売り込みの列
騎士団の旗を掲げて三日で、ロズヴェータは一つの理を学んだ。
旗が大きくなると、旗の下に入りたがる者が増える。
それも、自分の足で来るのではなく、誰かの手紙を携えて来る者が。
「本日の面会希望、五件です」
朝、ユーグが名簿を差し出した。美貌の副官の声は、初日より確実に低くなっている。
「昨日は三件。一昨日は一件でした。──旗を立てた噂が、本陣から王都まで届いたのでしょう。皆さん、判で押したように『幹部の一人にどうか』と」
「推薦状つきで、だろう」
「ええ。差出人の格が、日に日に上がっています」
ロズヴェータは、冷めた白湯を一口飲んだ。
騎士団は、旗頭と違う。旗頭は臨時の器で、任が済めば解ける。だが騎士団は、残る。残る器の幹部の椅子は、派閥にとって、金を積んででも一つ押さえておきたい投資先だ。
三頭獣騎士団は、どの派閥にも属していない。
属していないからこそ、どの派閥も、ここに自分の色を一滴、垂らしておきたいのだ。
「アウローラも呼べ。人を値踏みするなら、あれの目が要る」
「もう、到着しておりますわ」
扇の陰から、涼やかな声がした。治癒術師は既に、面会用の天幕の隅に、記録係の顔で座っていた。手元には墨と紙。誰が来て、何を差し出し、何を持ち帰ったか。今日一日、この天幕で交わされる貸し借りを、一枚残らず帳面に落とすつもりなのだろう。
「面白い見世物だと聞きましたので。──さ、私の騎士様。冬の買い物の始まりですわよ」
◇◆◇
もっとも、旗の下に来る者の全部が、手紙を携えているわけではなかった。
その朝、推薦状の列が並ぶより前に、天幕を訪れた三人がいた。
いずれも、ロズヴェータが旗頭だった頃からの、旗下の顔だった。
最初に口を開いたのは、後方兵站を任せている騎士ガーデルだった。几帳面な男は、帳簿を小脇に抱えたまま、用件だけを述べた。
「騎士団への編入手続きの確認に参りました。旗頭の旗下は、任が済めば解けます。ですが、騎士団は残る。──私は、残る方に判を捺しに来ました」
「兵站は、これから倍きつくなるぞ。冬の聖都だ」
「存じております。だからこそ、です」
ガーデルは、初めて帳簿から顔を上げた。
「私の帳簿は、あなたの下で三通りの予定表を書いた。あの帳簿の続きを、他の誰かの下で書く気には、なれません。──それだけの理由です。それ以外の理由は、ありません」
それ以外の理由はない、と言いながら、この男が徹夜で騎士団の編成表を清書してきたことを、ロズヴェータは束ねられた紙の厚みで知った。
次に、砂色の外套の男が、敷物も勧められぬうちに胡座をかいた。砂漠人の族長ミスキンドだ。日に灼けた顔の皺に、まだ夜明けの砂の匂いが残っているようだった。
「旗頭が騎士団になると聞いた。名が変わるなら、契約も変わるのかと思ってな」
「変えたいか」
「いいや」
族長は、皺の奥の目を細めた。
「砂漠の掟ではな、水場を教えた相手とは、その水が涸れるまで縁が切れん。あんたは、俺の若い衆を一度も無駄に死なせなかった。それは涸れていない水だ。──騎士団とやらになっても、俺の目と耳は、あんたの旗の下にある。塩の値は、据え置きでな」
「メルヴと交渉してくれ」
「……鬼だな、相変わらず」
最後に来たのは、位階を剥がれ、斥候勤めに就いたホルベクだった。従士のベックを従え、以前より日に灼けて、少しだけ痩せて、だが目には濁りがなかった。
「団長。斥候隊の先手として、一つだけ願いがございます」
「言え」
「旗頭の旗下ではなく、騎士団の隊として、扱っていただきたい。──罪人の集まりではなく、団の目として。そう扱われる方が、部下が胸を張って死ねます」
ロズヴェータは、しばらくその顔を見た。
「お前の隊は、団の先手だ。位階の有無は関係ない。──胸を張れ。俺が選んだ目だ」
ホルベクは、深く一礼して下がった。その背に、ロズヴェータは呟く。
「……あれで良い。腕でも、紐でもない。あいつらは、自分の足で来た」
アウローラが、記録の筆を止めずに言った。
「派閥の推薦状より、よほど値の張る三人ですわね。──さて。ここからは、値札のついたお客様の番ですわよ」
◇◆◇
一人目は、文官派閥の推薦状を携えていた。
差出人は、宰相府の研究派の筋。連れてきたのは、痩せた計数官の男だった。
「補給計画の立案、糧秣の見積もり、徴発の帳尻。──何なりと。西方戦役の兵站計算で、遅延を一度も出したことがございません」
男は淀みなく経歴を並べた。実際、有能なのだろう。差し出された職歴の書付は、汚れ一つない。
ロズヴェータは、その汚れのなさを、しばらく見ていた。
「……見事な経歴だ。汚れ一つない」
「恐縮です」
「戦場で兵站を三年やって、帳簿に一つの染みもない。──普通は、あり得ない」
男の指先が、僅かに止まった。
「泥をかぶった帳簿には、泥の跡が残る。あんたの帳簿には、それがない。誰かが、後から清書したものだろう。あんたを、綺麗に見せるために」
沈黙。
ロズヴェータは、書付を男に返した。
「──採用する」
「は?」
驚いたのは、男の方だった。
「あんたの計数の腕は本物だ。それは経歴の汚れとは関係ない。うちは人手が要る。冬に、聖都まで荷を運ぶんだ。使える算盤は、一本でも多い方がいい」
ロズヴェータは、隣の記録係に目をやった。
「ただし、配属はガーデルの下だ。糧秣の見積もりはやってもらう。だが、うちの補給の全体像──どの経路を、いつ、どれだけ運ぶかは、あんたには見せない。それはガーデル一人が握る」
計数官の顔から、表情が抜けた。
全体を見られない兵站官は、報告する中身を持たない。送り込んだ側が欲しかったのは、まさにその全体像だ。腕だけを借りて、目は塞ぐ。
「……それでも、よろしいので」
「腕を貸してくれ、と言っている。目まで貸せとは言っていない。──嫌なら、断ってくれて構わない」
男は、しばらく黙っていた。それから、初めて、経歴書にない顔で笑った。
「……存外、居心地が良さそうだ。お受けします」
男が下がると、アウローラが扇の陰で呟いた。
「一人目から、綺麗に骨を抜きましたわね」
「腕は惜しい。紐は要らない。それだけだ」
◇◆◇
二人目は、王家派閥だった。
連れてきたのは、近衛崩れの、姿勢の良い若い騎士。そして推薦状に添えて、麗しい餌がついていた。
「王家直轄の補給線の、利用許可でございます」
使者は、緑の蝋で封じた書状を掲げた。
「彼を幹部としてお迎えいただければ、貴団にも近衛と同等の補給を。食糧、薬品、馬具、矢弾──冬の遠征の負担は、桁違いに軽くなりましょう」
天幕の隅で、記録係のアウローラの筆が、ぴたりと止まった。この餌の重さは、彼女が誰より分かっている。冬に聖都まで、この一言があるのとないのとでは、生き延びる兵の数が変わる。
ロズヴェータも、それを分かっていた。
分かった上で、若い騎士に問うた。
「補給線は、ありがたい。喉から手が出る。──だが、聞きたいのはあんたのことだ。あんたは、剣は使えるか」
「近衛剣術指南役の免許皆伝です」
「谷は、下れるか」
「……は?」
「凍った斜面を、荷車の御者として、夜に下れるか。腰まで泥に浸かって、荷を担いで川を渡れるか。──近衛の稽古場に、そういう科目はあったか」
若い騎士の顔が、赤くなった。恥じ入る赤さだった。少なくとも、問いの意味を理解できるだけの見込みはある、とロズヴェータは踏んだ。
ロズヴェータは、王家の使者に向き直った。
「補給線は、いただく。ありがたく。──その上で、彼も預かろう」
「では」
「ただし、幹部ではない。まず、前線の斥候隊だ。ホルベクの下につけてもらう」
使者の笑みが、僅かに強張った。
「斥候、ですか。近衛の指南役を」
「補給線という重い餌をいただく以上、こちらも重い働きを返さねば、釣り合わない。──近衛の剣が、前線でどれだけ通じるか。冬の谷で試させてもらう。それが、王家への礼儀だと思うが」
断れば、餌を出した側の面子が潰れる。餌の見返りに前線を求められて、拒む理由もない。使者は、笑顔のまま呑むしかなかった。
「……閣下のお心遣い、確かに」
若い騎士が下がると、ユーグが低く言った。
「補給線だけ、綺麗に抜き取りましたね。近衛の目は、前線の泥で潰れます」
「潰れはしない。鍛えられる。──あの若いの、目は良かった。前線を三月やれば、王家の紐より、うちの飯を選ぶようになる」
紐は、切るものではない。時間をかけて、手綱に握り替えるものだ。
◇◆◇
三人目は、商人派閥だった。
これはもう、面会の前から荒れた。
「認めない! 絶対に認めないよ!」
道化化粧の女商人ラスタッツァが、面会の列に割り込んで叫んだ。
「聖なる三つの天秤の会計士だって? 冗談じゃない! うちの帳簿に、あの連中の算盤を入れてみな、利ざやを一枚残らず抜かれるよ! 商圏を丸ごと乗っ取られる!」
「……で、その会計士の腕は」
「一流だよ! だから性質が悪いんじゃないか!」
ロズヴェータは、噴き出しそうになるのを堪えた。腕を認めているあたり、ラスタッツァは商売人として正直だった。
結論は、早かった。
「会計士は、断る」
商人派閥の使者に、ロズヴェータははっきりと言った。
「うちの財布は、既に噛みつく犬が一匹いてね。二匹目は要らない。──だが、物の融通は歓迎する。冬の聖都戦で、あんたの商会が矢束と馬蹄を優先で回してくれるなら、こちらは正規の値で買う。人ではなく、荷で付き合おう」
人を入れれば紐になる。荷なら、金で切れる。
使者は少し考え、頷いた。商圏への食い込みは果たせずとも、大口の得意先を一つ得たなら、商人として損はない。
「……交渉上手でいらっしゃる。承知しました」
使者が去ると、ラスタッツァが勝ち誇った顔で胸を張った。
「見たかい! これが商売ってもんさ!」
「お前の取り分は、据え置きだからな」
「……なんだって?」
◇◆◇
四人目で、天幕の空気が変わった。
使者は、これまでの誰とも違った。辺境伯家の紋──剣に巻き付く蛇を胸に佩いた、壮年の騎士だった。物腰は柔らかいが、立ち姿に隙がない。剣で立ち、舌でも立つ。辺境伯家がこの一件に、そういう男を選んで寄越したことが、話の重みを語っていた。
騎士は、末子とはいえ主家の血に対して取る、折り目正しい一礼をした。
「ロズヴェータ様。ご壮健の由、何よりにございます。──ユバージル様の名代として、言伝を預かって参りました。騎士ロデリク、と申します」
坊ちゃま、ではなかった。
ロズヴェータ様。
王都を発つ頃には、まだ「ロズ坊ちゃま」と呼ばれていた家中で、名代に立つ騎士が、今は敬称で呼ぶ。城塞都市ゲイルノアの勲功第一、間者網の摘発、そして騎士団長。それらの報せが辺境まで届き、家中での彼の格を、変えたのだ。
次代の辺境伯家の武を負う者。──ロデリクの折り目正しさが、そう語っていた。
「ロデリク殿か。楽にしてくれ。名代とはいえ、同じ辺境伯家の禄を食む者だ」
「恐れ入ります。ですが──今のロズヴェータ様は、一個の騎士団の長にあらせられます。私がここで礼を崩せば、辺境伯家は三頭獣騎士団を身内扱いで軽んじた、と外に伝わりましょう。他派閥の使者が、この列に並んでおりますれば、なおのこと」
弁の立つ男らしく、断る口実まで理路整然としていた。ロデリクは姿勢を保ったまま、傍らの武人を手で示す。
連れてきたのは、褐色の肌の、静かな眼をした武人だった。砂漠に生きる土と火の子の血だろう。帯びた剣は反りのある東方の拵え。三日月帝国の様式だった。
「サーレフ・イヴン・ハディムと申します。太守アリマ・イヴン・クマール様の縁につらなる剣士。──ロズヴェータ様の身をお守りする栄誉を賜れればと、はるばる罷り越しましてございます」
護衛。
言葉は恭しいが、意味は重い。辺境伯家と太守家の融和の証を、ロズヴェータの隣に、常に置くということだ。
「……親父殿は、他には何と」
ロデリクは、声を落とし、しかし言葉は選び抜いて告げた。
「『太守家のご息女、ユーシャル様との縁談、進めてよろしいか』と。──この剣士殿をお側に迎えられることが、ロズヴェータ様のご返答となる、との仰せにございます」
天幕が、静まり返った。
ラスタッツァですら、口を噤んだ。
ロズヴェータは、目を閉じた。
太守アリマの唯一の娘、ユーシャル。辺境伯家が東方との和平のために進める、婚姻政策の要。この武人を「護衛」として受け入れれば、それは縁談への諾を意味する。断れば──親父殿の顔を、また一つ潰す。
文官の骨は抜けた。王家の紐は手綱に変えた。商人は荷で捌いた。
だが、これは違う。これは腕でも紐でもなく、彼自身の生き方を差し出せと言う話だ。
ロズヴェータは、目を開けた。
「──サーレフ殿」
これまで一言も発しなかった褐色の武人が、静かに顔を上げた。
「あんたを見込んでの話じゃない。あんたの腕がどうだろうと、俺はこの話を、今は受けられない」
ロデリクが、僅かに前に出た。声を荒げはしない。弁の立つ男の常で、彼は理を積んで押してきた。
「ロズヴェータ様。差し出がましくは存じますが、名代の務めとして、申し上げます。──これは、お館様のご意向。そしてご武名が高まった今だからこそ、東方との縁は、辺境伯家の背を固める要となりましょう。北に草原の国、東に帝国を抱える我が家にとって、太守家との誼は、千の兵にも勝ります。それを、護衛一人を受け入れるだけで結べる。損得で申せば、これほどの得手はございません」
「分かっている。親父殿の一手が、家のためであることは、誰より分かっているつもりだ」
ロズヴェータの声は、静かだった。だが、退かなかった。
「その上で、こう伝えてくれ。──縁談の返事を、護衛の受け入れで代えるのは、俺の流儀じゃない。ユーシャル様にも、太守にも、失礼だ。娶るなら、俺が俺の口で、俺の足で、太守家に赴いて話をする。人を先に寄越して外堀を埋めるやり方は、この身が受け付けん」
「……それは、お館様のご采配に、異を唱えられると」
「異は唱えん。順序を違えるな、と言っている」
ロズヴェータは、褐色の武人に向き直った。
「サーレフ殿。あんた個人には、含むところはない。もし縁談とは切り離して、一人の剣士として、うちの旗の下で働きたいと言うなら──その時は、改めて歓迎する。だが今日は、駄目だ。あんたを受ければ、俺は姫を、書類の判子みたいに扱うことになる。それはしたくない」
サーレフと名乗った武人は、しばらくロズヴェータを見ていた。
それから、東方の作法で、胸に手を当てて、深く一礼した。
「……了。良き返答を聞いた」
短く、それだけ言って、武人はロデリクより先に、自分から天幕を出て行った。
ロデリクは、去りゆく武人の背を一瞥し、それからロズヴェータに向き直る。理を尽くして押した男が、押し返されて、しかし不快そうな色はない。むしろ、口の端には微かな笑みすらあった。
「……見事な理でございました。私は名代として、お館様の理を運びました。ですがロズヴェータ様の理は、それを上から抑えた。──こう申し上げては何ですが、弁で飯を食う私が、久方ぶりに言い負かされましてございます」
ロデリクは、名代の礼ではなく、一人の騎士としての礼を取った。
「御一言、違えずお館様にお伝えいたします。……次代の辺境伯家の武は、舌でも辺境の古狸に負けぬと。良き主をお持ちだと、家中に自慢いたしましょう」
その一礼を残して、弁の立つ騎士は退がった。
「……よろしかったので」
ユーグの問いに、ロズヴェータは長く息を吐いた。
「よくはない。親父殿は、機嫌を損ねるだろう。……だが、あれだけは、紐でも手綱でもないんだ。呑めば、俺じゃなくなる」
清濁を併せ呑む。それは、ロズヴェータの流儀だ。
だが、濁りにも、飲める濁りと、飲めば己が濁って消える濁りがある。その見極めだけは、譲れなかった。
◇◆◇
五人目は、推薦状を持っていなかった。
それどころか、面会の列にも並ばず、天幕の外の柵に寄りかかって、非番の兵と博打を打っていた。
「ん? 俺かい」
呼ばれて入ってきたのは、五十がらみの、くたびれた男だった。革鎧は継ぎだらけ、片耳が潰れている。剣士と言うより、殴り合いで生きてきた男の面構えだった。
「元、王国軍の軍法官付き、下士のヴォルクだ。……と言っても、二十年前の話でな。上官の不正を告発して、逆に叩き出された。以来、あちこちの騎士隊を渡り歩いて、いまは食い詰めてる」
推薦状は、と問うユーグに、男は鼻を鳴らした。
「そんなもん、あるわきゃねえ。推薦してくれる派閥がありゃ、二十年も食い詰めてねえよ」
ロズヴェータは、その男に、一つだけ問うた。
「うちは、これから冬に聖都まで攻める。無謀だと思うか」
「思うね」
男は、即答した。
「本気で聞くなら、正気の沙汰じゃねえ。冬の進軍で兵站は倍食う、聖都の壁は分厚い、守将は首狩り総督だ。──団長さんよ、あんた、部下を殺す気か」
天幕が、凍りついた。
新参の身で、団長の作戦を「部下を殺す気か」と面罵したのだ。ユーグの手が、剣に伸びかけた。
だが、ロズヴェータは──笑った。
「なるほど」
「なるほど、じゃねえよ。止めろとは言わねえ。総指揮官が決めた戦なんだろ? なら、やるしかねえ。だが、やるなら、あんたに『それは無理だ』と面と向かって言う奴を、一人、そばに置いとけ。……でねえと、あんたみたいに勝ち続けてる男は、いつか崖から跳ぶぜ。跳んだのが見えなくなってから、皆で落ちる」
崖から、跳ぶ。
ディルアンが、ゲイルノアの博打を評した言葉と、同じだった。
ロズヴェータは、ユーグと目を交わした。それから、アウローラと。
二人とも、僅かに頷いていた。
「ヴォルク殿」
「なんだい」
「うちに来い。役職は──軍法と、諫言役だ。俺が無茶を言ったら、今みたいに、皆の前で怒鳴りつけてくれ」
男は、目を丸くした。それから、潰れた片耳を掻いて、ひどく居心地の悪そうな顔をした。
「……正気か、あんた。俺は今、あんたの戦を『正気じゃねえ』と言ったんだぞ」
「だから雇うんだ。俺に否と言える骨が、うちにはまだ一本もない。──派閥の推薦状は、否を言わない。派閥の駒は、送り主の顔色を見る。だがあんたは、二十年、誰の顔色も見ずに食い詰めてきた。その根性が、欲しい」
ヴォルクは、しばらく黙っていた。
それから、面会に来た誰よりも深く、頭を下げた。
「……安く買い叩かれたもんだ。まぁいい。飯が食えるなら、いくらでも怒鳴ってやるよ、団長さんよ」
◇◆◇
その夜、天幕で帳簿を検めながら、アウローラが言った。
「文官の腕、王家の補給線、商人の荷。使えるものは、全部いただきましたわね。紐は一本残らず抜いて」
「派閥は、駒を入れられなかった。俺は、欲しい腕だけ取った。……悪い買い物じゃない」
「辺境伯家だけ、突き返しましたけれど」
「あれは、買い物じゃなかったからな」
ロズヴェータは筆を置き、天幕の外の月を見た。半分より、少しだけ膨らんだ月。
「腕も、紐も、荷も、呑める。だが、誰を娶るかまで人に決めさせたら、俺はもう、俺の旗を掲げてる意味がない」
アウローラは、しばらく黙って、それから、いつもの棘のない声で言った。
「……ユーシャル姫とやらに、会ってみたくなりましたわ。あなたに、そこまで言わせる縁談の相手ですもの」
「妬いてるのか」
「まさか。──品定めですわ。私の騎士様の隣に立つ女なら、私が値踏みしてよいでしょう?」
その目が本気か冗談か、ロズヴェータには、最後まで読めなかった。




