もう大丈夫
いろんな景色を堪能しているうちに、目的の場所に到着したようで、馬車からは見えない。
「ここかり少しだけ歩くから、もう一回抱っこするがいいか?」
「もちろんです。」
ルーカスはまたわたしを抱っこして、緩やかな坂道をゆっくり歩いてくれた。
たまに吹くそよ風が気持ちよくて、目を瞑る。
今感じている不安も恐怖も、風と一緒に飛ばされていくみたい。
予想通り、ここに人はいなかった。
いるのは、わたしとルーカスだけ。
何故かその状況が、わたしを酷く安心させてくれた。
「ハンナ、まだ目を開けないでくれ。…降ろしてもいいか?」
「分かりました。良いですよ。」
ルーカスが何をするのかは分からなかったが、危ないことは絶対にしないという確信が心の中にあった。
ルーカスの草を踏む音が聞こえる。
そよ風に吹かれて、木々が揺れているのが分かる。
「目を開けていいぞ。」
ルーカスの声が少しだけ遠いのは何故だろうという疑問を感じながら目を開けると、そこには一面に花が広がっていた。
ルーカスの声が遠く感じたのは、彼は立っていたからだった。
わたしは立てないためルーカスが座らせてくれたのだ。
改めて地面を見ると、白い花が地面を埋め尽くしている。
思い出したい。
辛くても、苦しくても、過去に何があったとしても、それはわたしの受け入れるべき過去だから。
刹那、強い風と共に、わたしの頭の中に何かが流れてきた。
潜在的に感じ取れた。
これは、わたしの記憶だ。
「ぅ……ぁ……」
頭が痛い。
「…!ハンナ…!!大丈夫か!」
鈍器で殴られたような痛さだ。
だけど、思い出してきている。
ルーカスの声が、とても近くで聞こえる。
もっと…
もっと思い出させて…
これで全部じゃない。
「ぃ…、ぁぁ…!」
痛さのあまり思わず呻いてしまう。
痛い、辛い、苦しい、悲しい、負の感情が流れ出てくる。
これは、記憶を失くす前のわたしの感情だ。
同時に流れてくる。
負の感情に負けないくらいの、正の感情。
嬉しい、楽しい、安心、愛
感情の次に流れてきたものは、情景だった。
頭は相変わらずとても痛い。
気絶すれば楽だろうなと何度も思う。
けど、なんとか耐える。
初めに流れてきた情景は、家族のことだった。
そうだ。わたしは、前世の記憶を持っている。
そして、両方の家庭で、わたしは虐待まがいなことをされていた。
次に思い出したのは、公爵家に来たこと、わたしが誘拐されたこと、それをルーカスが助けてくれたこと。
中々わたしの思い出したい記憶まで辿り着けない。
後もう少しなのに…。
頭痛がどんどん酷くなる。
倒れそうになっても、ルーカスが支えてくれてる。
"まだ、いける…!"
すると、一気に色んな情景が流れ出てきた。
今まで何があったのか。
ルーカス様と今までどんな風に過ごしてきたか。
カーター先生と、どんなことを一緒に勉強してきたのか。
全部全部、思い出した。
頭痛が治らないのを耐えて、わたしはゆっくり目を開けた。
視界はぼやけている。
だけど、ルーカス様の顔の位置は、何となく分かった。
ルーカス様の顔がある方向に、わたしの手を上げた。
すると、ルーカス様の頬に当たった。
きっと心配してる。
だから、安心はさせてあげられないかもしれないけど、伝えたい。
「ルーカス様、ありがとうございます。わたしを、守ってくれて。」
不安と恐怖と緊張と頭痛から解放されたわたしは、一気に身体の力が抜け、気絶してしまった。
◇◇◇
ハンナが目を覚まして2週間、記憶が戻る様子は一切ない。
それどころか、少し怪しいところが出てきた。
今、ハンナの部屋で仕事をしているのだが、ハンナが目覚めた初日から今日まで、明らかにボーッとする時間が増えている。
このことをディランに伝えたところ、早く記憶を取り戻さないと、最悪の場合意識を保つ時間がなくなるとのこと。
もう一切の油断を許せない。
前は絶対安静だったが、今は少しでも記憶を取り戻す努力をしないといけないのかもしれない。
正直、記憶がなくなったのは、ハンナからすれば悪いことばかりではなかった。
辛い記憶が消えて、今から新しい記憶を刻めば、ハンナは幸せな記憶だけで人生を過ごすことが出来る。
それでも良いんじゃないかと思った。
だが、最終的に思考が止まってしまうなら、それはハンナの望んでいる結末でもないし、俺の望んでいる結末でもない。
俺とハンナの、1番の思い出の場所。
「ハンナ」
「………」
無視されている訳ではないと分かっていても、好きな人から返事がないのは、とても悲しく苦しいものだった。
「ハンナ、少しいいか…?」
「っ!はい。なんでしょうか」
「少し出掛けないか?足は俺が抱っこするから大丈夫だ。」
ハンナが遠慮しそうな理由を先に言っておくと、ハンナは分かりましたと言った。
まだリハビリを開始していないため、ハンナは歩けない。
それは俺の過保護のせいでもあるが、ハンナの思考が止まる時間も考慮してのことだった。
「着替えはどうしましょう?」
「そのままで充分可愛いから大丈夫だ。」
俺が本心を伝えると、ハンナはクスクスと笑った。
ハンナが記憶を失って初めて、笑っているところを見れた。
この笑顔は、記憶があろうがなかろうが、いつまでも守りたい笑顔であり、俺だけが見れる特別な笑顔だ。
「よしっ、行くか。」
自分自身に気合を入れて、俺はハンナを担ぎ馬車は向かった。
俺の上にハンナを乗せると、ハンナは酷く焦っていた。
これが普段通りだと言うと、大人しく座る姿がまた可愛らしい。
馬車の中では、ハンナは景色を堪能していた。
目的地に到着すると、ハンナは途中から目を瞑って風の音を聞いているようだった。
その姿がまたとても愛らしく愛おしい。
せっかく目を瞑っているならと、俺はハンナを花畑の真ん中に座らせて目を開けさせた。
すると突然、ハンナは頭を押さえ出した。
唸っていてとても苦しそうにする姿を見るのは、とても酷く苦しい。
だが、ハンナは今頑張っている。
なのに、俺が頑張らない訳にはいかない。
途中、ハンナが後ろに倒れそうになったので、俺の上に頭を寝かせた。
ハンナは変わらず苦しそうだ。
少しでも和らぐようにと、頭を撫で続ける。
そうしてしばらくの間いると、唸る声がおさまった。
もう治ったのかとハンナの顔を見ると、ハンナは俺に向けて笑顔をつくっている。
そして、ハンナは
「ルーカス様、ありがとうございます。わたしを、守ってくれて。」
とだけ言って、意識を失ってしまった。
「愛してる」
ハンナにはこの声は聞こえていないだろう。
俺だけが聞いていればいい。
「もう大丈夫だ。」
これからは2度とハンナが傷つくことのないように、ずっと側にいる。
愛してる
ずっとこの言葉を言ってあげられるように。
見てくださりありがとうございました!
次話も見てくれると嬉しいです!




