五章 3
「寒い」
「ねー、めっちゃ寒い」
荻原は手にハーハーと息を吹きかけながら言う。
たしかに、今日は冷える。雪が振らなかっただけでありがたい。
今日は12月24日。クリスマスイブだ。
荻原の提案で横浜に来ている。関内駅で降りて、目的の店まで歩いている最中だ。
「プラン丸投げして悪かったな」
「へーきへーき、好きでやってることだもん」
「そうか、ならよかった」
「あ、ここ!」
荻原が指さす先に、1軒のカフェがある。いかにも昭和レトロって感じの店だ。
「うわ、めっちゃ混んでる」
「だな」
人気店というだけあって店内は大盛況だ。
現在は、お昼をちょっと過ぎたあたり。やっぱりこの時間帯は混んでるな。
店員さんに案内され、列に並ぶ。店内で並んで待たせてくれるのはありがたい。外は昼間とはいえ激寒だからな。
「なににしよっかな〜、あ、ケーキ!」
ショーウィンドウには、ずらりとケーキが並んでいる。
「食べたいのか? 俺はてっきり食事にするのかと思ってたんだが」
「うーん、食べたいけど、やめとく。ケーキはもう焼いてあるから」
『ケーキはもう焼いてあるから』俺は思わず、その言葉を反芻してしまう。
「ちょっと待て。もうケーキ焼いたのか」
「あーうん、家出る前にね。へへっ、楽しみにしてなさいよ!」
荻原の屈託のない笑顔。思わず見とれそうになる。
マジか…。もう焼いてくれているなんて思わなかった。
実家で暮らしていた頃は、ケーキは焼くものではなく買うものだった。
だから、荻原のその発言には、どこか新鮮味を感じてしまうのだった。
しばらく待っていると、
「53番の方、ご案内します!」
「あ、呼ばれた。ほら、ちゃっちゃと行くわよ!」
にこにこ笑顔の荻原に手を引かれて、俺は席に向かうのだった。
結局軽食としてサンドイッチを頼むことにした。
サンドイッチが届くと、荻原は目を輝かせた。そういうところは年相応で可愛い。
「ねぇ、写真撮っていい?」
「いいが、俺の写真なんか撮ってどうするんだ?」
「あんたのじゃないわよ…。サンドイッチの写真!」
ああ、と俺は頷いた。なるほど、サンドイッチの写真か撮りたいのか。
俺はすかさず席を立とうとした。
「ちょっ、あんた何やってんの」
スマホを向けた荻原が言う。
「何って、邪魔だからどいただけだが」
「別にそこに座ってたってあんたは映らないわよ…。はあ、あんたのこと天然だってわかってたけど、まさかここまでとはね…」
荻原は本気で落胆したような声でいう。ちょっと待て。そこまで落胆することだろうか。
「悪かったな天然で」
「ま、まあ、そこがあんたのいいところでもあるんだけどね」
「?」
俺には荻原の言う意味がわからなかった。それは褒めているのか?
荻原はぱしゃっぱしゃっと、サンドイッチを写真におさめていく。
「お前、インスタとかやってんのか?」
「やってるわよ、それがどうかした?」
「ああいや、やっぱりそうなんだな。なんかやってそうだなって思ってよ」
「そういうあんたはやってんの?」
「俺がやってると思うのか?」
「なんでそんなドヤ顔でいうのよ…。どう見てもやってなさそうね。一応確認しただけ」
閑話休題。俺達はサンドイッチをいただくことにした。
「うんまっ! なにこれ! ちょーうまいんですけど!」
「ちょっ、声がでけぇぞお前」
「だってこれめっちゃうまいんだもん! あんたも食べてみなさいよ」
俺も一口いただく。ハムとかレタスとか入った、普通のサンドイッチだ。
「たしかに、うまいな」
俺は素直に驚嘆する。喫茶店のサンドイッチがまさかここまでとは。
しかし、あの料理上手な荻原ですらここまで驚くとはな。
「普通のサンドイッチかと思ってたけど、このソースがよくできてるわね」
たしかに、ソースが独特な味がする。かといって、素材本来のうまみも打ち消してはいない。
「あーあ、ここのソースの作り方教えてくれないかな」
「いや、さすがに無理だろ。企業秘密とかなんじゃーの」
「そうよね、残念」
そんなことを話しながら、俺達はサンドイッチを平らげた。あっという間だったな。
しかし、世の中にこんな美味いサンドイッチがあるとは驚いた。
「お会計いくらだっけ」
荻原が伝票を持ち上げて言う。
サンドイッチは2つ頼んだ。だからここは一人一つ分の代金を支払うべきだ。
だが、と俺の冷静な部分がささやく。
どこかで聞いたことがある。たしか、お会計は男性が持つべきだと。
俺は言った。
「あー、美琴、ここは俺が出すぞ」
「いいって! そんな、悪いし…。それぞれの分はそれぞれで出しましょ」
「いや、だが」
「何、あんたもしかしてカッコつけようとしてくれてる? んまー、気持ちにはありがたいだけど、あたし的には、お互い借りを作るのはなしかなって」
荻原が真剣な表情で言う。たしかに、それもそうか。
「わかった、お前がそう言うんなら、お会計は自分の分だけ払うことにする」
「うん、そーしよ!」
というわけで、お会計はとりあえず俺が全額払って、あとで荻原から一人分の代金をもらうことになった。
「あー、めっちゃうまかった! また来たいね」
「…そうだな」
店を出ると、荻原がそんなことを言う。
……待て。今落ち着いてこの状況を考えてみると、もしやこれってデートなのでは?
そう考えるといきなり変な汗が流れてきた。なにせ、今まで女性と遊びに行った経験などない。
「どしたの? 変な顔して」
「いや、何でもない」
荻原は、いつも通りの荻原だ。この状況をなんとも思ってないらしい。
なぜか、そのことが俺を安心させた。
荻原がいつも通りなら、俺もいつも通り荻原と接すればいいだけだ。
「さ、行きましょ」
俺達は歩き出す。道には、カップルが手を繋いで歩いている姿がいくつも見受けられる。
俺達も傍から見ればカップルと思われてるんだろうか?
そんなことを考えながら、俺は荻原のあとをついていった。




