5話 第一印象
「貴女が例の玄鳥天女だとか?」
「…例のって何よ」
「この世の者とは思えない美しさを持った方だと伺っていました」
ちらりとあやを見て、孔明はため息をついた。
「…自分が美人だとは思わないけどさ、その態度はムカつくんですが?」
「おや?すみませんね。私はどうも根が素直なようで。」
「ちょっとー!あんたオブラートに包むって言葉を知らないの!?」
「知りません」
オブラートなどというものが作られていないこの時代にその慣用句が通じるはずもなく、知らないの?と聞かれたら孔明は当然知らない。
が、そのことに思い至らないあやに孔明の答えは嫌味としか聞こえなかった。
「誰かに教えたい!孔明ってただ性格が悪いだけじゃんか!?」
原陽、颯太、利人、明日香。
仲の良かった面々と彼の天才軍師について議論しあった遠い日々は光に溢れて、一層その話題の的外れさが空しく感じられた。
「ありえない!」
あまりにも想像とかけ離れた現実に落ち込んであやは叫んだ。
「…貴女に天女という言葉ほど似合わないものはないですね。」
叫んで、ぞんざいな口をきいて、自分の感情を隠しもしない女。
孔明はからかいでなく、嫌味でもなく、しみじみと、あやを見て言った。
反論できるものがいるはずもない。
あや本人も、祁央ですら。
「響彩」
「なに、玄徳様?」
「ほら見てごらん。あそこだ」
あやは劉備の指差す方向を見た。
荊州、新野。
孔明の庵も同じく荊州にあった。
詳しく述べるなら大陸全土を見ても比較的治安のいい荊州の、更に州都にあたる襄陽。
それに比べて、新野は荊州でも最北にあった。
州境である。
北には曹操、東に孫策、西は五斗米道が、曹操の更に北には袁紹という巨人も控えている。
正に戦線。
本来なら新野は危険な地ではなかった。
少なくとも本当の歴史では、劉備はここで鬱々とした日々を送り、髀肉を嘆く逸話が生まれるのだが、こうも歴史が変わってしまっていると違える現実もある。
曹操と孫策が組んだ。
その情報は大陸中を激震させた。
対するは天下に最も近いと言われる、その名を知らぬ者はない名門袁紹。
曹操と袁紹の兵力差は三倍。
孫策を加えても、まだ互角とは言えない。
それでも、袁紹の勝ち戦と見る者は減った。
呉軍は次々と援軍を送っている。
長江を遡る呉自慢軍船のその通り道に新野はあった。
しかも呉の君主孫策の父を殺したのが荊州の牧、劉表の部下である黄祖となると、その因縁深さは相当なものだ。
よって、荊州に身を寄せている劉備としてはかなり複雑な立場に置かれている事になる。
緊迫した地だった。
あやにもそれはよくわかっている。
その原因の一端は孫策を無理矢理にも生かしたあやにもあるのだから、無関心ではいられない。
「劉備、覚悟!」
だからこんな事も多くなる。
「「兄者!」」
「殿!」
「また!?」
陣地に入ってしまっては早々手出しも出来なくなる。
一応劉備の旅はお忍びであり、極秘だったはずだが、情報は漏れるものだ。
仕方がない。
そして、盗賊や刺客の手を散々逃れてきた一行は恐ろしく迅速な対応が出来た。
あっという間に各自のやるべき事を判断し、自分の持ち場で武器を構える。
劉備が自分で矢を払うのが見えた。
今回は盗賊ではなく刺客のようだ。
そうなったら呂布も遠慮はしないし、あやも同じ。
どうしたって劉備を殺されるわけにはいかない。
体全体で感じる肉を断つ音に鳥肌を立てながらも、その動きに躊躇はない。
浴びる返り血にも、むせ返る様な臭いにも、もう慣れた。
「…無事か?皆」
「大丈夫、傷一つないわ」
あやが答える。
景元を仕舞いながら周りを見渡してみても、皆涼しい顔で同じように武器を仕舞い込んでいる。
「ちょっと~!」
一つだけ、言うことがあるとすれば。
「何でキレイなのよ!」
「は?」
「どうしてあたしだけなの!?」
自分の姿を見れば、返り血が所々に飛んでいて、更にそれが乾いていく感じが気持ちが悪い。
なのに、関羽も呂布も、劉備や祁央まで血一つ付いていない。
「技術では?」
やはりきれいなままの孔明が妥当な答えを出した。
あや以外の女性陣はそれぞれに防御を担当していたのが見えたから汚れていないのは当然なのだが、自分一人がこの状況というのはかなり納得がいかない。
「響彩、そんなに気にすることはない。」
「どうせもう直ぐ着く。そうしたら洗い流せるんだから」
劉備と張飛の言葉にあやは更に眉根を寄せる。
「着いたら湯を用意してやろう、あや。」
どう見ても納得いっていないあやに関羽が言葉を紡ぐ。
祁央と貂蝉が苦笑して目を合わせたのは、一人の娘の機嫌をとるために四苦八苦している彼らの、あやに弱い態度がどこかで見たような光景だったからだ。
「…嫌。絶対イヤ。」
「あや、我儘言うんじゃない」
「だって、これから仲間になる人たちに初めて会うのよ!?それが!血だらけ!?あり得ない!!」
人は第一印象で相手を判断するんだからね、知ってる!?
あやがそう言いながらぎっと祁央を睨む。
皆が皆同じ状況ならあやだって我慢する。
だが一人だけ。
そんなのは多数集団に所属することで安心感を得る日本人のあやには耐えられない。
「先に行っててよ。どっかで水浴びしてくるから。」
誰も止める言葉を口にしなかったのは、言っても無駄だとわかっている為。
無駄なことはしない。
「あや…」
ため息をついて、譲歩したのは祁央が最初だった。
「先に行っててくれ。俺が付き添う。」
「はあ!?祁央何言ってんの、あんた覗く気?」
「ぶっ!ななな何言って。俺は見張りに!」
「別に一人で平気よ、狙われてんのは玄徳様だけだし。いっそ一緒にいるより安全でしょ。」
体ごと水に浸かったりしない。
武器は手放さない。
時間は一時間。
落ち合う場所は…。
その他細々と決められて、あやは一人単独行動を許された。
「ははん、そんな約束なんか守るわけないじゃんか。」
あやは上機嫌に草を掻き分ける。
そこには静かな湖面。
澄んでいて、足を入れるのも躊躇はいらないような所だった。
閑静で、現代人のあやからすれば幻想的にすら見える。
「きれい!」
場所を教えてくれたのは三兄弟だ。
地元も民も、森深くにあるこの場所には足を踏み入れることはないからと。
その点、あやは信頼されていた。
当たり前だ。
玄鳥の地は山にあった。
今更何を心配するというのか。
あやは祁央の言葉を反芻することもなく、湖にざぶざぶと入っていく。
体と服についた血が濁りのなかった水に溶け出してくのを何となく物悲しく眺めて、あやはざぶんと頭ごと湖に沈んだ。
冷たいけど気持ちがいい。
水面下で湖面を見上げてみるとそこから揺れる太陽が見えた。
少し、その光を掴みたい衝動に駆られたが、あやはそれが掴めないものである事を当たり前に知っていたから、手を伸ばしもしなかった。
変わりに湖面に顔を出して、水を含んだ服を苦労して脱ぐ。
それを力任せに絞って、水際の岩に投げる。
それが見事着地したのを見届けてあやは湖を泳ぎだした。
下着のみのあられもない姿である。
現代なら絶対にしようなんて思わないが、こんな世界ならこんなことも許される気がする。
事実、あやは秘境を見つけるとたまに同じ事をしていた。
知られれば祁央初め、夏侯惇や奔放な孫策、比較的寛大な曹操ですら怒るだろう。
「ん?」
あやは水面を波立てるのを止めて、水の中で足を地につけた。
泳いでいる最中にも異音を拾う耳は確実にこの世界に来てから備わったもの。
思っていたのだ。
人が来れば絶対にわかると。
だって、辺りには草木が絶え間なく生えていて、歩けばどうしたって音がなる。
思ったより近くで草を踏む音が聞こえてあやは顔を上げた。
こんなに近寄られるまでなぜ気がつかなかったのか。
彼ならば仕方のないことだったと、あやは後に思う。
がさりと鳴って、草の間から顔が覗いた。
「…………」
「…………」
目が合った。
無言が続く。
「……」
「………っ!」
大分長い間見詰め合っていたが、相手はやっと状況に気がついたのか見事に顔が真赤に染まっていった。
それをあやは興味深く見つめていた。
「す、すすすいません!まさか人だとは思わなくて!鳥が行水しているのかと…それというのも今日はめでたい日でして、狩りに出ていたからだったのですが!!これ幸いと土産に出来れば、あ、違います!決してあなたを射ろうと言うのではありません、獲物とも思っておりません、誤解です!!私はそんな不誠実な男ではありません!」
ばっと後ろを向いて謝る様子は混乱も入っていて面白い。
必死に言い訳を並べる姿を見るに、嘘ではないだろう。
多分かなりいい人なのだと思う。
「と、とにかく申し訳ありませんでした!!」
「あ」
あっという間に、とはまさにこのことかもしれない。
声だけ残し、彼は全速力で逃走した。
エコーを辺りに響かせて、既に姿の見えなくなった彼の存在を唯一残す。
「って言うか…あたしの方がスイマセンって」
もう見えない背中に、届かない言葉を途中まで紡いでみる。
ちらりと見ただけだったが、かなりイイ男だった。
どっちかというと見せてごめんなさいと謝るのはこちらの方だろう。
「と言うより、あれって…」
イイ男だなとしみじみ思ったことのある人がかつてもう一人いた。
それを思い浮かべてあやはもう一度呟こうと口を開く。
が、それも最後までは言い切ることは出来なかった。
割り込む者があったからだ。
「ほっほっほ、いい眺めだね」
「……何してんのよ」
「お嬢さんを眺めてるんだが、わからんかね?」
「……いつから居た?」
「男女の運命的な出会いを見物させて頂いたよ」
つまりあやとイケメンとご対面する前からいたわけだ。
あやは水際に生えた木の張り出した枝の上にどっかりと腰を下ろし、暢気に声をかけてきた男を見上げて低い声で聞いた。
怪しい。
怪しすぎる格好だ。
目深に被った笠と目元までを覆う口当て。
ほとんど顔が見えない。
日本にいたらニンジャだと外国の観光客に騒がれたことだろう。
「……で、あんた何歳?」
正体を誰何されるでもなく、何故か男は年齢を聞かれた。
「…予想外な事を聞くお嬢さんだねえ」
唐突に話題が変わって、余裕綽々だった声が一瞬虚を衝かれた様に間が空く。
「ところでそれを聞いてどうするんだい?」
「10代だったら半殺し」
声と体格からして、それ以下ということはないだろう。
「20代だったら?」
「殺す!」
「30」
「目潰し、金蹴り、エルボー一発、ついでに頭も殴って記憶を消してもらう。」
「物騒だね…」
「40代なら更に鼻フックとラリアットもオマケするわ。」
「あー、50代なら?」
「脱いでもらう」
「は?」
「で、物陰からあたしが覗く」
「…何か意図があってのことかい?」
「ついでにどこぞを指差して笑う」
「あーそりゃかなり精神にくるね…」
がっくりと肩を落とした男をよそ目にあやは原陽を呼ぶ。
近くで草を食んでいた原陽は直ぐに顔を出して、木の上の男とその場から動かないあやを見て状況を理解したらしい。
水の中にまで入ってきて、背中に括りつけた荷物をあやに渡してくる。
多分男からあやの姿を自分の身を持って隠す意味もあったのだろう。
あやは原陽に礼を言いながら新しい服をさっさと身につけて、これも原陽の背にあった景元を引き抜いた。
原陽の登場に驚いていた男は剣の凶悪な光を見てやっと事態に焦りだした。
「ちょ、ちょっと待ちなよ、お嬢さん」
「問答無用」
「これだけは教えて!あっしは何歳と判断されたんだい!?」
「…とりあえず、一番無難なものを選んでみました。」
思いっきり殺気を撒き散らし、あやはにっこりと笑った。
「無難って、殺すのは無難とは言わないんだよ、お嬢さん!」
ばっと木の上で危なげなく立ち上がり、男はあやから離れるように枝を飛び移る。
「そいじゃ、雲行きが怪しくなってきたからあっしはこれで。中々楽しかったが約束があってね!」
捨て台詞を残しながらひょいひょいと身軽に葉の影を移動していく。
格好も相まって本物の忍者のようだ。
「…ちっ、逃がした!」
あやは辺りの捜索をしようとしたが、原陽に止められ、背に乗るように促されてからやっと約束の時間が迫っていることに気付いた。
大慌てで景元を仕舞い、原陽に飛び乗る。
彼らと思わぬ再会を果たすのはほんの小一時間ほど後の出来事。
新野、自陣にて。
「どうも、はじめまして。あやです…」
ずらっと並んだ劉備軍。
人間第一印象が大事と力説していたわりにはあやの挨拶には気合いが入っていない。
目をかっと開き驚きを露わにしている、それでも人の良さと顔の良さがわかる男。
それから表情の見えない大きな笠と口当ての忍者男。
第一印象とか、どうでもよくなる。
「自慢の部下で趙雲と龐統だ。」
紹介されたときには眩暈がした。
龐統さんのお姿、ミイラ男と忍者男で迷いましたが、さすがに包帯グルグルは躊躇った。




