願いの女神の経済事情② 〜衝動買いの誘惑と、神界の密猟者たち〜
轟音を立てて突き進む大猪の背で、ディーンは器用にバランスを取りながら舵を切った。
「にしても、こんな奥地まで来たん久しぶりやな」
「タダで精霊取り放題だもん、遠くても余裕よ!」
ズシャアアッ!!
突然、猪の前方に土煙が巻き上がり、巨大な人影が道を塞ぐように降り立った。全身に古傷を纏った、いかにも「歴戦」を体現したような筋肉質の男――戦神である。
「――止まれ。ここは魔獣領域、一般神の立入は禁止のはずだが」
戦神の鋭い眼光が、猪の背の二人を捉えた。次の瞬間、その表情がわずかに引き攣る。
「……お前、また来たのか、ディーン」
「よう、久しいな」
「久しくない。先月も、その前も来たやろ!!
お前、いつも単独でこの領域から生きて戻ってくるが、それだけの実力があるなら、いっそ戦神に職業変えたらどうや。いや、変わってください、ハローワークで!!」
「だよな!!」
ディーンは即答で頷いた。あまりの潔さに、戦神が拍子抜けする。
「……納得するのか」
「せやろな、と思っただけや。転職は考えとらん」
「なんでや!! 実力あるやろ君!!」
戦神の魂の叫びも、脳筋コンビの前ではただの雑音だった。
「まあまあ、そう硬いこと言わんでも」
ディーンは猪の背から荷を降ろすと、湯気の立つ飯盒を戦神へ差し出した。
「せめて、バフかかる豚汁、差し入れるから。それで許せよ」
「……っ。この匂い、まさか神域の霊薬を練り込んだ……」
戦神の喉が、意志に反してゴクリと鳴った。
「大丈夫大丈夫、ちょっと通してくれるだけでいいのよ」
オリビエが背後からひらひらと手を振る。
「ね?」
数秒後。
「……見なかったことにする。行け」
飯盒を両手で抱えた戦神が、なぜか涙目でぼそりと呟いた。
「ありがとな。頑張れよ」
猪が再び唸り声を上げ、奥地へと猛然と駆け出していく。取り残された戦神は、飯盒の蓋を開け、震える手で一口すすった。
「……ぐ、旨い……。……いや、俺も転職なんて考えとらんぞ!! そこは間違えるなよ、ディーンぇぇぇ!!」
その叫びは、もう誰にも届かなかった。
***神界の果て、未開発の魔獣領域。
そこは本来、戦神以外が足を踏み入れるべきではない危険地帯である。
だが今日、その生態系は2人の神によって無残にも蹂躙されていた。
「さぁ、可愛い精霊ちゃんたち! お姉さんの大胸筋に飛び込んでおいで!!」
「ヒェェェェエエエ……ッ(恐怖)」
オリビエが完璧なフロントダブルバイセップスをキメて微笑み、精霊を誘惑しているその少し離れた場所では、周囲を取り囲んでいた凶悪な魔獣たちが、ディーンの鉄拳制裁にて泡を吹いて次々と気絶していった。
圧倒的な「腕力(※本人は魅力だと言い張っている)」の前に、食物連鎖の頂点すら完全にドン引きである。
逃げ惑う凶悪な魔獣、それを巨大なイノシシにまたがり荒ぶる……栄養の神。
そして、宙を漂っていた野良精霊の雛形(光の玉)たちは、「このヤバい女に従うしか生き残る道はない」と本能で悟り、ガタガタと震えながら自ら進んでオリビエの足元へと集合し始めた。
「ほらディーン、見て見て! あたしの魅力でみーんな着いてきたいって言ってるわ! よし、ぺんぺん草一本残さず全部持って帰るわよ!」
「あかんやろ、荒野に変えてしもたら、ただの密猟やないか」
栄養の神であり、常識人である固太りの神・ディーン は、必死にストップをかけた。だが、彼は基本的に面倒見が良く、オリビエの押しにめっぽう弱い 。
「えー、でもタダよ? この子たち、タダよ?」
「タダとかそういう問題やない! ……あー、もう分かった! わかったから、せめてこの『鍋』に入る分だけにしとけ!」
結局、折れたディーンが四次元ポケットのごとく取り出したのは、彼がいつも至高の豚汁を作っている愛用の「万能大鍋」であった。
オリビエは不満そうに口を尖らせたが、精霊の雛形と、精霊が生まれる花の苗を、手のひらですくうようにガサガサと大鍋に放り込んでいった。
***無事に(?)密猟を終えた二人は神界へと帰還した。
「はっはー、私の庭に最高のお花畑を作るわよ!」
「絶対アカン。わしの庭で育てる」
鼻息荒く鍋を抱えるオリビエを、ディーンが秒で却下した。
なぜなら、オリビエは自覚なき「最悪のプランターキラー」だからだ。過去に彼女は、水やりがほぼ不要なディーンのプレゼントした神聖力を上げる効果のサボテンにすら「気合いが足りない」と神聖力を注ぎ込み、3日で爆散させた前科がある。
「なんで? 私きっとできるよ……」
「お前の『善意』は植物にとって致死量なんや。ええか、精霊の苗を育てるには繊細なバランスが要る。お前が育てたら、明日には更地になっとるわ」
元は美貌の天使でありながら、自給自足を目指した結果ゴリマッチョ化し、羽まで失ったディーン 。その農作業スキルと栄養管理能力は、神界でもトップクラスである。
結局、ディーンの神域の庭の片隅に、大鍋の中身を移植した特設の花畑が作られることになった。
だが、オリビエが大人しくしているはずがなかった。




