15話 分岐点
残酷な描写あり。
200年4月。
それがあやが知る孫策の命の期限。
――もうすぐ、か。
あやは裾の長い服を引き摺りながら忠相の所在を確かめる。
それが過ぎるまでは武器を手放せない。
考えなければならないことも、答えが出ないことも多くあるけど、呉に来た目的をあやは忘れてはいなかった。
何があってもそれだけは成し遂げるのだ。
曖昧で周り中が霧に囲まれたみたいな中で、それだけが変わらず確かな決意だった。
呉は今も不安定だけど、それはあやの関わるところではない。
孫策や周喩、そして孫権の齟齬。
でも大丈夫。
尚香や二喬がここにはいる。
考えなければならないのはその先なのだろう。
わかっている。
いつか。
もうそう遠くない未来。
魏と呉は剣を交える。
天はそこに並び立つものを許さない故に。
その時、あたしはどこにいるのだろう。
あやはふと、そう思った。
途中何人かの知り合いに会った。
それもそのはず、宴が始まる時間なのだから当然のこと。
しかし誰もあやに話しかけてこないところを見ると多分気が付いていないのだろう。
皆目が合うとぎょっとしたような顔をしてそそくさと歩いていってしまう。
「なにそれ、つまんない」
もっと大袈裟な反応を期待していたのに、これでは自分から名乗りでもしない限り宴が終わるまで気が付かれないかもしれない。
「不穏なことを言うな。それでいいんだ」
「だって、せっかく我慢してこ~んなめんどくさい服着てるのに」
気をつけなければ直ぐにでも転べる服は滅多な事では着ない。
しかし祁央から言わせればお飾り用には丁度いい。
これで猫かぶりの例のスマイルでもつければ神々しさ満点。
笑顔で人を圧する高嶺の花が完成だ。
「お待ち下さい」
もう直ぐ会場に辿り着くという時に、さすがに衛兵の一人に呼び止められた。
他の参加者は素通りしていく中、あやだけが止められたのは知らぬ顔だと判断されたからだろう。
別に無理矢理衛兵を退けなくても、腰に下げた尚香から預かっている房飾りを見せればいいだけの話だ。
正体が知れずともその身分を十分に保証するものをあやは持っている。
「ここからは関係者以外の立ち入りは…」
だが、衛兵に呼び止められたのを、これ幸いとあやの正体を確かめようと同じく立ち止まって耳を澄ましている人々に、ちょっとした意地悪気分であやは焦らさず騒がずにっこりと笑う。
「わたくしよ?」
お分かりにならない?
少し顔を曇らせて、当然わかるわよね、の意味を込めて目尻に色を乗せる。
「も、申し訳ございません。どうぞ、お通り下さい!」
それだけで衛兵が態度を変えた。
動きは突然ぎこちなく。
あやはついでにお上品に口の端を上げて微笑み、礼を言って、当たり前のように彼の横を通り抜けた。
衛兵は顔を赤くして、持ち場に戻っていく。
「…お見事」
場所が場所なら口笛の一つでも吹いていた。
あの衛兵は絶対にあやが誰かなどわかっていない。
だがあやは名乗りもせずに通り抜けた。
呉は大丈夫なのか?と思うよりはあやを褒めた方がいいのだろう、この場合は。
同じように宴の会場の門番は何かを言う前にあやににっこり一笑いされて、声もかけられずに終わりだ。
会場に入った途端に空気がざわりと揺れたような気もしたけど、あやは気付かず末席に優雅な仕草で座る。
祁央的には当然想定の範囲内だったが、あまりにも想像通りの展開にため息を吐きたくなった。
あやに向けられる視線の量と同じく祁央にも注がれる視線はかなり痛い。
あえて言語化するなら、何でお前が隣にいるんだ、ああ?ってな感じだろう。
もちろん巻き舌で。
祁央から言わせれば、なぜ気付かないのかと逆に問い質したい気分だ。
あやの化け姿を見破れない彼らの目を疑っているのではなく、『祁央』が傍に居るのならそれはすなわち『あや』以外にあり得ない、そういう話。
だが、それこそそわそわと落ち着かない様子の会場の男たちだが、予想通り誰も話しかけてはこなかった。
祁央はただあやの猫かぶりが限界に達する前にどうか宴が終わりますようにと祈るしかない。
宴は時間通り始まった。
最後に入ってきたのは孫兄弟と周喩。
孫権と尚香はいつもとどこか違うざわめきの雰囲気に違和感を覚えて。
孫策と周喩は直ぐにあやの姿を見つけて驚きの顔の後、苦笑。
片眉を上げる仕草でやれやれとその行動を許す。
あやも同じく、先程から被っていた猫を背中から下ろして肩を竦める。
親しげな雰囲気が流れる両者に参加者はやはり関係者だったかと納得した。
宴は順調に始まってやがて無礼講になる。
北伐のための宴だから皆のテンションも高い。
堅苦しい挨拶も一段落してからタイミングを見計らって尚香が孫策に近づく。
「策兄様、直ぐに気付いたのね」
「…やっぱりお前の仕業か」
孫策はため息を乗せて尚香に呆れ顔を向ける。
「だって、似合うと思ったんだもの。…予想以上だったけど」
ちょっと、女として悔しい。
男にああも簡単に化けられては立場がない。
「兄様と周喩は驚かないのね」
他の皆は気付きもしていないのに。
孫策と周喩は互いに顔を見合わせて苦笑した。
「何よ、二人で分かり合っちゃって」
孫策と周喩に昔のような気安い空気が一瞬流れたが、それを指摘することなく尚香は憮然とした顔を作る。
「尚香、兄上!あの御令嬢をご存知で!?」
話を聞きつけて孫権が口を挟んできた。
「…そりゃ、知っているが」
「あの、権兄様?さっきあやから話を聞いていたのではなかったの?気付いてないの?ええ?…本当に?いえ、つまり、だから、あの人はちょっと、やめておいた方が…」
孫権の勢いに負けて孫策が仰け反って答える。
尚香は何か感じるところがあったのだろう、訝しみながらも少し焦りを滲ませて言葉を紡ぐ。
「兄上たちの好い方ではないのですね!」
「け、権兄様?」
「ないのですね!!」
「う、ああ。そうだな、友人だ。」
孫策の返事を聞いた途端に止める暇もなく孫権が立ち上がって、ずかずかと会場を横切っていく。
その様子を呆然と眺めていた三人は冷汗が伝う感触に我に帰る。
「策兄様?」
「悪かった…」
じっとりと目線をやる尚香に孫策は素直に謝る。
孫策が素直に恋人じゃないなどと答えなければこんな事態は水際で食い止められたはず。
「…まずったわ。どうしよう、策兄様」
予想外だ。
尚香としては面白い企画だと思ったまで。
まさかこんなことになるなんて。
「権兄様が変な趣味に走っちゃう」
「…尚香様、裏の裏は表です。何とか規定内ではありますので、安心なさって下さい。」
「周喩の言うことはいつも小難しいわ。意味がわかんないわよ、ねえ、兄様?」
「……我が弟ながら審美眼は確かだ」
「は?」
「…だが、面白くはないな」
「同感です。殿」
あれが本当のあやの姿なれば。
孫権の目は確かということだ。
しかし孫権の長所が明らかになったからと言って別段嬉しくはない。
出来たら今すぐ一発殴って引き摺り戻したいところだ。
「兄様たちまで変になったわ。どうしよう」
視線の先に、あやにかちこちと不自然な緊張のまま話しかけている孫権が見える。
とにかく、孫権のためにもあやのためにも正体は隠していた方が無難だ。
今にも手でも握ってきそうな勢いの孫権にあやの仮面も外れかけて、口元が引きつっている。
不自然にきょろきょろと動く目線が三人と合う。
助けて!!
三人は正確にその意味を読み取って顔を見合わせる。
「兄様、何とかしないとあやが食べられちゃう…」
「…意味がわかって言っているのか、是非とも言及したいところだが。」
「事態の打開が先ですね」
こくんと三人で頷きあって、あやの救出のために孫策は皆の注目を集めるために手を叩いた。
「あの!お名前は!?」
「名乗るほどの者では…」
「おお!何と奥ゆかしい…」
「どうも…」
何を言っても感動する孫権の前ではあやの猫も疲れ果てて退散し出した。
ああ~、誰か何とかして!
先程から続くこのアホみたいな会話が終わらせられるならなんでもする。
見たこともない、頬が紅潮した孫権の身を乗り出さんばかりの勢いははっきり言って怖い。
祁央は孫権を応援する連中に捕まって頼りにならない。
いまさら「あやです☆」なんて口が裂けても言えない雰囲気だ。
祁央を囲んでいる中には黄蓋や呂蒙、太史慈もいる。
ただし太史慈だけは誠実な男の肩書に相応しく、乗り気ではない様子で心配そうにこちらを何回も窺っているが、そんな反応するなら助けてくれと言いたい。
今度会ったら絶対にど突いてやる!
「みなの者、宴は楽しんで頂けているだろうか」
そんな時、孫策の声が聞こえた。
孫権の視線が逸れて壇上に向く。
ほっと息をついてあやは孫策に感謝の目を向けた。
「今宵は更に余興を用意している。」
おお、と皆の期待の声。
周喩がぴったり孫策の隣にいるところを見ると、周喩が耳打ちしているのをそのまま孫策が言っているに違いない。
先程目が合ったから、何とか救いの手を考えてくれたんだろう。
助かった。
だが、顔を上げて。
皆の目が揃って自分を向いているのを見て、目が点になる。
え?
壇上を見れば孫策の手はこちらに伸びている。
来い、ということだろう。
ええ?
だって、今余興って言ったじゃない。
あたし何にも出来ないわよ!?
目線だけで孫策と周喩に訴える。
無理無理無理!!
とにかく来い!
絶対無理!!
いいからそこから逃げたいんだろう!?
うっ!
そんな会話をしたつもりになって、あやは観念したのか渋々と腰を上げる。
注目を一身に集めて重い足取りで孫策たちの元に向かう。
どうしてかそれは見た目決して焦らず優雅に静々と歩くように見えて、人々は知らずほうっとため息をついた。
「大丈夫だった?権兄様に何もされてない?」
「とりあえず貞操は無事だよ」
「悪かったわよ、こんな格好させて。でも私にも予想外だったんだからね。わざとじゃないのよ」
壇上に近づくと尚香が小声で話しかけてくる。
「あや、こっちに来い。ここに立つんだ」
「何やらされるのよ」
「心配するな」
周喩がこそっと中央を立ち位置に示し、指示をくれる。
もうどうなっても知らないからという心境であやは孫策の隣に立って顔を上げた。
わお、絶景。
無礼講になっていたから席を離れている者も結構いるが、それでも呉の百官が顔を揃えている光景の壮観さは魏に勝るとも劣らない。
久しぶりの感覚だ。
あやは自然背筋を伸ばし、揺れていた目線を定めた。
身の内に宿る、この力を何と言うのだろう。
さすがだな。
孫策と周喩は人前に起った途端に雰囲気を変えたあやを隣に感じる。
見なくてもわかる。
彼女は玄鳥天女と呼ばれた女。
それは人の上に立つことを知っている者の性だ。
尚香だけが見たこともないあやに戸惑いを感じる。
話かけ辛い雰囲気。
気安く触れない威厳。
孫策が親しみやすさを捨てて、手に入れたものに似ていた。
「さて、彼女は西よりまいった語り部の娘。今宵は極上の物語を聞かせてくれよう」
あやが驚きに孫策を振り仰ぐのと同時に周りから拍手が上がる。
孫策と周喩は笑っていた。
少しからかい混じりの目をして。
玄鳥の村で語っていた話を、いつの間にか子供たちに交じって聞いていたことがあったと思い出す。
楽しそうに、嬉しそうに、子供たちが物語に引き込まれていくのを目を和ませて見ていたあやを二人は覚えている。
何も出来ないなんてことはない。
そう孫策と周瑜が促すから、あやは驚きからゆるゆると笑いに変えて、その心情を示した。
満面の笑み。
その偽りのない笑顔に皆が息を飲んだ。
そして幾らかは既視感を憶える。
どこかで見たことがある。
だが記憶を探っても彼女の姿はどこにもいない。
「ご紹介に預かりました。今宵の宴に相応しいかどうかはわかりませんが、語り部の役目そのままに、物語を語らせて頂きましょう。」
優雅に一礼をして、あやは思い出す。
懐かしい。
かつて語り部だと、紹介されたことがあった。
焦りながら、しどろもどろで。
夏侯惇。
その紹介を初めは信じてくれなかった夏侯淵。
ああ、それから徐晃や曹仁。
司馬懿はまた胃痛に悩まされていないだろうか。
「では、風の谷の姫君の話でも」
よく通る声がまだ誰も知らない世界の、聞いたことのない物語を語る。
人々は静かに耳を済ませた。
あやは目を開けて物語の終わりを告げる。
「さて、この物語はこれで終わります。楽しんで頂けましたでしょうか」
大きな拍手にあやは気恥ずかしそうに微笑む。
やっぱり語る事が好きだ。
人の命を奪うよりずっと残せるものがある。
そんな満足を抱えて。
突然。
ふと、あやは顔を上げた。
ふと、孫策が眉を顰めた。
おやと、祁央があやの様子に気付いた。
おやと、周喩が孫策の様子を怪訝に思った。
その直後。
だん!と床が鳴って、風が巻き起こる。
反応出来たのは剣を抜こうと腰元に手を伸ばした孫策と。
とっさに孫策の前に出ようとした周喩と。
あやの元に駆けつけようとした祁央と。
孫策に向けられた刃を忠相で受け止めたあやだけ。
影は一つ二つと増えていく。
ばきりと相手の剣を折ったと同時にあやは相手の腹を蹴飛ばして距離をとる。
一人を相手にしているわけにはいかない。
守れる位置。
見渡せる場所。
妙に冴える頭でそれを探す。
「きゃああぁぁぁ―――――――!!!」
一瞬の沈黙に事態を悟った妓女たちの、布を裂くような悲鳴が合図だった。
「刺客か!!」
「くそが!」
「どっから湧きやがった、こいつら!?」
呆気にとられていた人々が我に返り武器を手にしようとするが、そこに武器はない。
武将たちが舌打ちをして構える。
武器を持っていない宴の参加者たちは素手で彼らの相手をしなければならない。
もちろん、刺客たちはそれが狙いだろう。
一方のあやも一撃目は反射と勘で防いだものの、驚愕に目を見開いていた。
まさか、まだ早い!
孫策の命の刻限は近づいてはいたが、今ではなかったはず。
あやは孫策の前に立ち、慎重に周りを探る。
だが、彼らは一撃目を防がれたとわかるとすぐさま標的を変えた。
唯一、帯剣を許されている孫策に与えてしまった時間は彼らにとっては致命的。
孫策にはもう隙がない。
ぎりっと武器を握る手には力がこもり、その目には怒りが湧いている。
一斉に散らばった刺客たちに更にあやは混乱する。
馬鹿な!
狙いは孫策じゃない!?
「祁央!」
孫権の目の前にいた祁央を呼んで注意を促す。
その時にはもう祁央の目前まで凶器が迫っていた。
答える余裕なく祁央が隠していた短刀を抜いて防ぐ。
ほっとしたのもつかの間、あやははっと振り返る。
孫策、孫権ときたら、もう一人、名が続く者がいる。
「尚香!」
叫んだのは祁央に庇われていた孫権。
あやはしまったと歯を食いしばりながら、風を切る音に身を捩り、立ち塞がった障害を倒すために忠相を振るう。
「邪魔、するな!」
ああ、こんな動きにくい服なんか着るんじゃなかった。
だが、それを払っている暇もない。
あやは忠相が肉を断つ感触にも動きを止めない。
一瞬の躊躇が大切なものの消失に繋がることを、あやは身をもって知っている。
さすがに、ここまで来ればわかった。
孫策ではなく、孫権ではなく、尚香だけでもなく。
狙いは孫家、そのものだ。
「尚香!」
あやの刃は間に合わない。
目を見開いた尚香が見えた。
だが、予想した惨状は起こらなかった。
がきっと金属同士がぶつかり合う音がして尚香の身には刃は届いていない。
「周泰!!」
いつも孫権の傍にいた静かな男の姿。
手にはすでに武器。
さすが無言実行の男、素早い。
喜色に滲んだ孫権の声にほっとしてあやは忠相を構えなおす。
周泰が傍にいるなら尚香は大丈夫だろう。
何が起きているのかわからない。
孫策の背を守りながら飛び出してくる凶器をひたすら跳ね飛ばす。
無理をしても花王を持ち込むべきだったか。
後悔は少し過ぎったけど、無いものねだりは今更だ。
今あるもので、如何にするかを考えるべきだった。
そして花王の殺傷力に遠く及ばずとも、忠相も凶器には違いない。
人の命を奪うことなど、殺意を乗せれば簡単に出来る。
大きく振り回した忠相の勢いに逆らわず半転して、相手の背後を付いてその刃を埋める。
更に仲間を盾に次の攻撃に出ようとしていた刺客の目を違わず突き刺した。
返しざま、迫っていた刃に髪を持っていかれながら喉を一閃。
殺生を選択している暇はない。
数が多い。
だが、それもそろそろ終わる。
刺客は一撃目と二撃目で目的を達せられなかった。
それは即ち襲撃の失敗だ。
もう衛兵が集まってきている。
武将たちに武器が行き渡るのも時間の問題。
後はとりあえず防いでいればいいだけ。
あやは肩で息をしながら孫策と背を合わせた。
ばらばらと二人の前に人の壁が出来る。
気が抜けた。
何とか切り抜けたようだ。
ずるずると座り込むあやに合わせて孫策も地面に腰を下ろす。
荒い息の合間に何とか声を絞り出した。
「策、無事?」
「ああ、そっちこそ。」
これだから男は嫌なのだ。
こちらが息も絶え絶え体力ぎりぎりなのに、涼しい顔で答えてくる。
羨ましい。
人垣の隙間から周喩が残りの刺客を叩き伏せているのが見えた。
「何が起こったの」
「わからん。だがお前がいて助かった。」
「…礼はいらない。そのためにここにいるんだから。」
背中の孫策が驚いたように振り向いたのがわかったが、直ぐに笑いの気配に変わる。
「それは光栄だ。」
「みんな無事みたいね。」
「ああ」
孫権の方は祁央がうまくやってくれたようだ。
こっちに駆けてくるのが見える。
よっと掛け声をかけて孫策が立ち上がってあやに手を伸ばす。
「兄上、ご無事ですか!?」
「ああ、あやのお陰でな」
「は?あや?が、どこに?」
孫権の反応にあやと孫策は顔を見合わせて笑った。
「孫策様!生き残りは捕らえました」
幾人かの刺客が引っ立てられて孫策の前に突き出される。
あれだけいて残ったのはたったの四人。
それだけ他の皆にも余裕がなかったのだろう。
孫策は直ぐに君主の顔に戻って、厳しい目を刺客たちに向けた。
孫権、周喩、尚香や祁央も集まってきて刺客を見下ろす。
「どこの手の者だ」
無言が過ぎた。
「殺せ」
首を刎ねる音がして一人息絶えた。
あやはぐっと歯を食いしばり、手を握りこむ。
「答えろ」
沈黙に孫策が降す命令は決まっている。
顎で合図を送り、もう一人。
肩が揺れるのは止めようがない。
「お前は答えを持っているか?」
「…、…っ」
「ふん」
三度剣が振り下ろされようとする。
だが、あやは刺客の口が無意味に開閉するのを怪訝に思った。
「策、待って!」
「どうした?」
「…この人、何か言おうとしてる」
皆の視線が刺客の顔に注がれる。
涙に濡れた目。
死にたくないと、言っている。
「何も聞こえないが?」
「…もういいだろう。殺せ」
「待って、兄様!彼女の言う通りよ。何か言ってる」
「……もしかして、声が出ないの?」
こくこくと必死に頷く刺客に誰もが戸惑いの目を向ける。
「孫策様…これを。」
輪の外から黄蓋が声をかける。
示した先には青ざめた顔で呂蒙が立っていた。
呂蒙は足元にあるうつ伏せの刺客の死体を指して、仰向けに転がす。
「っ!」
息を飲んだ。
喉に引き攣れた醜い傷。
今出来たものではない。
「半分以上が、同じ有り様です。」
「…喉を、潰されたのか?」
ぞわりと背筋を戦慄が駆ける。
生き残った刺客の喉には傷はない。
しかし話せない事は確かだ。
傷がない者は薬で喉を焼かれたのだろうか。
捕虜になったときに情報を漏らさないように?
「…魏だ」
孫権の声がした。
あやはびくりと肩を揺らす。
「こんなこと、奴ら以外にやらない」
誰もが言葉を失う静寂の中に、突然声は響いた。
「あっはっはっはっは!」
哄笑。
視線を向ければ四人目の刺客。
「お前、声が出るのか!?」
「出るさ、俺の役目はこいつらとは違う。」
「役目?」
にやりと笑う四人目と目が合って、あやは刺客の言っている事がわかった気がした。
「駄目!!」
だがその声は間に合わない。
あやはとっさに手を伸ばす。
男は何かを勢いよく口から吹き出した。
それはあやの考え通り、死にたくないともがく三人目の刺客目掛けて。
三人目は直ぐに泡を吹いて息絶えた。
多分、毒針。
「な!」
「貴様、仲間を!?」
最早、呉の人々からは声が出ない。
一歩後退って、この異常に見える刺客たちの不気味さに慄く。
理解できない生き物がここにいる。
あやは無言で孫策の前に伸ばした手を握り込んだ。
四人目はその手を見て、口の端を上げてもう一度笑った。
多分、こういうのを選択というのだ。
あやは彼の役目が、捕らわれた仲間の始末だと気付いたけども、それは即ち殺傷能力を持つ隠した凶器があるということ。
その矛先が当初の目的通り孫策に向かないとは限らない。
九分の三人目の死の可能性と、一分の孫策の危険の可能性。
あやは孫策の命を取った。
そして失われる哀れな命がある。
がきりと嫌な音がしてあやは息を飲む。
多分孫策たちにもわかっている。
この後に起きることなど。
終わりはそれしかない。
四人目は真っ赤に染まった口の中を見せつけるように哄笑した。
まるで自分の命と世界を笑うように。
ぼたぼたと床を叩く命が零れ出す音はスコールから滝になった。
そして、ふとあやと目を合わせて、何かを思い出すように眉間に皺を寄せる。
初めて、その目に正気の色が浮かんだ。
だが、そこには深く暗い闇。
作られた絶望。
そして盲目的な忠誠。
「何故…あなたが、」
あやを見たまま、そう呟かれた最後の言葉はあやの耳に届いて、あやの胸を刺す。
何度も、何度も自分に問いかけたその言葉。
曹操、曹操、曹操。
あなた。
一体何を作り出しているの。
床に伏す四人目はその瞳を閉じることなく。
虚ろな目は世界の広さを知らないまま。
あの男の道具として使い捨てられた。
「歯に毒を仕込んでいたか…」
あやはもう何も映していないはずの刺客の目を見ていた。
見ながら、大きくなっていく震えを止める術を知らない。
あなたの手を離して。
あなたが一人で踏み込んでいくのを見送って。
何もしない事で。
あたしは、あなたに何を許したの?
こんな風に。
こんな人々を。
作り出す事を、あたしは望んだわけじゃない。
曹操。
曹操。
あたしはやっぱり間違った。
あなたの手を離してはいけなかった。
もし、離すのなら。
あなたを、生かしておいてはいけなかった。




