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獣達の騎士道  作者: 春野隠者
聖都への道

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153/219

【幕間】王都からの手紙

 その文が届いたのは、ガディフォールの宿営が補給計画の書類で埋まり始めた、冬の初めの午後だった。

「隊長ー! ネリネから! ネリネから文!」

 受け取りの荷を検めていたヴィヴィが、油布の包みを頭の上で振り回しながら駆けてくる。その声だけで、荷解き場の半分が仕事の手を止めた。

「読んで! いますぐ! ここで!」

「私信だぞ」

「宛名見なって、隊長」

 バリュードがひょいと包みを覗き込んで、にやりと笑った。

 宛名にはこうあった。

 ──三頭獣騎士団の、みなさまへ。

 こうなっては、仕方がない。

 夕刻、天幕に集まったのは、ヴィヴィ、バリュード、ルル、ユーグ、アウローラ、会計方の娘たち。ガヒル村の老婆までが「婆にも聞かせろ」と孫の手を引いてやって来た。孫は新しい旗持ちだ。自分より背の高い旗竿を、天幕の外にきちんと立てかけてから入ってくるあたり、仕事を分かっている。

 ロズヴェータは封を切り、読み上げた。


『三頭獣騎士団のみなさまへ

 騎士ネリネより、王都から一通目の文をお送りします。

 まず、船は大変でした。出港して半日で海が嫌いになり、三日目には陸を歩くすべての人を尊敬するようになりました。五日目から食べられたのは、ヴィヴィ隊長の干し肉だけです。塩が濃くて硬いのが、あんなにありがたいものだとは知りませんでした。船乗りの方に少し分けたら、金貨で買いたいと言われました。売りませんでした。

 ルル隊長の絵解きは、船で三度読みました。揺れる船の上で型の絵を眺めていると不思議と酔いが引くのです。ただ、甲板で試しに構えてみたら、船乗りの方々に大変喜ばれてしまい、以来毎朝、見物人がつくようになりました。これは修行なのでしょうか。

 バリュード隊長に教わった遊びは、やっていません。まだ。

 王都に着いて、騎士校に入りました。石造りの大きな校舎で、廊下を歩くと自分の足音が偉い人の足音みたいに響きます。同期は貴族の子弟の方が多く、地方の、しかも戦地で叙任された騎士は珍しいらしく、最初の数日はたくさん見られました。見られるのは旗持ちで慣れているので、平気でした。

 それで、その、旗のことなのですが。

 寮の自室の壁に、いただいた旗を飾りました。規則で私物の掲示は寝台の周りだけと決まっているので、ちゃんと寝台の上の壁です。ここは規則の通りです。隊長に習った通り、規則は書いてある通りにしか縛れないので、書いてある通りに飾りました。

 そうしたら、同室の子が話して、噂になって、見に来る人が増えて、そのうちの一人が、言ったのです。

 どこの田舎の獣紋だ、色も剥げているではないか、と。

 私は、胸を張って説明しました。どこの旗で、何をした旗か。城塞都市ゲイルノアの旗で、谷で三百を包んだ旗で、間者の網を破った旗で、海湾都市ガディフォールで騎士団に昇格した旗です、と。ゲイルノアのあたりで廊下に人だかりができて、谷の話のあたりで教官殿まで聞いておられました。説明を終えたら、拍手が起きました。旗は色が剥げているのではなく、勝ち星の分だけ古びているのだと、ちゃんと言えました。

 ただ、隊長。ごめんなさい。少しだけ、剣に手がかかりました。

 その人が去り際に、三頭獣の団長のことを、ここに書くのも嫌な言葉で呼んだからです。カミューの、の後に続く言葉でした。同室の子が腕にぶら下がってくれたのと、教官殿の咳払いで、抜かずに済みました。決闘にはなっていません。なっていませんが、ならなくて良かったのかどうか、今も少し考えています。

 あとで同室の子が教えてくれました。あの人は、ルクレイン公爵家の縁者にあたる家の生まれだそうです。獅子に盾の紋の、あのお家です。三頭獣の名前を聞いた時から、ずっと顔色が変だったそうです。

 私はあの旗の説明をしただけなのに、あちらは旗の名前だけで、あんな顔になるのですね。

 王都は、少しざわざわしています。西から来た説教師様たちが辻で聖戦のお話をされていて、聞いた人たちが騎士校の門前にまで志願に来ます。教官殿たちは困った顔をしています。校では、東の戦の話が毎日出ます。銀の獅子の名前も、時々出ます。私はそのたびに、胸の中だけで、うちの団長です、と言っています。胸の中だけです。目立つなと、ユーグ様に言われているので。

 アウローラ様。お預かりした文は、まだ使っていません。困っていないからです。でも、鞄の内側に縫い付けて、毎晩あることを確かめています。聞かない、詮索しない、なくさない。三つとも守っています。

 メッシーさん、メルヴさん。王都の市場で、お二人が言っていた砂糖菓子を見つけました。給金が出たら買って、味を報告します。

 婆様。お孫さんは、旗を倒していませんか。旗持ちの一番の仕事は、倒さないことです。二番目は、腕を痺れさせても顔に出さないことです。伝えてください。

 団長。私は元気です。学んでいます。剣術の教官殿に、型が実戦寄りすぎると叱られました。ルル隊長の絵解きの通りにやったのですが、と言ったら、それは誰の絵解きだと聞かれたので、うちの隊のです、と答えておきました。

 春までには、もっと学びます。

 学んで、追い越しに戻ります。

 騎士ネリネ』


 読み終えると、天幕の中はしばらく、思い思いの音で満ちた。

「あの子ったら、干し肉売らなかったんだ! 偉い!」

 ヴィヴィが自分の手柄のように胸を張り、

「読んだか。良し」

 ルルが深々と頷き、

「『まだ』って書いてある時点で、あれは時間の問題だね」

 バリュードが実に楽しそうに断言した。

「毎晩確かめている、ですって」

 アウローラは扇の陰で笑ったが、その目は少しだけ柔らかかった。

 老婆は孫の頭に手を置いて、何も言わずに二度、叩いた。孫は分かったのか分かっていないのか、外に立てかけた旗竿の方を一度振り返った。

 やがて皆が思い思いに散っていき、天幕にはロズヴェータとユーグだけが残った。

「……ルクレインの縁者、ですか」

 ユーグの声から、先ほどまでの温度が消えていた。

「本家の血からは遠い家の者でしょう。ですが、それでも──王都の騎士校にまで、うちの名前が届いている。そして向こうは、縁の端の者ですら、旗の名前だけで顔色を変える」

「届いているのではなく、障り始めているのでしょう。三頭獣の武名が上がるほど、あの家の一件は蒸し返される。婚約者を奪った弟君の名と、一緒に」

 ロズヴェータは、文の一か所に視線を落としたままだった。

 ここに書くのも嫌な言葉で呼んだからです──。

 書かれなかった言葉の中身は、読めた。妾腹。捨て子。聞き慣れた石つぶてだ。自分に投げられる分には、今更どうと言うこともない。

 だが、あの旗を胸を張って説明した娘の前で、それを言ったのか。

 腹の底で、覚えのある黒い熱が、ゆっくりと一周した。

 ロズヴェータは目を閉じ、それが煮えるに任せず、静かに底へ沈め直した。

「……ユーグ。王都の戦は、聖都の後だ」

「はい」

「だが、順番が回ってきたときのために、帳簿はつけておけ。誰が、どこで、何を言ったか。──俺の流儀じゃなく、ガーデルの流儀でだ」

「几帳面に、正確に」

 ユーグは薄く笑って、一礼した。

「かしこまりました、ロズヴェータ様。……それにしても」

 出て行き際、副官は付け加えた。

「決闘寸前で踏み止まるとは、あの娘、本陣の門を駆け抜けた頃より、よほど強くなりましたね」

「ああ」

 ロズヴェータは、文を畳みながら答えた。

「抜かない強さの方が、覚えるのに時間がかかる」


◆◇◆


 夜、ロズヴェータは一人、返事の筆を執った。

 書きたいことは山ほどあった。春までに聖都を獲りに行くこと。補給線の全部を騎士団が背負うこと。リオリスが西から帰って来ること。雪崩のこと。賭けのこと。

 その全部を、書かなかった。

 軍機であるからだ。文は人の手を渡る。本陣の書記局で起きたことを、誰より知っている身としては、紙に載せられる言葉は選ばねばならない。

 要るものだけを、要る順に。

 いつか誰かに評された流儀で、ロズヴェータは短く書いた。


『騎士ネリネへ

 文は皆で読んだ。干し肉を売らなかった判断は正しい。ヴィヴィが誇っていた。

 旗の説明、良くやった。旗は説明されるたびに強くなる。お前が話した分だけ、あの旗はまた古びて、また強くなった。

 剣に手がかかった件。抜かなかったのなら、それはもう抜かなかったと言う戦果だ。ただし次も抜くな。お前が抜けば、相手はお前ではなく、旗に勝ったことにする。連中の土俵で、連中の流儀で勝つ方法を、学んで来い。学ぶ場所は、そのためにある。

 こちらは変わりない。仕事は多いが、飯は足りている。

 春までに、こちらも一つ、大きな学びを終えるつもりだ。詳しくは書けない。書けないことが増えるのは、お前の団が大きくなったと言うことだと思ってくれ。

 旗持ちの後任は、まだ旗を倒していない。腕が痺れているかどうかは、顔に出ないので分からない。良い後任だ。

 体を壊すな。学んで来い。

 三頭獣騎士団団長 ロズヴェータ』


 書き終えて、封をして、蝋を落とす。

 封蝋に押すのは、真新しい騎士団の印章──三つ首の獣が、欠けた月を踏む意匠だ。

 この文が王都に着く頃、あの色褪せた旗は、また誰かに説明されているだろうか。

 海を挟んで、二つの三つ首の旗が、同じ冬の風に鳴っている。

 ロズヴェータは文を発送の箱に納め、山と積まれた補給計画の書類に向き直った。

 春までに、聖都を。

 そのための冬が、始まっていた。


◆◇◆


 その返事が王都の騎士校に届いたのは、さらに一月近く後のことだった。

 寮の自室で封を検めたネリネは、差出人の印を見た瞬間、廊下まで聞こえる声を上げかけて、慌てて自分の口を両手で塞いだ。

 三つ首の獣が、欠けた月を踏む印章。

 団長の、封蝋。

 寝台に飛び乗り、壁の旗の下で膝を抱え、一字ずつ味わうように読んだ。

 干し肉を売らなかった判断は正しい。旗は説明されるたびに強くなる。抜かなかったのなら、それはもう抜かなかったと言う戦果だ。

「⋯⋯んふ」

 読み終えて、また最初から読んだ。三度目は声に出さずに唇だけで辿り、四度目で、褒められた行の位置を全部覚えた。

 連中の土俵で、連中の流儀で勝つ方法を、学んで来い。

「はい、団長」

 誰もいない部屋で返事をして、ネリネは文を胸に押し当てた。頬が熱い。体の奥のほうが、きゅうと甘く締まる。紙越しに、あの声で読まれている気がした。ああ、これが手紙と言うものの恐ろしさか。姿が見えないのに、首の後ろを掴まれているようなこの感じ──。

 ぺろりと、唇を舐める。

 同室の子が戻ってくる前に、ネリネは文を丁寧に畳み、枕の下──ではなく、肌着の内側に縫い付けた薄い革の袋に納めた。アウローラの文の、隣だった。

 そこでふと、机の上に、もう一通あることを思い出した。

 昼に届いていた、二通目。

 差出人は、騎士ショルツ。

 ──父様。

 封を切る手つきが、変わった。

 浮かれた娘の指ではない。封蝋の割れ方、紙の折り目の順、香の有無を確かめる、教えられた通りの指の運びだった。新緑色の瞳から、火が消える。査定をする者の、温度のない目がそこにあった。

『愛しい娘ネリネへ

 入校の報せ、嬉しく読んだ。学友には恵まれたか。父はお前を誇りに思う。

 聞けば、お前の団は騎士団に昇格したそうだね。めでたいことだ。式の様子を、父にも聞かせておくれ。列席された将官の方々のお名前、新しい旗の意匠、団が拝命した任の中身。娘の晴れの日のことだ、父は余さず知って、方々に自慢がしたい。

 王都は十字軍の噂で騒がしかろう。騎士校の若者たちの従軍志願は、どれほどの数になっているかね。時勢を知ることも学びのうちだ。

 それと、お前の団長どのは、ずいぶんと高く飛ぶようになった。

 高く飛ぶ鳥は、良く見える。地からも、空からもだ。

 体を大切に。返事を待っている。

 父より』

 ネリネは、その文を二度読んだ。

 一度目は娘として。二度目は、狗として。

 娘として読めば、これは孤児を拾って育てた恩人の、少し筆まめな親心だ。

 狗として読めば、一行残らず、値札のついた問いだった。将官の名は派閥の見取り図。任の中身は補給の弱点。志願者の数は王都の徴募力。そして最後の二行は──団長の周りに、目が増えたと言う通告。

 昔のネリネなら、震えたかもしれない。

 今のネリネは、机に向かい、新しい紙を広げ、いつも通りの返事を書き始めた。

 式の様子は、華やかに、詳しく。港の民の歓声、ディルアン様の短い口上、拍手の数まで。どうせ千人が見ていた。誰でも知れることは、惜しまず書く。

 将官の名前も書く。布告で読み上げられた通りに。あれは公のものだ。

 任の中身は、補給の護りとだけ。任命書の書き出しにあった一行は──そもそも私は知らない。団長は、書けないことを書かない人だから。知らないことは、書けない。なんて安全なんだろう。

 志願者の数は、少し多めに書いた。王都の熱を、父様は高めに見積もればいい。

 アウローラ様の文のことは、書かない。

 肌着の内側のことは、誰にも書かない。

 嘘は、一つもない。書かないだけ。規則は書いてある通りにしか縛れなくて、報告は書いた通りにしか読まれない。どちらも、団長と父様が教えてくれたことだ。

 ──要るものだけを、要る順に。父様に要るものを、父様に要る順に。

 書き上げた報告は、我ながら理路整然として、過不足がなかった。

 父様はきっと、この過不足のなさを疑う。疑って、それでも受け取る。嘘の混じった情報も情報のうちだと割り引いて読む人だから。それで良い。これは報告の形をした、ただの近況の文なのだから。飼い葉の請求書に、毒は入れない。

 封をして、蝋を落とす。何の変哲もない、騎士校の売店で買った蝋を。

 それから、ネリネは父様の文を燭台の火にかざした。

 文の焼き方にも、教えられた作法がある。端から三度に分けて、灰は崩して、香りが残らないように。指が勝手に動く程度には、躾けられている。

 炎が最後の一片を舐めるのを見届けて、ネリネは肌着の上から、そっと胸元を押さえた。

 革袋の中の、二通の重み。

 燃やす文と、縫い付けて肌身離さず持ち歩く文。私の中に線があるとすれば、きっとそこだ。

「⋯⋯んふ、ふふ」

 壁の旗を見上げて、ネリネは笑った。

 騎士校の同期たちが見れば驚くだろう、日向の匂いのしない笑い方だった。

「早く春にならないかなあ」

 春になれば、戦が動く。戦が動けば、学びを終えて、帰れる。

 追い越しに戻ります、と書いた。あれも嘘ではない。

 追いかけて、追いついて、それでも追い越さずに、あの人の半歩後ろで──首の後ろを掴まれていたいだけだ。

 窓の外、王都の冬空に、欠けた月が昇り始めていた。


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