願いの女神の経済事情 〜衝動買いの誘惑と、神界の密猟者たち〜
「ディーン! 私やったわ!!」
バンッ! と鼓膜を破らんばかりの勢いでドアが蹴破られ、リビング兼キッチンに突風が吹き荒れた。
現れたのは、神界の異端児にして願いの女神でありながら筋肉の化身、女神オリビエである。
彼女は自分の家のようにスタスタと侵入すると、当然のような顔で冷蔵庫を開け、中から冷えたミネラルウォーターのペットボトルを取り出して一気に煽った。
「ぶはぁ! 筋トレの後の水分補給は最高ね!」
「お、おう。……って、!! しまったぁぁぁ!!!」
対面するキッチンで、固太りのおっさん――通称「豚汁」ことディーンが、お玉を握りしめたまま絶望の叫びをあげた。
「み、味噌を入れる最高のタイミングを逃した……! 煮立つ直前のあの完璧な一瞬が、お前の登場で霧散したわ……!」
「えー、いいじゃない。ケチケチしないの」
「ケチとかいうレベルやない。
まあええ……至高の料理の道は険しいもんや。この僅かな雑味も、次へのステップよ」
ディーンはぶつぶつと呟きながら、丁寧に味噌を溶かし、そっと火を止めた。これ以上、至高の豚汁のポテンシャルを下げないための緊急措置である。
一息ついたディーンは、ようやく水を飲み干して満足げに大胸筋をピクピクさせている女神へと視線を戻した。
「で、何をやったんや?」
「それがね。――昇格しました!」
オリビエは満面の笑みで、親指をぐっと立ててサムズアップを決める。
願いの女神は、現世の人間(使徒)の願いを叶え、その満足度に応じて神様ポイントが付与され、ランクが上がるシステムなのだ。美子や椎たちの「筋肉と誤解の超進化」が、神界のシステムに『大満足』と判定されたらしい。
「ほう、そりゃあ上出来やな」
ディーンはうんうんと満足げに頷いた。我が事のように喜んでくれるおっさんを見て、オリビエはさらに目を輝かせる。
「それでね! ランクが上がったから、神様ポイントを新しくもらったの。だから、新しい『加護』をポイントで交換しちゃおうと思って――」
「待て!!」
ディーンの鋭い制止の声が響いた。
オリビエの目の前には、半透明の青く四角いウィンドウ――神界のステータス画面が浮かんでおり、彼女の指先はまさに『加護ショップ:購入確定』のボタンに触れる寸前だった。
ピタッ、とオリビエの指が止まる。
「な、何よディーン? 驚かさないでよ」
「ええか、オリビエ。ポイントが入ったら嬉しくて衝動買いしてしまう、これは全宇宙の共通の罠なんや。せめて『3日』は考えるんや。後で本当に欲しい加護を見つけたとき、絶対に後悔するからな!」
ディーンの超絶に堅実(かつ所帯じみた)なロジックに圧倒され、オリビエはがっくりと肩を落とした。そのままダイニングテーブルに突っ伏し、美しい顔を台無しにして頬を膨らませる。
「精霊自己分裂増殖とか、精霊魔改造パーツとか、精霊カスタムとかしたかったのになー。意地悪ディーン」
「……それ可哀想すぎやろ。分裂なんてスライムか、アメーバーか、プラナリアやないか。精霊に人権(精霊権)はないんか。せめて、精霊を生み出す花畑と、それを育てる植物育成の加護持ち精霊を育てるくらいにしてやれよ」
「1から育てるのめんどい」
即答だった。育てるというプロセスを大胸筋の彼方に放り投げた女神に、ディーンは引きつった笑みを浮かべる。
「だったら、最初から植物加護持ちの精霊をショップで買うのはどうや?」
「高い」
何を隠そう、オリビエは神様ランクが絶妙に中途半端なため、慢性的な「ポイント貧乏」なのだ。あと、衝動買い貧乏でもある。
「う〜ん」とディーンは腕を組み、うなった。栄養の神でありながら豚汁ばかり作っているこの常識人の神は、基本的にオリビエの世話を焼くのが習性になってしまっている。
「なら……野良精霊をわしと捕まえに、いや、守りに行くか?
ちょっと危ないけど、未開発の魔獣が出る地域なら、たくさんおるやろ。お前の、その腕力、んん! 魅力で捕まえ……いや、神の威厳で魅了したら、タダやし、すでに育っとるで。
花と育った精霊おったら無限に精霊増えるな。
捕まえに行くまでが、ちょっと危ないけど……何とかなるやろ」
『タダ』
その魅惑の二文字が響いた瞬間、ガタッ! とオリビエが勢いよく飛び起きた。その瞳は完全に獲物を狙う肉食獣の輝きを放っている。
「それだわ!! タダで精霊取り放題!!!」
「言い方!! 密猟者のそれやろ!!」
「今すぐ行きましょ、善は急げよ!」
「お、おう……。待て、捕まえるのは精霊を生み出す花と、それを育てる精霊少しでええんやな?」
「ん? いたら、全部根こそぎ持って帰るよ」
「お、おう……(アカン、絶滅するやつや)」
こうして、ポイントをケチった結果、より最悪な実力行使(神界の精霊ハント)へと舵を切った脳筋コンビは、意気揚々と狩り(※一応、保護)へと出かけてゆくのだった。
――そして。
主神たちが去った静かなリビングの片隅、次元の隙間でガタガタと震える三つの影があった。
オリビエの『筋肉アルゴリズム』の具現化であり、精神世界のOS――精霊ビリーたちである。
ビリー1号(初期型)は、自身の胸(データ領域)を押さえて真っ青になっていた。額には冷や汗が浮かんでいる。
『良かった……本当におかしな加護を手に入れなくて……。もし衝動買いされてたら、俺たち今頃“ビリー魔改造パーツ”とか付けられて、頭からビーム出されてたぞ……』
ビリー2号(アップデート版)が、恐怖に歯をガタガタ鳴らす。
『自己分裂増殖に、カスタムだと……? 完全に俺たちをロボか何かだと思っているな、我が主は……。買われなくて本当に良かった。ディーン様、ファインプレーすぎる……』
すると、現世で椎や美子の過酷すぎる恋愛相談(奇行)を最前線で処理し続け、最も人間らしく『達観』しつつあるビリー3号が、遠い目で呟いた。
『でもさ……野良精霊を根こそぎ密猟しに行ったよな、あの人たち。新しく来る後輩(野良精霊)、絶対に俺たち以上にバグった機能(筋肉)を無理やりインストールされるぜ……。強く生きよう、みんな……』
精神世界を管理するビリーたちの明日は、どっちだ。




