12話 変わらぬ日常。あるいは変わりゆく心情。
「はい!張飛のちょっといいトコ見てみたい♪」
飲んで、飲んで飲んで~♪
聞いたことのない、だがノリのいい節を付けながらあやが張飛に酌をする。
上機嫌。
「よっしゃ、その期待に応えてやろうじゃねーか」
「きゃー!張飛カッコいい~!!」
すでにテンションのおかしなあやが囃し立てる。
宴が開かれた。
酒を飲み、どんちゃん騒ぎ。
ハメを外せるそのイベントを嫌うものは中々いない。
勝利の美酒なら尚更に。
一般の兵にも酒が樽で贈られている。
荊州の主、劉表からだ。
多分、今劉備軍が襲われたら全滅だろうと孔明は冷静に、浮かれて使いものにならなさそうな男共を眺めた。
だが、そういう心配は本当のところ皆無に等しいと知っていた。
五斗米道と対した劉備軍が帰ってくる前に、噂が届いた。
どんな早馬よりも速く、風の如く流布する。
それが噂というものの不思議だ。
孔明はそれを聞いて戸惑った。
劉備はさもありなんと頷いた。
劉備軍には天女がいる。
そういう噂。
孔明はため息を付いて張飛と馬鹿笑いをしているあやを見る。
大口を開けて、遠慮もなく笑う女を彼女のほかに知らない。
あやほど、天女という言葉から想像されるものと距離のある女もなかなかいない。
それでも、半信半疑で迎えた彼らの帰還。
帰ってきた兵たちの、あやを見る目はその噂の一端を示していた。
侮りなどどこにもなく。
深い敬愛と、微かな畏怖が揺れる。
見送った時よりはるかにまとまりを見せる兵たちは、命に即座に対応し動きも速い。
目を見張るような成長振りだった。
戦場で何を見て、何を感じたのか。
孔明はそれが気になった。
だが、誰に聞いても、いつも通りの戦だったと答える。
戦って、勝っただけだと。
張飛ですらそう答えた。
今回の戦にあやを従軍させたのは、孔明としては戦に慣れてもらいたかったからだ。
玄鳥天女とはいえ、少数で野を駆ける玄鳥の合戦と、大軍を率いてぶつかり合う戦ではあまりにも違う。
進言した孔明の提案に、劉備は簡単に頷いた。
孔明は珍しく表情を出して驚いてしまった。
劉備とあやの親しさからすると、劉備は反対すると思っていたのだ。
あやを可愛がる様から、劉備はきっと彼女を大切にしていると感じていたから。
「孔明、響彩は私の娘でもなければ、私の目を楽しませ、日々を慰める妓女でもない」
そうだ、彼女は劉備の部下だ。
そう肯定した孔明に、そうではないと劉備は孔明から目線を外して、深く笑いながら言った。
「あれは私の同盟者だ」
誓いに結ばれた同志でもある。
だから、彼女を戦場に送り出す事に躊躇いはない。
そう言った彼らの関係性はいまいち理解の範疇を超えていた。
だが、とりあえず、自分の役目を全うする事を考える。
諸葛亮は劉備軍の軍師。
自分にとっては劉備が何と言おうとあやは劉備の部下だ。
それでいいし、それが正しい態度だ。
「おお、妹よ!!」
「おにいちゃん!!」
がしっと抱き合う酔っ払いが二人。
孔明が目を離していたほんの数分で何が何だかよくわからない家族の繋がりが出来上がっている。
「…これだから酔っ払いは」
支離滅裂。
この世で一番嫌いな言葉だ。
体現している者がこの場には幾らでもいて、さらに増殖の一途。
「ちょおっと~!そこにひとり素面の人間がいるんですけどー?」
あやの上げた声に顔が赤く染まった連中が孔明を見る。
「…最悪ですね」
うぞうぞと酒を手に近寄ってくる動きの鈍い連中の標的に定まってしまった。
悪あがきにあやを睨んでみる。
どうせ気付きやしないだろうが。
だが、あやは孔明の恨みがましい目線を受けて、ふふんと笑った。
…ほとんど正気ですね?
確信犯だ。
「はい!孔明さんのちょっといいトコ見てみたい♪」
「「「飲んで、飲んで飲んで~♪」」」
あやの打つ手拍子に、現在彼女の兄に収まってしまった張飛含め、浴びるように酒を飲んでいた連中が合唱をはじめた。
注がれたからには飲む。
仕方なしに一気に酒を煽った。
喉を焼くような感覚。
孔明はやけくそ気味に二杯目も流し込む。
「きゃー!孔明カッコいい~!!」
なんだか聞いた様な台詞だなと思いながら孔明は空になった杯を床に叩き付けた。
もちろん間髪を置かずに杯は満たされた。
軍師という立場上敬遠されがちな孔明が騒ぎの中心にいるのを微笑ましく見守りながら、劉備は先日の孔明との会話を思い出す。
『あれは私の同盟者だ』
孔明は理解できなかったようだが、言葉にしてから劉備はそれが思ったよりも的確な表現だったと気付いた。
そう、同盟者だから。
「それが響彩にとっての大きな試練になると知っていたとて、私は求める事をやめない」
彼女の成長を。
孔明はその言葉に頷いた。
劉備は孔明と自分の思い描く試練の中身に大きな隔たりがある事を知っていたが、それを正そうとはしなかった。
あやはずっと、そうせざるを得ないから人の命を奪ってきた。
きっと命令一下、自分の望みや傲慢さのために人を殺したことはない。
本当はそういう事を出来る娘でもないのだ。
意志が強すぎる、というのも考えものだな。
「もう少し、ほんの少しでも欠けていたなら、あれは今、幸せだったかもしれないな」
「兄者?」
隣で、こんな時だからこそ酒には手を出さない関羽が劉備の呟きに答えを返した。
しかし劉備は関羽に言葉を繰り返すことはなかった。
独り言だと、関羽も聞かなかったことにしてくれるだろう。
彼女がもう少し足りなかったなら。
祁央でも、左近でも、あるいは出会った人々、曹操や孫家、彼らの傍で幸せを甘受していたかもしれない。
なのに、前を見据えて、留まる事をしなかったばかりに、私みたいな、優しくない男に捕まるのだから。
孔明に酒を飲ませていたあやが劉備の目線に気付いて顔を上げる。
その目は穏やかだった。
人を殺す事を強要した劉備にも、穏やかに笑ってみせる。
「本当に強いな」
もう、受け入れたのか。
飲み込んで、沈めて、折り合いをつけたのか。
「今度は私の番…か」
より強い同盟者を。
求めるのは自然な思考の流れの帰結。
劉備があやにそれを求めたように。
彼女にも望む権利はある。
そしてあやはどうやら立派に期待以上に応えてくれたようだった。
少しだけ憂鬱になるのは、だから彼女のせいではない。
劉備にもある、弱さのせいだった。
「父上、飲みすぎです」
「何だよ~、いいだろ?今日はめでたい日だぜ」
「それでもいつでも剣をとれるようにしておくのが、武将というものでありましょう」
「お前の意見は正論過ぎて犬も食わねぇな。…ん?あや?どうした我が妹よ」
「……い、いっやー!!ちょー美人がおにいちゃんを父上って言った!!」
耳に突き刺さる大声。
直ぐ隣にいた張飛がうをっと下がる。
表情を普段表に出さない星蘭も眉間に皺を寄せた。
「何だよ!俺に娘がいちゃ悪いか!?」
「…悪いって言うか、これってDNAの法則を無視してない?養女とかじゃなくて?」
「何気に失礼だぞ。星蘭は俺の実の娘だ!」
「お母さんに似たのね!良かったよ~、こんな美人さんになって」
「…確かに私は母似ですが」
「あわわっわ、美人があたしに話しかけてきた!?どうしよう、おにいちゃん!」
「落ち着け、妹よ。よく見てみろ。そんなに動揺するほどでもないぞ。ほら、肌に染みが…」
「はい!おにいちゃん大失言~。おやすみなさい」
張飛の最後の一言にぴくりと反応して、あやが突然張飛に眠りの挨拶を伝えた。
次の瞬間には何事かと目を瞬いていた星蘭の前で思いっきり張飛を殴り飛ばす。
意識を飛ばした張飛に向かって合掌したあやを目を丸くして見ていた星蘭は、それでも最後にくすりと笑った。
「響彩様…ですね?」
「あ、はい。あやって呼んで下さい!」
「わたしは星蘭。そこにいる張飛翼徳の実の娘です」
「はじめまして…」
本当に美人だ。
むちゃくちゃヒット。
ぽかんと星蘭を見るあやに、当の星蘭は気分を害した様子もなく目元を柔らかくして話しかけてくれた。
「父をこんな風に扱える人を母以外に初めて見ました」
「…ええ?お母さん、お父さんのこと殴って気絶させるの?」
「……あー、いえ、そういうことではなく」
「っていうか、お父さん殴ってゴメンね」
「いえ、父の妹さんなのでしょう?ならばなんの問題もないことです」
くすくすと笑いながら、酒の席で意気投合して呼び合っていた呼称が星蘭の口から飛び出す。
「父の妹なら、私の叔母でもありますね」
「叔母!?こんな美人の親類!!サイッコー!DNAの神秘に万歳!」
「ふふ。…でも、それなら関平とも親戚ですね」
はしゃぐあやにまたにっこりと笑う。
星蘭の口調は酔っ払いに対するものというよりは、わかりやすくはっきりと話してやる、子供に対するもののようだった。
「関平?」
「ええ、父の兄である関羽雲長様の息子の名です」
「関羽!?息子?ってことは髭か!? どこ、どこにいるの!?」
嬉々としてその話題に飛びついたあやに少々驚きながら、星蘭は後ろを指した。
立ったままあやと星蘭を見ていた関平はどうやら様子からしてずっとそこにいたようだ。
ぺこりと頭を下げる関平を無視し、あやは関平と認識した彼の顔を見てがっくりと崩れ落ちる。
そしてむせび泣いた。
「ない!髭がないー!」
「…星蘭、俺は怒ってもいいか?」
「………」
関羽と言えば髭である。
あやでなくともそう思う。
だからこそ、父である関羽を尊敬する関平は尚更気にしている事があった。
彼は生まれながらに体毛が濃くない。
つまり髭も伸びない。
知っているだけに星蘭は何とも言えない。
「髭は乙女の夢なのよう~!」
「……あやさん?」
ちょっと、聞き捨てならない台詞があった。
隣で、関平があやの言葉を真に受けてショックを受けている。
「髭が薄いのは生まれつきなんだ!伸ばしたくても無理なんだよ!やはり女性は髭がないと魅力を感じてはくれないのだな。だから振り向いてくれないのか…?」
ぶつぶつと聞こえる声は無視して、星蘭はどうやら乙女的にかなりズレた感覚の持ち主らしい人物の名を呼ぶ。
自分も正しい女性像からはかけ離れていると思っていたが、更に上がいた。
「いや!『さん』なんてよそよそしい!あやと呼んでください!呼び捨て!それが親しみの表現!」
「え、ええ。わかったから、あや。とりあえず落ち着きましょう?」
「よっしゃ!美人に呼び捨て、呼び捨てにされた!はっは、ざまあ見さらせ!」
誰に悪態をついているのか、わからない。
多分本人にもわかっていない。
これ以上あやに酒を飲ませては危険だと星蘭はそっと酒を遠くに押しやる。
代わりに水を注いだ杯を差し出す。
何だか、父が一人増えたみたいな微妙な気分が星蘭を少しばかり切なくさせた。
憧れの、天女と噂高い女性はどうも憧れさせたままではいさせてくれないらしい。
だが、多くの兵に囲まれて、堂々と帰還してきた武将響彩よりは親しみやすくもあった。
関平に絡んでいるあやを見ながらふと思う。
「…友達になれるかしら?」
目指すものと、環境のせいで男ばかりに囲まれて育って、同世代の女の子たちとは話が合わない。
母や妹の反対を押し切って戦場を舞台に選んだ。
あやなら、と思った。
これだけ変わっていれば。
同じように変わっていると敬遠される自分の事もそんなに気にしないでくれるに違いない。
きっと、寝て起きて、明日になったら自分のことなど忘れているだろうから、もう一度挨拶しにいこう。
友達になって欲しいと。
劉備が彼女の存在と影響力が思っていたよりずっと大きいものだと気付かされたのはその戦勝の宴の数日後だった。
新しい、同世代の友人をゲットして、あやが浮かれていた頃。
軍の再編が行なわれた。
今回の戦に参加した兵と、新野を守っていた兵の間に大きな経験差が出たからだ。
主な違いは心構えと、実力。
彼らを精鋭としてまとめて留め置くことも考えたが、劉備軍はまだ成長途中。
彼らをそれぞれの隊に配属して、他の兵たちの刺激となり、全体の向上を目指したかったのだ。
しかし、今までならありえないことが起きた。
ただ命令に従うだけの一般兵から隊長らを通じて意見が上がった。
響彩が率いた隊の兵士たちだった。
「留まりたいと?」
「はい。そう申しております」
あやは預かり知らぬこと。
今回の件に関してはまったく関与していない。
彼女の望みではなかった。
兵士たち個人の考えだと、思い知らないわけにはいかない。
隊長以下幾人かの意見を聞いた。
「私共としても、いつ戦場で死ぬかわからぬ部下の願い。叶えてやりたく、殿に今一度のご再考をお願いしたい所存です」
それは事実上、命令の拒否だった。
そうまでして、彼女の下を離れたくないと言う。
「あなた方の意見はどうなのですか。個人としての意見です」
孔明が一般兵ではなく並んだ隊長達に聞く。
彼らは劉備が頷くのを見てからゆっくりと話し出した。
小隊長が言った。
「いつか、私たちは戦場で命を落とすでしょう。もし死ぬのなら響彩様の、いえ、響彩様が仕える劉備様の為に、響彩様のもとで死にたいと思います」
きっと終わる生を後悔はしないとわかるから。
帰途の道。
戦場跡で、佇む彼女の後姿を見た。
生きるなら、あの、美しく哀しい命の傍で。
少しでも、ほんの少しでも力になるように。
そして死ぬのなら、彼女の礎になりたい。
彼女なら、きっとこのちっぽけな命の終焉を背負ってくれる。
泣きもせず、それでも失われた命一つ、忘れないでくれる。
誰も彼の意見に異を唱えなかった。
誰もが、そう思っているというのか。
孔明が、苦虫を噛み潰したような顔をした。
しかし得意の話術で、必ず一定の期間後には響彩の下に戻すと約して、全体の向上に努めることが、最終的には響彩のためであると説得をして彼らを下がらせた。
孔明は自嘲する。
結局、説得にも彼女の名を使った。
「あやは、諸刃の剣でしたね」
殿も厄介な者を引き込んだものだ。
劉備の苦笑に力はなかった。
彼らの主は劉備であるのに、あやに心酔しきっている。
あれは絶対の忠誠と言う。
孔明はあれが欲しいのだ。
兵たち全体に、劉備に対して、ああいう思いがこれからは必要だと思っていた。
「あやも、もう少し考えてくれればいいものを…」
自分を抑える。
人を立てる。
それが彼女には足りない。
「そうではないのだ、孔明。響彩はあれでよいのだ。私がそう在れと望んだのだから」
大きく、もっと強く、高く、飛翔せよ。
そう望んだ。
「足りないのは私なのだよ」
あやは自分の試練を乗り切って、目覚しい成長を見せた。
『今度は私の番か…』
重く呟いたのはこうなるとわかっていたからだ。
孔明が険しい顔で劉備を見ていた。
「同盟者なのだ。彼女は。共に、駆けると誓った」
追いつけていないのは、どう考えても自分の方だった。
彼女が駆ける。
劉備も、駆ける。
自分たちはとてもよく似ていて、故に互いの弱さを見つけずにはいられない。
だから高みを共に目指すと決めた。
そしてあやは一歩先に登ってしまった。
ならば劉備も上らなければならない。
劉備が望んだ通りに、彼女はどんどん大きくなる。
そして、今はあやが望んでいる。
劉備が一歩を登って、隣に立つ事を。
劉備が容赦しなかったように、あやにも容赦はない。
ここに留まるということは、あやに、この存在を喰われるということだ。
臣下の方が人望があると囁かれ、部下に寄って立っていると嘲笑われることだ。
わかっていても、奮起するには彼女はあまりにも期待以上の成長を示してくれた。
今、あやの存在は重圧に感じられる。
劉備は重いため息を付いた。
孔明が劉備を呼ぶ。
「殿、それでも私が選んだのはあやではなく、劉備玄徳様、貴方なのですよ?」
「…何が言いたい」
孔明は呆れたようにため息を付いて部屋を辞そうと立ち上がる。
「いいえ、それを覚えていて頂ければと思ったまで。それでは失礼致します」
劉備に何を言う暇も与えずに扉の向こうに消えていく。
「……何を怒っておるのだ、孔明の奴」
劉備の憮然とした声が部屋に空しく響いた。
孔明の愛の告白を流した鬱期の劉備様。
あと飲みネタが古い。
星蘭、元ネタの面影を残して名前を変更。
張飛の娘二人のうちの姉の方という設定を付け加えたけど特に深い意味はない。




