四方からの手
三日月帝国の西、獅子の紋と王冠の王国との国境から、州を二つ隔てた内地の太守府。
白檀の香が、熱を孕んだ夜気に甘く沈んでいた。日が落ちてなお石壁は昼の熱を吐き続け、乾いた砂の匂いが窓の隙間から忍び込む。聖都の凍てた城壁とは、まるで別の世界だった。
首狩り総督イブラヒム・ヒディスハーン・アルヒリは、掌の中で翡翠の獣を転がしながら、卓に投げ出された数通の書状を見下ろしていた。石は指の下で、ひやりと滑らかだ。
書状はどれも同じことを、違う言葉で書いていた。
──聖都を異教徒に明け渡した総督が、なぜいまだ総督の座にある。
千年の聖地を、十字を掲げる西の蛮人どもに奪われた。しかも総督は殿を丸ごと死地へ捨て、本隊だけを抱えて東へ逃げ帰った。主戦派の太守たちは、その一点を執拗に突いてくる。彼らにとって退いた将は、負けた将だった。無傷で持ち帰った二万の兵の重みなど、勘定に入りはしない。
黄金の長髪の下にある怜悧な眼差しは、わずかばかりも揺れなかった。
「西境のザヒルが、兵を集めておるそうだな」
「はい」
答えたのは、香の煙の向こうに立つ若い女だった。
ユーシャル。太守アリマの娘にして、イブラヒムの孫娘である。まだ年若い。だがその双眸には、この一族に流れる油断のならぬ光があった。
「祖父様の失点を旗印に、不平を抱えた小太守どもを片端から束ねております。表向きは『聖地奪還の義軍』。中身は祖父様の椅子を狙う、ただの火事場泥棒です」
「潰すか」
「いいえ」
ユーシャルは静かに笑った。
「兵で潰せば、殉教者を一人こしらえてやることになります。『首狩りが、聖地を憂える忠臣を斬った』と。──それこそ、あの男の欲しがっている筋書きでしょう」
イブラヒムは初めて、孫娘へ視線を向けた。
その半歩先を、老いた総督は香の煙の向こうに見ようとする。
「では、どうする」
「束ねさせてしまえばよろしいかと」
ユーシャルの声は、若いのに水のように冷たかった。
「あの男に集まる御祖父様への不平は、そのままあの男の借金です。義軍を騙るなら、義軍らしく振る舞わねばならない。糧も銭も大義も、集めた頭数の分だけ要る。──私はただ、その糧の道を一本ずつ細くしていくだけ。冬を越す頃には、あの『義軍』は旗の下で仲間割れを始めます。飢えた兵ほど、隣の兵の分け前を数えるものですから」
どこかで聞いたような理屈だと、イブラヒムは思った。飢えと分け前で軍を割る──それは聖都の城壁の内で、あの辺境伯の三男がやってみせたことと同じ組み立てをしていた。
だが、あえて口には出さない。
「割れたところで、頭を刈るか」
「はい。ザヒルの首だけを」
ユーシャルが、卓の書状を一枚、指先で裏返した。乾いた紙が、かさりと鳴る。
「あとは寝返る隙を与えます。殉教者は作らない。作るのは見せしめ、ただ一つ。国中に知れ渡ればよいのです」
白檀の煙が、細く震えた。
イブラヒムは翡翠の獣を、ことりと卓へ置いた。硬い石の音が、静かな一室に小さく落ちる。
この娘はいずれ、自分より遠くまで盤上を読む。老いた総督はその気配を、香の甘さの中に、はっきりと嗅ぎ取っていた。
◇◆◇
ひと月と経たぬうちに、ユーシャルの予言がそのまま起きた。
糧の細った「聖地奪還の義軍」は、雪も降らぬ内地で勝手に痩せ細っていった。約束の銭が届かぬ小太守が、まず一人抜けた。分け前の薄さに、傭兵の一隊が寝返った。旗の下の結束は、裂けた布のようにほつれていく。
その裂け目へ、ユーシャルはたった一夜、兵を入れた。
夜明けの太守府に、ひとつの首が届く。西境のザヒルの、それだった。まだ生乾きの血の匂いが、冷えた朝の空気に混じっている。
残った小太守どもには、罪を問わなかった。ただ静かに、それぞれの領へ帰した。恩も着せず、罰も下さず、ただ「見ていた」とだけ知らせて。
帝国の内地に、新しい名が流れ始める。
首狩りの孫娘。預言者、あるいは慈悲深きユーシャル。
まだ祖父の総督の座は継いでいない。それでもあの一族に逆らう時、人々はもう一つ、勘定に入れねばならぬ首が増えたことを知った。
その報せを、母である太守アリマは、自由都市エルデッサの館で聞いた。
妥協派として、西の王国とも刃を交えず、うまく折り合ってきた女は、娘の鮮やかな手際を素直には喜べなかった。窓辺に立ち、乾いた交易路の彼方を見やる。日に灼けた石畳から、昼の名残の熱がまだ立ちのぼっていた。
あの子は、私より祖父様に似てしまった。
卓には一通の古い書状が、まだ畳まれたまま置かれている。かつて西の辺境から届いた、縁談の打診。相手はカミュー辺境の蝮の、三男坊。──あの頃はただの、辺境の三男に過ぎなかった。
だが今、その三男は千年の聖都を銭で握っているという。
アリマは古い書状を、指先でそっと撫でた。羊皮紙は乾いて、かさついている。
東の動きも西の動きも、いつのまにか同じ一人の男へ向かい始めている気がした。
◇◆◇
王都、宰相府。
書架に囲まれた部屋は、羊皮紙と古い墨の匂いでひどく乾いていた。窓は小さく灯は乏しい。剣の一振りもない。
ここは、青の塔。
紙で国を回す者たちの城だ。
文官派閥の長たる宰相は、鉄面皮を崩さぬまま、聖都からの報せの束を指先で繰っていた。乏しい灯の中を、埃が細かく漂っている。
束の中ほどに、あの男の名があった。総指揮官ディルアン、戦死。もう幾度も読んだ報せだ。それでもその名の上で、老宰相コルベールの指はいつも一拍、止まる。
二人が出会ったのは、もう幾十年も前になる。まだ位も持たぬ若造だった頃、同じ一人の英雄の背を、二人して仰ぎ見ていた。
亡国の淵から、この国を二度も掬い上げた人。宰相にとってもディルアンにとっても、あの人こそが「英雄」の全てだった。ディルアンは、その最初で最後の弟子だった。
英雄が逝った日。埋葬を終えた墓標の前で、若い二人は日が暮れるまで動かなかった。乾いた風が、掘り返したばかりの土の匂いを運んでくる。そして答えの出ぬ問いを、互いにぶつけ合った。
──あの人は、どうして国を守ったのだと思う。
先に口を開いたのがディルアンだったか自分だったか、もう覚えていない。
「決まっている。人だ」剣を選ぶことになる若者は、そう言った。「あの人が守ったのは、国なんて器じゃない。目の前で笑う顔だ。守るべき誰かが、そこにいた。ただ、それだけだよ」
「違うな」紙を選ぶことになる若者は、静かに返した。「人は移ろう。恩も、じきに忘れる。あの人が守ったのは、人が明日も飯を食える仕組みの方だ。国とは、その器の名だ。器がなければ、お前の言う顔も飢えて散る」
どちらも譲らなかった。墓標は何も答えない。英雄はもう、どちらが正しいかを教えてはくれなかった。
あの問いに、二人はとうとう生涯、決着をつけられなかった。ディルアンは剣で人を束ね、宰相は紙で国を回し、別々の答えを別々の生き方で書き続けた。
そして今日、その友が、あの英雄と同じように国を守って逝った。
剣を選んだ男は、己の死をもって答えを書き切ったのだ。──人を守って、死ぬ。
鉄面皮の奥で、老宰相はひとつ息を吐いた。悲しみは、とうに腹の底へ沈めてある。だが沈めたものが、消えたわけではない。
「──あの男が遺した軍を、いま、誰が繋いでおる」
傍らの若い官吏が、慎重に応じた。
「辺境伯家の三男にございます。ロズヴェータ・スネク・カミュー。閣下の死後、聖都の統制を独力で保っていると」
「保っている手が、剣ではない。そこだ」
宰相は報せの一枚を、灯へ近づけた。羊皮紙が、灯の熱にじりと乾いた匂いを立てる。
「掠奪ではなく徴発。都を焼かず帳簿に載せ、冥加金を絞って軍を繋いでいる。──武人の作法ではない。これは、我らの作法だ」
我らの、という言葉に、若い官吏はわずかに背を正した。
文官派閥は代々、対外の戦を好まぬ。剣の手柄で成り上がる武官どもを、どこか田舎者と見下してきた。国は槍ではなく、帳簿で回る。それが、この城に住む者たちの揺るがぬ信条だった。
その信条を、辺境の三男が遠い異教の都で地で行っている。ディルアンが剣で束ねたものを、あの若造は帳簿で繋いでいる。
「王家派閥は、ルクレインが正統な王とやらを担いで、あの都を丸ごと呑みにかかっておる」
宰相の声に、薄い刃が混じった。
「武官派閥は頭を失って、後継すら決められぬ体たらく。──このまま眺めておれば、聖都も、あの男の遺した軍も、まるごと公爵家の懐だ」
ディルアンが命と引き換えに開けた門。その先で友の遺したものを、ルクレインの餌にはさせぬ。
それは文官派閥の長としての算盤であると同時に、一人の男の静かな手向けでもあった。
「では」
「あの三男を、こちらの盤へ招く」
宰相は鉄面皮の奥で、静かに算盤を弾いた。
剣で奪うのは、武官と王家に任せておけばいい。だが奪った都を回すのは、いつだって帳簿の仕事だ。都を回せる男を一人、文官派閥の名の下に囲っておけば──ルクレインが力ずくで握った都さえ、その運営の首根っこはこちらが押さえられる。
それに、と老宰相は思う。あの辺境の三男は、剣ではなく帳簿で人を守っている。あの夕暮れの墓前で二つに分かれた答えを、あの若造は一人で束ねてみせているのかもしれない。
友の遺産を守ることが、そのまま自派の利になる。ディルアンならばこの理屈を、鼻で笑って許すだろう。
「推薦状を一通。それと密使を。あからさまな誘いは要らぬ。『貴殿の帳簿には、王都にも理解者がいる』──それだけ伝われば良い」
若い官吏が筆を執る。乾いた紙の上を、穂先がかさりと走った。
文官派閥が初めて、外の戦場へ手を伸ばした夜だった。
◇◆◇
同じ王都の、別の一室。
こちらには剣があり、酒があり、そして答えの出ぬ苛立ちが、煙のように満ちていた。汗と、こぼれた安酒の匂いが、天井の下に淀んでいる。
武官派閥の、寄合である。
卓を囲むのは、遠征軍の三将軍──前衛のグライン、中央のゴルム、後衛のサーディラード。ディルアンという要石を失った派閥は、次の頭をいまだ立てられずにいた。
「閣下の後継だ。誰が、名乗る」
口火を切ったのは、老将グラインだった。岩のような顔に、疲れが刻まれている。
誰も、答えなかった。
答えられなかった、と言うべきか。
武名なら三人とも持っている。地位もある。だがディルアンが束ねていたのは、正規の兵だけではない。傭兵の頭も、驕った伯爵家も、あの一人の背があったからこそ同じ旗の下に留まっていた。三将軍の誰が頭を張ろうと、残る二人は頭を垂れぬ。まして、独立の騎士団どもは。
「儂が出れば、ゴルムが承知せぬ」
「ゴルムが出れば、傭兵どもが散る」
サーディラードが口の悪い顔を歪めて、酒をあおった。安酒の苦みが、舌の奥にざらりと残る。
「で、俺が出りゃあ、あんたら二人が鼻で笑う。──堂々巡りだ。閣下の椅子は、誰が座っても大きすぎて、尻が落ち着かねえ」
沈黙が、また卓に降りた。
その沈黙の底に、誰も口にせぬ名が一つ、沈んでいる。
現に今、聖都を握っているのは、この卓の誰でもない。末席の、辺境の三男だ。銭で軍を繋ぎ、都を回している男が、ここにはいない。
だがその名を頭に据えるなど、誰にも言い出せなかった。数えきれぬ旗を率いてきた歴戦の将たちが、ぽっと出の若造の下に付く──武官の面子が、それを許さない。
「……王家派閥が、動いておるぞ」
グラインが、低く唸った。
「我らが後継で揉めておる間に、ルクレインが聖都をかっさらう。頭も立てられぬ派閥に、二万を守る資格があるか──宮廷は、そう見ておる」
誰も、返せなかった。
武官派閥は、その夜も頭を決められなかった。決められぬまま、また一夜、時を失った。
要石の抜けた穴は、埋める者を待っている。だが埋めるべき者たちは、互いの面子を人質に、身動きが取れずにいた。
◇◆◇
帝国の内地で、若い首狩りが新しい牙を研ぐ。
王都の紙の城から、文官が一人の男へ手を伸ばす。
武官の寄合は、面子を抱えたまままた一夜、迷走する。
王家派閥の清らかな楔は、もう聖都の門前まで来ている。
四方から伸びた手が、それぞれの都合で動きながら──気づけば、その全てが同じ一点を掴もうとしていた。
千年の城壁の内で、帳面と睨み合う、末席の一人の男。
当のロズヴェータは、まだその全てを知らない。
知らぬまま、彼はこの夜も、明日の糧を銭に換えていた。
ロズヴェータ:新進気鋭の騎士団長
称号:同期で二番目にやべー奴、三頭獣隊長、銀の獅子、七つ砦の陥陣営
特技:毒耐性(弱)、火耐性(中)、薬草知識(低)、異種族友邦、悪名萌芽、山歩き、辺境伯の息子、兵站(初歩)、駆け出し領主、変装(初級)、遭遇戦、策略家、追撃戦、魔物の雫保有者
同期で二番目にやべー奴:同期の友好上昇
三頭獣隊長:騎士隊として社会的信用上昇
銀の獅子:国への貢献度から社会的信用度の上昇
遠征軍の旗頭:騎士としての信頼度上昇
毒耐性(弱):毒からの生還確率が上昇。
火耐性(中):火事の中でも動きが鈍らない。火攻めに知見在り。
薬草知識(低):いくつかの健康に良い薬草がわかる。簡単な毒物を調合することができる。
異種族友邦:異種族の友好度上昇
悪名萌芽:行動に裏があるのではないかと疑われる。
山林歩き:山地及び森林内において行動が鈍らない。
辺境伯の息子:辺境伯での依頼で影響度上昇
陥陣営:連続で城塞を落とし続けている限り、味方の能力に強化効果。(連続10回)
兵站(初歩):兵站の用語が理解できる。
駆け出し領主:周囲から様々な助言を得ることが出来る。
変装(初級):周囲からのフォローを受ければ早々ばれることはない。
遭遇戦:臨機応変な戦いの経験がある。(1回)
策略家:他の騎士隊から戦術・戦略的助言を求められる。他の騎士隊に対して影響力上昇。ただし、警戒感を同時に抱かせる。
追撃戦:追撃で戦果を拡大できる。(1回)
魔物の雫保有者:今はまだ効果が不明
信頼:武官(+85)+5、文官(+40)-5、王家(+12)±0、辺境伯家(+38)-2
信頼度判定:
王家派閥:潰さないといけないよね?(リオンセルジュ派) でも、使えそうじゃない?(摂政・リオリス派)
文官派閥:武官派閥はしばらく振るわないだろうな。引き抜きの好機か?
武官派閥:閣下は、余りにも偉大過ぎた。頭に据えるには若すぎるしな……。後方の依頼を切らさないようにするからよろしく頼む。今は少しでも力が必要だ。
辺境伯家:武官派閥はもう終わりかな? 見切りをつけて戻っておいで。
副題:ロズヴェータちゃん、誘惑多し。




