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獣達の騎士道  作者: 春野隠者
聖都への道

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165/219

四方からの手

 三日月帝国の西、獅子の紋と王冠(リオングラウス)の王国との国境から、州を二つ隔てた内地の太守府。

 白檀の香が、熱を孕んだ夜気に甘く沈んでいた。日が落ちてなお石壁は昼の熱を吐き続け、乾いた砂の匂いが窓の隙間から忍び込む。聖都の凍てた城壁とは、まるで別の世界だった。

 首狩り総督イブラヒム・ヒディスハーン・アルヒリは、掌の中で翡翠の獣を転がしながら、卓に投げ出された数通の書状を見下ろしていた。石は指の下で、ひやりと滑らかだ。

 書状はどれも同じことを、違う言葉で書いていた。

 ──聖都を異教徒に明け渡した総督が、なぜいまだ総督の座にある。

 千年の聖地を、十字を掲げる西の蛮人どもに奪われた。しかも総督は殿を丸ごと死地へ捨て、本隊だけを抱えて東へ逃げ帰った。主戦派の太守たちは、その一点を執拗に突いてくる。彼らにとって退いた将は、負けた将だった。無傷で持ち帰った二万の兵の重みなど、勘定に入りはしない。

 黄金の長髪の下にある怜悧な眼差しは、わずかばかりも揺れなかった。

「西境のザヒルが、兵を集めておるそうだな」

「はい」

 答えたのは、香の煙の向こうに立つ若い女だった。

 ユーシャル。太守アリマの娘にして、イブラヒムの孫娘である。まだ年若い。だがその双眸には、この一族に流れる油断のならぬ光があった。

「祖父様の失点を旗印に、不平を抱えた小太守どもを片端から束ねております。表向きは『聖地奪還の義軍』。中身は祖父様の椅子を狙う、ただの火事場泥棒です」

「潰すか」

「いいえ」

 ユーシャルは静かに笑った。

「兵で潰せば、殉教者を一人こしらえてやることになります。『首狩りが、聖地を憂える忠臣を斬った』と。──それこそ、あの男《ザヒル》の欲しがっている筋書きでしょう」

 イブラヒムは初めて、孫娘へ視線を向けた。

 その半歩先を、老いた総督は香の煙の向こうに見ようとする。

「では、どうする」

「束ねさせてしまえばよろしいかと」

 ユーシャルの声は、若いのに水のように冷たかった。

「あの男に集まる御祖父様への不平は、そのままあの男の借金です。義軍を騙るなら、義軍らしく振る舞わねばならない。糧も銭も大義も、集めた頭数の分だけ要る。──私はただ、その糧の道を一本ずつ細くしていくだけ。冬を越す頃には、あの『義軍』は旗の下で仲間割れを始めます。飢えた兵ほど、隣の兵の分け前を数えるものですから」

 どこかで聞いたような理屈だと、イブラヒムは思った。飢えと分け前で軍を割る──それは聖都の城壁の内で、あの辺境伯の三男がやってみせたことと同じ組み立てをしていた。

 だが、あえて口には出さない。

「割れたところで、頭を刈るか」

「はい。ザヒルの首だけを」

 ユーシャルが、卓の書状を一枚、指先で裏返した。乾いた紙が、かさりと鳴る。

「あとは寝返る隙を与えます。殉教者は作らない。作るのは見せしめ、ただ一つ。国中に知れ渡ればよいのです」

 白檀の煙が、細く震えた。

 イブラヒムは翡翠の獣を、ことりと卓へ置いた。硬い石の音が、静かな一室に小さく落ちる。

 この娘はいずれ、自分より遠くまで盤上を読む。老いた総督はその気配を、香の甘さの中に、はっきりと嗅ぎ取っていた。


◇◆◇


 ひと月と経たぬうちに、ユーシャルの予言がそのまま起きた。

 糧の細った「聖地奪還の義軍」は、雪も降らぬ内地で勝手に痩せ細っていった。約束の銭が届かぬ小太守が、まず一人抜けた。分け前の薄さに、傭兵の一隊が寝返った。旗の下の結束は、裂けた布のようにほつれていく。

 その裂け目へ、ユーシャルはたった一夜、兵を入れた。

 夜明けの太守府に、ひとつの首が届く。西境のザヒルの、それだった。まだ生乾きの血の匂いが、冷えた朝の空気に混じっている。

 残った小太守どもには、罪を問わなかった。ただ静かに、それぞれの領へ帰した。恩も着せず、罰も下さず、ただ「見ていた」とだけ知らせて。

 帝国の内地に、新しい名が流れ始める。

 首狩りの孫娘。預言者、あるいは慈悲深きユーシャル。

 まだ祖父の総督の座は継いでいない。それでもあの一族に逆らう時、人々はもう一つ、勘定に入れねばならぬ首が増えたことを知った。

 その報せを、母である太守アリマは、自由都市エルデッサの館で聞いた。

 妥協派として、西の王国とも刃を交えず、うまく折り合ってきた女は、娘の鮮やかな手際を素直には喜べなかった。窓辺に立ち、乾いた交易路の彼方を見やる。日に灼けた石畳から、昼の名残の熱がまだ立ちのぼっていた。

 あの子は、私より祖父様に似てしまった。

 卓には一通の古い書状が、まだ畳まれたまま置かれている。かつて西の辺境から届いた、縁談の打診。相手はカミュー辺境の蝮の、三男坊。──あの頃はただの、辺境の三男に過ぎなかった。

 だが今、その三男は千年の聖都を銭で握っているという。

 アリマは古い書状を、指先でそっと撫でた。羊皮紙は乾いて、かさついている。

 東の動きも西の動きも、いつのまにか同じ一人の男へ向かい始めている気がした。


◇◆◇


 王都、宰相府。

 書架に囲まれた部屋は、羊皮紙と古い墨の匂いでひどく乾いていた。窓は小さく灯は乏しい。剣の一振りもない。

 ここは、青の塔。

 紙で国を回す者たちの城だ。

 文官派閥の長たる宰相は、鉄面皮を崩さぬまま、聖都からの報せの束を指先で繰っていた。乏しい灯の中を、埃が細かく漂っている。

 束の中ほどに、あの男の名があった。総指揮官ディルアン、戦死。もう幾度も読んだ報せだ。それでもその名の上で、老宰相コルベールの指はいつも一拍、止まる。

 二人が出会ったのは、もう幾十年も前になる。まだ位も持たぬ若造だった頃、同じ一人の英雄の背を、二人して仰ぎ見ていた。

 亡国の淵から、この国を二度も掬い上げた人。宰相にとってもディルアンにとっても、あの人こそが「英雄」の全てだった。ディルアンは、その最初で最後の弟子だった。

 英雄が逝った日。埋葬を終えた墓標の前で、若い二人は日が暮れるまで動かなかった。乾いた風が、掘り返したばかりの土の匂いを運んでくる。そして答えの出ぬ問いを、互いにぶつけ合った。

 ──あの人は、どうして国を守ったのだと思う。

 先に口を開いたのがディルアンだったか自分だったか、もう覚えていない。

「決まっている。人だ」剣を選ぶことになる若者は、そう言った。「あの人が守ったのは、国なんて器じゃない。目の前で笑う顔だ。守るべき誰かが、そこにいた。ただ、それだけだよ」

「違うな」紙を選ぶことになる若者は、静かに返した。「人は移ろう。恩も、じきに忘れる。あの人が守ったのは、人が明日も飯を食える仕組みの方だ。国とは、その器の名だ。器がなければ、お前の言う顔も飢えて散る」

 どちらも譲らなかった。墓標は何も答えない。英雄はもう、どちらが正しいかを教えてはくれなかった。

 あの問いに、二人はとうとう生涯、決着をつけられなかった。ディルアンは剣で人を束ね、宰相は紙で国を回し、別々の答えを別々の生き方で書き続けた。

 そして今日、その友が、あの英雄と同じように国を守って逝った。

 剣を選んだ男は、己の死をもって答えを書き切ったのだ。──人を守って、死ぬ。

 鉄面皮の奥で、老宰相はひとつ息を吐いた。悲しみは、とうに腹の底へ沈めてある。だが沈めたものが、消えたわけではない。

「──あの男が遺した軍を、いま、誰が繋いでおる」

 傍らの若い官吏が、慎重に応じた。

「辺境伯家の三男にございます。ロズヴェータ・スネク・カミュー。閣下の死後、聖都の統制を独力で保っていると」

「保っている手が、剣ではない。そこだ」

 宰相は報せの一枚を、灯へ近づけた。羊皮紙が、灯の熱にじりと乾いた匂いを立てる。

「掠奪ではなく徴発。都を焼かず帳簿に載せ、冥加金を絞って軍を繋いでいる。──武人の作法ではない。これは、我らの作法だ」

 我らの、という言葉に、若い官吏はわずかに背を正した。

 文官派閥は代々、対外の戦を好まぬ。剣の手柄で成り上がる武官どもを、どこか田舎者と見下してきた。国は槍ではなく、帳簿で回る。それが、この城に住む者たちの揺るがぬ信条だった。

 その信条を、辺境の三男が遠い異教の都で地で行っている。ディルアンが剣で束ねたものを、あの若造は帳簿で繋いでいる。

「王家派閥は、ルクレインが正統な王とやらを担いで、あの都を丸ごと呑みにかかっておる」

 宰相の声に、薄い刃が混じった。

「武官派閥は頭を失って、後継すら決められぬ体たらく。──このまま眺めておれば、聖都も、あの男の遺した軍も、まるごと公爵家の懐だ」

 ディルアンが命と引き換えに開けた門。その先で友の遺したものを、ルクレインの餌にはさせぬ。

 それは文官派閥の長としての算盤であると同時に、一人の男の静かな手向けでもあった。

「では」

「あの三男を、こちらの盤へ招く」

 宰相は鉄面皮の奥で、静かに算盤を弾いた。

 剣で奪うのは、武官と王家に任せておけばいい。だが奪った都を回すのは、いつだって帳簿の仕事だ。都を回せる男を一人、文官派閥の名の下に囲っておけば──ルクレインが力ずくで握った都さえ、その運営の首根っこはこちらが押さえられる。

 それに、と老宰相は思う。あの辺境の三男は、剣ではなく帳簿で人を守っている。あの夕暮れの墓前で二つに分かれた答えを、あの若造は一人で束ねてみせているのかもしれない。

 友の遺産を守ることが、そのまま自派の利になる。ディルアンならばこの理屈を、鼻で笑って許すだろう。

「推薦状を一通。それと密使を。あからさまな誘いは要らぬ。『貴殿の帳簿には、王都にも理解者がいる』──それだけ伝われば良い」

 若い官吏が筆を執る。乾いた紙の上を、穂先がかさりと走った。

 文官派閥が初めて、外の戦場へ手を伸ばした夜だった。


◇◆◇


 同じ王都の、別の一室。

 こちらには剣があり、酒があり、そして答えの出ぬ苛立ちが、煙のように満ちていた。汗と、こぼれた安酒の匂いが、天井の下に淀んでいる。

 武官派閥の、寄合である。

 卓を囲むのは、遠征軍の三将軍──前衛のグライン、中央のゴルム、後衛のサーディラード。ディルアンという要石を失った派閥は、次の頭をいまだ立てられずにいた。

「閣下の後継だ。誰が、名乗る」

 口火を切ったのは、老将グラインだった。岩のような顔に、疲れが刻まれている。

 誰も、答えなかった。

 答えられなかった、と言うべきか。

 武名なら三人とも持っている。地位もある。だがディルアンが束ねていたのは、正規の兵だけではない。傭兵の頭も、驕った伯爵家も、あの一人の背があったからこそ同じ旗の下に留まっていた。三将軍の誰が頭を張ろうと、残る二人は頭を垂れぬ。まして、独立の騎士団どもは。

「儂が出れば、ゴルムが承知せぬ」

「ゴルムが出れば、傭兵どもが散る」

 サーディラードが口の悪い顔を歪めて、酒をあおった。安酒の苦みが、舌の奥にざらりと残る。

「で、俺が出りゃあ、あんたら二人が鼻で笑う。──堂々巡りだ。閣下の椅子は、誰が座っても大きすぎて、尻が落ち着かねえ」

 沈黙が、また卓に降りた。

 その沈黙の底に、誰も口にせぬ名が一つ、沈んでいる。

 現に今、聖都を握っているのは、この卓の誰でもない。末席の、辺境の三男だ。銭で軍を繋ぎ、都を回している男が、ここにはいない。

 だがその名を頭に据えるなど、誰にも言い出せなかった。数えきれぬ旗を率いてきた歴戦の将たちが、ぽっと出の若造の下に付く──武官の面子が、それを許さない。

「……王家派閥が、動いておるぞ」

 グラインが、低く唸った。

「我らが後継で揉めておる間に、ルクレインが聖都をかっさらう。頭も立てられぬ派閥に、二万を守る資格があるか──宮廷は、そう見ておる」

 誰も、返せなかった。

 武官派閥は、その夜も頭を決められなかった。決められぬまま、また一夜、時を失った。

 要石の抜けた穴は、埋める者を待っている。だが埋めるべき者たちは、互いの面子を人質に、身動きが取れずにいた。


◇◆◇


 帝国の内地で、若い首狩りが新しい牙を研ぐ。

 王都の紙の城から、文官が一人の男へ手を伸ばす。

 武官の寄合は、面子を抱えたまままた一夜、迷走する。

 王家派閥の清らかな楔は、もう聖都の門前まで来ている。

 四方から伸びた手が、それぞれの都合で動きながら──気づけば、その全てが同じ一点を掴もうとしていた。

 千年の城壁の内で、帳面と睨み合う、末席の一人の男。

 当のロズヴェータは、まだその全てを知らない。

 知らぬまま、彼はこの夜も、明日の糧を銭に換えていた。


ロズヴェータ:新進気鋭の騎士団長


称号:同期で二番目にやべー奴、三頭獣《ドライアルドベスティエ》隊長、銀の獅子、七つ砦の陥陣営


特技:毒耐性(弱)、火耐性(中)、薬草知識(低)、異種族友邦、悪名萌芽、山歩き、辺境伯の息子、兵站(初歩)、駆け出し領主、変装(初級)、遭遇戦、策略家、追撃戦、魔物の雫保有者


同期で二番目にやべー奴:同期の友好上昇

三頭獣《ドライアルドベスティエ》隊長:騎士隊として社会的信用上昇

銀の獅子:国への貢献度から社会的信用度の上昇

遠征軍の旗頭:騎士としての信頼度上昇

毒耐性(弱):毒からの生還確率が上昇。

火耐性(中):火事の中でも動きが鈍らない。火攻めに知見在り。

薬草知識(低):いくつかの健康に良い薬草がわかる。簡単な毒物を調合することができる。

異種族友邦:異種族の友好度上昇

悪名萌芽:行動に裏があるのではないかと疑われる。

山林歩き:山地及び森林内において行動が鈍らない。

辺境伯の息子:辺境伯での依頼で影響度上昇

陥陣営:連続で城塞を落とし続けている限り、味方の能力に強化効果。(連続10回)

兵站(初歩):兵站の用語が理解できる。

駆け出し領主:周囲から様々な助言を得ることが出来る。

変装(初級):周囲からのフォローを受ければ早々ばれることはない。

遭遇戦:臨機応変な戦いの経験がある。(1回)

策略家:他の騎士隊から戦術・戦略的助言を求められる。他の騎士隊に対して影響力上昇。ただし、警戒感を同時に抱かせる。

追撃戦:追撃で戦果を拡大できる。(1回)

魔物の雫保有者:今はまだ効果が不明

信頼:武官(+85)+5、文官(+40)-5、王家(+12)±0、辺境伯家(+38)-2


信頼度判定:

王家派閥:潰さないといけないよね?(リオンセルジュ派) でも、使えそうじゃない?(摂政・リオリス派)

文官派閥:武官派閥はしばらく振るわないだろうな。引き抜きの好機か?

武官派閥:閣下は、余りにも偉大過ぎた。頭に据えるには若すぎるしな……。後方の依頼を切らさないようにするからよろしく頼む。今は少しでも力が必要だ。

辺境伯家:武官派閥はもう終わりかな? 見切りをつけて戻っておいで。


副題:ロズヴェータちゃん、誘惑多し。

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― 新着の感想 ―
身内・・・辺境伯家が持ってきた婚約話だから辺境伯家と敵対はおかしいんで、友人や元部下たちとの戦いかな。 まあ史実十字軍も、十字軍+イスラム勢力VS十字軍+イスラム勢力とかいう敵味方グダグダっぷりだった…
そういえば、ロズヴェータは第1話の頃は婚約者の意向で文官になる教育受けてたか。 本人にはもはや黒歴史の一部かもしれんが、その知識が生きているんだろうか。経験はまだまだだろうけど。 ロズヴェータはユー…
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