14話 やがて思う。それは何かが終わって何かが始まる日。
「ちょ、ちょっと待って!尚香!ぎゃー!」
「うるさいわよ。少し大人しくしなさい!」
「あらあら」
「尚香さま楽しそう…」
最近、あやは女性陣と一緒にいることが多い。
時々は孫策と周喩の呼び出しを断って尚香たちとお茶をする程だ。
はっきり言って楽しかった。
ずっと男たちの中で過ごしてきたからその事に今更不満などないけれど、やっぱり同性とは違う。
この世界に来て既に五年。
もしかしたら初めての同性友達かもしれない。
こっちとしては性別を騙くらかしているという後ろめたさがあるのだが、そこには目を瞑る。
仲良くなった今は、大喬も小喬も、もちろん尚香も、あやが孫策や周喩に近づくことを嫌がったりはしない。
それでもあやが女だったらいい気はしないだろう。
同じように男性陣もこの微妙な情勢の中で、呉の者ではない女が孫策に近づくことを良しとはしないはずだ。
だから、いまだに男装を続けている。
バレるわけにはいかない。
なによりも、あやにとってここまで気を許せるようなった相手というのは貴重。
騙していたと知られて嫌われるのはもっとイヤだった。
つまりはただの個人的事情が多分に含まれている。
故にあやとしては何としてでも逃げ切らなければならないのだ。
この場面を。
「やーめーて~!」
「何よ、どんなに生っ白くたって男でしょ!恥ずかしがってないでさっさと脱ぎなさいよ!!」
「尚香!君はもっと女性らしい恥じらいを持つべきだあぁぁぁぁ!!あ、ちょ、ホントにやめてぇ!」
ぴっぺがされそうになっている服を半泣きで必死に守りながら、自分が散々言われていたことを、尚香に叫ぶ。
「…お前たち、一体何をやっているんだ?」
絶体絶命の危機。
はっきり言って神に見えた。
「助けて!孫権!!」
溺れるものは藁をも掴む。
気分的にはそんな感じ。
孫権が決死の形相のあやと尚香に振り向かれて、とっさに後退りしたのが見えた。
が、逃がすものかとあやは孫権の袖をむんずと掴む。
この状況なら孫権だって男として同情してくれるに違いない。
「孫権、わかってるよね?わかってるよね!?いま自分が何をするべきなのか。ぜっったいに逃がさないからな…!」
言葉通り、ぎりぎりと絞られる自分の腕にかかる離すまいとする握力。
妹は怖いが、要望に応えなかった場合のあやの末路を思い描いて孫権は思わず頷いた。
「外まで声が聞こえてたぞ」
「ああ、そうかい…」
そりゃそうだろう。
あれだけ必死だったんだから。
ぐったりと肩を落とすあやを見る孫権の目に案の定、憐憫の色が混じる。
「孫家は女性の育て方を間違ってない?」
「…あれは変わり者だ。育て方の問題ではない。」
異性の服を脱がそうとする姫がこの時代にいるとは。
いや…どの時代もいないか。
突き抜けたような尚香の性格は好きだけど、今回ばかりは大いに困った。
あやはため息をついて肩までずり落ちていた襟元を直す。
「…何で君そっぽ向いてんの?」
「い、意味は、ない。ああ、なにもないとも!」
胡乱気な目を向けてみたが、孫権はあやと目を合わせてくれない。
「で、何をしていたんだ?」
何だか話題の転換がかなり無理やりだったけど、あやは孫権の言葉に先程の疲れを思い出してげんなりとした。
「今夜の宴の衣装選びだよ」
「…何で尚香が選ぶんだ?」
「わからない?」
「……女装?」
あやは重々しく頷いて、孫権は一瞬ムンクの叫びのような顔をした。
同じ男としてのあやに対する同情とか、孫家の姫の尊厳とか、尚香がどこで道を間違えたのか、とか。
それからあやが女装など洒落にならない、と思ってしまった自分とか。
中身は色々だ。
「何でそんな話になったんだか。きっと似合うだろうって、いきなり尚香が乗り気になっちゃって」
「すまん」
「まさか女性に無理やり脱がされる日が来るとは…」
「悪かった」
普段だったら謝罪なんて孫権の口から聞くことなんてないだろうから、ここぞとばかりに謝らせてみる。
だが、あまりにも孫権が素直だから段々と不憫になってきて、ここらでやめておこうとあやは口を閉じた。
「しかし、何とか逃げられたんだろう?」
「……まあ、あの場はね」
「…するのか、女装」
『ちょっと、あや。逃げる気!それでも男なの!?』
あの恐ろしい叫びに逆らえる者がいるなら見てみたい。
『わかった、やるから!だからここで着替えるのだけは勘弁して!!』
むしろ最後の一線を守れた自分を褒めてやりたいくらいだ。
大体、本当は女であるから、孫権たちが思うより抵抗なんて全然ない。
先入観というものは強いものだし、要は本当の女だとバレなければいいのだ。
長い息を吐いて観念を溜め込んだ後は、がばりと顔を上げて孫権に宣言する。
「楽しみにしててよ。こうなったら断然やる気だからね!」
孫権が口元を引きつらせているのはやる気に水を差されるので見なかったことにして、あやはガッツポーズで自分を鼓舞する。
「そういえば、お前の姉は玄鳥天女なんだったか」
「お、おう」
今更その話題かと少し言葉に詰まってしまった。
あれからまったく話に出てこないから、忘れてくれたか冗談と受け取ってくれたのかと思っていた。
不意打ちだ。
「曹操の妾になるくらいだから相当に美しいのだろうな。」
「…え、ああ、まあ多分」
自分で肯定するのは、前回ほど頭に血が上っていない分だけ恥ずかしい。
思わず目が泳ぐ。
美女なんてどう足掻いても無理だという自覚はあった。
最近は本物の美女三人の顔を毎日拝んでいるのだ、その差は嫌と言うほど実感している。
「お前も弟と言うからには似ているのだろう?」
「…そっくりだと言われるが?」
「はっはっは、やはりな。それでは高が知れている」
孫権が顎を持ち上げて笑う。
その通りと思いはするが、それを人から言われるのとではまったく別の話。
何と言い負かしてやろうかと考えているうちに孫権がなんでもない風を装って、その実慎重な声音で聞いてきた。
「姉が曹操の妾だからあんなことを言ったのか?」
「あんなこと?」
唐突過ぎる。
何のことかを先に言って欲しい。
「袁紹と曹操との此度の戦の行方だ。曹操が勝つと、この間の会議でお前は言っただろう。」
やっと孫権の振ってきた話題に合点がいった。
「沈黙は是と捉えるが、いいのか?」
あやはもう癖になった仕草で北をふと眺める。
目を細めて、誰かを探すように。
もし、未来を知らなかったら?
何度も自分にした問い掛けは、何度でも同じ答えが出る。
多分それでもあたしは曹操が勝つと言っただろう。
だって、あたしは会った。
曹操孟徳という男に。
あの人が負けるところなど想像が出来ない。
「天下を手にするまで、あの人はきっと止まらない」
「では聞く。呉と魏と、戦えばどちらが勝つ」
思わず息を詰めた。
それはあやの迷いを的確に突く問いだった。
どちらが勝つ?
いや、どちらに勝ってほしい?
いくら考えても、答えなど出ない問い。
それでも考える。
「…悪かった。もういい」
「え?」
驚いて孫権を振り向けば、孫権は苦りきった顔をしていた。
あやには突然謝られた意味がわからない。
答えを出せなかった自分が謝るのならわかる。
呉に居ながら他国を天秤にかける自分を孫権に罵倒されるのだったら納得もいった。
なのに、どうしてか謝ったのは孫権。
「どうして君が謝るの?」
素直に聞いてみる。
孫権は答えなかった。
あやがこの世の終わりのような暗い顔で自分の思考に嵌り込んでいたのがわかって。
そのままどこか、ここではない場所に吸い込まれていってしまうのではないかと思うくらいに苦しそうだった。
ただ、それだけ。
「曹操は天下の悪人と言われている男だぞ。そんな奴のために何を悩む必要がある」
「は?」
孫権とあやの間にはいつも嫌味の言い合いか、睨み合いか、無視しかなかった。
だが、何故か孫権の中で、呉の障害である曹操の存在が少しだけ重みを増したように思える。
「孫権?」
「いや、なんでもない。気にするな」
「気にするなって、気になるに決まってるじゃん」
あやは複雑に顔を歪める。
彼は、孫権だけはわからない事が多すぎる。
彼の考えとか、行動とか。
そう、例えば。
「何で、誰にも言ってないの?」
孫権が、あやが喋った口から出任せの素性を信じていたのだとしたら。
何故いまだ誰もそのことを知らないのか。
孫権が何も、誰にも言っていない様子から、あやは孫権が冗談と捉えてくれたのだと確信して安心していたのだ。
多分、彼も最初は信じていなかったのだろう。
そのはずだ、確かにそんな反応だった。
だけど、あの会議での曹操を立てる発言が、孫権に皮肉にも嘘を信じ込ませた。
玄鳥天女の身内という事実は呉に衝撃をもたらせたはずだ。
あやを放逐するには打ってつけの理由だというのに。
何故、孫権は口を噤んでいるのか。
孫権がちらりとあやを見て直ぐにまた正面に視線を返した。
端的なあやの言葉を正確に捉えて孫権は鼻を鳴らす。
「お前があの玄鳥天女の弟だと言い触らして何が楽しい」
「…楽しいって、いや、まあ楽しくはないかもしれないけど。だって、君、僕が嫌いでしょ?」
言う理由依然に言わない理由がない。
「…兄上も知っているのだろう?」
あやの素性を。
「…うん」
むしろ真実を知っている。
玄鳥天女本人だという真実。
「兄上に倣ったまでだ」
「…ブラコン」
「…ふん、お前が播瑠と同郷だということは信じてやってもいい」
「なに、突然」
「あいつも時々お前と同じ、意味のわからない言葉を使った」
孫権にはブラコンが通じなかったらしいと気付いてあやは苦笑する。
ぽろりと零れるのは仕方がない。
だって、それは長い間日常だった。
「認めてやる。お前の言葉には真実が多い。」
驚きだ。
あの孫権がデレた。
そっぽを向いているけど、それはあやが呉に来てから初めて、孫権からもらった肯定の言葉。
なのにあやは素直には喜べなかった。
折角、孫権が認めてくれたのにあやには返せる言葉が見つからなくて、結局曖昧に笑うだけ。
だって、玄鳥天女の弟なんて嘘だ。
真実が多いと認めてくれた孫権を真っ向から否定する事実。
「僕、宴の準備があるから行くよ」
「あや?」
「ごめんね」
孫権が名前を呼んだのが聞こえた。
あやは聞こえないフリをして謝罪だけを置いて、背を向けたまま足早に場を後にした。
何に対する謝罪なのかは、自分にもわからなかった。
「そ、れは、ちょっと、マズいんじゃないか?」
「え?駄目?」
「もう少し足が隠れる服にしろ」
足を出すな、が口癖だった人を思い出した。
祁央は服に関しては結構寛大だったはずなのに、いつの間に惇に感染したのだろう。
「可愛いのに~」
「じゃあ、玄鳥の村で着ればいい。とにかく!ここではなるべく大人しい服を着るんだ」
「せっかく気合を入れようと思ってたのに…」
「あや!」
「…は~い」
尚、不満そうなあやが未練タラタラで手に持っていた服を床に落とす。
自由な格好をしていた昔が懐かしい。
肩出し、ヘソ出し、ミニスカ、ショーパン、シースルー…。
ため息をついてビラビラと無駄に長く布面積の多い服を拾い上げる。
祁央がいるのも気にせずばっさばっさと着ていた物を投げ捨て、選んだ服に腕を通す。
祁央もこれに関しては何も言わず、着付けの手伝い。
慣れの問題だと無我の境地に至りつつある自分を祁央は褒めたい。
「ん?あや、お前少し太ったか?」
「え、嘘!ヤダ、最近食べてばっかりだったから!?尚香たちとお茶すると必ずお菓子がついてくるからつい食べちゃうのよ!!あー油断した~!」
「いや、いいんじゃないか?むしろもう少し肉をつけた方が…」
「祁央の好みなんか聞いてない!てかそれってつまり凸凹がないって事!?」
どこをどう捻じ曲げて考えたらそういう解釈になるのか。
女心は今も祁央には謎だ。
「まあいい、とにかく騒ぐな目立つな大人しくしてろ。今日のお前の仕事内容だ、忘れるなよ」
「何でよ、こうなったら孫権を見返してやらないと」
「やめろ!自分からトラブル呼び込んでどうする!?」
尚香との約束があるから女装姿で出て行かなければならないのは承知している。
それだけで祁央には頭の痛いことが起きる予感がひしひしとしていた。
なにせ、彼女は本物の女だ。
ならばなるべく注目を集めずやり過ごすのが理想。
出来れば末席に見知らぬ女がいるな、位で終わらせたい所だ。
幸い尚香はこの姿で何をやれと言っているわけではない。
「トラブル?いくらあたしでもよそ様でそんなもの起こさないわよ、失礼ね!」
「あぁあ~!この鈍感!馬鹿娘!」
あやの無意味に勝気な顔に、祁央は頭を抱えて唸る。
子供を持った憶えもないのに父親の心境とはこれ如何に。
「ちょっと、なんでいきなり悪口!?」
あやからすれば謂れのない悪口だ。
怒りを表現するためにあやは裾を捲り上げて足を出す。
ガツンと衝撃が脛に来た。
「だ!いっ痛!」
祁央が飛び跳ねて痛みを逸らしているのをみて溜飲を下げる。
ついでに指も差して笑ってみた。
「あっはっはっはっははははは!ざまぁ!」
祁央の涙混じりの睨みに、あやも涙混じりの笑いで返して。
それから指で拭ってあやは祁央に言う。
「大丈夫よ、きっと」
女だとはばれない?
トラブルにはならない?
意味は色々と解釈できたけど、結局あやはそれ以上何も言わず。
代わりに忠相をそっと撫でて裾に隠した。
「女装でよかったかもね、逆に。持ち込みやすいしバレにくい」
それはいつだって持ち歩いてはいたけれど。
宴に武器の持ち込みは禁止されている。
「あや?」
祁央は眉を顰める。
何を予感しているのか。
大丈夫といいながら、相反するその行動が意味するものは。
言葉はいらなかった。
祁央はふっと鋭く息を吐き、気を引き締めてあやの隣に並ぶ。
手には短刀を持って同じくそれを見えない場所に隠す。
「時間だわ」
「ああ」
互いに少し強張った声。
だがあやは自分の状態には気付かず、祁央の緊張だけに気付いて笑いかけた。
「大丈夫よ、何も起こらない」
「ああ」
まるで自分に言い聞かせているように聞こえる。
それはいつだって、前兆だった。
祁央にとっての予言に等しい。
何かが起きる前のあやは天の意志を感じるかのように不安げに揺れる。
「行こうか」
あやが部屋の扉を押し開けて廊下に出る。
その背中を追いかけようとした祁央が一瞬、違和感に首を巡らせた。
「どうしたの、祁央?」
「…いや、何でもない」
嫌な予感がする。
自分ではなく。
この国に。
あるいはあやに。




