第二章 兎川 (五)相棒
「00、こちら01。目的地に到着。人員、装備異状なし。小休止後、装備品の回収に移る。」
「00了解。休止終わりの報告は不要、装備品を発見したら報告せよ。終わり。」
時速7キロメートルの強行軍を続けて、目的地に到着した。現在時刻は2150、順調な行程と言えた。報告も済ませたので、ひとまず背嚢を下ろして休止する。鮫上は相変わらず滝のような汗をかいており、戦闘服の色はもはや水に浸したかのように変わっていた。その戦闘服のジャケットを脱ぎながら、鮫上が言う。
「さて、この森のどの辺りで小休止していたんだっけな……休みつつ思い出そうか。」
脱いだジャケットを傍らに置き、鮫上は背嚢から水筒を取り出すとゴクゴクと喉を鳴らして美味そうに飲んだ。昼間と夜間で場所の、風景の見え方が違うのは街でも演習場でも変わらなかった。むしろ特徴が乏しい分、演習場の方がたちが悪いかもしれない。通ってきたはずの道なのに、知らない場所に見えることがオレを不安にさせた。
「オレ、休憩はいいから先に見てくる。」
もうすぐそこに失くした弾倉ポーチがあるかもしれない、と思うと10分間の休みすら惜しく感じて、そう言った。すぐにでも走っていきたかったが、鮫上はそれを制止した。
「いや、休みは休みだ……すぐに見つける気で行って、全然見つからなかったらどうする? そのまま長時間の捜索に休み無しで突入となるとキツいぞ。大丈夫だよ、弾倉ポーチは逃げやしないさ……はい、ソーセージ。」
鮫上の言う事はもっともだったので足を止めた。オレは自分のこういう思い至らなさが恥ずかしかったが、鮫上は決して嘲笑ったりしなかった。休みは休むのが仕事だよと言いながら、また鮫上は封を切ったドライソーセージを差し出している。オレは鮫上にありがとう、と言って受け取り、鮫上の隣に座ってそれにかじりついた。鮫上の心の在り様は、オレにとって心地良いもので……それは今までに関わりを持った他人からは、感じた事のないものだった。
「そういえば、兎川は兵科の希望は決めたか?」
ドライソーセージをかじりながら、鮫上が聞く。野外訓練の1週間前に兵科の説明があったばかりで、野外訓練後には第一次希望を提出する予定になっていた。咀嚼していた口の中の物を飲み込んでから、答える。
「……オレはもう、辞めることを考えているよ……今回の訓練でもこんなだし、兵隊は向いてないんじゃないかと思ってるくらいなんだ。」
またも卑屈な応答になってしまう。どうしてこんな事を。こんな事言っても、困らせるだけなのに。まだ決めてないけど鮫上はどうするの、とかで良かったじゃないか……言った端からもう後悔していた。自分の短慮さが悲しかった。
「もったいないな。」
心底惜しそうに、鮫上は言った。迫真の演技も下手な芝居も見ていたオレには、そのどちらにも見えなかった。心からそう思っている、そんな声だった。
「もったいなくないよ、訓練の度に物を失くしてるんだぞ。身体だって小さいし、兵隊として良いところなんか何も無いだろ。オレと兵隊をやりたいヤツなんか、居ないよ。」
卑屈になっていく。どうして穏当に会話を終わらせられないのか、自分でもわからない……いや、本当は解っている。オレはきっと鮫上の、人が良いところに甘えてしまっているのだ。それをはっきり自覚してしまうともう、本当に自分の言動が恥ずかしくて……鮫上の顔を見ることも出来なかった。俯いたままで黙っていると、
「小銃の部品を落としたのは、兎川が本気で突撃訓練に打ち込んだからじゃないか。そもそも簡単に外れる部品もどうかと思うけど、それを気にしながら突撃なんかしても……それって形だけの突撃でさ、訓練として片手落ちもいいところだよな。本気でやるのが、一番正しいよ。訓練で本番のようにやらないと本番でもできない、って助教も言ってたろ?」
時折水を飲みながら、滔々と話す。思わず顔を上げて目が合うと、鮫上は優しく笑った。
「防毒面ポーチだって初日の反省を活かせたから、経路をたどって回収できたじゃないか……十分だよ。あと、僕はこんな感じで金具を使って……ポーチが弾帯から外れても落ちないようにしてる。一個余ってるからあげるよ、付けておくといい……これでもう失くさないよ。」
鮫上は自分の装備品に施した紛失防止の処置を見せた後、同じ金具のひとつをポケットから取り出すとオレの手に手渡した。体温で温められた金具が、オレの掌の上で熱を発している。それを見様見真似で、鮫上の物と同じように自分の腰回りの装備品に取り付けた。
「弾倉ポーチもさ、あの時の組長の指示で、雨が止んだから全員雨衣を脱いで背嚢に仕舞え、ってなったろ? もう出発二分前だっていうのにな。着ておいて、次の休止点で脱げば良かったんだ……慌てて行動させるような指示しちゃダメだよな。そりゃ、こういう事も起きるさ。」
鮫上はオレが漏らした卑屈な言葉に対していちいち、オレを弁護してくれていた……止めてくれ、こんな甘えた人間に、という気持ちもあったが……本心では、間違いなく嬉しくなってしまっていた。生まれて初めて、一人じゃないと思えた。見てくれている人が居ると実感できていた。顔が上気し、心臓が高鳴っているが、どれも嫌な理由によるものではなかった。
「兎川は射撃が上手いよな。教官は点数が高かった龍見の方を褒めていたけど、兎川の射撃姿勢の方が綺麗だったし、撃ち終わりまで姿勢が全然崩れなかったのも凄い。弾痕もまとまっているし、多分練習したらもっと上手くなると思うな。」
喋り続ける鮫上の言葉を聞いていた。一言も聞き漏らしたくなかったし、ずっと鮫上が喋るのをこうして聞いていたいと思った。
「だからさ、兎川……兎川には良いところ、いっぱいあるよ。きっと僕が知ってるのも氷山の一角さ。ちゃんと話したのも今日が初めてだけど、僕はもう、兎川と兵隊をやりたいと思っているよ……せっかくだからさ、僕と一緒に頑張ってみないか?」
オレは、生まれ育った家と町を捨ててここまで来たのは……鮫上と出会うためだったのだ、という勝手な確信を抱いた。そうなるともう、オレの返事は自然に決まっていた。
「……オレ、軍隊続ける……鮫上と一緒に、何かやりたい。」
言葉足らずにも程があったが、今の精一杯で鮫上に伝えた。鮫上はそれを聞くと少しの間、おとがいに指を当てて目を閉じ、考えるような素振りを見せた。そのしばしの沈黙のあと、
「なぁ、兎川は斥候狙撃兵って知っているか?」
聞き慣れない言葉だった。首を横に振って否定する。
「狙撃手と観測手の二人組で活動するんだ。斥候や偵察もやるけど、一番は狙撃だ。二人だけで敵地まで潜入して重要目標――敵の指揮官なんかを狙撃手が狙撃する。観測手は弾道計算をしたりする他に、狙撃手が射撃に集中できるように警戒をするんだ……想像してみるといい、敵陣深くで兎川は、相棒である僕とふたりぼっちだ。僕が下準備して、兎川が狙撃する。目標を射止めたら、後は二人で味方陣地まで逃避行……なぁ、面白そうじゃないか?」
「オレ、それがいい。」
考えるよりも早く、言葉を発していた。オレの食いつき方が予想外だったのか、鮫上も目を丸くしていた。軍隊の事をまだ全然わかっていないけれど、もはや鮫上と一緒に斥候狙撃兵になる事しか考えられなかった。鮫上が褒めてくれた、自分の射撃に縋りたかった。
「でもね、並の道じゃないぞ……斥候狙撃兵はもちろん歩兵科だし、体力、気力はもちろん、射撃技術にもかなりの高水準が求められるらしい。まだ特技教育も新設されたばかりだけど、例年脱落者の山だって聞く……あの、猟兵よりも合格率が低いらしい。もし本当になりたいのなら僕たち二人とも、この教育隊に居る間から相当な修練が必要だと思うんだ。それでも大丈夫かい?」
鮫上の言葉は否定ではなかった。侮るものでもなかった。ただオレを気遣う気持ちがあり、覚悟を問うものだった。この男に応えたい、と強く思った。
「……大丈夫、オレはもう身体を言い訳にしない。鮫上と歩兵になって、一緒に斥候狙撃兵になる。そのためならどんな事でもする。だから鮫上、お願いだ、オレと、オレと……」
言葉が詰まる。言いたい事があるはずなのに、言葉にできない。言葉にならない声の代わりに両手が胸の前でフラフラと彷徨う。伝えたいのに何も上手く伝えられない現状に、もう泣き出しそうになっていた。不意に、その手が大きな手で包まれる。
「わかった、それなら僕たちは今から、同じ目標を持った相棒だ。互いに助け合い、高め合う無二の存在だ。よろしくな、兎川……」
この日、オレはこの世でたった一つの宝物を手に入れた。他にはもう、何も要らなかった。




