小咄 甘い男と甘い女
過去と現在
「呂布、来て~!」
「呂布、何とかして!」
「呂布ー!」
呼ばれるたびに面倒くさそうに、嫌そうな顔で、あるいは文句を垂れて。
呂布はのっそりと腰を上げる。
遠くから聞こえてくる遠慮なく呂布を呼ぶ声。
そんな風に彼を呼びつけられるのはこの世で二人だけだ。
あやと右近。
「呂布!」
「……」
「呂布ったら!」
「…五月蝿い!!」
額に血管を浮かべながら、ついに意図的な無視を我慢できず叫び返した呂布に、貂蝉は恐がるでもなく穏やかに笑みを浮かべる。
柔らかく呼んだ名。
「奉先様」
これから呂布がとる行動など、わかりきったこと。
貂蝉の呂布を呼ぶ声には宥める様な、促すような響きがあった。
「…ああ、仕方ない。行ってくる。ったく!」
「呂布~!」
「聞こえている!!少し黙ってられんのか、しつこい!」
呂布が歩きながらあやに怒鳴る。
幾度となく繰り返されるやり取り。
あやの傍。
遠くで、呂布が激怒している声が聞こえる。
「そんな事、俺でなくとも出来るだろうが!!?」
それでも、何だかんだと彼は戻ってこない。
あやの下らない、些細な頼みごとに渋々付き合う。
貂蝉はそれを見て、昨日の幸せが今日も続いていると実感するのだ。
「『お前たちは甘い!』と説教した奉先は一体どこに行ったんだ?」
「右近様」
唐突に聞こえた声に驚いて貂蝉は声の主を見上げる。
彼はすぐ隣にいた。
最近、呂布と稽古をしているだけあって彼の武術の上達振りは目を見張るのもがある。
声をかけられるまで気付かなかったのはその成果だろう。
「なあ貂蝉?思うにあいつが一番あやに甘いと思うぞ」
貂蝉の驚きを無視して、右近が呂布の後姿を指差しながら言う。
基本的にマイペースなのだ、祁央を含めた三人組は。
呂布が玄鳥に来たばかりの頃、祁央や右近に向かって「お前たちが甘すぎるから、あの女がつけ上がるんだ!」と呂布が騒いでいた事を思い出しているらしい。
自分だって人のこと言えないじゃないかと、耳元でがなり付けられた恨みがある右近は不満げだ。
「誰も、そう変わりはないと思いますよ?」
言われた右近は渋い顔をして、貂蝉は穏やかに笑う。
「ちぇ」
面白くなさそうな態度を前面に押し出した右近が、喧々囂々と遣り合いながら土いじりをしている呂布とあやを見る。
「よし、オレ達も行くぞ、貂蝉」
「え」
「あやー!奉先!何してるんだ!?」
見ているうちに羨ましくなったのだろう。
言ったように、誰も、あやに甘いことに変わりはないのだから。
手を引く右近が振り向いて悪童のように笑い、貂蝉も答えて走り出す。
呂布の怒鳴り声が聞こえた。
「陽明!貂蝉の手を離せ!」
「はは~ん、羨ましいか、この野郎!お前こそあやから離れろ!」
頭上から右近の声がして、あやのからかいの声が聞こえる。
そんな日常はやがて終わりを迎えた。
いま、貂蝉の手を引いて輪に加わろうとする強引な手はない。
だけど変わらないものもある。
「呂布ー!」
「五月蝿い!」
貂蝉は、ああ今日も幸せだと、それを聞いて笑う。
「呂布、踊って~!」
「っこの酔っ払いが!いい加減にしろ!」
怒鳴られて上座できゃははと笑うあやと、隅から吼えた呂布の迫力に身を竦める一同。
貂蝉は月英に酒を注いでもらいながら、止めもしない。
「呂布ー!」
あや、やめろ殺されるぞ。
そんな声が聞こえてきて思わず上品とは言い難い笑いが漏れる。
「貂蝉様?」
「いえ、何でもありません。お見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした」
趙雲やら、張飛やらに止められてもあやは上機嫌に呂布の名を連呼する。
「呂布呂布呂布呂布~、踊ってよー!」
「無駄に連呼するな!俺は犬か!?」
呂布が苛立たしげに剣を抜く。
ざわりと辺りに緊張が漲った。
いくら酒の席といってもあやの態度に腹を据えかねだのだろう。
鬼神と恐れられた呂布、今まで大人しかったが何をするかわからないと一同が慄いていた。
「あの、貂蝉様、お止めにならなくて良いのですか?」
多くの人が事態の収拾を願って貂蝉を縋るような目で見ている。
「いいのですよ、月英様。奉先様はとても、あやに甘いんですのよ?」
その事実はすぐにばれてしまうだろうけど、貂蝉はここだけの内緒話のように月英にそっと告げる。
貂蝉の言葉を肯定するかのように、不機嫌そうな呂布が剣を携えたままあやに聞いた。
「…何がいい」
「正月に踊ったやつ!!」
嬉々としてリクエストするあやにため息をつきながらも剣を構える。
関羽や劉備ですらその展開に唖然とした。
貂蝉は同じく呆然として酒を注ぐ手を止めた月英に「ね?」と同意を求めた。
剣を閃かせ、舞う呂布。
手を叩いて喜ぶあや。
あやが貂蝉を見た。
それに気付いて貂蝉は月英に笑いかける。
「本当はわたくしも、あまり変わりないのですけどね」
あやが叫ぶ。
「貂蝉ー!歌って~!!」
「ふふ、仕方ないわね」
貂蝉は椀を置いて立ち上がり、同意の印にあやに手を振る。
誰も、彼も、自分も、結局変わりなくあやには甘いのだ。




