その熱くなった顔が冷めるまでオレは黙って歩いていた。沈黙さえ不思議と心地よかった。その後はまた二人で、色んな事を話しながら歩き続けて……集結地に帰り着いたのは0110だった。



 助教に帰隊報告して無線機を返納し、特別状況の終わりを告げられた後……助教から少しだけお説教をもらってからオレたちは解放された。班の場所に戻ろうとしたところで、オレだけが再び、班の助教に呼び止められる。助教はサメが離れたのを確認すると


「兎川、何で呼ばれたかわかるか。」


 小声だが、力強さを感じる声で助教は問う。オレはもう、自分の過ちや失態を認めることは何も怖くない……どれだけの批難の目を誰に向けられようと、身体が震えることはないとさえ思った。オレが唯一怖いのは目標が潰えて、サメがオレから去ることだけだった。だから、


「はい、本当は、弾倉ポーチを紛失したのは自分です。鮫上二等兵は、私を(かば)っていました。申し訳ありませんでした。」


 正直に言ってしまった……しかし、反応がない。下げていた頭を少し上げて、助教の表情を伺うとキョトンとした顔をしていた。


「そんなのはとっくに解っている……いや、言葉が足りなくて悪かった。兎川、この特別状況でお前は何を学んだ?」


 今度はオレが唖然(あぜん)とする番だった。呆けた顔を見かねて助教が言う。


「あのな、事故報告だって言って天幕まで来て、あんなにペラペラ喋るヤツが()()()()か? その横に青白い顔のお前とくれば、大体の察しはつく……いいか? さっきまでのは訓練だ。特別に作為した状況をお前達二人に与えた、文字通りの特別状況だ。だから別に、本当は誰の弾倉ポーチだったんだ、なんてどうでもいい……訓練のための作為として、装備品を紛失した状況を利用しただけなんだからな。」


 全てお見通しだった。そして助教の言葉を聞いているうち、サメは助教たちがそういう風に考えることを見越していたのではないか、と思った。そんな中で、オレだけが何も解っていなかったのかと思うと、本当に恥ずかしくなる。


「それでどうなんだ兎川、この特別状況で何を学び、何を思った? 簡潔に言え!」


 小声のまま、助教はオレを問い詰める。頭の中で二人だけの特別状況の情景が、グルグルと巡っている。色んなことを知った、思った、考えた。でもそれを一言で表現する術が全然足りなかった。頭がグルグルする、上手く言葉にできない。やがて口をついて出た言葉は


「鮫上二等兵が好きです! 自分が死んででも助けたいと思いました!」


 とんでもない、告白じみた言葉だった。勢いこそあったが、小声だったのは救いであった。助教の動きがピタリと止まる。その表情は真顔のまま、



「よし。兎川……合格だ。」


 何がよし、なのか全然わからない。合格?


「兎川の表現はちょっと行き過ぎてる気もするが……要は同期を思う気持ち――同期愛だな。それが理解できたんなら、この特別状況は合格だと言ったんだ。」


 普段はニコリともしない助教が、爽やかに笑っていた。


「もう遅いからこれで終わりにするが……いいか兎川、同期は一生の宝になるぞ。だからお前が大事にされたように、お前も同期を大事にしてやれ、いいか。……よし、わかったらこれで解散だ。早く休めよ、いくら寝不足でも明日も手加減しないからな。覚悟しとけ。」


 そう切り上げると助教は天幕へと戻っていく。その様子を見送ってから班の場所へ戻ると、サメが二人のポンチョで簡易シェルターを張って、寝る場所の準備を進めていた。その設営を手伝って汗の処置をしてから、シェルターの半分ずつを使って二人で床につく。


「おやすみ、ユキ」


「おやすみ、サメ」


 あと1時間半もすれば、不寝番に就くために叩き起こされる事は確定していたけれど、まるで構わなかった。疲労ですぐに意識を手放す。とても短くて、幸せな眠りだった。


 野外訓練は予定通り、4日目の午前中で全ての訓練を終了した。防弾ベストを着込んで延々と続いたハイペースな接敵前進は、本当に身体が千切(ちぎ)れるかと思ったし、オレたちを追い立てる助教たちは宣言通り、本当に容赦がなかった。最後の敵陣地への突撃に至る時まで、息つく暇さえ与えられずに状況は進み……状況終了は、突如鳴り響いたラッパの音で告げられた。それを敵陣地の中で聞いていたオレたちはみんなして、身体中が汗や泥でベタベタのドロドロ、洗ってない犬みたいに酷かった。臭いも。


 それから装備品と人員の点検をして、昼食を摂って……今は、帰りのトラックの荷台の上で揺られている。固いベンチに座った誰も彼もが疲れ果てていて、その首を前や後ろ、あるいは横に折って意識を手放す者ばかりだった。横に座ったサメも首を前に折って、既に夢の世界へと旅立っている。小さな寝息が聞こえる。


 いくら頑強と言ってもロクに寝ていなかったし、特別状況だってオレよりずっとキツかったはずだった……それでもサメは、最後まで精力的に走り回っていた。誰より大きな声で命令を復唱し、無線が届かなければ率先して走り、誰よりも速く突撃していく。その合間にも周りを励ましたり、誰かを手助けしていた。


 この野外訓練、それも昨夜の僅かな時間でこの男の性根を知った。好ましいと思ったし、もう手放せる気はしない……だから、オレは今よりもずっと強くならなければならない。サメが誰かを助けるのは良い。それは彼の性分だし、きっと兵隊の美徳だ……だが、互いに高め合う存在だけはオレでなくては絶対に嫌だ。サメと並び立った上で切磋琢磨できる、対等の関係でなければ相棒たり得ない……そうなれないならばもはや、オレは死んだも同然とさえ信じた。




 藪を突き進んで小キズが付いた横顔を見上げると、ちょうどその時、ぱちりと目が開く……目が合うとサメは柔らかく微笑んで、そしてまた目を閉じて元の夢の世界へと帰っていった。この気持ちは憧れなのか、同期愛なのか……何もわからないままに高鳴る心臓を鎮めるため、水筒の水を熱い身体に流し込んだ。

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