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三人のパーティー

「あんたが、噂の治療師? 」


 声より先に、宿の扉が蹴り開けられた。


 朝の光ごと、背の高い女が赤鹿亭の土間へ踏み込んできた。


 クレイは薬研を回す手を止めた。


 ティナが赤鹿亭に居座って、四日になる。毎朝この時間に下りてきて、昨日と同じ問いを、少しだけ形を変えて置いていく。今日はまだ、姿を見ていなかった。代わりに来たのが、この女だった。


 赤茶の長い髪を後ろで結わえている。肩に両手剣。鎧のあちこちが使い込まれて黒く曇っていた。琥珀の目が店の隅のクレイを見つけ、まっすぐ寄ってくる。


「あんたでしょ。ティナが張り付いてる治療師って」


「……たぶん、そう」


「ふうん」


 女はクレイの前で足を止めた。上から下まで遠慮なく眺め回す。


「細っ。これで治療師? 」


「回復くらいしか、取り柄がないから」


「腕は」


「腕は、ない」


「はは。正直じゃん」


 女は腰に手を当てて笑った。八重歯がちらりと覗く。物怖じというものは見当たらなかった。


「あたし、セルカ。剣を振ってる」


「聞いてるよ。ティナさんから」


「なんて聞いた」


「前に出たがる剣士が、一人いるって」


「当たり。他には」


「三度、死にかけたって」


 セルカの眉がぴくりと上がった。それから、また笑った。


「三度も生きてんだから、あたし運がいいでしょ」


「……運」


「そう。運。あんたも運の話、好き? 」


「好きじゃないよ。運は、当てにならない」


 セルカはへえ、という顔をした。それから無造作に鎧の袖をまくった。


 腕に、古い傷がいくつも走っていた。白くひきつれた線が肘から手首まで。どれも浅くない。


「これ見て。勲章だよ。全部、前に出た証拠」


 クレイはその傷痕を目で追った。ひとつは、腱の上。ひとつは、血の道の際。位置を見れば、どれくらい危なかったかが分かる。この二本は、間違えれば冷たくなっていた側だ。なのに女はけろりと生きて笑っている。


 傷の話になるとクレイの目つきだけが変わった。


「この二つは、危ない」


「え」


「腱の上と、手首の内側。あと少し深ければ、あんたは剣を握れなくなってた。もう一つは、死んでてもおかしくない」


 セルカがまじまじとクレイを見た。それから口の端を上げる。


「あんた、傷の話になると急に喋るね」


「傷は、嘘をつかないから」


「怖くないの」


「何が」


「死にかけたこと。三度もだよ」


「怖がってたら、前に出れないじゃん。後ろでびくびくしてる方が、あたしは怖い」


 女は事も無げに言った。剣を鞘へ戻す音がからりと鳴った。


 クレイはしばらく黙った。


 三度。腱の上と、血の道の際と、もう一つ。次があれば、四度目だ。四度目に運が続く保証は、どこにもない。前に出るというのは、そういうことだ。指の先が、まだ見てもいない次の傷を、勝手に数えはじめる。手のなかの命が、ふっと重みを失う、あの一拍を。


 死なせるつもりはない。それだけは、昔から決めてる。


 声に出ていたらしい。


「え、なんて? 」


 セルカが首をかしげた。


「……いや。何でもない」


 クレイは薬研に目を戻した。誓いを声にしたのは、久しぶりだった。いつもは、体の底に沈めておく言葉だ。それを、初めて会った剣士に、半分だけ拾われた。落ち着かない心地がした。悪い心地では、なかった。




 ティナが階段を下りてきたとき、土間ではもう、二人が向かい合っていた。


 ティナは段の途中で足を止めた。


 薬研の前にクレイが座っている。その正面でセルカが仁王立ちしていた。予定より、半日早い。この子は、待つということを知らない。


 案の定だ、とティナは思った。よく喋る子と、喋らない男。合うわけがないと、言っておいた通りに。


「ティナ! 遅い! あたし先に着いてたよ」


「まだ朝でしょう。あなたが早すぎる」


「だってさ。会ってみたかったんだもん、噂の人」


「それで。会って、どうだった」


 セルカはクレイを親指で指した。


「地味」


「……」


「めちゃくちゃ地味。でも嘘つかないとこは、好きかも」


 クレイは何も言わなかった。否定も肯定もしない。ティナはそれを見て手帳をひらいた。


「率直に言う。クレイ。私たちと組む気は、あるの」


「……組むって、何をするんだ」


「依頼を受ける。三人で。私が道を読む。セルカが前に出て、あなたが後ろで手当てをする」


「俺は、初級回復しかできないよ」


「知ってる。何度も聞いた」


「本当に、大した怪我は治せない。深いのは、無理だ」


 その言葉に、ティナのペンが一瞬止まった。


 深いのは無理だ。四日前、骨の手前まで裂けた腕を痕も残さず無かったことにした男が、そう言う。嘘の顔ではない。本気でそう思っている顔だ。ティナはその一行を書きつけた。——自己申告と観察が、まるで噛み合わない。


「それでいい」


「いいのか」


「いい。塞げる傷はあなたが、塞げない傷は出さない。この子は私が止める」


「止まるかな」


「止まらない。だから、あなたが要る」


 ティナはまっすぐにクレイを見た。


「あなたの手が届くところでは、私は誰も死なせたくない。それだけ」


 言ってから、自分の言葉に少し驚いた。理屈が先に立つ質のはずが、口が先に動いた。ティナは、その動揺を顔に出さないよう、手帳の角を押さえた。


「ちょっと」


 セルカが割り込んだ。


「あたしのこと、荷物みたいに言わないでよ」


「荷物じゃない。前衛。いちばん危ない場所に立つ人」


「……まあ、否定はしないけど」


「あなたが無茶をするたび、私は肝が冷える。三度担いで運んだ。四度目はごめんだから」


 セルカが口を尖らせた。それからクレイをちらりと見る。


「ねえ、あんた。あたしが前で無茶したら、治せる? 」


「治せないよ。俺は、初級だから」


「即答かよ! 」


「だから、無茶しないでくれ。俺が困る」


「……あんた、変なやつだな」


 セルカがへんに嬉しそうに笑った。険のない笑いだった。ティナはその顔を横目で見た。合わない、と言った予想は当たっている。だが、思っていたより、悪くない噛み合わなさだった。角のぶつかる音はするのに、どちらも、痛がっていない。


「決まりでいい? 」


「……ああ」


「よし! 決まり! あたし、駆け出しパーティー入るの初めて! 」


「私も、この二人でなら初めて」


 ティナは手帳を閉じた。


「名前は、まだ要らない。実績が出てから付ける」


「えー。名前、欲しい! 」


「三度、生きて帰ってから」


「三度! 」


「あなたが三度死にかけた数と、同じでいい。今度は三度、生きて帰る。そうしたら名前を付ける」


 セルカがぽかんとした。それから噛みしめるように頷いた。理屈で言い返せないときの、この子の顔だ。ティナはそれを知っていた。


「……いいじゃん。それ」


「気に入った? 」


「うん。生きて帰るの、得意だし。三度も生き延びたし」


「死にかけたの間違いでしょう」


「結果が生きてるんだから、同じだって! 」


 クレイがふ、と息を漏らした。笑い、と呼ぶには小さすぎる。それでも、この男が息で笑うのをティナは初めて見た。手帳に書くまでもない。だが、覚えておくことにした。




 もう、仕事は決めてある。ティナは手帳から折り畳んだ紙を一枚抜いた。


「北の街道。荷を三度襲われてる。護衛依頼が宿場の掲示にあった」


「獣? 」


「分からない。獣とも、野盗とも書いてない。三度とも荷だけが消えて、人は無傷で帰ってる」


「人が無事なのに、荷だけ」


 クレイが少し首をかしげた。


「変な話だな」


「変でしょう。だから、行く」


「ティナ。あんた、分かんないの嫌いなくせに」


「嫌いだから、確かめに行くの」


 ティナは紙を畳み直した。


「駆け出しには、ちょうどいい。命の取り合いじゃない。でも、何かはいる」


「あたし、暴れていい? 」


「相手を見てから。抜くのは、私が言ってから」


「えー」


「セルカ。約束して。抜くのは、私が言ってから」


 セルカが渋々という顔で頷いた。約束を守る子ではない、とティナは思う。だが約束を交わした、という事実は、後で効く。この子には、縛るより、預けるほうがいい。


 マーサが酒場の奥から顔を出した。太い腕で盆を抱えている。


「治療師。あんた、出るのかい」


「うん。少しの間」


「戻ってくるんだろうね」


「……たぶん」


「たぶん、じゃ困るよ。あんたを名指しで来る客が、まだ絶えないんだ」


 マーサは盆を卓に置いた。それからクレイの荒れた手をちらと見た。


「まあ、いいさ。行っといで。行って、自分が何をしてるか分かってきな」


「何をやってるって」


「さあね。あたしにも分からん。分からん——あんたはいつかそれを知った方がいい」


 マーサはそれきり奥へ戻った。クレイはその言葉を、うまく飲み込めない顔をしていた。ティナは手帳の隅に短く書いた。——女将も、気づいている。言葉にはしないが。


「行こう」


 ティナは立ち上がった。


「明日の朝、門で。日が昇る前に発つ」


「はやっ」


「早いほど、涼しい。荷は軽く。水は多めに」


「あんた、ほんと段取りの人だね」


「段取りが、人を死なせない」


 ティナはそう言って手帳を閉じた。セルカが肩をすくめる。クレイは薬研を布で拭き、包帯の束を確かめはじめていた。三人とも、もう、明日のほうを向いていた。




 町を出る朝、セルカは、誰よりも早く門の前に立っていた。


 空がまだ青い。街道の先に、朝もやが低く這っている。セルカは剣の柄を握り直した。ひさしぶりの、この感じだ。前に、道がある。踏み込むだけの道が。


 置いていかれる側には、もう戻らない。


 傭兵崩れの父の背中を、思い出す。強い者だけが連れていかれ、弱い者は道端に残された。あたしは、連れていく側になる。荷物には、ならない。前に出て、暴れて、役に立つ。そうしていれば、誰も、あたしを置いていかない。


「おっそい! 二人とも! 」


 もやの向こうから、二つの影が来た。


「まだ夜明けだよ」


「あんた、荷物それだけ? 」


 セルカはクレイの肩の小さな包みを指した。


「包帯と、薬草と。あとは、いらない」


「剣は」


「持ってないよ」


「はあ? 前衛のあたしが守ってやんなきゃ、あんたすぐ死ぬじゃん」


「……頼むよ」


「まっかせといて! 」


 セルカは胸を叩いた。守る相手がいる。それが思ったより気分がいい。この地味な男は、剣も持たず、腕もないと言い張って、それでも人の傷のことばかり喋る。守り甲斐が、ありそうだった。


 ティナが横で小さく言った。


「セルカ。今は、いくらでも喋っていい」


「今は? 」


「剣を抜いたら、あなたは急に静かになる。人が変わったみたいに、口をきかなくなる」


「……そう? 自分じゃ、分かんない」


「知ってる。だから、私が見てる。あなたが気づかないところを」


 ティナは手帳をひらいた。今日から一行目を書くつもり、という手つきだった。セルカは、よく分からないまま、まあいいか、と思った。見られて困ることなんて、前に出て暴れるだけの自分には、何もない。


「行こう」


 クレイが街道のほうを向いた。


 三人がもやの中へ足を踏み出す。


 干し草と、土と——風に、かすかに別の匂いが混じった。


 クレイの首の後ろが、ちりっとした。


 傷を負った者の気配を探すときの、あの感じ。まだ遠い。でも、確かにある。この先の、もやの奥に。


 クレイは足を止めなかった。ただ、歩く速さが、少しだけ上がった。


「どうしたの」


 ティナが目ざとく訊いた。


「……いや。まだ、分からない」


 わからない。その一言に、ティナの目が光った。手帳を握る指に力がこもる。セルカが剣の柄に手をかけた。


 三人の、最初の一歩だった。


 もやの奥で、何かが静かに息をしていた。



最後まで読んでいただきありがとうございました。


 第二アーク「新たな仲間編」、開幕です。ここから物語は辺境ロウを出て、その先へと動きはじめます。


 セルカがようやく本格的に飛び込んできました。ため口でまっすぐで、死にかけた傷を「勲章」と言って笑う子です。ただの脳筋にはしたくなかった。彼女が前に出るのは、勇ましさだけでなく、「置いていかれる側にはもう戻らない」という小さくて硬い怯えの裏返しでもあります。強がりの芯に、ちゃんと理由を置いておきました。


 クレイとセルカは、ティナの予告どおり、噛み合いません。けれど険悪ではない。角はぶつかるのに、どちらも痛がっていない。あの手触りが書けたなら、うれしいです。そしてクレイの誓いが、この話で初めて、他人の耳に半分こぼれました。いつも体の底に沈めている言葉です。旅の始まりに、少しだけ外へ出た。その意味は、これから効いてきます。


 クレイは今日も「初級回復しかできない」と言い張ります。ティナの手帳は、その言葉と目の前の観察が噛み合わないことを静かに書きとめていく。二つの線が、じりじり近づいていくのが、このアークです。


 もやの奥で、何かが息をしている。三人の最初の依頼は、次話へ。評価やブックマーク、感想が、次を書く手をうんと速くしてくれます。よろしければ、この三人の行く先を、見届けてやってください。

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