【美子と椎、シリーズ①】そうだ、味噌汁を作ろう 〜プレデターの調理場と、不本意なマッチョ・ロマンス〜
運命を感じた二人は、その後もジムで何度か顔を合わせ、ある日スーパーの野菜売り場で偶然再会した。買い物のあと、どういうわけか二人は美子の仮住まいであるアパートへと向かうことになった。
お互いに「あの脳筋神の被害者」という奇妙な連帯感、そして何より「まともな恋愛がしたい」という切実な願いを持つ身。客観的に見れば、男女が夜に部屋へ上がるなど完全に「秒読み」のシチュエーションである。
「あ、あの。せっかくですし、お味噌汁……作りますね」
美子は頬をほんのり赤らめ、普段は完全にインテリアと化していたエプロンを、タンスの奥から引っ張り出して身に着けた。新婚っぽさを演出する、至極乙女な初手である。
だが、彼女を導いた神が最悪だった。
美子は、昔包丁で怪我をしてから包丁が苦手だった。それはいい。トラウマからの安全対策、非常に納得のいく理由である。しかし、その解決策として彼女の肉体に刻み込まれた「オリビエ直伝の物理ソリューション」は、完全に一般人の限界を超えていた。
「よしっ、まずは豚肉ね」
美子は可憐に微笑みながら、パックから取り出した生の豚バラ肉を両手で掴んだ。次の瞬間。
――ブチィィィッ!!!
小気味よい肉の断裂音が室内に響く。女の子の生身の握力だけで、強靭な豚の脂身と繊維が容赦なく引きちぎられていく。
(……え?)
背後で待機していた椎の視界が、一瞬バグった。美子の細い指先が、まるで熟練の解体業者のように正確に肉を引き絞り、一口サイズへと文字通り「引き千切って」いる。
「次はカボチャね。火が通りやすいように、小さくしなきゃ」
美子はにっこりと笑うと、まな板の上に置かれた、岩石のように硬い生のカボチャへ包丁を軽く押し当てると、切れ目だけを入れた。千切れない素材は、切れ目を入れてへし折るのが、彼女なりの「安全なノー包丁調理」の基本らしい。
バキョォッ!!!!
鈍い破壊音と共に、生カボチャが綺麗に真っ二つにへし折られた。女の子の手によって一口大に砕かれてゆく哀れな根菜が、まな板の上に転がっている。
(ヒィッ……!? プレデター!? 調理場にプレデターがいる……!!)
椎は背筋に冷たい戦慄が走るのを感じた。女の子の可愛いエプロン姿を見に来たら、目の前で「破壊、そして破壊」のライブパフォーマンスが始まっている。
違和感という名の恐怖に完全に硬直している椎の視線に気づき、美子がハッと我に返って振り返った。
「あ、ごめんなさい! 視線を感じちゃって……。さっきも言った通り、私、昔包丁で怪我しちゃってから怖くて使えなくて……だから、なるべく包丁を使わないワイルドな調理法になっちゃうの。引いちゃった、よね……?」
上目遣いで、本当に申し訳なさそうに、恥ずかしそうに身を縮こまらせる美子。なるほど、包丁が怖い。だから素手。一見、非常に筋の通ったロジックである。
(……いや、納得できるかァァァ!!! 包丁が怖くても、普通はカボチャを両手で割らねえよ!!!)
脳内では全力の正論がツッコミを入れていたが、椎自身もまた「ヒグマをツーパンで沈める」ためのレシピを脳内にインセプションされた男である。このまま彼女に調理を続けさせたら、最終的に大釜を召喚して部屋の天井が抜ける。
「あ、あの! だったら僕が切りましょうか!? 包丁、得意ですから!」
「えっ!? 本当!? 嬉しい……! あ、味付けは大丈夫だから、切るのだけお願いします」
そこからは早かった。椎はモテたい一心で(あるいは命の危機を感じて)、手際よく残りの具材を包丁で刻み始めた。出来上がったのは、偶然にもお互いのソウルフードである「豚汁」。それに、買っておいた鯖の塩焼き、そして漬物。
「「いただきます」」
ついさっきまでカボチャを粉砕していたとは思えない、驚くほど家庭的で、そして恐ろしいほど栄養価の高い完璧な和食が並ぶ。二人は仲良く箸を進め、穏やかで温かい、まさに理想の「男女の食事風景」を堪能した。
食事を終え、お茶をすすりながら、部屋に心地よい静寂が訪れる。普通なら、ここから「映画でも見ませんか?」とか「今度、どこかに出かけませんか?」という甘酸っぱいセリフが出てくる、最高潮の雰囲気。椎はゴクリと唾を飲み込み、意を決して美子の目を見つめた。
「……食べ終わりましたし」
「はい……」
「……筋トレ、しませんか!」
美子の瞳が、一瞬で爛々と輝いた。
「YES!! 喜んで!!」
そこからは、映画のラブシーンよりも熱く、重厚な時間が始まった。
「見てください美子さん、僕の大胸筋の上部! ここを狙うために、デクラインでの腕立てをですね――」
「素敵……ッ! でも椎くん、広背筋の広がりなら、やっぱりこの角度からの引き締めが最高よ! ほら、ここ触ってみて!」
「おお……っ! なんてキレのある筋肉回路なんだ……!」
お互いに、脳内のビリー教官から叩き込まれたこだわりマッスルポイントを、熱狂的に、かつ真摯に伝え合う。肌が触れ合うたびに、大腿四頭筋が、上腕二頭筋が、歓喜の悲鳴を上げてパンプアップしていく。
「あの……椎くん。また、一緒に……」
美子は脳内イメージで筋肉がテカテカに輝くような充実感の中、頬を染めて呟いた。
「はい……ぜひ、また僕たちで最高のバルクアップを……」
二人の心が、物理的な筋肉の会話を経て、不本意ながらも完璧に一つに重なった瞬間であった。
だが手は繋げてない。
プレデター料理は私の実話です。




