【閑話】分隊長ヴィヴィの休日
三頭獣の分隊長ヴィヴィは、赤髪の女戦士である。
自身の歳すら覚えていない貧困に育ち、飢えと差別を友人として育ち、腕力と機転で困難を克服してきた過去を持つ。
彼女は、二十人からなる分隊員を率いる立場る前には、他の騎士隊を経験し、そこでの働きを認められて三頭獣にスカウトされた。
スカウトしたのは、ロズヴェータ自身であり、三頭獣に移籍したことを後悔したことは、基本的にはない。厳しい訓練の後などを除けば、という条件がつくが、基本的にはない。
ヴィヴィは、物心ついた頃にはすでに、都市の貧民窟で暮らしていた。
父親の顔も、母親の顔も覚えていない。唯一覚えているのは、姉のように接してくれた少女とともに生き延びるためになんでもやったことだ。
盗みに始まり、死体漁り、病人の埋葬の手伝いから、無法者たちの下請け等、金を稼ぐためにならなんでもやった。それが戦場での働きに変わるまでに時間は大して掛からなかった。
戦場での荷運びから、娼婦達の世話、ありとあらゆる汚い仕事に手を染めて、生き延びてきた。
兵士として生きることになった切欠は、ある騎士隊の荷運びとして参加していた時だった。
少女の名は──リナ。
年は二つ上。
優しくて、強くて、いつも笑っていた。
「ヴィヴィ、あんたは強いよ。だから、生きな。あたしより、ずっと遠くまで」
ヴィヴィが今の言葉遣いになったのは、リナを真似てのことだった。
「なんだい、その言葉遣いは?」
「リナの真似。私の憧れだから」
笑いながら、それでもやめろとは言わないリナが、照れくさそうに頭を撫でてくれたのが、ヴィヴィの思い出だった。
だが──リナは、ある冬の日に死んだ。
理由は単純だった。
飢えだ。
ヴィヴィが拾ってきたパンを、リナは自分より小さな子どもたちに分け与えた。
その夜、リナは眠るように息を引き取った。
「……なんで、あんたが……」
ヴィヴィは泣かなかった。 泣く余裕などなかった。
ただ、胸の奥にぽっかりと穴が空いた。
その日から、ヴィヴィは“誰かに頼る”ということをやめた。
これまで以上に、生きるために、なんでもやった。
盗みも、死体漁りも、病人の埋葬も、無法者の下働きも。情け容赦なく自分よりも弱いものから食料を取り立てることさえあった。
そして── ある日、事件は起きた。
騎士隊の荷運びの仕事帰りの夜道。酒に酔った兵士が、ヴィヴィの腕を掴んだ。
「おい、赤髪。ちょっと来いよ。いいだろ?」
兵士は笑っていた。だが、その目は笑っていなかった。
ヴィヴィは逃げようとした。だが、兵士は力が強かった。
「離せ……!」
「いいから来いって言ってんだよ!」
その瞬間、ヴィヴィの中で、何かが切れた。
リナの死。
飢え。
差別。
暴力。
奪われ続けた日々。全部が一気に噴き出した。
「触るなッ!!」
拾った石を兵士の顔面に叩きつけた。 兵士がよろめいた隙に、ヴィヴィは膝蹴りを叩き込み、倒れた兵士の頭を何度も何度も殴った。
気づけば、兵士は動かなくなっていた。
ヴィヴィの手は血で濡れ、胸は激しく上下していた。
「……あたしは……もう、誰にも奪わせない」
その夜、ヴィヴィは初めて自分の力で生き延びた。
そして、その事件がきっかけで、彼女は兵士として戦場に出ることになる。動かなくなった兵士の剣を奪い、鎧をはぎ取り、懐を漁った。
その装備一式をもって、彼女は別の騎士隊の門を叩く。幸いなことに、彼女が殺した兵士はそこかしこから恨みを買っていたようで、問題になることもなく自然と立ち消えていった。
兵士になれば食事にありつける。
育ち盛りの彼女の体は栄養を欲していたし、食べれば食べる分だけ、彼女の体は伸びていった。彼女にとって幸運だったのは、最初に門を叩いた騎士隊が、まともな部類の騎士隊であったこと。
給料の遅配はあったにせよ、誤魔化さずに配られてはいた。
命を的に働くにしては安い給料ではあったが、それでも生きてはいける。命を預けて仕事をしていれば仲間もできる。
五年ほど続いた居心地の良い環境はしかし、永遠には続かない。
騎士隊を率いていた騎士が引退して領地に引っ込むというのだ。それを継ぐ形で新しい騎士隊の長となったのは、引退した騎士の甥だという男だった。
その頃にはすっかり実力もついて頼られることも増えたヴィヴィに、その新しい騎士隊長は露骨に自身の妾になれとアピールをかけてきた。戦場で育った女の何がそんなに気に入ったのか、と最初は歯牙にもかけていなかったヴィヴィだが、妾にならないなら給料は払えないと主張してきたのには閉口した。
妾になるのと、騎士隊を追い出されるのを比べて、ヴィヴィは迷わず後者を選んだ。
「……あたしはもっと遠くへ行く。てめえみてぇな小さな男に、あたしが捕まえておけるかよ!」
まるでリナがヴィヴィの口を借りて喋っているようだった。
そのヴィヴィの啖呵に、彼女の同僚達も同意して、十人程も騎士隊から今まで騎士隊を支えていた人材が抜けていった。
戦場は残酷だが、スラムよりは生きる理由があった。
信頼できる仲間、それを求めてヴィヴィは次の騎士隊に所属を移す。
そうして転々と所属を変えて生き残っていくことで、彼女は実力を上げ、彼女について生き残って来た者達と強い絆で結ばれることになった。
そして、そんな中でロズヴェータと出会う。
「私はロズヴェータ。貴方の名は?」
「……ヴィヴィ」
当時はまだ十五かそこらの、少年といっていいロズヴェータは、貴族の次男三男にありがちな、兵士を消耗品として考えている雰囲気もなく、ヴィヴィにしてみれば珍しいタイプのお坊ちゃんだった。
「覚えておく。いずれ、うちに来ないか? 騎士校を卒業したら騎士隊を立ち上げるんだ」
当時のヴィヴィは、既に分隊長として騎士隊の中心となっていたものの、またトラブルを抱えていたため、ロズヴェータの提案に乗ることにした。
そして──。
◇◆◇
王都の主要街道沿いの石畳は、昨夜の雨を吸いきれず、まだところどころ黒く濡れていた。その片隅で、小さな影が蹲っているのを、ヴィヴィは足を止めて見つけた。
痩せた腕。骨ばった膝。
自分がかつてそうであったように、飢えた子どもは声を出す余裕すらない。
「……おい。生きてるかい」
返事はない。ただ、かすかに肩が震えた。
ヴィヴィは腰の袋から、固くなった保存食用に持っていたパンを取り出す。自分の分だが、迷いはない。
「ほら。食いな。噛めなくても、口に入れときゃ溶けるよ」
子どもはおそるおそる顔を上げ、パンを掴むと、まるで奪われるのを恐れるように胸に抱えた。
「……ありが、とう……」
「礼なんざいらないよ。食える時に食っときな」
そう言った瞬間、子どもがヴィヴィの手首を掴んだ。細い指。だが、必死の力だった。
ヴィヴィの肩がわずかに跳ねる。
反射的に振り払いそうになって、しかし踏みとどまる。
「……っ、手ぇ離しな。あたしは……触られんの、得意じゃないんだよ」
子どもは怯えたように手を離すと、反射的に謝罪する。
「ご、ごめんなさい……!」
「謝ることじゃないよ。あんたが悪いわけじゃない」
ヴィヴィはしゃがみ込み、子どもの頭を軽く撫でた。
触れられるのは苦手でも、自分から触れるのは平気だった。
「生きろよ。あたしより、ずっと遠くまで」
リナの声が、胸の奥でかすかに響いた。
「……行く所がなくて、お父さんが、ここで待ってなさいって……」
泣き始めた子供に、ヴィヴィは頭を掻く。
「泣く子と、なんとかには勝てねえって奴か。参ったね。どうにも……」
孤児を見下ろしたヴィヴィは、曇天の空を見上げてため息をついた。
三頭獣の王都における拠点は、辺境伯家の別邸である。それなりに大きな屋敷は、ロズヴェータ含めた百五十からなる隊員を全て収容してしまえるだけの許容量を誇っていた。
前線で戦うのが、ヴィヴィをはじめとする分隊員達とするなら、後方を担当するのはアウローラを中心とした者達だった。その中でも、メッシーとメルヴは何かにつけて、便利に使われている。
メッシーとメルヴ──今日の料理係の二人が、若い隊員に何か言われている。
「おいメッシー、今日のスープ薄すぎんだよ。水でも飲んでろってのか?」
「こっちの肉も固ぇんだよ。メルヴ、手ぇ抜いたろ?」
ヴィヴィは歩みを止めず、二人の間に割って入った。
「……何の騒ぎだい」
若い隊員が振り返り、気まずそうに口を開く。
「い、いや姐さん……ちょっと文句を……」
「文句ねぇ」
ヴィヴィは隊員の胸倉を掴むでもなく、ただじっと見下ろした。
その静かな視線だけで、隊員の背筋が伸びる。
「食い物に文句つける前に、作ってくれた奴に礼を言いな。あんたらが戦えるのは、メッシーとメルヴが毎日手ぇ動かしてくれてるからだよ」
「……でも、味が……」
「味がどうした。腹が満たせりゃ十分だろ。贅沢言うなら、自分で鍋持て」
隊員は口を閉じた。ヴィヴィはメッシーとメルヴに向き直る。
「二人とも、悪かったね。こいつらの教育はあたしの仕事だよ」
メッシーが苦笑し、メルヴが肩をすくめた。
「ヴィヴィさんが言うと、ほんとに反省するんですよね、あいつら」
「そりゃそうだよ。あたしが怒ると飯抜きにするからね」
「それは困りますねぇ……!」
焚き火の明かりが、ヴィヴィの赤髪を揺らした。
孤児にパンを渡した時と同じ、どこか柔らかい光が宿っていた。
「食い物は命だよ。粗末にすんな。……あたしは、それで何度も死にかけたんだ」
その言葉に、隊員たちは静かに頷いた。
「あー……それでその」
ヴィヴィは焚き火のそばに腰を下ろし、先ほどまでの威勢をどこかに置き忘れてきたかのように、そっぽを向いた。
「あー……」
全員の視線がヴィヴィの後ろについてきた子供に向かう。
「あの、姐さん……先ほど叱られたばっかりで言うのもなんですが、またっすか?」
「うっせえな! 仕方ないだろ!」
怒鳴るヴィヴィもいつもの迫力がないのを自覚していたのだろう。彼女の耳が赤いのは、焚火のためだけではないだろう。
自分の皿を受け取ると、それを拾って来た
子供に分け与える。ヴィヴィと与えられた食事を見比べて子供はこの食事を食べてよいのかと、視線で問い掛ける。
口に出したら、無くなってしまいそうで、視線だけで確認してしまったのだ。今までの経験から来るその仕草が分かってしまうからこそ、ヴィヴィは目を細めて頭をなでる。
「心配しなくても大丈夫だから、全部食べな」
最初は恐る恐る、そして大丈夫だと分かれば勢いよくスープを飲む子供に、一言いいおいて、ヴィヴィは立ち上がる。
「姐さんどちらに?」
「隊長のところだよ。子供の面倒を相談しなきゃね」
「ああ、いつものやつですね。隊長なら給料の最終確認があるって執務室に」
「ありがとうよ」
不安そうに視線をあげた子供の頭を撫で、ヴィヴィはロズヴェータの元へ向かった。
「隊長、失礼するよ」
「どうぞ」
視線を書類に向けたまま、ロズヴェータの返事に苦笑してヴィヴィ執務室に入る。
机の上には、決裁された書類と未決裁の書類が几帳面に分けられて置かれている。これまで過ごしてきた騎士隊と比較しても、居心地の良い騎士隊を作っているのが、目の前のかつて少年だった青年だと思えば感謝もする。
「なんだ?」
黙っていたヴィヴィに不信を感じたのか、ロズヴェータが視線を上げる。
「ロズヴェータ様は忙しいのだから、要件を言ってさっさと下がれ。どうせ子供を拾って来ただのそう言う要件だろう?」
同じく書類仕事に励んでいたユーグの言葉に、ヴィヴィは肩を竦めた。
「ま、そういうことさ」
積み上がった書類の量がロズヴェータと同等のユーグが、ため息を吐いてロズヴェータを見る。
「ロズヴェータ様、騎士隊の採算を考えず、犬や猫のように子供を拾って来るくせに反省もせず、さらに繰り返す常習犯の給与は差し引くべきでは?」
鉄面皮の冷酷なユーグの言葉に、ロズヴェータが苦笑する。
「ヴィヴィは騎士隊の将来を考えてくれているのさ。拾って来た子供は役に立つ。そうだろう?」
「多分ね」
どうやらそこが、ロズヴェータとしてのヴィヴィが孤児を拾ってきて騎士隊で面倒を見るラインらしいと判断したヴィヴィは肩を竦めて答えた。
「なら、将来へ投資しようじゃないか」
少年から青年に成長したロズヴェータは、苦笑しつつため息を吐くユーグの意見を退けると、ヴィヴィに視線を合わせた。
初めてスカウトをしに現れた時と変わらない瞳でロズヴェータがヴィヴィを見る。
「損益がこれで限りなくゼロに近いですが……」
「……努力しようか。また鬼ごっこでもするか」
不穏な会話を聞かなかったことにしてヴィヴィは執務室を出る。
雲の隙間から、夜空に瞬く星が見える。
「ま、悪くはないさ」
心の中のリナにそう言って、ヴィヴィは歩き出した。




