そうだ、筋肉を育てよう 〜迷走令嬢の不本意なマッチョ計画〜
「神様……どうか、どうか私に素敵な彼氏をください。白馬に乗っていなくてもいいです。せめて、人間の男を……!」
切実な祈りを捧げていたのは、少しばかりふくよかな体型を気にする乙女、美子であった。
恋に恋するお年頃をわずかばかり、いやだいぶ超えてしまった彼女が求めたのは、甘いロマンス。だが、その祈りを引っかけたのは、またしても「あの」脳筋神の通信事故組だった。
突如、美子の寝室に、プロレスの入場曲めいた大音量のBGMが鳴り響く。
「ハァイ! 呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん! THIS IS オ・リ・ビ・エ! はっはー!」
光の中から現れた女神・オリビエは、なぜかオイルでテカテカに輝いていた。ポーズを決めるたびに、大腿四頭筋がピキピキと悲鳴のような音を立ててバンプアップしている。
美子は枕を抱きしめたまま、完全に硬直した。
「……え?」
「彼氏が欲しいって? オッケー、把握! そりゃもう、完全に『筋トレ』だわ!」
「……え?」
恋人が欲しいという至極まっとうな願いに対して、なぜ物理攻撃力を上げるソリューションが提示されるのか。オリビエは美子を値踏みするようにジロジロ見ると、フッと鼻で笑った。
「うーん、ちょっと体脂肪多いな。よし、豚汁だわ。カモーン、豚汁ーーー!」
「ふぁ!! なんで豚汁!? いや私、太ってますけど!!」
美子の当然すぎる抗議は、突如部屋に充満した「カツオと昆布の合わせ出汁」の湯煙にかき消された。
湯煙の向こうから、一人の固太りのおっさんがマッスルポーズを決めながら躍り出る。片手には、いつでも具材を煮込める大釜。
「健康には味噌だ! 野菜だ! 豚肉だ!! はっはー、豚汁で健康になるが良い!」
「え? えええ……!?」
美子の視界が、輝く大胸筋と豚の脂の輝きでゲシュタルト崩壊を起こし始める。
「オッケー美子、今日から毎日夢枕で成果を確認するわ!」
オリビエは白い歯をキラーンと光らせた。
「とりあえず腹筋とベンチプレスね。あ、いい教材知ってるんだわ。ビリー教官、置いとくわね。これいい味出してるねー、素人向きだわ!
ただこれ一応神託扱いだから、寝てる時しか見れないんだけどいいよね?」
直後、夢の世界の背景が、なぜかアメリカ陸軍の演習場っぽい砂漠へと切り替わった。
そして画面の向こうから、タンクトップを着た異国のナイスミドルが、キレッキレのジャブを放ちながら満面の笑みで迫ってくる。
「VICTORY!!!」
美子は泣き叫んだ。
「誰だよてめー、ビリーーーーー!!!」
「我が至高のレシピを授けよう。喝ッ!!」
おっさんがポーズを変えて背筋を見せつけると同時に、美子の脳内に「一晩寝かせたゴボウの旨味の引き出し方」がダイレクトインセプションされた。
ビリーが笑う。オリビエがサムズアップする。おっさんが吠える。脳内が豚汁とプロテインとビリーで満たされていく――!
――そして。
数ヶ月後、そこには見違えるほど引き締まった、出るところが出て引っ込むところが引っ込んだ、パーフェクトボディの美子の姿があった。
「ワンモアセット! ほら、背中意識して! 甘えるな!」
「YES、Billy! 自分、まだいけます!」
美子は今、ダンベルを握り締め、自宅の一室を改造しマイジムで大汗を流している。ジムに通えない日があるからだ。社会人のつらさよ。
……そう、社畜である。
ちなみにジムでは彼女のストイックさに男たちは、美子のことを「最高のトレーニングパートナー」として崇めており、そこに1ミリのピンク色の空気は存在しなかった。当然、彼氏はまだいない。
「まだ、私には遠いわ……」
美子は、プロテインを絶妙な濃さに溶かした特製豚汁(鶏胸肉入り)をグイッと煽り、美しく割れた腹筋をさすりながら、遠い目をつぶるのだった。




