気に入らない仕事
空を見上げれば蒼穹に一羽の鳥が飛んでいる。
ピィーピィーと甲高い声で鳴く鳥は、天上から獲物を狙っているのか、それとも延々と続く行軍を嘲笑っているのか、どちらなのだろうとロズヴェータはぼんやりと思った。
「ロズヴェータ様、間もなく到着です」
「ああ」
美貌の副官ユーグの呼びかけに気のない返事を返してロズヴェータは視線を地上に戻す。
「まだ、納得がいかないので?」
「……まぁ、それもある」
「他にも?」
「本当に必要か? この作戦」
ロズヴェータの疑問に、美貌の副官ユーグはため息交じりに口を開いた。
「であれば、拒否されたら良かったのでは?」
「そうもいかない。断れば、この仕事は別の誰かに回る。……たとえば、提案者本人に」
「四腕の毒蜘蛛に、ですか」
「あの連中が『排除』をどうやるかは、追撃戦で見た」
ユーグは黙った。道端に打ち捨てられていた、四肢のいずれかが欠けた屍を思い出したのだろう。
海湾都市ガディフォールから聖都ジュルル・サルムまでは、大きく分けて三つの経路がある。山裾を貫く中央道沿い、沼地、海沿いの経路だ。数日前に海沿いの伏兵を排除した三頭獣に、今度は中央道沿いの偵察依頼が来た。反抗的な集落が敵に情報を渡す可能性がある、だから排除せよ、という名目で。
だがロズヴェータには、軍の行軍経路の邪魔だから、理由をつけて追い払おうとしているようにしか見えない。
提案したのは、城塞都市ゲイルノア陥落からの追撃戦で功を上げ、騎士隊から騎士団に成り上がった四腕の毒蜘蛛の頭目、毒蜘蛛のリリー。遠征軍はその仕事を、セルコエシュー自身にではなく、リリーに物怖じしないロズヴェータに回した。白羽の矢が立った、というわけだ。
ユーグとの会話が途切れると、あとは蹄と足音だけが続いた。
そのうち、後方から軽い口笛が聞こえてきた。
「にしても、隊長ってすごいですよね」
バリュードだった。童顔に何の変哲もない笑みを貼りつけたまま、馬の首に片肘をついて体を傾けている。
「物怖じしないから白羽の矢が立つ、ってことでしょ? つまり怖がれば仕事が来なくなる。こわーいって顔してれば良かったですね、最初から」
「…………」
「まぁ、隊長がこわいって顔してても、俺たちはついてくだけですけど。気に入らない仕事でも、そうじゃない仕事でも、どっちにしても」
最後の一言は、心底どうでもよさそうな声音だった。慰めているのか、からかっているのか、あるいはただ本当にそう思っているだけなのか。バリュードの場合、たいていは三つ目だとロズヴェータは知っている。
次に声を上げたのはヴィヴィだった。
「ごちゃごちゃ言ってもしゃーない!」
大柄な体に似合わない切れのいい声が、行軍の空気を蹴り上げた。
「行って見てみるしかないだろ! 本当に敵に情報流してるやつがいるかもしれないし、ただのとばっちりかもしれないし、どっちかは行かなきゃわかんない。それだけの話だ! ちがうか!?」
しばらく間があった。
「…………」
「なんだよ、ルル」
「発破をかけたいなら、自分にかけろ」
ヴィヴィの声が、一瞬止まった。
「……何が言いたい」
「気乗りしない仕事だ。お前も同じだろう」
ルルは前を向いたまま、それだけ言った。否定でも肯定でもなく、ただ見えているものを口にしただけという静けさで。
「うっさい」
「事実だ」
「チビのくせに余計なこと言うな」
「聞こえているぞ、その言葉」
「聞こえるように言ってる」
ヴィヴィの声には、さっきほどの勢いがなかった。
ヴィヴィとルルのやり取りが後ろで続く中、ガッチェが静かに馬を寄せてきた。筆頭分隊長は前方を見たまま、淡々と口を開く。
「集落の規模と位置は把握しています。到着前に改めて確認します」
それだけだった。納得も反発もなく、ただ次の仕事を確認する声。
ロズヴェータは短く息を吐いた。
「頼む」
気に入らない仕事だ。それは変わらない。だが行くしかないことも、同じくらい変わらない。
集落まであと一刻ほどの距離に差し掛かったとき、前方から単騎が近づいてくるのが見えた。
グレイスが無言でロズヴェータの傍らに馬を寄せ、目で問う。ロズヴェータは小さく首を横に振った。敵ではない。
速度を落とすこともなく近づいてくる騎士の外套の左胸には、蜘蛛の紋章——四腕の毒蜘蛛の徽章があった。
男は馬を止めると、ロズヴェータを上から下まで無遠慮に眺め回した。
「三頭獣のアタマか」
確認でも挨拶でもない、品定めするような声音だった。傷の多い顔に薄い笑みを浮かべ、鞍の上で崩した姿勢のまま体を傾ける。
「カシラからの伝言を持ってきてやった。ありがたく聞きやがれ」
ロズヴェータは答えなかった。
男は気にした様子もなく続ける。
「中央道第二集落には、三日月帝国の間者が紛れている。もう調べがついてる。お前らがやることは決まってる——あとはやるかやらないかだ。わかるよな?」
命令のような口調だった。伝言ではなく、既成事実の告知だ。
ロズヴェータは無表情のまま口を開いた。
「伝言は聞いた。帰れ」
「は?」
「帰れ、と言った」
男は鼻で笑った。
「随分と愛想がないな。カシラのご厚意で情報をもらっておいて、その態度か」
「情報には礼を言った。用は済んだ。帰れ」
短い沈黙があった。男の目から笑いが消えた。
「……後悔すんなよ」
それだけ言い捨てると、男は乱暴に馬首を返した。蹄の音が遠ざかっていく。
その背を見送りながら、ユーグが静かに口を開いた。
「……命令のつもりだったようですね」
「ああ」
「『調べがついている』と『やることは決まっている』だったな」
ロズヴェータの呟きに、ユーグが視線を鋭くする。
「報告書の内容を、先に決めようとしている……?」
ユーグが一瞬黙った。
「証拠をそろえるつもり、ですか」
「あるいは既に揃えてある」
集落に間者がいるというのは本当かもしれない。だがその確認をしたのが四腕の毒蜘蛛であるなら、信用できるのはその事実だけだ。証拠の信憑性は別の話になる。
「……厄介な仕事です」
「最初からそう言っている」
行軍が再び動き出した。
第二集落は、拍子抜けするほど静かだった。
木柵に囲まれた小さな村で、畑には刈り残しの麦が揺れていた。人の気配はある。だが出てくるのに、妙に時間がかかった。
最初に現れたのは老婆だった。
杖をついてはいるが、ロズヴェータたちを見る目に怯えはない。あるのは、疲れ果てたような静かな敵意だった。
「また来たのか」
老婆はそう言った。
ロズヴェータは馬上から老婆を見下ろしながら、「また」という言葉を頭の中で転がした。
「何者が、以前に?」
「先月、別の騎士だ。集落の男たちに話を聞きたいと言って、そのまま数人を連れて行った。帰ってこない」
後ろでヴィヴィが何かを言いかけ、黙った。
「村の名は?」
「ガヒル」
「成人男性は?」
「いない。連れて行かれたか、逃げたか、自分から出て行ったか。残っているのは、動けない者か、動かない者だ」
動かない者というその言葉に、老婆自身の意地が滲んでいるように感じた。
ロズヴェータは老婆の後ろに目をやる。チラリと木柵の陰から、子供たちが覗いていた。女たちがその子供を引き寄せながら、こちらを見ていた。
──間者。
この村のどこを探せば出てくるというのか。
「聞くが」
とロズヴェータは言葉を一度切る。
「帝国の者と接触したことがあるか?」
「ない」
老婆は即答して首を振る。
「接触する男がいない。用があるなら勝手に来るだろうが、来てもいない」
沈黙が落ちた。
「村を確認させてもらう」
横柄な騎士なら断りもせずやるだろうことを、ロズヴェータは口に出して許可を求める。老婆は好きにしろとでもいうかのように、首を振った。
ロズヴェータはゆっくりと馬を進め、村の中を一巡した。バリュードとガッチェがそれぞれ分隊を率いて別の方向に散る。ルルが黙って境界線の外を回った。
何もない。
怯えがあり、疲弊があり、飢えの気配があった。しかし間者も、帝国の痕跡も、武器の備蓄も、なかった。
「ガッチェ」
「はい」
「記録を取れ。集落の規模、人員、物資の状況。報告書に添付する」
「承知しました」
老婆がロズヴェータを見上げた。その目に、初めてわずかな戸惑いが混じった。
「……追い払いに来たのではないのか」
「俺が来たのは偵察だ」
僅かに苦みが混じった口調でロズヴェータは言った。
「脅威の有無を確認するためだ。今のところ、ここに脅威はない」
「——」
「だが次に来るのが俺とは限らない。早めに決めておけ」
それだけ言って、ロズヴェータは馬首を返す。何を決めろとは言わない。戦乱の気配は老婆の意地を苛烈に試すだろうと、視線に込めたつもりだ。逃げられる場所があるなら、逃げた方が良いに決まっている。
それができないなら、一時的な避難場所だけでも行けばいい。
辺境伯領に領地をもつロズヴェータは、開拓民の悲惨さを知っているがそれと同時に逞しさも知っている。ただ蹂躙されるのを待つばかりが、選択肢ではないはずだ。
第三集落に近づいたとき、最初に変化を察知したのはグレイスだった。
斥候として先行していたグレイスが馬足を緩め、無言でロズヴェータに手信号を送る。
人がいる、ではなく、隠れているという合図だった。
ロズヴェータは部隊を止め、グレイスの視線の先を追った。村の外れ、刈り取りの終わった麦畑の向こうに、古い納屋が一つある。
「ルル」
「諾」
音もなく、ルルの分隊が散った。
村人は抵抗しなかった。
出迎えに出てきたのは中年の男で、ガヒル村の老婆とは違い、顔に表情というものがなかった。怯えでも敵意でもない——何かを隠している者特有の、感情を消した顔だった。
「何をしに来た」
「偵察だ」
とロズヴェータは答えた。後方で僅かにユーグが身構える気配がする。ロズヴェータは、それに安心感を覚えつつ目の前の男に対峙した。
「脅威の有無を確認する」
「脅威はない」
男は即答した。
「ただの農村だ」
ロズヴェータは男の目を見た。
嘘をついている人間の目は、たいていの場合、二種類に分かれる。視線を逸らす者と、逆に真っ直ぐ見すぎる者だ。この男は後者だった。
その時、背後から短い声が上がった。
「隊長」
バリュードだ。珍しく、声音から軽さが消えている。
納屋の前に、ルルの分隊が人を一人、引き出していた。三十がらみの男だった。農夫にしては体の作りが違う。腰に巻いた布の下に、文書を隠していた。
広げてみれば、軍の行軍経路と思しき地図の写しだった。細かく書き込まれた注記の字体は、この国のものではない。
「ルル」
呼ばれたルルは馬を寄せ、地図を一瞥して短く言った。
「帝国の軍用文字。行軍経路と、推定の補給地点。日付もある」
もはや間違いようがない。
ロズヴェータは地図を折りたたんだ。
先ほどの中年の男が、もはや表情を取り繕う気力もなく俯いていた。村人が数人、木柵の陰から固唾を呑んでこちらを見ている。
知っていたのだ。全員ではないとしても、少なくとも何人かは、この男が何者かを知っていた。
「ガッチェ」
「はい」
「記録を取れ。村人全員を集めろ。話がある」
何を言うべきかは、すでに決まっていた。
気に入らないが、決まっていた。
ガヒル村に「早めに決めておけ」と言ったとき、この展開を想定していなかったわけではない。村が能動的に帝国の間者を匿ったなら、それは軍の行軍に対する脅威だ。ロズヴェータ自身が設けた判断基準で言えば、「脅威あり」に分類される。
リリーが提案したからではない。ロズヴェータが偵察者として下す、ロズヴェータ自身の判断だ。
それでも、気に入らないことに変わりはなかった。
「この村を出ろ」
ロズヴェータは集まった村人を前にして、静かに言った。
「帝国の間者を匿ったことは事実として記録する。しかし今この場で罰しはしない。三日以内に荷物をまとめて立ち去れ」
中年の男が顔を上げた。何かを言おうとして、やめた。
木柵の陰に、小さな影があった。
ガヒル村で見たのと同じ年頃の子供が、母親らしき女の腰にしがみついて、こちらを見ている。違うのは、その目に浮かんでいるのが好奇ではなく、理解できないものを見る色だということだった。
三日で、この子は生まれた家を失う。
ロズヴェータは視線を引き剥がすようにして、続けた。
「四日後以降にここに残っていた場合、俺ではない者が来る。その者が俺と同じ判断をするとは限らない」
それだけだった。
ユーグが隣で静かに記録を取っている。バリュードは無表情だった。ヴィヴィは何も言わなかった。
村を出て、しばらく無言が続いた。
最初に口を開いたのはユーグだった。
「……ロズヴェータ様」
「わかってる」
「……どこまでがあの女の仕込みだと思いますか?」
甘いとの説教を覚悟したロズヴェータは、ユーグの問いかけに咄嗟に反応できなかった。
「……」
沈黙のうちにロズヴェータは、リリーの言動と性格を比較する。
残忍酷薄な性格をしているが馬鹿ではない。少なくとも騎士団を率いるだけの数を率いる女が、ただ情報を寄こすだろうか。なぜ、あの伝令は村の方から来たのか。
もしや、エルフィナスの間者自体がリリーの罠なのではないか。
自身の報告の正しさを証明するため、仕込みまでするだろうか? それを証明するのがリリーに対して物怖じしないロズヴェータだとしても、そこまで……。
「セルコエシューが報告し、我々が証明した。傍目には、我らはセルコエシューの報告の正しさを証明したことになります」
ロズヴェータは答えなかった。
そうだ。傍目にはセルコエシューとドライアルドベスティエが連携を執っているように見える。報告書に書けば、「三頭獣は命令通り集落を排除した」と読まれる。リリーはそれを狙って? 何のために?
気に入らない。
だが間者は本当にいた。村は本当に匿っていた。ロズヴェータはロズヴェータの基準で判断した。
それだけだ、と自分に言い聞かせた。
空を見上げれば、朝と同じ青さがあった。鳥はもういなかった。魔物にでも食われたか。
宿営地に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。
馬を預け、ユーグに報告書の作成を頼んで天幕に入ろうとしたとき、声がかかった。
「お帰り、三頭獣の旗頭」
振り返ると、天幕の影に人が立っていた。
女だった。背は高くはないが、立ち方に隙がない。赤い髪が夕暮れの光の中で燃えるように揺れていた。口元に浮かぶのは、口の端を吊り上げただけの酷薄な笑み。蛇を思わせる温度のない視線が、値踏みするようにロズヴェータを舐める。毒蜘蛛の、と呼ばれる所以はあの目か、とロズヴェータはぼんやりと思った。
「毒蜘蛛のリリー」
「おやおや、つれない呼び方じゃないか」
女はひひひ、と喉を鳴らして笑った。
「リリーでいいぜ、銀の獅子さんよ」
ロズヴェータは天幕の前で足を止め、相手を見た。強面の手下が二人、少し離れた場所に控えている。ユーグが背後で気配を殺して立っているのがわかった。
「何の用だ」
「なに、労いに来てやったのさ」
リリーは言った。
「ちゃんとやったじゃないか、なぁ?」
ちゃんとやった。まるで手下に言うような口ぶりだった。
「——ああ、それと聞いたぜ。うちの使いを随分と邪険にしてくれたらしいじゃないか」
「伝言は聞いた。それ以上の用はなかった」
「『帰れ』の二言だったってなぁ。あいつ、メンツを潰されたって喚いてたぜ」
「潰される顔があったとは知らなかった」
「……くくっ。言うねぇ」
リリーは咎めるでもなく、むしろ愉しげに喉を鳴らした。
「俺がやったのは偵察だ」
とロズヴェータは言った。
「脅威の有無を確認した。第二集落に脅威はなかった。第三集落には間者がいた。それぞれ記録し、第三集落には退去を命じた」
「結果的に、あたしの提案した通りになったじゃないか」
「お前の提案とは関係ない。俺の基準で判断した」
リリーは少し間を置いた。それから、ひひひ、と喉を鳴らして笑った。短く、しかし本当に楽しそうな笑い方だった。
「そうかい。お前の基準で、ときたか」
「ああ」
「報告書にもそう書くのかい?」
「事実をそのまま書く」
リリーの笑いが収まった。蛇のように無機質な目がロズヴェータに向けられる。敵意ではなく、それに近いが違う何か——獲物を前にした静けさ、とでも言うべき目だった。
「で、第二集落はどうしたんだい」
やはり来た、とロズヴェータは思った。
「脅威なしと判断した。排除していない」
「証拠がなかったからかい?」
「証拠がなかったからだ」
「甘いねぇ」
リリーは口の端を吊り上げた。
「脅威になる前に、なる芽ごと潰す。それが戦場ってもんだぜ。それに役得もある。お前の所だって別に物資が潤沢にあるってわけじゃあないんだろう?」
「俺の論理は違う」
「……なるほどねぇ」
リリーは考えるそぶりを見せて肩をすくめた。ロズヴェータを値踏みする目が、突き刺さる。
ロズヴェータは無言を貫いた。
「なら、賭けをしようじゃないか」
リリーは指を一本立てた。
「ひと月だ。ひと月のうちに、あのガヒルとかいう村から帝国の『証拠』が出てくるかどうか。出てきたら——『脅威なし』と書いたお前の報告書は、どうなるかねぇ」
「……証拠を植えると、宣言しに来たのか」
「おやおや、人聞きの悪い」
リリーはわざとらしく両手を広げた。
「あたしはただ、戦場じゃ何が起きるかわからないって話をしてるだけさ」
「また仕事を一緒にするかもしれないね。高潔な騎士様」
リリーは言った。まるで世間話のように。
「そのときも、お前の基準でやりゃあいい。名誉とか言うのが欲しいなら、好きなだけくれてやるさ。機会があるのに掴まないなんて、間抜けだろうしね。まぁ役得がいらないというんなら、うちがもらってやるよ」
リリーは少しの間ロズヴェータを見た。それから、また口の端を吊り上げた。
「まぁ、人数が多くなると色々あるもんだ。気が変わったら相談に乗ってやるぜ?」
それだけ言って、リリーは踵を返した。去り際、肩越しに付け加える。
「ああ、それと——うちに来る気になったら、いつでも言いな。返事は楽しみに待ってるぜ、銀の獅子さんよ」
手下二人がぞろぞろと後に続いていく。
その背が夕闇に消えてから、ユーグが低く口を開いた。
「……やはり、一筋縄ではいきませんね」
「ああ」
ロズヴェータは夕暮れの空を一瞬仰いだ。
敢えて口を開かずリリーが得意げに話すのに任せて、相手から情報を引き出せるかと思ったが、彼女はそこまで甘くない。やはり馬鹿ではないのだ。
「気に入らない」
天幕に戻れば、報告書の作成が待っている。「第二集落、脅威なし」——その一行が受理された後でガヒル村から『証拠』が出れば、偵察者の目は節穴か、さもなくば共犯ということになる。
リリーの賭けは、もう始まっていた。




