六章 6
鍵視点
荻原との関係性はだいぶ修復されたと思う。べつにケンカしていたわけではないのだが、クリスマス以降の気まずさは徐々に消えつつある。
今日は俺の誕生日だ。いつもなら家族に祝ってもらうだけのイベントだが、今日は荻原に祝ってもらう。
なんだかいたたまれないな。
荻原は今、料理中だ。例によって例のごとく、俺は手伝いを禁止されている。俺が料理を手伝うと大変なことになるからな。足手まといは必要ない。黙って料理を待つことにしよう。
誕生日か…。一年ぶりだな。
当たり前か。
それにしても実感がわかない。もう十六歳か。成人が十八だからあとニ年か…。俺ももう少しでオトナなんだなと実感する。
今年の目標はなんだろうか。特に決めてはいない。十六になったらやりたいこと…ないな。いつも通り平穏に暮らしたい。
一般的な十六歳がどんな感じなのか、よくわからない。俺の周りには友達が少ないからな。
たつきは塾に通い、勉強をし、いい大学に入ろうとしている。
対して俺はどうだ。何もせずにただまんじりと時を過ごしている。
あいつには彼女がいて、俺にはいない。
天と地ほどの差がある。同じ十六歳なのに。俺はあいつを尊敬する。
「できたわよ」
荻原が料理を運んでくる。ものすごくいい匂いがする。
「あんたの要望通りよ」
「うまそうだな。さすがは美琴だ」
「ほ、ほめたって何もでないわよ」
今日の晩ごはんはロコモコだった。ロコモコというのは、ご飯の上にハンバーグと目玉焼きを乗せた料理のことだ。
今日は俺の要望を荻原は聞いてくれるとのことで、ロコモコになった。
「めちゃくちゃすきなんだよな、これ」
「そうなんだ。確かにおいしいよね」
子供っぽいメニューと思われるかもしれないが、子供が好きなメニューは結局大きくなってからも好きなものだ。べつに恥ずかしいことではないと思う。
「いただきまーす」
「いただきます」
一口。うまい。さすがは荻原だ、としかいいようがない。
なんで荻原はこんなに料理が上手いんだろうか。天才すぎる。
「お前はやっぱり天才だな」
「な、何が?」
「料理の腕前が、だよ。こんなうまいロコモコはお店でも食ったことがない」
「…そ、そう? ならよかったわ」
俺の言葉に荻原は顔を赤くする。そんな荻原もかわいいと思ってしまった。
俺はロコモコを一気に食べ終えてしまう。うまい。
「ごちそうさま」
「はや。いくらなんでも早すぎない? 光の速さ凌駕してるんですけど」
「そうか。じゃあ俺はタキオンだな」
「何言ってんの……。あ、そうそう食べ終わったんならこれあげる」
荻原は小さな箱を取り出した。明らかに高級そうな箱だ。
完全に誕生日プレゼントだろう。
「プレゼント。あんた財布ぼろぼろだったから、新しく使ってほしいと思って」
俺は箱を開ける。中には黒の財布が入っていた。
「いいのか?」
見るからに本革だった。相当な値段するだろう。
「うん。誕生日プレゼントくらいケチりたくないし」
「そ、そうか。ありがたくもらっておく」
俺は言って、今使っている方の財布から中身を全部取り出して、新しい方に詰め替えた。
「これから毎日使うことにする。ありがとな、美琴」
「そ、そう? あ、あんたが喜んでくれたならあたしも嬉しいわ」
至れり尽くせりだな…。料理を作ってもらってプレゼントまでもらえるとは。
「なぁ、お前は、十六歳になったときになにか実感あったか?」
「な、なに、ヤブから棒に…。そんなのなかったに決まってんじゃん。…あぁでも貴重な十代もあと少しなんだな、っていう気持ちにはなった」
「そうか。なんかお前らしいな」
「そういうあんたはあるの?」
「ない。ないから困ってるんだ」
「別に困ることじゃないでしょ。今はまだ、そんなにいろいろと焦る時期じゃないと思うし」
たしかにな。高校一年生はそんなに焦る時期じゃない。きっと荻原の言っていることは正しいのだろう。
「…そうだな、たしかにそのとおりかもな」
「あんたが哲学的なこと考えるなんてね」
「哲学的か…? まぁ、俺らしくないことを考えている自覚はある」
俺はなにに悩んでるのだろうか。その正体は掴めそうになかった。
「…なぁ、美琴。お前これからしたいこととか――」
ピンポン。
チャイムが鳴らされた。
俺は一応誰が来たのかモニターで確認する。母さんだった。
「恵子ちゃん?」
「あぁ」
俺は玄関まで行き扉を開ける。
「鍵ちゃん久しぶりね。元気にしてた?」
「まだ三日しか経ってないだろう」
「恵子ちゃんこんばんは」
「こんばんは美琴ちゃん」
母さんはお邪魔するわね、と言って部屋に上がる。
「まぁおいしそう! やっぱり美琴ちゃんは料理の天才ね」
母さんが来ることはもちろん事前に荻原は知っている。
「はい、これ恵子ちゃんの分」
荻原は冷蔵庫に入れておいたロコモコをレンチンして、母さんの目の前に出す。
「ありがとう美琴ちゃん」
母さんが食べ終わるまでに五分もかからなかった。それだけおいしかったということだろう。
母さんは荷物からあるものを取り出すと、俺に手渡してきた。
「はい、鍵ちゃんこれプレゼントね」
「悪いな。なんかいつも誕生日プレゼント俺の方はあげてないのに」
「いいのよ。気にしないで。子供なんだから、遠慮なくもらっちゃっていいのよ」
子供なんだから、という言葉に俺は少し考えてしまうものがある。
そうか、俺は母親から見ればまだまだ子供なのか…。
いや、もしかしたら母さんは『自分の子供』という意味合いで言ったのかもしれない。
どちらにせよ、俺は母親に愛されているんだなと実感する。
母さんからのプレゼントはマフラーだった。黒いマフラーだ。
「どこで買ったんだ?」
「買ってないわよ。私が編んだの」
まじか…。手編みのマフラーとはな。
全体的によくできている。ちゃんと百人に聞いたら百人がマフラーだと答えるであろう出来栄えだ。
だが、ところどころ糸がほつれていたりして、素人感も多少はある。
だけど全然気にならないレベルだ。
むしろ、母親が自分のために編んでくれたという事実が嬉しかった。
「あら、鍵ちゃん泣いてるの?」
「な、泣いてなんかない…。ただ目にゴミが入っただけだ」
「嘘おっしゃい。泣いてるけんちゃんもかわいいわ」
クソ。茶化すな。このクソ母親。
俺は涙を拭う。さすがに感極まりすぎたな。
俺はふと視線を上げると、荻原まで泣いていた。
なんでお前が涙を流すんだよ…
「ごめん、もらい泣きしちゃった」
荻原がかすれた声で言う。もらい泣きしてしまったのか。
…まぁ、荻原の境遇を考えたら、無理もないことなのかもしれない。
こいつは母親からプレゼントをもらったことなどなかったのだろう。
そうか…。だとしたら、悪いものを見せてしまったかもしれない。
「はい、美琴ちゃん」
「あ、ありがと。準備いいね」
母さんは荻原にハンカチを渡す。
「俺の分はないのか?」
「あら、鍵ちゃんは私の胸で泣いていいのよ。だからハンカチなんかいらないでしょ?」
なんて理屈だろう。俺はさすがに母親の胸のなかで泣きじゃくるなんてことは、荻原の手前したくなかった。さすがに笑いものにされる。
翌日からマザコンと呼ばれかねない。
ひと通り涙が収まったあと、ココアを飲んだ。うまい。やっぱりココアは最高だな。
「なぁ、母さん。聞きたいことがあるんだが」
「あら、恋の相談?」
「ちげぇよ。…その、母さんが十六歳になったときって、何を考えてたんだ?」
「私が十六歳のころか……うーん、つい最近のことね」
「嘘つけ。何十年も前だろ」
「冗談よ。そうね、私が十六歳の頃は将来のこととか、本気で考えてなかったと思うわ」
まぁ、そんな感じはする。明らかに将来の目標とか立てるタイプじゃないのは昔から知っている。
「あの時は漠然と何者かになりたがってたわ。高校はいっぱいサボって、退学になってたわよ」
おい。衝撃の事実だ。退学? ちょっとまて。ってことは、
「母さん中卒なのか」
「そうよ。言ってなかったかしら?」
初耳だ。初めて聞いたぞそんなこと。
「お母さんあの頃は漫画家目指してみたり、アーティスト目指してみたりしてたわ。今じゃ想像つかないでしょうけど」
「アーティスト目指しそうなのはなんとなくわかるが、漫画家は意外だったな」
「そうよ、お母さん少女漫画家に憧れてたの。親には猛反対されてたけど」
「そりゃされるだろうな。…にしても少女漫画家とはな…。あの母さんが」
「もう、鍵ちゃんバカにしてるでしょ。でも当時は本気だったんだから。本気で漫画家になろうとしてた」
「で、結局どうなったんだ」
「なれなかったわよ、もちろん。んでちゃんと就職しなきゃって思って、近所の食品工場に就職したのが二十歳のとき」
そうだったのか…。人間にはいろいろとドラマがあるんだなと思った瞬間だった。
母さんの身の上話など普段聞くことはないからな。
「それからしばらくして、貴教さんと出会ったのよ」
「どこで出会ったんだ?」
「あら、これも言ってなかったかしら? 街中でナンパされたのよ」
俺は思わず吹き出してしまった。
ま、街中でナンパだと…?
だが想像がつく。あの父親ならやりかねない。やりかねない、というか、実際にナンパしたから、母さんは今ここにいる。というか、父さんがそこでナンパしてなかったら、俺は今ここに存在していない。
なんというめぐり合わせだろう。
「そうだったのか…。なんか、色々と複雑だな」
「そうなのかしらね。けど、私はナンパされて貴教さんと付き合い始めたことに後悔はないわ。
出会い方なんてどうだっていいのよ。大事なのはどう向き合っていくかよ。
最初は貴教さんのことは、チャラいとか、軽いみたいなイメージだったけど、ところどころ抜けてるところがあって、優しくて、誰よりも私のことを大事にしてくれるって気づいちゃったんですもの」
「…なんか、鍵と似てるわね」
「うるさいぞ」
荻原が茶々を入れる。父さんと似てると言われたことがショックでならない。
だが、考えてみればそうなのか?
たしかに、ところどころ抜けているところは自覚はある。何度も荻原や、たつきに指摘されてきたことだしな。
「鍵ちゃん、これは覚えておいてほしいのだけれど、女性というのは一度好きにったら、覚悟を決める生き物なのよ」
そうなのか。っていうか母さんの口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。
「この人となら、どんなにつらいことがあっても乗り越えられる、そういう人を好きになるの。この人となら幸せになりそうって人っていうより、この人となら不幸になってもいいって人を選ぶのよ」
母さんが遠い目をして言う。
初めてだ。母さんが父さんを好きになった理由を聞くのは。
なんだかんだでタブーだと思っていた。両親の恋愛話を聞いてしまうというのは。
だが、母さんはつつみ隠さず話してくれた。その理由を考える。
荻原がいるこの場でそのことを語ったその意味を。
荻原はたぶん俺のことが好きだ。
荻原はすでに覚悟を決めているということか。
ならば俺も、覚悟を決めるべきなのではないか。
「なぁんて、今話すべきことじゃなかったわね。ちょっと説教じみてたかしら」
たしかに多少の説教臭さはあった。だが、それでも俺の心に響くものはあったと思う。
「お皿片付けるわね」と言って、母さんが台所に向かう。
荻原はずっとうつむいたままだ。なにか考え事をしているのだろう。
俺はこのまま、荻原との関係性を曖昧にしたままでいいのだろうか。
好きなら好きと、気持ちをちゃんと伝えたほうがいいのではないか。
そんなことを思った。
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