それぞれの拡張
騎士団になって、宿営地の朝は忙しくなった。
旗頭の頃は三百だった三頭獣に、旗下から流れて残った者、売り込みで採った者、ガディフォールで新たに雇い入れた者が加わり、頭数はゆうに四百を超えている。
その四百を、どう組むか。
冬営の初め、ロズヴェータはガーデルとヴォルクを呼んで、一枚の編成表を囲んだ。ガーデルが数を積み、ヴォルクが穴を指摘し、ロズヴェータが裁可する。三人の前に、少しずつ騎士団の形が立ち上がっていった。
「まず、根が三百。旗頭の頃からの三頭獣です」
几帳面な字で、ガーデルは表を埋めていく。
「これを、五つの分隊に割る。前衛にヴィヴィ隊とバリュード隊。後衛にルル隊。遊軍と諜報にトーロウ隊。そして筆頭の私の隊が、兵站と全体の調整を負う。──旗頭時代の骨組みを、そのまま太らせた形です」
「増えた百は」
ロズヴェータが問うと、ヴォルクが横から口を出した。
「そいつを、どこに混ぜるかが肝でな。新入りを一つの分隊に固めりゃ、そこだけ練度が落ちて穴になる。ばらして古参に馴染ませりゃ、時間はかかるが穴は消える。──冬の間、寝かせる余裕があるなら、後者だ」
「斥候は、別立てだ」
ロズヴェータが、表の端を指で叩いた。
「ホルベクの斥候隊。位階は剥がれたが、あれは団の目だ。先手として独立させる。近衛から来た若いのも、そこに入れた」
「治療と会計は、アウローラ殿の下にまとめて。従軍商人のラスタッツァ殿は、これまで通り専任で外付け。──こんなところですかな」
ガーデルが筆を置くと、そこには一つの騎士団の姿があった。
前衛二、後衛一、遊軍一、筆頭一の五分隊。独立した斥候隊。後方に兵站と治療と会計。中核三百に、新参百を溶かし込んで、四百と少し。
と、それまで壁際で腕を組んでいたユーグが、口を開いた。
「──ロズヴェータ様。副官として、あえて申し上げます」
美貌の副官の声は、いつもより硬い。
「四百は、少なすぎませんか」
ガーデルの筆が止まり、ヴォルクが片眉を上げた。ユーグは構わず続ける。
「補給線の統括を、全軍から任されたのです。銭も、通行証も、王家の補給線すら手に入れた。売り込みに来た者を、もっと呑めばよかった。今なら、名声に釣られて人は幾らでも集まります。倍の八百、いえ、旗頭の頃のように旗下を束ねれば、一千も夢ではない。──なぜ、四百で止めるのです。数は、力です。冬の行軍でも、聖都の城下でも、頭数が多いに越したことはない」
もっともな正論だった。
いや、正論だからこそ、ユーグはこれを言っている。
この男が、勢いに任せた拡張の危うさを分かっていないはずがない。分かった上で、副官の務めとして、あえて反対の側に立ち、団長にそれを言葉で潰させようとしているのだ。議論を経ていない決定は、脆い。
ロズヴェータは、その意図を汲んで、真っ向から答えた。
「増やさない。──理由は三つだ」
指を折る。
「一つ。うちは主力じゃない。数万の本隊が正面を担う。うちの役目は、その本隊を飢えさせないことだ。補給線を守るのに要るのは、頭数じゃない。速さと、目と、抜かれない堅さ。八百に膨らませて練度が落ちれば、守るべき線に穴が空く。──守りの部隊が穴を空けたら、本末転倒だ」
「二つ」
二本目の指。
「冬の行軍だ。頭数を増やせば、その分だけ飯が要る。糧秣が要る。運ぶ荷が増える。補給線を守る部隊が、自分の腹のために補給線を食い潰しては、笑い話にもならん。──八百の胃袋は、四百の倍の速さで、うちの兵站を空にする」
「三つ」
三本目。
ロズヴェータは、少しだけ声を落とした。
「今、名声で集めた人間は、名声が陰れば散る。谷でホルベクの一件を見ただろう。人は、簡単に折れる。急いで倍にした八百のうち、いざ聖都の壁の前で、何人が踏み止まる? ──俺は、踏み止まる四百が欲しい。散る八百じゃない」
天幕が、静かになった。
ユーグは、しばらくロズヴェータを見て──それから、憑き物が落ちたように、小さく頭を下げた。
「……失礼いたしました。愚問でした」
「愚問じゃない。誰かが聞かねばならん問いだ」
ロズヴェータは、口の端で笑った。
「ヴォルクの他にも、否を言える骨があるようで、安心した」
「否ではありません。──確認です」
ユーグは、澄まして壁際に戻った。だがその横顔には、団長の答えを引き出せた満足が、僅かに滲んでいた。
副官の務めとは、主が誤らぬよう、あえて反対の岸に立って、渡る前に橋の強度を確かめることだ。ユーグは、それを果たしたのだった。
小さくはない。だが、聖都まで補給線の背骨を負うには、決して大きくもない。その四百という数の意味を、この場の全員が、今、腹に落とした。
「──あとは、中身だ」
ロズヴェータは編成表を畳み、直轄の分隊長たちを呼び集めると、冬営の分担を告げた。
「聖都まで、うちが補給線の背骨を負う。分隊ごとに受け持ちを決める。──あとは、好きにやれ。人も、必要なら集めていい。冬の間に、使える形にしておけ」
その一言で、分隊長たちの目の色が変わった。
好きにやれ。
三頭獣で最も危険な号令だと、古参は知っている。
◇◆◇
ヴィヴィは、単純だった。
強い奴が欲しい。それだけだ。
「腕に覚えのある奴は、前へ出な!」
練兵場に立ったヴィヴィは、棍棒を担いで吠えた。ガディフォールで食い詰めていた傭兵崩れ、除隊した兵、腕自慢の荷役──集まった有象無象を前に、彼女はにやりと笑う。
「うちの分隊に入りたきゃ、話は早い。あたしを一本取れたら、入れてやる。取れなきゃ、帰りな」
条件は明快で、下心の入る余地がない。
結果、その日一日で、ヴィヴィは十二人を叩き伏せた。残った三人は、彼女の棍棒を紙一重で捌いた者たちだ。ヴィヴィは名も聞かずにその三人の肩を抱いて、酒場へ連れて行った。
「強い奴は、裏切らないのさ。裏切る前に、正面から来るからね」
単純だが、彼女の集めた分隊は、めっぽう強い。人柄を見抜く目はない。だが、腕を見抜く目だけは、恐ろしく確かだった。
◇◆◇
バリュードは、ヴィヴィの騒ぎを横目に、何もしていないように見えた。
実際には、逆だ。
彼は募集をかけない。列も作らない。ただ、宿営地の隅の焚き火に、ふらりと現れる。新参の兵が飯を食っている輪に、いつの間にか座っている。
「その傷、南部の戦かい。ああ、あそこは酷かったねぇ。──で、お前、なんで生き残ったんだい?」
童顔に人懐こい笑みを貼りつけて、彼は聞く。手柄話でも、恐怖でも、なんでもいい。しゃべらせて、聞いて、覚える。
三日もすれば、バリュードは新参百人の顔と名前と、癖を覚えていた。
そして、静かに選ぶ。
「あいつと、あいつ。あと、隅で黙ってた痩せたの。──もらうよ」
選んだ基準を、バリュード自身は言葉にしない。だが古参は知っている。彼が選ぶのは、いつも「人を斬るときに、声を出さない奴」だ。
「戦場で吠える奴は、ヴィヴィの分隊がいい。俺んとこは、静かなのがいい。──喉が鳴ると、獲物が逃げるからね」
戦場の静かな死神は同類を、匂いで嗅ぎ分けていた。
◇◆◇
ルルのやり方は、金だった。
正確には、金と、報奨の設計だ。
「聞け。うちの分隊は、後衛だ。地味だ。手柄は立たん。だが──」
小柄なエルフは、机の上に、几帳面に仕分けた銭袋を並べた。
「守り切った日数ぶんだけ、銭が出る。敵を通さなかった夜ごとに、加算だ。派手に斬るより、退屈に守る方が儲かるように組んである。文句のある奴は、来るな」
華々しさを求める兵は、去った。
残ったのは、堅実に、確実に、日銭を積みたい者たち。除隊後に故郷で店を持ちたい者、仕送りを絶やせない者、博打で作った借金を返したい者。
欲の形がはっきりした者ほど、持ち場を離れない。
「情で守る奴は、情が切れたら逃げる。銭で守る奴は、銭が出る限り逃げん。──どちらが堅いかは、算数だ」
ルルの後衛は、三頭獣で最も抜かれにくい。その堅さは、忠義ではなく、精緻に組まれた損得の上に建っていた。
◇◆◇
トーロウは、人を集めなかった。
彼が集めたのは、耳だった。
「隊長、儲け話……じゃなくて、いい話がありましてね」
猿顔の分隊長は、ガディフォールの港に入り浸り、荷役や船乗り、女衒や香具師と杯を交わした。元四腕の毒蜘蛛で培った、独自の諜報網。それを、この港町に張り直しているのだ。
「うちの分隊はね、数はいらないんですよ。港に十人、街道の宿場に五人、船着き場に三人。目と耳だけ、そこかしこに置いとく。いざって時、金より情報が兵を生かすんで」
彼が採るのは、腕でも忠義でもない。顔の広さと、口の軽さと、その裏で口の堅い者を見分ける勘だ。
ある日、トーロウは一人の男を連れてきた。片目の潰れた、元香具師だという。
「こいつ、港中の噂を集めて売って生きてきた男でしてね。──帝国の銀貨がどの筋から流れてるか、こいつなら三日で図が描けます」
人懐こい笑みの奥で、猿顔の男の目だけは、獲物を値踏みする毒蜘蛛のものだった。
◇◆◇
ガッチェは、拡張しなかった。
筆頭分隊長は、増えた四百の全部を回すための、土台を組んでいた。
「他の連中が好きに集めるなら、誰かが後ろで数を合わせねばなりません」
彼は、増えた兵の名簿を作り、飯の量を計り、天幕の割り振りを決め、誰と誰が仲が悪いかまで書き出した。派手さはない。だが、ヴィヴィが十五人集め、バリュードが静かに三人抜き、ルルが銭で堅め、トーロウが耳を張る──その全部が回るのは、ガッチェが後ろで帳尻を合わせているからだった。
「筆頭分隊長ってのは、貧乏くじですな」
ある夜、ガッチェは、同じく数字で戦うガーデルと二人、帳簿を突き合わせながらぼやいた。
「拡張の華々しさは、他の連中に持っていかれる。私に回ってくるのは、増えた口の飯の計算だけだ」
「奇遇ですな」
ガーデルは、几帳面な字を止めずに応じる。
「私も、同じことを思っていました。──ですが、私とあなたが手を抜けば、四百が飢える。華のない仕事ほど、抜けません」
二人の実務家は、顔を見合わせて、僅かに笑った。
その夜、宿営地の四百の腹が満ちたのが、この二人の帳簿のおかげであることに、気づく者は少ない。
◇◆◇
新参のドラッドは、その全部に、目を回していた。
三尾の黒狐から流れて来た大男は、元は上の命に黙って従うだけの環境で育った。分隊長が自分の裁量で人を集め、隊長がそれを「好きにやれ」と許す──その光景が、信じられなかった。
「あの……よろしいので。皆、勝手に人を増やして」
おずおずと問うドラッドに、答えたのはロズヴェータだった。
「勝手じゃない。あいつらは、自分の分隊に責任を持ってる。ヴィヴィの集めた奴が問題を起こせば、ヴィヴィが責めを負う。──裁量と責任は、対だ」
「……我が古巣では、裁量は上の物で、責任は下の物でした」
「だろうな。だから、お前はここに来た」
ロズヴェータは、大男の肩を叩いた。
「戸惑うのは、今のうちだけだ。そのうち、お前も自分の色を出せば良い。どう集めるかは、お前の性分で決めろ。ヴィヴィの真似も、バリュードの真似もいらん。──ドラッドのやり方で、集めろ」
大男は、その言葉を、しばらく噛みしめていた。
◇◆◇
新参の幹部たちも、それぞれに居場所を探していた。
王家から来た近衛崩れの若い騎士は、ホルベクの斥候隊に放り込まれ、初日から泥まみれになった。
「近衛では、こんな……」
「近衛では、な」
ホルベクは、若い騎士に、斥候の何たるかを、一から叩き込んだ。剣の冴えは本物だが、夜の谷を音もなく下る技も、足跡から敵の数を読む目も、この若者は何一つ持っていない。
「……お前さんの剣は、見事だ。だが、斥候に要るのは、斬る前に気づく目だ。斬り合いになった時点で、斥候は半分負けている」
その言葉に、若い騎士の目の色が、少しずつ変わっていった。近衛の稽古場では教わらなかったものが、この泥の中にはあった。
文官から来た計数官は、ガーデルの下で、うちの補給の「一部分」だけを任された。全体像は、相変わらず見せてもらえない。それでも、彼は腐らなかった。
「……妙な話です。全体を見せない上司が、これほど信用できるとは」
自分を送り込んだ側の思惑を、この男もとうに察している。腕だけを求められ、目を塞がれた。だが、塞がれ方があまりに理路整然としていて、いっそ清々しかった。
「見せない、と最初に言い切る上司は、裏切りません。裏切る上司は、全部見せる顔をして、肝心なところを隠すものです」
計数官は、与えられた「一部分」を、誰より正確に回した。
◇◆◇
そして、諫言役のヴォルクは、雇われて三日で、早くも仕事をした。
ロズヴェータが冬営の進発日程を早めようとしたときのことだ。
「馬鹿を言うな、団長さんよ」
幹部の揃った席で、潰れた片耳の老下士は、遠慮なく吠えた。
「新参が四百の半分だぞ。まだ隊として練れてねえ。今動けば、雪の中で烏合が凍え死ぬだけだ。──ヴィヴィの新入りが、バリュードの合図を知ってるか? ルルの後衛が、トーロウの耳と繋がってるか? 繋がってねえだろ。あと十日、寝かせろ」
天幕が、しんと静まった。
新参の幹部が団長に真っ向から「馬鹿を言うな」と言い放つ。以前の三頭獣なら、ありえない光景だった。
ロズヴェータは、しばらく黙って──それから、笑った。
「……十日、だな。分かった」
ヴォルクが、拍子抜けした顔をする。
「呑むのかい」
「否と言える骨が欲しくて雇ったんだ。否を言われて聞かなきゃ、雇った意味がない」
その様子を、ドラッドが目を丸くして見ていた。
上に否と言う者がいて、上がそれを聞く。古巣では、決して見られなかった光景。
三頭獣という獣は、頭が一つではないのだと──大男は、この時、ようやく腑に落ちた気がした。
◇◆◇
夜、ロズヴェータは一人、宿営地を歩いた。
ヴィヴィの天幕からは、新入りを交えた酒盛りの咆哮が響く。
バリュードの焚き火は、静かに、しかし確実に人の輪を広げている。
ルルの区画では、報奨の額を確かめる兵が、真剣な顔をしていた。
トーロウの姿は、今夜も港の闇の中だ。
ガッチェとガーデルの天幕には、まだ帳簿を検める灯がある。
ホルベクの斥候隊の一角では、近衛崩れが足跡の読み方を教わっていた。
四つの分隊が、四つのやり方で、大きくなっていく。
同じ旗の下で、同じ方向を向きながら、育ち方だけが、まるで違う。
ロズヴェータは、ふと足を止めた。
これが、騎士団か。
旗頭の頃は、自分がすべての糸を握っていた。だが今は、分隊長たちが、それぞれの糸を握っている。自分の仕事は、糸を握ることではなく、四つの糸が絡まぬように、全体を見ていることだ。
寂しさは、なかった。
むしろ、頼もしかった。
頭上には、半分より少し膨らんだ月。
この月が満ちる頃には、この寄せ集めの四百は、一つの獣として、雪の中を歩き出す。
「……悪くない」
誰にともなく呟いて、ロズヴェータは天幕へ戻った。
冬は、まだ半ばだった。




