五章 5
俺は素直にこの状況が楽しいと思い始めている。
難しいことは考えなくてもいい。荻原と一緒にいることが楽だ。
ときどき振り回されることもあるが、それもまた楽しいと思えている。
荻原は…どう思ってるんだろうか。
俺と荻原は友達同士だ。
その関係性以上のものを、荻原は望んでいるんだろうか。
わからない。なぜなら俺はテレパスではないからだ。
俺と荻原は釣り合わないものだと思っていた。だが、今日の荻原の表情や態度を見るに、そうでもないんじゃないか、とすら思ってしまう。
荻原は俺のことをどう思ってるんだろうか。
知りたい。
素直にそう思う。
だがどうしても、怖いという思いもある。
知ってしまうことで、関係性がこじれそうな気もするのだ。
クソ。考えてもらちがあかんな。
元々俺は考えるのが得意な方ではない。
荻原の態度には、少なくとも俺に対する好意が含まれていることには気づいている。
ただそれが、『人間として好き』なのか、『恋愛的に好き』なのかの区別が俺にはつかないのだ。
自分が鈍すぎて嫌になるな。きっとたつきとかなら、その区別がつくんだろう。
ったく、羨ましい限りだぜ。
俺はもう一度、冷静になって考える。
俺は荻原との距離を縮めたいんだろうか。
荻原に対する好意は、日に日に強くなってきている。その自覚はある。
ただ、その感情が理由で、距離を縮めていいのかどうかわからないのだ。
俺が好意を示した瞬間に、荻原に引かれる未来がなんとなく見えるのだ。
荻原が俺のことを好意的に見ているだろうという推測は、ただの俺の勘違いかもしれないのだ。
だから、怖い。荻原との距離を縮めようとする行為そのものが。
「おーい、大丈夫?」
「…。ああ」
「どしたの? 考え事?」
「まあ、そんなところだ」
「へえ、あんたが考え事するなんて珍しいじゃん」
「そうか? 俺はけっこう色んなことを考えてるぞ」
出会ってだいたい二ヶ月半くらいになるか。
いや、それ以前にお互い学校の廊下とかですれ違うことはあったりしたが、明確に初めて会話したのは二ヶ月半前だ。
あれから、いろんなことがあったと思う。
俺にとっては、怒涛の日々だったさ。悩んだり、笑ったりすることもあった。
俺は荻原の辛い過去を知った。その上で俺の過去も話した。お互いにお互いの秘密を共有している。
「もう、次だね」
「だな」
「今になってめっちゃ怖くなってきた! 途中で落ちたりしないよね?」
「さすがに安全は確保されてるだろ」
外はもう暗い。今俺達は、遊園地の観覧車の順番待ちをしている。
ここも、どこもかしこもカップルだらけだった。ちらほら高校生らしき姿もある。
「お待たせいたしましたー、次の方どうぞ」
「さ、行きましょ」
俺達はゴンドラへと乗り込んだ。
中は空調が効いていて助かった。さすがにエアコンついてなかったら寒すぎてしょうがないからな。
ゴンドラは空めがけてずんずん高く上がっていく。あれだけ近かった地上がどんどん離れていく。
荻原は対面の席に座っている。彼女の膝がぷるぷると震えだしていることにようやく気がついた。
「怖いのか?」
「は? 怖くないし」
「膝が震えてるぞ」
「こ、これはあれよ。武者震いってやつ」
観覧車で武者震い起こしてどうするんだ。
ゴンドラは高度を容赦なく上げていく。落ちたら確実に死ぬだろう。
「うわ、見て。めっちゃきれい!」
荻原の言うとおり、外には横浜の夜景が広がっている。きらびやかな街だ。
「し、下さえ見なければへっちゃらよ」
「……」
かく言う俺も怖くなってきた。
俺はスマホを構えて、夜景を撮る。だが、その手が震えていることにようやく気づく。
怖い…。さすがにこの高さは怖い。怖すぎて下なんか見れない。
「ねぇ、あんたも顔面真っ青だよ。もしかして怖いの?」
「こ、怖くなんかない」
「嘘よ。顔がこわばってるもん」
荻原のその発言はとりあえず無視し、俺はぱしゃっぱしゃっと写真を撮っていく。
すると、風にあおられたのか、ゴンドラが激しく揺れる。
「ねぇ! ちょっと何!?」
俺は荻原の声に驚いて、スマホを落としてしまい、がしゃっと激しい音を立てた。
「ひいっ! も、もうっ、落とさないでよ! びっくりしたじゃん!」
「悪い、…だがお前の声に驚いて」
俺は謝る。その声は恐怖でかすれていた。
「ねぇ、そっち行ってもいい?」
「おい待て。動いたらゴンドラが揺れるだろ」
「い、いいじゃん別に」
荻原は俺の言葉を無視してこちらの席についた。
まもなく、頂上に着こうとしている。
「おい、傾いたじゃねぇか」
「気にしない気にしない。だってほら、隣のゴンドラのカップルだって…」
荻原の言うとおり、隣のゴンドラのカップルは身を寄せ合って座っていた。
だが瞬間彼らは、お互いの肩を抱き寄せ合い、そして…お互いの唇を重ね合わせた。それも一度だけではない。何度も激しく、こちらが見ていられないほどに熱烈なキスを始めた。
「……」
「……」
さすがに見ていられなくなって、俺は目をそらした。荻原も同様に、顔を真っ赤にしてうつむいている。
おい、俺達は何を見せられたんだ。激しく頭を抱えたくなる。
だが、無理もないのか。俺が知らないだけで、カップルというのは観覧車でキスをする決まりなのかもしれない。
俺は恐る恐る、カップルの姿をもう一度だけ見た。見なきゃよかったと後悔した。彼女側が男性の頭の後ろに手を回し、彼氏側は女性の腰に手を回して猛烈な口づけを交わしていた。
す、と、俺の右手に感触があった。見ると、荻原の左手が俺の右手に重ねられていた。
荻原はうつむいたまま、腰をずらすようにこちらに近づいてきた。観覧車はすでに頂点に達している。
心臓が飛び跳ねそうなほど鼓動している。それが高さ故の恐怖なのか、この状況に対してなのかわからない。
荻原は目を潤ませながら、俺の方を見つめてくる。
数秒、目が合った。お互いの顔が近づいていく。
俺は、後悔しないだろうか。と、ふとそんなことを思った。
荻原は俺の右手をぎゅっと握ってくる。顔が、無意識に近づいていく。お互いの吐息を肌で感じる。心臓は破裂しそうなほどに痛い。
本当に、いいのだろうか。後悔しないだろうか。荻原とは友人同士だ、その彼女と、本当に……
その時、ガタンとゴンドラが揺れた。
「な、なに!?」
ゴンドラはそのまま停止する。どうやら安全のために一時停止したらしい。
「止まったな…」
「こ、こんなとこで!?」
荻原が慌てふためいたように言う。だがゴンドラは、またすぐに動き出した。
「動いた…」
荻原のその安堵したような声に、俺も力が抜けた。
そして、一気に現実に戻ったような気がして、顔が熱くなる。
荻原の方を見ると、同じように顔を赤くしてうつむいたままだった。
荻原の手が、俺の手から離れていく。
「や、やっぱなんでもない…」
荻原はそう言って、俺から少しだけ距離を取る。
気まずい沈黙が流れた。
その沈黙はゴンドラが地上に着くまで続いた。
少しでも面白いと思ってくれた方は、ブックマーク、★★★★★等で応援していただければ幸いです




