6話 はじめまして
「遂に重い腰を上げたのかい、孔明」
「…ああ、そうでしたね。あなたも劉備殿のもとにいたんでしたね。」
「臥龍と呼ばれたお前さんがいてくれると心強い。歓迎するよ。」
「それはこちらの台詞です。鳳雛と呼ばれた龐統殿?」
「相変わらずだねえ」
笑い合う二人の間には親しげな雰囲気が流れている。
そうだった。
二人は確か同門。
互いを知らないわけが無い。
孔明と龐統の会話でやっとそのことに気付いたあやに水を向けたのはその龐統だった。
「ところで、そちらのお嬢さんはお前さん付きの?」
空気を凍らす音がした気がした。
旅を共にしてきた者たちがその根源であるあやをそっと見やる。
当の孔明ですら苦笑いだ。
二人はとにかく犬猿の仲。
寄ると触ると口喧嘩。
それを孔明の下に見られたとなってはあやが怒らないはずもない。
「面白いお嬢さんだねえ。お前さんさえ良ければ譲ってもらいたいものだが…」
先ずは顔色を変えないまま冷静に呂布が貂蝉と一緒に下がる。
それを見た劉備たち三兄弟も引きつった顔で後退り。
祁央は一応龐統にそれ以上は止めろと目線で合図を送ってみる。
左近は無駄だと祁央の肩を叩いて共にその場を離れた。
「…誰が誰の何だって?」
あたしが孔明の従者だとでも?
「じょおっだんじゃないわ!!誰がこんな性悪を主人なんて呼ぶのよ!?」
「…性悪」
皆の目線が孔明に向く。
月英が小さく噴き出して、誤魔化すために咳払いをした。
さすがの孔明も笑みを刻んだ口が引きつっている。
孔明は昔から頭の回転が速かったから他人とは格別に扱われた。
そのせいで周りからは陰湿な感情を向けられることが多かった。
だから陰口などには慣れているし、さして気にしたことも無い。
ただ目の前でこんなにあからさまに言われたことはなかった。
怒ればいいのか、流せばいいのか、宥めればいいのか、自分の態度すら決めかねて孔明は結局困惑を表情に刻む。
「…おや?おやおやおや?」
龐統があやの言葉に目を丸くしたが、その意味は他の者たちとは違う。
龐統は怒り狂っているあやをよそ目に孔明に向けて破顔した。
「よかったねえ。お前さんには得難い人材じゃないか」
孔明はその意味を正確に理解して肩を竦めた。
かつて、共に机を並べていた頃。
孔明はあまりにも突出していて、近寄る人間がいなかった。
ほとんどは嫉妬と畏怖混じりに、遠巻きにして陰で色々と言われたものだ。
その中で、飄々とした態度で何一つ変わらず接していたのが龐統だった。
自分とあやとの関係は龐統が思っているような良いものではない。
だが確かにあやが真正面から向き合ってくれる珍しい類の人間であることは認めるから龐統の言葉に異論は挟まなかった。
その性質上か、何かの意図があったのか、それはわからないが龐統でさえ必要以上には孔明には踏み込んでこなかった。
色々と言ってはいるが、だから孔明はあやとのやり取りが嫌いではない。
あやが、嫌いではなかった。
多分龐統には見抜かれているだろう。
「ちょっと!人の話聞いてる!?大体あなた!龐統!人をモノ扱いするんじゃないわよ!人は譲られるものじゃないでしょうが!!」
自分を無視して頭の上で交わされる会話にあやはその元凶である龐統に矛先を向けた。
大体、この男は出会い方からして碌でもない。
「…そもそも、わたし忘れてないからね」
「何を?」
「あんたが人の水浴びを覗き見した事をよ!」
あやの一言は衝撃だった。
固まったのはやはり共に旅をしてきた連中。
ぎぎぎと固くなった首を動かして祁央を見る。
祁央は無言で剣を抜く所だった。
「わーわーわー、ちょっと、お嬢さん、横!その物騒な雰囲気で物騒なものを構えてる物騒な兄さん止めて!」
「問答無用…」
「え、何!似たもの同士!?」
龐統が祁央の聞いたような台詞に一声叫んで、逃げだした。
あやが後を追っていく祁央の後姿にエールを送っていると、じっと自分を見る真っすぐな目とぶつかる。
「子龍…」
かつて、魏の都でそう名乗った男。
変わってない。
忘れるわけもないその男前で人のよさそうな顔。
精悍さを増した姿が時の隔たりを少しだけ示す。
まさかもう一度会えるとは思っていなかった。
あやは笑って口を開いた。
「ひさし…」
ひさしぶり。
そういおうとしたら、趙雲は人差し指を自分の唇に当てて、あやの言葉をとめた。
意味がとれず、戸惑うあやに彼は言う。
「趙雲子龍と申します。」
『次に会えたら』
別れた時に彼が言った言葉を思い出す。
あやはふと柔らかく笑って言葉を返した。
「あや、と申します」
そんな風に笑う彼女を見たことがなかった関羽と張飛、孔明は軽く目を見張る。
そう、本当にあやはとてもきれいに笑う。
劉備は何度か見たことのあるその笑みを満足そうに見ていた。
『自己紹介から始めさせてください』
もう何年も前、遠い地で、あやの心がまだ魂を分け合ったあの男を知らなかった頃、彼はそう言った。
そして今、叶うとは思っていなかった再会。
ならば言う言葉は決まっている。
「「はじめまして」」
綺麗に重なった挨拶に二人で笑い合う。
昔のように趙雲が赤くなることはなかった。
時が、経ったのだ。
そんななごやかな雰囲気を破る声が、どたばたと走る音と共に趙雲にかけられる。
「趙雲!何和んでるんだい!あっしが殺されそうになるならお前さんも同罪だろうよ!?」
「…はい?」
叫びながらも止まらないのは無言で後ろを追い掛け回す祁央のせいだ。
趙雲は突然龐統から指名を受けて、戸惑いを露わに聞き返している。
あ、やっぱり気付いてないんだ。
あやは先程一目散に去ってしまった趙雲を憶えていたが、趙雲の方はどうやらあれがあやだと気付いていなかったらしい。
何となくそうなんじゃないかと思っていた。
あの混乱ぶりだったし。
いや、その方があたしとしてもありがたいんだけど。
かつては女が苦手だと言っていたが、あれから何年も経っている。
少しだけ残っていた少年っぽさが完全になくなって、趙雲は大人になった。
趙雲ほどの男ぶりなら尚更女は放っておかないだろう。
そんな女たちと比べられるのは気が引ける。
「お前さんだって覗いただろう!!」
「失礼ですね!覗くなんて低俗なこと私がするわけ……って!……まさか…あれは?」
事態に気付いたのか顔色を無くして趙雲はあやに答えを求めた。
「うん、そう。あたし。」
あやは自分を指してあっさりと認める。
嘘を吐く理由はなかった。
「っ*@○%☆#■¥&!!?」
その反応は見ものだった。
あ、リアルムンクの叫び。
白から青、それから土気色になって最後には赤くなった。
あやはそれを懐かしく見てしみじみと思う。
趙雲だなぁー。
本質はあまり変わってないみたいだ。
何となく嬉しくなって顔が緩んでいたら影が差した。
日が翳ったのかと顔を上げると間近に祁央。
びくりとして身を引いてからはっとする。
「あ、祁央。趙雲は追っかけないでよね。あの人は本当にワザとじゃないから」
「…わかってる」
ちらりと祁央が動かした目線の先には鯉のように口を開閉している趙雲。
あれは演技ではない。
そういう事が出来る男でもないだろう。
「……あや」
だから言いたいのはあやに、だ。
低い祁央の声にあやは雲行の怪しさを感じ取って神妙に返事をした。
「…はい。」
「俺は言わなかったか?」
「スイマセン。」
これは恐怖の説教タイムに突入かとあやは冷汗を流す。
こうなったら先に謝るが吉である。
「…ん?お前は俺の言うことがもうわかって謝っているのか?」
「……スイマセン」
だが今回は失策だった。
どうやら祁央を逆撫でする羽目になったようだ。
ヤバイ。
これは本格的に怒ってる。
あやは必死に助けの目を周囲に飛ばす。
しかし目を合わせてくれる者はいない。
呂布に至っては自業自得だと呟かれた。
最後にいまだに混乱中の趙雲を見て、あやは覚悟を決めるべきかと心の中で泣いた。
ら、目が合った。
本日三度目。
趙雲である。
何事かを決意したような毅然とした目。
混乱を収め、真っ直ぐにあやを見る。
え?え?
何か嫌な予感と既視感にあやは口元を引き連らせる。
音がしそうな勢いで歩いてきて、趙雲はあや以外に見向きもせずに祁央を押しのける。
がしっと肩を掴まれたあやは何となく展開が読めて、いっそ気絶しようかなんて現実逃避を図る。
そう、彼はロマンスの種を勝手に育てる類の男だった事を今さら思い出した。
「あや!」
果たして趙雲は予想通りに言った。
「この責任は取ります!」
少しだけカッコよく見えてしまったのは目の錯覚だろう。
結局こういう展開になるのね…。
あやは心の中で涙しながら前に会ったときの恐怖をまざまざと思い出す。
あれは怖かった。
だが今回も怖い。
「落ち着いてください、趙雲さん!」
「『さん』だなんて他人行儀な!?呼び捨てで結構です、私たちはこれから夫婦になるのですから!」
いや、ならないから。
必死に首を振ってみるが効果はない。
「趙雲、ほんと気にしてないから。大体裸見たら結婚しなきゃならないんだったら、龐統とだって結婚しなくちゃ。ね?」
「…では、あの男は殺してしまいましょう。それなら良いでしょう?」
「うぉーい!!何言い出すんだい!?」
一体何がどうなってそういう結論に至るんだろう。
良いでしょう?
いいわけあるか!!
それがあやと、とばっちりを受けた龐統の心の声だ。
「あ」
あやが趙雲の後ろに現れた影に声を上げた。
趙雲が振り返る前にガスっと鈍い音がして趙雲が倒れる。
先ほど押しのけられた祁央がこめかみに怒りマークをつけて、趙雲の後頭部を強打したのだ。
「ええと…ありがとう、祁央」
恐る恐る礼を言ってみる。
「…憶えてろよ、あや」
しかし祁央はあやを一瞥して不穏な言葉を残し、気を失った趙雲を引き摺り行ってしまった。
「ど、どうしよう。左近。祁央が怒ってる!」
「徹夜で説教に付き合うくらいで気が晴れるだろう…多分」
「…一緒に付き合ってよ」
「嫌だ」
「あたしもイヤよ!」
何となく、怒涛のような展開について行けず、黙って事の成り行きを見守っていた劉備軍の人々がやっと劉備に近寄っていく。
「…劉備様、ご無事で何よりです」
「…お帰りなさいませ」
「ああ、留守の間ご苦労だった。」
「…はい」
「「………」」
何となく微妙な間が空くのは仕方がない。
帰還して早々、主が連れてきた新人により置いてきぼりを食らった彼ら。
「…で、彼女は一体?」
「…あ~、まあな」
この状況で彼女の事を話して一体誰が信じるというのか。
劉備が言い難そうに言葉を濁す。
関羽と張飛も劉備の心が察せられて、何も言えない。
「…そういえば旅の目的は玄鳥族だったはず。どうなったのですか?」
「………」
ここまでか。
劉備は観念して言った。
「彼女が玄鳥をまとめていた長。玄鳥天女、響彩だ。」
「……え、誰が?」
この反応は当然だろう。
張飛は義兄を助けるために口を開く。
「あやだよ、あや。」
「またまた、面白くない冗談を、はは」
それすら受け流されて、関羽が重い一言を発した。
「…事実だ」
「「「……………」」」
沈黙。
皆があやを見る。
それはあまりにも疑わしすぎる言葉。
その視線に気付いて、左近に縋りべそをかいていたあやは顔を上げた。
思いもよらず多くの目線にさらされていることに少し狼狽える。
「…え、なに?」
ただの娘。
どころか、大いに変わった娘。
玄鳥天女?
然り。
目線で交わされた会話。
主と彼女とを交互に見つめて、彼らは一斉に深いため息を吐いた。
「何よ、一体!」
状況を掴めないあやの声だけが響く。
彼らがその名の真実を知るのはもう少しだけ先の話。




