八章 4
俺は初めてのバイトに向かった。
「じゃ、今日からデイリーの品出しアルバイトに入った石上くんね、あとはよろしくね明日美ちゃん」
店長に紹介された俺は、明日美と呼ばれたアルバイトの女性に頭を下げる。
ポニーテール女子で、背が高くスタイルがいい。俺と同い年くらいだろうか。
「今日からよろしくお願いします」
「あはは、固い! もうちょっと緩やかでいいよ!」
「そ、そうですか……」
「えっと、石上くん、店長から聞いたけど高校一年生だよね! 私も高校一年生だよ! タメだから、お互い敬語はなしにしよ!」
ずいぶん馴れ馴れしい人だ、というのが俺の初めて抱いた、原口明日美の印象だった。
そう、これが俺と明日美との初めての出会いだったのである。
「わ、わかった、よろしく頼む。原口さん……」
「明日美でいいよ」
いきなり初対面の女性を名前呼びするのは、なかなか俺には難しいことだった。
「いや、はじめは原口で頼む。そっちの方が、呼びやすい」
「そうなんだ! 珍しいね! 名字で呼んでくる人あんまいないから新鮮ですなー」
うむうむ、と一人何かに頷く原口。
「石上くんは名前なんて言うの?」
「……鍵だ」
「けん、ってどういう漢字?」
「鍵、と書いて、けんと読む」
「珍しっ。じゃあ今日からキーって呼ぶね! よろしくね、キー」
「……」
ずいぶんとテンションの高い人だな……。
まぁ、これが彼女なりの距離の詰め方なのだろう。
初対面なのに、初めて会った気がしない。
「キーは高校どこなの?」
「白波藤沢」
「嘘! ハクバ!? 中学の友達けっこうそこいってる!」
「そうなのか」
まぁ、うちの高校は割と有名かもしれない。
「ちなみに原口はどこなんだ?」
「私は高尚高校だよ」
どこだそれ……。聞いたことない学校だった。
まぁ、俺は世間知らずだからな。
俺が知らないだけで有名な学校なのかもしれない。
「とりあえず作業始めよっか」
原口先輩の教えに従って、俺は品出し作業を開始する。
この時間帯は残出しがメインらしい。
残出しというのは、在庫の品出しという意味だ。
あとは値引き作業だ。賞味期限、消費期限がもうすぐで切れそうな商品に値引きシールを貼っていく。
前進(商品を陳列棚の手前に持ってくること)をかけ、掃除をし、閉店後は冷蔵ケースにナイトカバーをかけて作業終了だ。
原口の指導もあり、俺はすんなり作業を進めることができた。
「どうキー? 作業は覚えた?」
着替え終わったあと、原口が聞いてきた。
「まぁなんとなくは。細かいところでわからないところがいくつかあるが、まぁ多分慣れれば覚えていくと思う」
「そっかー、わかんないことあったら遠慮なく言ってくれたまえよ。私が全身全霊を持って教えてあげ差し奉り申すからね」
何を言ってんだ。
「ありがたいな。素直に原口が指導係で助かったと思ってる」
「な! そんなまっすぐに褒められると照れるぜよ……」
ぜよ?
俺は聞いてないふりをした。
なかなかに原口明日美はテンションが高い。
見た目もかなり整っている方だと思う。
さぞモテるんだろうな。
美琴とはまた違ったタイプのモテ方をしそうだ。
「原口は何かスポーツをやってるのか?」
「むむ、なんでそう思う?」
「いや、女子にこんなこと言っていいのかわからないが、なかなか筋肉があると思ってな」
「あちゃー石上殿。それはセクハラだよ」
「そ、そうなのか、悪い」
「あっはは、まぁ全然気にしてないんだけどね。水泳やってるんだ」
水泳か……。たしかに想像はつく。
「水泳部なのか?」
「中学まではね。高校からは部活じゃなくて、外部のスイミングスクール通ってる」
そうだったのか。
原口の体格を見るに、相当速いんだろう。
「そういうキーは何部なの?」
「帰宅部だ」
「あはは! なんか想像通り!」
「想像通りなのか……?」
「スポーツは? 何かやってたことないの?」
「ないな。体育の授業くらいしか」
「そっかー、たしかにキー、細いもんね」
細い、と言われて、俺はわずかばかりショックを受ける。
ただまぁ、実はこれは美琴にも言われていることだ。
『あんたちょっと痩せすぎじゃないの?』と。
『あたしが食べさせてないみたいじゃない』と母親みたいなことも言われてしまった。
そうか、俺は世間一般から見て、細いのか。
「ごめんごめん、べつに悪気はなかった。傷ついた?」
「いや……そんなことは」
「セクハラ発言は今どき厳しいですからなー。私も気をつけなきゃね。けど、私にセクハラ発言してくるバイト先の上司はいるけどね。副店長」
副店長……。そんな人なのか。
俺はまだ副店長に会ったことはないが、会ったら覚悟しておこう。
「キー、一緒に帰らない?」
「あー、構わないぞ」
俺は言ってから、考える。
これは浮気にあたるのだろうかと。
俺には美琴という彼女がいる。
その彼女以外の女性と一緒に帰っていいのかと。
だが、べつに一緒に帰るくらいなら浮気にはあたらないだろう。
俺はそう考え、自分を納得させた。
「さっむいねー」
「だな」
二月の一番寒い時期だからな。
俺たちは駅に向かって歩いている。
原口は息をハーハー手に掛けている。
「キーは帰ったら何食べるの?」
どう答えようか迷った。まさか家で女子高生が料理を作って待っている……なんてことを言ったらこいつは驚くかもしれない。
「なんだろうな。俺もわからない」
「あはは、そうだよね。だいたい帰ってみないとなにが出てくるか分かんないよね」
信号が赤になり、俺たちは立ち止まる。
「キーは何が好きなの? 食べ物の中だったら」
「そうだな、やっぱりハンバーグとか好きだ」
「お! 王道だねぇ。私も好きだよハンバーグ。あとは唐揚げとかかな」
「……原口ってよく食いそうだな」
「そりゃもちろん! 育ち盛りですから」
信号が青に変わる。俺たちは歩き出す。
「キーってきょうだいいる?」
「いや、一人っ子だ。原口はいるのか?」
「姉が一人。まーまー仲はいいかな」
「そうなのか」
同性のきょうだいは仲が悪いイメージがある。
原口家はそうではないということか。
まー原口の性格を鑑みるに、喧嘩とかあまりしなさそうだもんな。
「きょうだいほしいとか思ったことある?」
「ないな。いたことがないから、いるメリットがわからん」
「なるほどねぇ。私も逆に、『いない』ってことが想像がつかないなぁ」
それからも、俺たちは他愛のない話をした。
今日一日でだいぶ仲良くなったと思う。
初対面だとは思えないほどに、濃い時間を過ごした。
駅まで到着し、改札に入ったところで、「キーはどっち?」と聞かれたので、「こっちだ」と答えると、「私はこっち。反対側だね」と原口は言った。
「じゃあね。これからよろしくね、キー」
「あぁ、よろしく頼む。これからはお世話になる」
「固い! 固いよキー! 私たちはもう友達なんだからね!」
原口は笑顔で言う。
そうか、俺たちはもう友達なのか。
俺なんかが友達でいいのだろうか。
だが、原口は俺のことを友達だと認めてくれている。
ならば、俺も原口を友達だと認めることにしよう。
「? どうしたん? 急に黙り込んで」
「いや、何でもない。ただ、握手とかしといた方がいいのかと思ってな」
「ぷっ、握手! いやごめんごめん、キーってユニークだね! これからよろしくって意味の握手だよね! いいよ、やろうぜ!」
そう言って原口は手を差し伸べてくる。俺はその手を握った。原口はぶんぶんと俺の手を振った。
「末永くよろしく頼むぜ!」
「あ、あぁ、よろしくな」
手を離し、原口は「じゃあね!」と大きな声で行ってから去っていった。
なんだか騒がしい1日だったな。
バイト初日は滞りなく終わった。
原口のおかげでだいぶ働きやすい。
俺はそのことに深く感謝した。




