破れ目
朝靄の晴れた東の平野に、一騎の使者が立っていた。
白布を掲げた三日月の伝令。華美な装飾品の数々が、それが高位の騎士であることを告げている。口上は昨日と同じだった。都を明け渡せ、さもなくば十万の盾もろとも削り潰す、と。
答えを返したのは、女王マリネットだった。
王家の象徴たる彼女もまた、鎧姿だった。胸当てと脛当てだけの重量を削り見栄えを重んじた軽い装い。だが城壁に立つその姿に、聖都の民は言い知れぬ感動で身を震わせ、彼女を仰ぎ見た。女王と共に在る。
それが、聖都に住み暮らす者の日常だった。その象徴が鎧を纏い、壁の上に立って自分たちを見ている。その一事が、彼らを奮い立たせた。
削がれた聖像を思わせる白い横顔で、女王は短く、しかしよく通る声で言った。
「聖都は明け渡さぬ。神の都は、神に守られた者のものだ」
通詞がそれを三日月の言葉へ移すと、使者は一礼し、馬首を返して平野の彼方へ消えていく。
抗議も要求も、その一言で断ち切られた。
しばしの静寂。
やがて、東の地平が戦の音を上げた。
角笛。
一つ、二つ、三つ──幾重にも折り重なった重低音が湿った大地を伝い、腹の底を殴ってくる。凍てた石壁が、かすかに震えた。
「……来ますね」
傍らで副官ユーグが低く言った。本格的な攻城戦の最前線に立つのは、初めてのことだ。いつもの傾国の美貌から、色が引いている。
「ああ。長い一日になる」
ロズヴェータは乾いた唇を舐めた。舌の先に、鉄と朝霜の味がした。
◇◆◇
だが正しくは、攻"城"戦では、まだなかった。
千年の石壁の、その手前。東の平野に、もう一枚の壁が築かれていた。
十万は石壁の上には収まらない。狭間に立てる者など、せいぜい数千だ。だからロズヴェータは、この数日、大半の十万を城壁の外へ出して働かせた。凍った土を掘って空堀とし、掘った土を土嚢に詰め、切り出した木で逆茂木を組む。その急ごしらえの前線に、痩せた人垣を生きた防壁として並べたのだ。
昨夜まで土を運んでいた手が、今朝は鍬を、へし折れた鎌を、木の枝を握っている。
ロズヴェータは、馬でその線を検分して回った。
土嚢の陰にうずくまる巡礼たちの落ち窪んだ目が、すがるように彼を見上げる。糞と汗と、昨夜の粥の饐えた匂いに混じって、剥き出しの恐怖が線の上に薄く立ちこめていた。
「隊長」
筆頭分隊長のガッチェが、短槍を杖にして寄ってきた。堅実なこの男の顔にも、さすがに疲れが濃い。
「土嚢は間に合いました。ですが……この線で、あの数を受け止めきれますか」
ロズヴェータの攻城戦の経験は、もっぱら攻める側に偏っている。守備の経験は、ほとんどないと言っていい。それでも、ガッチェの問いには自信を持って答えた。
「受け止めるんじゃない」
静かな声だった。
「凌ぐんだ。石壁の内には糧と、女王陛下と、明日がある。ここはその前の一枚だ」
ガッチェにというより、周りで聞き耳を立てる巡礼たちに言い聞かせるように、ロズヴェータは言い切る。
「糧と、女王陛下と、明日ですか」
ガッチェは確かめるように口にして、頷いた。
背後を振り返れば、千年の石壁。その狭間には近衛と守備兵の弓が隙間なく並び、人垣の頭上を越えて平野へ矢を注ぐ構えだ。ガッチェの視線を追って、巡礼たちもそちらを仰いだ。石壁の櫓の上には、几帳面な白髪──名代ヴェルダーの姿もある。正しさの人が今日は、その正しさを矢に込めて放とうとしていた。
二枚の壁。外に人の壁、内に石の壁。
「糧を奪われれば明日はなく、女王陛下が弑されれば神が怒られる……」
ガッチェもまた主の意図を察し、静かに、だがはっきりと、周りに聞かせるように言葉を選んだ。
「負けられませんな」
「ああ!」
二人は頷き合い、それぞれ次の持ち場へ向かう。
残された巡礼たちが、先ほどまで不安に揺れていた目を、互いに交わした。今の二人のやり取りを、胸の内で反芻していたのだ。
「……神よ」
誰ともなく漏れた一言に、彼らは万の意味を込めた。
◇◆◇
三日月の軍が動いた。
泥の平原を、鉄の潮が押し寄せてくる。先頭は弓兵と歩兵の波。その両翼を、鉄で固めた重騎兵が地を裂いて駆ける。後方では攻城塔が、牛と汗みずくの奴隷兵に曳かれ、ぎしぎしと石壁を目指して軋み進んだ。あれは人の壁を蹴散らした後の、仕上げの道具だ。
金糸を張った本営で、傍らの副将が控えめに口を開いた。
「閣下。差し出がましいようですが、城攻めは寄せ手に三倍の兵が要ると申します。我が軍は城の兵よりさして多くはない。無理攻めをかければ、こちらの損害も」
「三倍、か」
イブラヒムは火桶に手をかざしたまま、怜悧な目を細めて笑った。
「よく学んでいる。その理は正しい。──石壁の上に、鍛えた兵が並んでいるならな」
彼は陣幕を割り、平野の痩せた人垣を指さした。
「だが見よ。あれが兵か。鍬を持った農民だ。飢えて、震えて、槍の構えも知らぬ。あの十万を三倍の"兵"と数える将は、算を知らぬ愚か者よ」
副将が息を呑む。
「三倍の理を言い換えてやろう。守り手一人が寄せ手三人分を殺せる。だから寄せ手は三倍を要る。城壁と鍛えた腕が、それを可能にする。では問う。あの土嚢の農民は、我が兵一人に何人死ぬ。五人か。十人か。二十人か」
「……」
「守り手が寄せ手を殺せぬ壁は、壁ではない。ただの肉の土嚢だ」
イブラヒムは火桶から手を離し、剣を抜いた。刃が、幕の隙間の光を冷たく弾く。
「あれは"守り手の数"ではない。"崩すべき壁の厚み"だ。厚い壁は、槌で挽けばよい。三倍など要らぬ。あの肉を削り尽くすまで挽き続けろ。壁の中に隠れた、数えるほどの本物の兵が剥き出しになるまで。──肉より先に、我が兵が尽きることは断じてない」
副将は深く頭を垂れた。
首狩りは、剣の切っ先を東の人垣へ向ける。
「我らこそ、土と風の子。遍く天地より生まれ、三日月の神に祝福されし者」
三日月教の聖句を口に乗せ、西方の首狩り総督イブラヒムは開戦を告げた。
「挽け」
◇◆◇
鉄の潮が、人の壁へぶつかる。
それは戦ではなく、屠殺だった。
三日月の歩兵が、槍衾を組んでただ歩いて押してくる。それだけで痩せた人垣が薙ぎ倒されていく。鍬は鎧を割れず、木の枝は槍に届かない。飢えた腕のひと振りを、鍛えた一突きが易々と貫いた。
土嚢の線に、痩せた骸がみるみる積み上がる。
前衛のヴィヴィが、区画の真ん中で棍棒を振り回して吼えた。
「立て、立てぇ! 後ろは石の壁だ、逃げ場なんざねえ! どうせ死ぬなら、一人でも道連れにしてから死ね!」
巨躯の女戦士が、突っ込んできた三日月兵の兜を叩き割る。だがその左右では、痩せた巡礼が面白いように倒れていった。
重騎兵が横腹へ突っ込む。馬の胸が人垣を藁束のように弾き飛ばし、蹄が倒れた者を踏み砕く。血の泥濘に、悲鳴と骨の折れる音が絶え間なく湧いた。
バリュードの区画では、長剣が次々と伸びてくる三日月の槍を払っていた。
「くそ、次から次へと……! おい、そこのお前、俺の後ろに立て! 動くな、立ってりゃ壁だ!」
軽口を叩く余裕は、もうない。彼の足元にも、痩せた骸が幾重にも重なっていた。
三日月兵が一人倒れるあいだに、十人の巡礼が死ぬ。二十人が死ぬ。
人の壁は押し返せなかった。ただ、死ぬことでそこに在った。死体が次の死体の盾になり、肉の土嚢がまた一段高くなる。
それでも人垣は、逃げなかった。
背後の石壁から、近衛の矢が降り注ぐ。
「放て! 人垣の頭を越えてだ! 突出した敵だけを狙え、味方に当てるな!」
櫓の上で、ヴェルダーの乾いた号令が飛ぶ。石壁の狭間から放たれた矢が、突出した三日月兵を射抜き、辛うじて的を絞らせない。正しさの人の矢が、汚れた手の壁を支えていた。
土嚢の線に刺さった竜殺しの槍の背骨が、崩れかける区画をその一点で押し止める。
そして黒い法衣の説教師が、屠られる同胞の骸を踏み越え、なお叫び続けた。
「死んで天の門をくぐれ! 背中の聖墳墓を、一歩も渡すな! 流した血の一滴ごとに、神の御国が近づくのだ!」
狂気だった。だがその狂気だけが、この屠殺の只中で、痩せた足を土嚢の線に縫い止めていた。
ロズヴェータは、石壁の狭間からそれを見ていた。
自分が拾い、自分が並べた十万が、目の前で肉の土嚢に変わっていく。
握った拳の中で、爪が掌に食い込み、血が滲んだ。
平静ではいられない。だが頭の芯で冷えた部分が、同時に計算を始めている。三日月軍の攻める圧力が、巡礼を潰していく速さを、数えていた。
「……まだ、崩れるなっ!」
誰にも聞こえぬ独り言は、戦の喚声に消えた。
◇◆◇
石壁の狭間で、アブドゥルが平野を睨んでいた。
その乾いた目が、寄せ手の呼吸を読んでいる。
「ロズヴェータ殿。あの方は、北へ重心を移しています」
「北?」
「見えますか。正面と南は、押しているようで押しきらない。的を散らして、こちらの目を散らしている。だが北の一角にだけ、じわり、じわりと、良い兵を足している」
その時、傍らのルルの長い耳がぴんと張った。白い横顔が強張る。
「……いる。北だ。馬蹄と喊声に混じって、あの肌のぞわつく気配。囁いてやがる。あの一角の巡礼の、恐怖を煽ってる」
絵図が繋がった。
まず変異術で北の心を弱らせ、そこへ良い兵を集めて背骨を削り、頃合いを見て重騎兵を叩き込む。心と鉄で、同じ一点を両側から挟む気だ。
「予備を北へ。バリュードはそのまま持ち場。トーロウとドラッドの遊軍を、北の裏へ回せ。ナヴィータ──ルルの指す方だ。囁いている術者を、まず射殺せ」
「合点!」
ナヴィータが狭間から身を乗り出す。ルルの白い指が、うねる敵の中の一点を迷いなくさした。
「左、二つ目の旗の下! 馬に乗った、フードの男!」
だが首狩りの手は、こちらの読みより半歩速かった。
角笛が、再び響き渡る。
エルフィナス側から、天地を震わせる喚声が上がった。
北の一角へ、温存していた重騎兵の本隊がいっせいに突撃する。
地が、揺れた。
数百の鉄蹄が凍った泥を蹴立て、まっすぐ土嚢の線の一点へ殺到する。恐怖に煽られていた痩せた巡礼が、その鉄の壁を見て悲鳴を上げた。
土嚢の線が、馬蹄に踏み砕かれる。
その一角を守っていた竜殺しの槍の騎士たちが、大槍を構えて踏み止まった。一人が突っ込んできた馬を刺し貫く。だがその騎士も、次の一騎に盾ごと弾き飛ばされて消えた。背骨が一本、また一本と、鉄の胸に弾かれて抜けていく。
「持ち堪えろ! 北を、閉じろ!」
ジキスムントが自ら北へ走り、大槍を振るった。老いてなお岩のような膂力が、騎兵を三騎まとめて薙ぎ払う。だが、その脇腹へ横合いから矢が突き立った。団長が、片膝をつく。
「団長!」
竜殺しの槍の幹部ジグネヴァディが駆け寄るが、遅い。
そして支えを失った北の一角の痩せた巡礼たちが、折れた。
背骨が抜け、頼みの説教師が矢に倒れ、目の前で味方が藁のように薙がれる。擦り切れた心の、最後の一本が切れた。
「うわあ! もう駄目だ、逃げろ、逃げろぉ!」
一人が背を向けると、それは疫病のように広がった。北の一角の人垣が内側へ──石壁の方へ、どっと崩れる。土嚢を捨て、槍を捨て、我先に逃げ惑う痩せた背中。
空いた線から、三日月の重騎兵が雪崩れ込んだ。
破れ目が、開いた。
人の壁と石の壁の、その間の狭い地へ。三日月の重騎兵が勝ち鬨を上げてなだれ込んでいく。石壁の門は、すぐそこ。門さえ抜かれれば、聖都は割れる。
◇◆◇
落城寸前。だがロズヴェータの目は、その破れ目を静かに見ていた。
「ユーグ。左右の区画へ伝令。北の破れ目、両脇を締めろ。内へ入った重騎兵を、一騎も外へ出すな」
「両脇を、締める……まさか、ロズ」
ユーグの赤い瞳が見開かれた。主の描いた絵図を、読み取ったのだ。
「呑ませるのか。この、二枚の壁の間へ」
「そうだ」
ロズヴェータは外套の留め具を外し、一本の長槍を掴んだ。剣は鞘に納めたまま。今日の得物は、これだ。
「三頭獣、続け! 石壁の門の前で堰き止める!」
彼が門の前へ槍衾を敷いたのは、破れ目を"塞ぐ"ためではない。開いたままにして、逃げ場のない袋の底へ、勝ち誇った敵を深く呑ませるためだった。
石壁と人の壁に挟まれた狭い地。その底へ、エルフィナスの重騎兵が勝利を確信して、深く、深くなだれ込む。呑まれているとも知らずに。
あらかじめ用意していたのは、大楯と馬防柵。三角に組んだ馬防柵を地へ深く差し込み、その隙間から長槍を覗かせる、針鼠の戦列だった。
「絶対に引くな!」
声を枯らしてロズヴェータが叫ぶ。本来この役を担う分隊長たちは、今は壁の外の最前線で腕を振るっている。ここで兵を鼓舞できるのは、彼しかいなかった。
突き進む重騎兵の衝撃を、針鼠の穂先が真正面から受け止める。ロズヴェータも長槍を構え、馬上の一騎を突き落とし、落ちた敵の喉を穂先で貫いた。だが鉄の潮は際限がない。左肩を敵槍の穂先が浅く裂き、血が腕を伝った。
「隊長、無茶を──!」
「まだ退くな! あと少し、呑ませろ!」
敵が袋の底いっぱいに雪崩れ込む。その頃合いを、ロズヴェータは待っていた。
「──今だ。閉じろ!」
声が飛んだ。
破れ目の左右の区画の人垣が、両脇から内へ折れ込む。逃げた者たちもトーロウの遊軍に押し戻され、向きを変えた。袋の口が、痩せた肉で塞がれる。
そして、頭上。
「ヴェルダー卿、頼む!」
ロズヴェータが石壁の櫓を振り仰いで叫んだ。
几帳面な白髪が、頷いた。
「──全弓、袋の底へ! 人垣の頭を越え、味方には一本も当てるな! 放てぇ!」
石壁の狭間から、近衛の矢が袋の底の重騎兵へ雨のように降り注ぐ。人垣の頭上を越え、二枚の壁に挟まれた鉄だけを、正確に射抜いていく。
「異教徒が、二つの壁の間で溺れているぞ! ベルトルドの仇だ! 神が御覧になっている!」
説教師の声に、崩れかけていた十万の熱が、恐怖から憎しみへ逆流した。四方から、鍬が、鎌が、素手が、袋の底の重騎兵へ殺到する。
馬は狭い地で身動きが取れない。上からは矢、四方からは人の波。鉄鎧の重さは、そのまま棺になった。
二枚の壁に挟まれた袋の底で、突出した三日月の重騎兵が、一騎、また一騎と溺れていく。喊声が、断末魔に変わっていった。
人の壁が破れ目を作り、石の壁がその蓋をした。
その間で、敵を溺れさせたのだ。
◇◆◇
だが、代価は軽くなかった。
退き太鼓が平野の彼方で鳴った時、ロズヴェータは門の前で膝をつき、裂かれた肩を押さえていた。ジキスムントは脇腹に矢を生やしたまま、それでも大槍を杖に立っている。老いた団長の白髪が、血で赤黒く染まっていた。
「……無茶を、なさる、団長」
ジグネヴァディが肩を貸すと、ジキスムントは岩のような顔で豪快に笑った。
「なぁに、竜殺しの槍だ。槍を離さなきゃ、死なねえよ」
そして、痩せた巡礼の骸。屠られ、踏み砕かれ、袋の肉となって折り重なった、数えきれぬ痩せた骸。
金糸の本営で、イブラヒムは引いていく自軍と、二枚の壁の間に残された鉄の骸を、静かに見ていた。
「壁と壁の間で、溺れさせたか」
白皙の面に、また苦い笑みが浮かぶ。
「割ってやった破れ目を、餌に。呑ませて、閉じて、溺れさせる。あの子は、負ける戦さえ盤に変える」
「では、あの城は落ちませぬか」
副将が問う。
イブラヒムは首を振った。
「逆だ。今日、あの土嚢の線に何万の肉が積まれたか。妙手一つで、我が重騎兵は幾百か失った。だが敵はその妙手のために、幾千の肉を削られた。妙手を打つたびに、肉の壁は薄くなる」
彼は、燃え残った篝火の煙の向こうに、東の城を見た。
「肉が尽きるのと、あの薄氷が割れるのと、どちらが先か。それだけの戦だ」
初日は、凌がれた。
だが、削り合いの、まだ一日目だった。
◇◆◇
東の平野に日が高く昇る頃、戦はやんでいた。
土嚢の線を埋めるのは、味方と敵の骸。二枚の壁の間の狭い地は、溺れた鉄と、それを溺れさせた肉とで、足の踏み場もない。血と泥と糞と、開いた腹の匂いが、風に重く漂っていた。
メッシーたち治療の者が、まだ息のある者を探して骸の野を這い回っている。だが、助けられる数は知れていた。
ロズヴェータは、裂かれた肩に晒を巻かせ、その骸の野に立った。
塞いだ。今日は。
だが足元には、彼が拾い、彼が並べ、彼が"呑ませた"、数えきれぬ痩せた骸が折り重なっている。破れ目を塞いだのは、この者たちの命だった。
首狩りの言う通りだ。今日、人の壁は、確かに大きく削れた。
「隊長」
ユーグがそっと肩を貸した。その声は、いつになく静かだった。
「明日も、来ますね」
「ああ」
ロズヴェータは東を見た。焼けぬまま退いた攻城塔の影が、地平にまだ幾つも控えている。あれが石壁に取りつく前に、人の壁はあと幾度、削られるのか。
人の壁は、初日を凌いだ。
だがこの壁を"人"で塞ぎ続ける限り、いつか塞ぐための人が尽きる。首狩りは、それを待っている。肉が尽きるまで、挽き続けるつもりだ。
「……ユーグ」
「はい」
「人でも鉄でもない、手が要る。──このままじゃ、勝っても、都には骸しか残らない」
ユーグは答えなかった。ただ、主の血に濡れた肩を、静かに支えていた。
薄氷は割れなかった。ただ、また一枚、薄くなった。
血と泥の匂いの中で、ロズヴェータは、まだ見ぬその一手を、胸の底で探し始めていた。




