第2話 澱みの街にて
乗合馬車を乗り継ぐこと数日。ボロ馬車の揺れは、腰に堪える苦行だった。
ようやく辿り着いたその町は、一言でいえば『ひどいありさま』だった。
魔王領から流れる魔素が濃く、町全体がどんよりとした霧に覆われている。まるで、この場所だけ時間の流れが腐敗しているようだった。
何か情報はないかと、場末の酒場へと足を踏み入れる。
扉の向こうには、明らかに平民ではない、険しい目つきのならず者たちが集っていた。
「なんだ、ねぇちゃんはお呼びじゃないぜ?」
ユヅキよりも一回り大きな身体をした男が、ニヤついた顔で彼女を覗き込んでくる。
ユヅキは無言で、すれ違いざまに男の足元を引っかけた。
ドスン、と間抜けな音が響く。周囲からはこらえきれない笑い声が漏れた。
顔を真っ赤にした男が、怒り狂って立ち上がり、ユヅキへと詰め寄ってくる。しかし、彼女は身じろぎ一つせず、ひらりと身をかわした。
その拍子に、ユヅキの首元からギルドのライセンスが覗く。
――黒銀のタグ。
それを見た瞬間、男の顔から血の気が引いた。
「あんた……まさか、Bランクか」
「そうだけど? ギルドから依頼を受けてきたのだけど、必要がないなら去るわ」
ユヅキが冷ややかに言い放ち、踵を返して扉に手をかける。
すると、さっきまで威勢の良かったならず者たちが、一斉に狼狽した声を上げた。
「まった! 行かないでくれ、助けてくれ!」
大の男たちが、先ほどまでの横暴さが嘘のように一斉に頭を下げる。
ユヅキは大きなため息をこぼし、深々と被っていたフードをゆっくりと下げた。露わになった白磁の肌と、紫と青が混ざり合う瞳に、酒場の空気が凍りつく。
彼女は近くの椅子に優雅に腰を下ろすと、冷たい視線を男たちに投げつけた。
「……状況をおしえて」
その言葉は、まるで絶対的な命令のように酒場を支配した。
男たちの話は、救いようのないものだった。
魔物は空から獲物を狙い、容赦なく子供を攫っていく。人々は教会へ逃げ込み、男たちが武器を持って守っているが、教会を守る結界のエネルギーも、もう残りわずかだという。
魔物は海辺を拠点に群れを成していた。男たちは命懸けの奇襲を仕掛けようとしていた矢先だったらしい。
「……海辺にいるのね」
「どうするんだ? あんた一人で行くのか?」
男の心配そうな問いに、ユヅキは鼻で笑った。
「空を飛ぶ魔物なんて、一瞬で片付くわ。おとなしくここで待ってなさい」
ユヅキはフードを深く被り直すと、背中で男たちの驚きを置き去りにして酒場を飛び出した。
海辺へ出ると、潮風と共に嫌な臭いが漂ってきた。
船着き場を埋め尽くしていたのは、空を覆うほどの巨大なグリフォンの群れだった。鋭い牙と、猛毒を持つ危険な魔物たちだ。
ユヅキは立ち止まり、人差し指を立てて目の前の空中に円を描く。
その中心をパチンと指で弾くと、グリフォンたちの頭上に、光る火の輪が次々と広がっていった。
あっという間にすべての魔物に逃げ場はない。
「……燃えろ」
短く呟いた瞬間、炎の輪が激しく爆発した。
最高温度に達した猛火に包まれ、グリフォンの群れは悲鳴を上げる間もなく、一瞬で灰になって消え去った。
物陰からその様子を見ていた男たちは、言葉を失いながらも、慌てて教会の方へ走り出した。
燃え残る火の粉が舞う中、ユヅキは小さく溜息をつく。
「いちいち派手に見せるのも、面倒ね」
ふっと指先を吹きかけると、残った火も魔法のように消えていった。
彼女は振り返ることなく、静かに歩き出す。
「さて、私の目的はこの付近にあるはずの遺跡なのよね」
ユヅキは依頼を終えた足で、そのまま教会へと向かった。
だが、教会の敷地に足を踏み入れた瞬間、彼女はすぐに自分の浅はかさを悟ることになる。
「――見てくれよ! あの魔法! まるで空から太陽が降ってきたみたいだったんだ!」
「いや、あれはもっと凄かったぞ。指先一つで全部灰だ!」
酒場で彼女の戦いを見ていた男たちが、教会でオーバーアクションを交えながら武勇伝を語り継いでいたのだ。
教会の扉を開けた瞬間、ユヅキは「英雄様だ!」という叫び声と共に、町民たちにあっという間に取り囲まれてしまった。
「お礼を言わせてくれ!」「宴だ、宴を開こう!」
そのまま強引に、町の中心部で開かれた宴会へと引きずり出されてしまった。
翌朝。
ユヅキは二日酔いなど微塵も感じない、魔法で強化された身体に感謝しつつ、静かに再び教会を訪れた。
この辺りで「遺跡」といえば、当然管理しているのは教会だ。何せ、このあたりは「天使」の領分なのだから。
神父に静かに事情を説明し、持ち歩いている地図を広げた。
「その遺跡ならば、この町から半日の距離にありますよ」
神父は迷いなく、地図の特定の位置に丁寧に印をつけてくれた。
やはり、ここは正解だった。
「……助かるわ」
ユヅキは地図をしまい、すぐさま歩き出した。
ようやく、彼の手がかりに手が届く。
セリヌの町で聞いた噂よりも、ずっと濃い「気配」が、その遺跡からは漂っているような気がした。
彼女は振り返ることなく、目標の遺跡を目指して荒野へと踏み出した。




