偵察行
獅子と王冠の王国東征の終盤、聖都ジュルル・サルムを目前にした進行路の偵察を命じられたロズヴェータは、地図を広げて内容を協議していた。
経験豊富な分隊長達から、偵察における注意点や必要な物資、使える期間などを共有するためだった。
「必要なのは経路の詳細な地形、敵の動向、船が荷物を荷揚げできる適地、大軍が通過できるかどうか、以上の四点が偵察項目だ」
「最も海側の経路だね」
分隊長ヴィヴィが赤い髪を掻きながら地図に視線を落とす。難しい顔をしながら眉を顰めるその様子に、子供の教育を悩む母親の姿を幻視するのは、彼女が複数の孤児を引き取って親代わりになっているからだろう。
「単純に海側からの協力が得られるなら、補給にも困らないし、良いんでない?」
あっけらかんと口を開くのは、分隊長バリュード。
「懸念は、見通しの悪さだよ。敵の大軍と出会ったら逃げ場がない」
ヴィヴィの指さす経路は、海岸沿いを反映して曲がりくねっており、高低差もかなりある。森も複数個所確認されている複雑な地形だった。
「海にでも飛び込む?」
三日月帝国出身の分隊長ルルが真剣な顔で冗談を口にする。
「ほとんどは崖になっていますし、装備を持ったまま飛び込んだら死にますが……」
それに真面目に返答したのは、分隊等トーロウ。背の低い猿顔の分隊長は、苦笑する様子も愛嬌があった。
「先行班と言う形で、斥候を出せば?」
筆頭分隊長ガッチェの指摘に、分隊長達の視線はロズヴェータの隣の斥候長グレイスとナヴィータに向かう。
「この地図だと一本道だけど……これどこまで正確?」
ロズヴェータの直轄となっている斥候組は、その組織を拡充し大きく二つの斥候組を有するようになっていた。エルフィナス出身のナヴィータが長い耳をぴくりと動かしながら地図の正確さを問えば、グレイスは無言でロズヴェータにナヴィータの質問の答えを求める。
「まぁ、概ねあっているだろう、としか」
肩を竦めるロズヴェータに、眉を顰める斥候組長の二人。
「分かれ道があった場合、困難だよね」
「うむ」
先行班として斥候組を出す案では、兵力が不足するとの指摘に、ガッチェもまた難しい顔で考え込む。
「そもそもとして、どこまでの偵察なんだい?」
疑問の声を上げたのは、道化化粧の女商人ラスタッツァ。三頭獣の物資を直接買い付けて来る彼女からすれば、問題点はそこだった。
「聖都ジュルル・サルムの手前、ガヘナード平野」
ラスタッツァの問いに、美貌の副官ユーグが応える。
「おやおや、因縁のガヘナードね」
かつて聖都ジュルル・サルムが陥落させられた戦いも、このガヘナード平野において行われた。それを揶揄したバリュードに、ユーグは鋭い視線を向ける。深紅の瞳が険をもって睨み付ける様子に、恐れをなしてバリュードは肩を竦めた。
「おお、怖」
「そういうところだよ、あんたはさ」
呆れたヴィヴィの視線にも、バリュードは肩を再び竦めるだけだった。
西方分隊を率いるドラッドなどは、彼等のやり取りに未だなれないのか、戦々恐々とそのやり取りを見守っていた。
「普通に進むだけなら、二日とかからない距離だけど、荷馬車と商人の足だからねえ」
商売仲間から知識を仕入れて来たであろうラスタッツァが、道化化粧を歪めて笑う。
「どこまで詳細に偵察するんだい? 使わないかもしれないんだろう?」
適当に切り上げるのも大事なのではないか、との疑問を呈する彼女を、ロズヴェータが制する。
「いいや、偵察は詳細にやる」
疑問や質問を互いに話し合っていた分隊長達が、視線をロズヴェータに集中させる。
「他に疑問などないければ、方針を示す」
ぐるりと見まわしたロズヴェータに、分隊長達は誰も声を上げない。
「では、方針を示すが、期間は四日予備一日の五日を期限として偵察を行う。先行班は足の速いヴィヴィの分隊に馬を集め、斥候班もつけて先行分隊として本体から1日の距離をとって前進……」
ロズヴェータの方針に、分隊長達は頭の中で必要な計算をしていく。
分隊に所属する兵士の役割、何をどれくらい準備させるか等経験豊富な彼らはロズヴェータからの方針を聞いただけで、準備する物をどの程度必要か見積ることができた。
女商人ラスタッツァは、早速会計係のメルヴとメッシーに何事か相談している。
都市国家シャロン出身のアウローラは、治癒術師と言う側面と兵站部門のとりまとめ、さらには外交的な一部も負担している。そのため、ひっきりなしに彼女の元には人が訪れ、依頼を持ち込む。
各人がそれぞれに動き出している中で、ロズヴェータはヴィヴィを手招きした。
他の分隊長達が散り散りに準備へ向かう中、二人だけが地図の前に残る。
「何?」
赤い髪を耳にかけながら、ヴィヴィが問う。
「率直に言う。この経路、嫌な予感がする」
ロズヴェータは地図の海岸線を指でなぞった。曲がりくねった一本道。崖と森が交互に現れる複雑な地形。
「嫌な予感、ね」
「地形が敵に有利すぎる。前後を塞がれたら逃げ場がない」
分かっているだろうと、視線で問うロズヴェータに、ヴィヴィは頷き、黙って地図を見つめた。孤児達の食い扶持を稼ぐ必要のある彼女にとって、無用なリスクはとりたくない。
「馬を多く割り当てたのは、そのためか」
「逃げ足だ。何かあればためらわずに引け。先行分隊の役目は情報を持ち帰ることだ。戦果じゃない」
ヴィヴィはしばらく黙考してから、ふっと口元を緩めた。
「了解。ナヴィータ達の耳も借りるよ」
「ああ。斥候を信じろ。おかしいと感じたら、理由がなくとも引け」
ヴィヴィは頷き、踵を返した。その背にロズヴェータは短く付け加える。
「お前の子供達に、みやげ話を持ち帰らせてやれ」
ヴィヴィは振り返らなかった。ただ一度、手を軽く上げただけだった。
◇◆◆
出発から二日が経った。
先行分隊は順調に進んでいる——少なくとも、表向きは。
ナヴィータは馬上で長い耳をそばだてながら、ずっと違和感を抱えていた。
「……静かすぎる」
呟きは小さかったが、隣を進むグレイスの耳には届いた。斥候長は無言で周囲を見渡し、それからヴィヴィの背中に視線を送る。
ヴィヴィはすでにこちらを見ていた。
「止まれ」
低い声で命令が下る。先行分隊が静止する。風の音だけが、崖と木々の間を抜けていった。
鳥がいない。虫の音もない。
「グレイス」
「行かせます」
斥候が二名、音もなく木立に消えた。
報告が来たのは、それから四半刻も経たないうちだった。
斥候の一人が駆け戻り、ヴィヴィの耳元で短く告げる。その顔が険しくなるのを、分隊の誰もが見ていた。
「地図にない分かれ道がある。そこから先、前方の岩陰に人の気配が複数」
ヴィヴィは即座に判断した。
「引く。来た道を戻る」
しかし次の瞬間、後方から鬨の声が上がる。
罠だった。
前後から姿を現した敵兵が、狭い一本道を塞ぐ。崖は左手に迫り、右手は海への断崖だった。逃げ場がない。
「落ち着け!」
ヴィヴィの声が、動揺しかけた分隊を繋ぎとめる。
「馬から降りろ。装備を捨てろ。捨てられるものは全部捨てろ」
「姐さん、けど——」
「荷物と命、どっちが大事だい!」
怒鳴りつけると同時に、ヴィヴィはナヴィータに目を向けた。
「右の崖、降りられるか」
ナヴィータはすでに崖の縁から下を覗いていた。長い耳がぴくりと動く。
「岩棚があるから、伝わっていけるかも?」
ナヴィータの反応に、ヴィヴィは壮絶な笑みを浮かべる。
「よし。グレイス、先行を頼む! 殿はうちらだ!」
グレイスは無言で剣を抜き、ヴィヴィは肩に担いだ棍棒をぐるり回した。
装備の大半を崖上に残し、分隊が崖を降り始める。矢が頭上を飛んだが、崖の角度が盾になった。岩場を伝い、海風を浴びながら、先行分隊は少しずつ包囲の外へと抜けていった。
◇◆◇
本隊側では、ロズヴェータが地平を眺めていた。
斥候からの定時報告が来ていない。
たったそれだけの事実が、ロズヴェータの中で確信に変わった。
「全軍、停止」
傍らのユーグが眉を上げる。
「理由を聞かせていただけますか」
「報告が遅い」
「まだ誤差の範囲では」
「ナヴィータが遅れるはずがない」
それだけで、ユーグは口を閉じた。深紅の瞳が、一瞬だけ何かを読み取るように細くなる。
「迂回路の探索を。ガッチェ、頼めるか」
「御意」
筆頭分隊長が即座に動く。ロズヴェータは動かなかった。ただ、視線の先——海岸線の向こうを、じっと見ていた。
合流したのは、その日の夕刻だった。
岩場を這い上がってきたヴィヴィの分隊は、負傷者こそ数名いたが、欠けた者はいなかった。装備の損耗は大きい。しかし全員が生きていた。
「隊長の予想が、大当たりだったよ。くそ」
ヴィヴィが焚き火の前でロズヴェータの隣に腰を下ろし、低く言った。問いではなかった。
「最悪の場合を想定していた」
「だから馬を、逃げ足のために」
「ああ」
ヴィヴィはしばらく黙って火を見つめた。傷の残る頬に、炎の色が揺れている。
「それを最初から言ってくれると、もう少し心臓に優しかったんだけどね」
「言った」
「……そうだね。言ってたね」
ヴィヴィは苦笑した。草臥れた笑いだったが、そこには確かな安堵があった。
「みやげ話ができたよ。子供達に話してやる」
「それは良かった」
ロズヴェータは短く答えた。炎を見る横顔に、感情はほとんど見えない。
ただユーグだけが、その指先が静かに地図の海岸線をなぞるのを見ていた。先行分隊が罠にかかった、あの一本道を。
偵察はまだ、終わっていない。
◆◇◆
翌朝、ロズヴェータは夜明け前から地図に向かっていた。
昨夕合流した際のヴィヴィの分隊の状態が、頭から離れない。装備の損耗。数名の負傷。そして何より――敵は待ち構えていた、という事実。
偵察が露見していたのか。それとも、あの経路は常に哨戒されていたのか。
どちらであれ、答えを出さなければならない。
「ロズヴェータ様」
ユーグが背後に立った気配を、ロズヴェータは振り返らずに感じ取っていた。
「ナヴィータが、話したいことがあるとのことです」
少し間があった。
「通せ」
入ってきたナヴィータは、昨夕の疲弊の色をまだ残していたが、長い耳はすでに警戒の形に立っていた。エルフィナス出身の彼の耳は、嘘をつかない。
「昨夜、崖を降りているとき」
ナヴィータは地図を見ながら口を開いた。
「風向きが変わった瞬間に、聞こえたんです」
「何を」
「太鼓の音。遠かったけど、規則的だった。信号じゃないかと」
ロズヴェータの指が地図の上で止まった。
「どの方角だった?」
「内陸。ガヘナード平野の方向です」
沈黙が落ちた。ユーグが静かに口を開く。
「連絡網があると?」
「あの地形に潜む規模の部隊が、単独で動いているとは考えにくい」
ロズヴェータはゆっくりと立ち上がり、地図を広げ直した。海岸線の一本道。そしてその背後に広がる、内陸のガヘナード平野。
「昨日の伏兵は、待ち構えていたが、しかし追撃はしてこなかった」
ナヴィータが頷く。
「俺たちを仕留めることより、足止めすることが目的だったのかもしれません」
「時間を稼ぐため」
「と思うけど」
ロズヴェータは地図から目を離さなかった。かつてジュルル・サルムが陥落した、あのガヘナードで。
「ガッチェを呼べ」
ロズヴェータは静かに言った。
「それとアウローラも。急ぎだ」
ユーグが一礼して下がる。ナヴィータはまだそこに立っていた。
「ナヴィータ」
ロズヴェータが言うと、ナヴィータは少し間を置いた。
「……もう一度行く感じだね?」
問いの中に、答えを求める色はなかった。ただ確認するだけの声だった。
「ああ。今度は、倍返しにしてやるさ」
ナヴィータは小さく頷いた。長い耳が、一度だけぴくりと動く。
「分かりました」
彼が出ていってから、ロズヴェータはもう一度地図を見下ろした。指先が、昨日と同じ海岸線をなぞる。今度は違う経路を――森の縁を、内陸側の尾根を――たどりながら。
敵は偵察を警戒している。それは逆に言えば、知られたくない何かがある、ということだ。
だからこそ、偵察は詳細にやらなければならない。
炎はもう消えていた。夜明けの光が、じわりと幕舎の中に差し込んでくる。
◇◆◇
伏兵がいるという前提で動き出した三頭獣は、迅速だった。
近接戦闘が得意なバリュード分隊、何でもこなせるトーロウ分隊の二つを先頭に、伏兵のいると思われる場所を包囲するように動き出す。
敵の数は百程度。
ヴィヴィの命がけの偵察行から割れたそれが伏兵の数だった。
「気をつけろよ! 戦いで死ぬならともかく崖から墜落じゃ愉しくないぞ!」
バリュードがそういって部下を鼓舞する。
「兄者、大丈夫か!?」
トーロウの弟、コーロウが崖を登るトーロウに声をかける。
「泥を啜って生き延びてきたんじゃ。こんなもんで挫けるかい!」
猿顔のトーロウは、その機敏な動作でするすると崖を登り切ると、自らの分隊とバリュード分隊分隊の為に、縄を下げて崖を登りやすくする。
「ガッチェ、ルル、ドラッド、ヴィヴィ、敵の罠を食い破るぞ!」
本隊として行動する彼らは、敢えて敵の罠に踏み込む役割だ。
「ロズヴェータ様に傷を負わせたら、勝ったとしても殺す」
ぼそりと呟かれたユーグの言葉に、分隊長達は視線を交わしあった。
「ネリネ、旗はしっかりとな」
「はいっ、勿論です」
騎士見習いのネリネは、笑みすら浮かべて胸を張る。
そして、再びヴィヴィ分隊が罠にかかった場所に差し掛かると、周囲から一斉に矢の雨が降り注ぐ。
「敵襲! 敵襲!」
「耐えろ! 盾を頭上に!」
来ると分かっていれば対策も立てられる。
すぐさま盾を頭上に掲げ、伏兵部隊の攻撃を防ぐと、ロズヴェータの視線は周囲を観察する。ナヴィータの言っていた通りに、右は海への断崖、左は切り立った崖だ。そして左の崖の上に、弓兵が多数。
このまま先に進めば、地図では崖が緩くなるが、登れる地形はあるのか不透明。
わっ、と崖の上で喚声があがる。
「来たな!」
先行させていたバリュード分隊とトーロウ分隊が崖の上の伏兵を奇襲した声だった。
「前進するぞ! 伏兵部隊を壊滅させる!」
その日、エルフィナス側の伏兵部隊は壊滅し、ロズヴェータ率いる三頭獣は、総指揮官ディルアンに経路の偵察完了と、ガヘナード平野と連動した組織的な罠の可能性を報告して偵察行を終えた。




