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獣達の騎士道  作者: 春野隠者
聖都への道

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141/219

聖都ジュルル・サルムへの偵察

 海湾都市ガディフォールの庁舎の扉をくぐった瞬間、ロズヴェータは空気の重さに気づいた。外の市場の喧噪とはまるで別世界だ。

 文官たちが書類を抱えて走り回り、兵士たちは無言で壁際に立ち、その全てが「戦の中心」に集約されている。

 ──ここが、東方遠征の頭脳。その中心にいるのが、総指揮官ディルアン。かつて別れた時は、酒に酔った印象が強かったが、再会したディルアンは、その時の印象を払拭するかのように精悍だった。

 執務室の中、書類の束を大量に積み上げられた机の前でディルアンはロズヴェータを迎える。

「来たか」

 低く、よく通る声と鋭い視線。自信に満ち溢れた姿は、今の遠征軍がそのまま形となったかのようだった。

 一目でそうとわかる象徴として、ロズヴェータの目にディルアンは映った。

「お久しぶりです、総指揮官。東方は……随分と進んでいますね」

「お前が一年で大きくなったように、戦も進んだ。だが──」

 ディルアンは歩み寄り、ロズヴェータの肩に軽く手を置いた。

「ここからが本番だ」

 その言葉に、ロズヴェータの背筋が自然と伸びる。

「今回の依頼を伝える。聖都ジュルル・サルムへ続く街道──その偵察だ」

「街道の、偵察……?」

「ガディフォールから聖都へ向かう道は三つ。そのうち二つは他の騎士隊が偵察する。残る一本を偵察して情報を持ち帰ってもらう」

 ディルアンは地図を広げ、指で一本の細い線をなぞった。

「この街道を押さえれば、聖都攻略の初動が一気に軽くなる。逆に、敵がここを塞げば、我々は海路に頼るしかなくなる」

 指し示された街道は、最も海岸沿いの平坦な街道。地図上では、海風の街道と記載されている街道だった。

「……つまり、聖都進撃の補給線を左右する道、ということですね」

「そうだ。やれるか?」

「無論!」

 にやりと不敵に笑うとディルアンは、ロズヴェータの目を見返した。

「城塞都市攻略の勲功第一の実力、錆付かせてないことを見せてくれ」

「はっ!」

 きびきびとした敬礼に、ディルアンは、鷹揚に頷く。しかし次の瞬間、表情を引き締めた。

「ロズヴェータ。聖都には、帝国の首狩り総督イブラヒムが入った。敵はこれまでとは違う。……油断するな」

「はい」

 短い返事に、ロズヴェータの決意が宿る。

 こうして、三頭獣《ドライアルドベスティエ》の新たな任務が始まった。


◇◆◇


 王都青の塔において、宰相府の一角、財務局の執務室は、まるで葬儀場のようだった。

 机の上には帳簿が山のように積まれ、官僚たちの顔色は死人のように青白い。

「宰相閣下、今年度の軍事費、すでに予算の一・八倍です。このままでは、いずれかの財源を食いつぶすことに……」

 予算計算には、海湾都市ガディフォールの陥落までを含めていなかった。そこまで行けば、補給の限界点を超過し、経戦能力は維持できないと宰相府では計算したのだ。

 しかし、現実は文官達の予想を超えてディルアンは優秀であり、その下に集った騎士は、有能であった。予想を上回る速さで東の大帝国を向こうに回し、連戦連勝。

 謀略を用いた結果とはいえ、海湾都市ガディフォールの陥落までを、一年と少しで成し遂げたのだ。

 しかし、問題はその後だ。

「港湾整備費も跳ね上がっています。徴発した船の補償金が……」

 占領地を増やせば、当然それを維持するコストと言うものが跳ねあがる。少なくとも、統治していこうと思うならなおさらだ。

 今回の東方遠征は、聖都を異教徒の手から解放する、という大義名分を掲げているため、解放した地域はまともな統治をしなければならない。

 いずれ国を興すのか、この地域を治めていた旧王族を見つけて来て支援するのかは別としてもだ。解放軍を謳って恨みを買っては意味がない。

 だからこそ、慎重かつ繊細なかじ取りが要求される。

「西方復興の予算を削れば、民衆暴動の危険があります」

 静かに積み重なる数字の値は、東方遠征の今年の不可能を示していた。

「税収は限界です! 徴税官から“これ以上は無理”との報告が!」

 一部では悲鳴や怒号が飛び交うが、圧倒的大多数は悲鳴交じりの沈痛なため息だった。宰相コルベールは静かに手を上げた。

 その仕草だけで、室内の視線が彼に集まる。

「……端的に言って、これ以上の経戦能力を我が国は保持しておりません。今年さらに侵攻するのなら、新たな財源が必要です。また国の予算から出すのであれば、いくつかの事業は中止をせねばならないかと」

 財務官僚の一人が震える手で帳簿を開いた。

「一番削りやすいのは、福祉──具体的には孤児等に対する支援です。元々反対意見も多かった施策ですし、次いで農場試験の予算関連です。直ちに成果がでないものは、当面中止すべきではないかとの声が……」

「遠征軍からの要求は?」

「まず、遠征軍の維持費ですが、兵士一人あたりの一日の食糧費が──」

「はい……。それに加え、馬の飼料、矢羽根、槍の穂先、鎧の修繕費、前線が1個拠点進むたびに、後方の支出は三倍に膨れ上がっています」

「海路補給の護衛費も増大しています。 ガディフォールを押さえたことで大量の荷物を円滑に運搬することができるようになりました。また海路は西方諸国の協力もあり、安定しましたが、その分、護衛艦の維持費が跳ね上がり──」

「国内の徴税状況は?」

 コルベールが問う声に、淀みなく答える文官。

「限界です。 西方は荒廃し、税収は半減。王都の物価高騰で民衆の不満も高まっています。これ以上の増税は、暴動の危険が」

「新興の商業に税をかけるという手段もありますが、王家派閥からは反発が予想されます。また宗教税を新設と言う手段もありますが、同じく王家派閥から反発があると予想されます」

 官僚の声は震えていた。以前検討された新たな税収の形、そして宗教という聖域に踏み込む最後の手段までも彼らの中では検討された。

 コルベールは深く息を吐く。

「……つまり、王国の財政は薄氷の上。前線を止めねば、ピュロスの勝利を得るだけに終わるということか。誰かこの問題を解決できる案を持つ者はいるかね?」

 冷徹な視線で財務官僚達を見渡す宰相の視線に、誰もが下を向く。

 そんな策があるのなら、最初から提案している。現実的な案は出尽くし、彼等の結論としては前線を留めるしかないという話になったのだ。

 しかしそれを口にはできない。

 宰相府青の塔。

 この国の内務の中心。

 選び抜かれた俊英だという自負が彼らにはある。騎士校で文官コースからの生え抜きの者や、他で目覚ましい功績を上げて引き抜かれた者、出自の違いはあるものの、リオングラウス王国を支えているという自負は、いずれにもあった。

 その彼らをして、この遠征は、金がかかり過ぎている。

 そもそも遠征と言うのは、余裕のある国がやることだ。リオングラウス王国の現状を見て余裕があるなどと口が裂けても言えない。

 だからこそ、遠征軍は騎士隊と言う非正規部隊を中心に編成したし、それをもって費用を抑えたのだ。正規軍を動かすには、あまりにも金がかかり過ぎる。

 だが、現実はどうだ。

 苦戦を予想した軍は、破竹の進撃を続け青の塔で出した試算を大きく上回る速度で進撃を続けている。補給も、船さえあれば海湾都市ガディフォールに運び込める。

 陸路に比して船が利用できるということは、桁違いの輸送経路を獲得したに等しいのだ。

「わかった。では、前線に書簡を送ろう。これ以上は、国が保たない。前線を圧しとどめる様に、と」

「そ、それは……」

 青白くなった文官が、宰相の言葉に静止を試みたが、途中で途絶えた。彼らの自負が、口を噤ませた。

「……では、代案の提出を期限は、三日後だ」

「は、はい……!」

 悲鳴を押し殺した財務局を後にし、コルベールは執務室へ戻った。

 側近の老文官、サリオンが静かに茶を淹れて待っていた。皺が寄った目尻に、優し気な笑みを浮かべる老サリオンは、苦笑交じりにコルベールに問いかける。

「閣下。随分と財務局の若い子らが慌てておりましたが……」

「自負と実力をはき違えては、業務に差しさわりがでる。民あってこその国。人が生きて行くための宗教。そこをはき違えれば、国が亡ぶのは止む無しであろう?」

 かなり踏み込んだ発言に、老サリオンは苦笑した。

「しかし、厳しくすることだけが実力を育てる術とは限りますまい」

 宰相の冷徹な瞳に睨まれても、老サリオンは苦笑の笑みを浮かべたままだ。

「助言程度なら、構いませんか?」

「ふむ。方向性は?」

「商人達からの借款、東方貿易での税収。この二つかと」

 沈黙のうち、視線を茶に落としたコルベールは、しばらくしてから頷いた。

「よろしい。その方向で」

 静かに頭を下げる老サリオンは、しかしながら次の瞬間にはサリオンは眉をひそめた。

「しかし……閣下。このままでは王国の財政は崩壊します。際限なく遠征軍に協力し続けるのは危険では……?」

 その言葉に、コルベールはゆっくりと顔を上げた。

「短期的には、遠征軍は過大な負担を王国に強いる。しかし、聖都ジュルル・サルムまで陥落させ、そこをディルアンが守るのなら」

 その瞳は、あくまで政治家のそれ。

「……武官や騎士はこぞって東を目指すでしょうな」

 武勲は西ではなく、東にこそある。

 そこに立つのは、常勝の将軍ディルアン。少年達には、なんと甘美な夢であろうか。物語に語られるまさに英雄譚だ。

 老サリオンはため息を吐いた。

「……閣下」

 しかし、それを静かに窘める老サリオン。夢は夢でしかなく、現実の大人はもっと生々しく意地汚い。夢だけで人が活きられないのと同じく、その夢にはもれなく金が絡んでくる。

「賭けに出るには、些か分が悪うございましょう?」

「……私も昔は、アレと一緒に槍を振るった」

「存じております。よく……」

 そこでコルベールは、瞳を一旦閉じた。

「西から東に流れる人の動きは止めようがない。人が動けば、金が動く。そこに商機を見出すのは、商人らの得意とするところだろう」

「おっしゃる通りかと」

「それに、我々が軍に協力しなければ、前線は崩れ、西から手に負えぬ獣どもが来る」

「……まさに悪夢ですな」

 生き地獄と呼ぶにふさわしいそれを、国土にもたらして良いのか。

「そうだ。その前に止めねばならん。若手はその前に育てる必要がある」

「致し方ありませんな」

 コルベールは机に置かれた地図を指で叩いた。

「三日、中々厳しい期限ではありますが」

 指さす先には、西方世界(オヂデント)。海を支配する四か国。

「西方は常に、財を求めて東へ進み続ける。だからこそ、彼等は我らに協力し続ける。たとえ財政が悲鳴を上げようとも、だ」

「……閣下」

「戦争とは、前線だけで戦うものではない。騙し騙され、後方もまた戦場なのだ。数字と政治のな」

 宰相のコルベールの視線は、西方と王都更には東方を見据えていた。

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