表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
41/46

自分で決める

 朝が来れば、答えなければならない。それだけは、昨夜のうちに決まっていた。


 戸の隙間から、白い光が一本、床の藁まで伸びている。夜のあいだに、炉の火は燠へ落ちていた。冷えは、まだ村のどこかにいる。だが、木戸の内へは入ってこなかった。


 クレイは、レフの枕もとで、その光の角度が動くのを見ていた。答えは、まだ手のなかにない。


 ガイは、昨夜と同じ場所にいた。壁を背にして、膝の上で手を組んでいる。眠った様子はない。目のふちが、乾いて赤かった。


 「起きてたのか」クレイは言った。


 「眠れなかった」ガイが低く返した。「数えてた」


 「何を」


 「後ろにいた手のことを」ガイが言った。「一つずつな」


 クレイは、それには答えなかった。返す言葉が、まだ固まっていない。


 藁の上で、レフが薄目を開けた。


 「朝か」レフがかすれた。「まだ生きてるな。俺は」


 「生きてる」クレイは椀へ手を伸ばした。「白根を、煎じ直す。飲めるか」


 「飲む」レフが言った。「不味いのは、生きてる証拠だ」


 セルカは、戸口の框に腰かけて、剣を膝へ寝かせていた。夜のあいだ、代わる代わるレフへ水をやった名残で、目の下が青い。


 「よく寝たね、勇者サマは」セルカが皮肉を落とした。だが、いつもの棘は鈍っていた。「寝てないか」


 「寝てない」ガイが答えた。


 「あたしも」セルカが欠伸を噛み殺した。「変な夜だったよ」


 ティナは、炉の反対側で手帳を閉じたまま膝に載せていた。昨夜、書かないと決めたきり、ペンは帯に差したままだ。




 木戸の外で、足音がした。


 一人だ。途中で止まる、迷いのある足音だった。クレイの首の後ろが、うっすら粟立った。足音の主の張りを、肌のほうが先に拾う。弱ってはいない。若い。息が浅く速い。怒りとも怖れともつかない、ほどけない詰まり方だった。


 「誰か来る」クレイは戸のほうへ顎を向けた。「若い。息が、上ずってる」


 戸が、外から乱暴に引かれた。


 立っていたのは、二十歳そこそこの男だった。旅装の肩に、治療師のポーチを提げている。クレイのものより、ずっと新しい革だ。だが、その革をつかむ指は荒れて、爪の際が割れていた。目の下には、幾晩ぶんかの隈が居ついている。


 「暁の剣は、ここか」男が言った。息が切れている。「ガイ。ガイだな。生きてたのか」


 「ロディ」ガイが、意外そうに顔を上げた。「なぜ、ここに」


 「北へ回されてる途中だ」ロディが土間へ踏み込んだ。「王都が、癒し手をかき集めてる。辻の宿で、暁の剣がこの村にいると聞いた。……レフは」


 「そこだ」ガイが藁を目で示した。


 ロディの視線が、横たわるレフをかすめて、それから炉の縁のクレイで止まった。値踏みする目だった。


 「その男が」ロディが言った。「辻で聞いた死人返しか。死にかけを死なせず戻す手だと。……それが、あんたか」


 「そうだ」クレイは、短くうなずいた。


 「治療師には、見えない」ロディの声が尖った。ポーチの革を握る指へ、力がこもる。「その痩せた腕で、何を戻すって」


 「戻してない」クレイは言った。「もう戻せない傷ばかりだ」


 「こいつは」レフが藁から言った。「お前の前の男だ。ロディ」


 ロディの顔が、止まった。


 「前の」


 「七年、後ろにいた」レフが続けた。「お前が来る前に、俺たちが放り出した男だ」


 ロディの喉が、上下した。数を合わせる目つきだった。西の巣の傷。塞いでも戻らなかったひと月。自分の手で、どうしても閉じきれなかった、あの脇腹。


 「じゃあ」ロディの声が掠れた。「俺が塞げなかったものを。あんたなら、塞げたのか」


 「塞げない」クレイは言った。「傷を負ったその場にいなけりゃ、俺にも戻せない。あんたのせいじゃない」


 「慰めるな」ロディが吐き捨てた。「その言い方が、いちばんこたえる」




 ロディの肩が、ひとつ大きく上下した。吐き出す先を探して、見つからない息だった。


 「俺は」ロディが言った。「名前も知らない男の後釜に、据えられてたのか。七年ぶんの穴のな。誰にもできない仕事の」


 「ロディ、やめろ」ガイが止めようとした。


 「できるわけがない」ロディがクレイへ詰め寄った。「暁の剣の回復役だ。断れるものか。行ってみたら、みんなが平気で崖から飛ぶ。腹を裂かれても笑ってる。俺の手が追いつかないと、目で言われる。前の男は、こんなの平気だったってな」


 クレイは、動かなかった。


 「あんたが」ロディの声が裂けた。「黙って抜けたせいだ。ひと言、置いていけばよかったんだ。俺は死にかけを死なせない手なんか持ってないってな。そうすりゃ俺は、こんなふうに比べられずに済んだ」


 筋の通らない怒りだった。クレイにも、それはわかる。だが、筋が通らないから吐けるものもある。七年前、追い出された朝の自分の胸にも、宛先のない何かが同じ渦を巻いていた。あのときは、それを吐く相手さえいなかった。ロディには、少なくとも相手がいる。目の前の、この痩せた男が。


 「恨むなら」クレイは言った。「俺でいい。それであんたが立てるなら」


 「立てるかよ」ロディが言った。「そんなもので」


 「立てないよ」クレイは低く返した。「俺も、立てなかった。だから、わかる」


 ロディの息が、途中で萎んだ。振り上げた手の、下ろす先が消えたような顔だった。


 「……北は」やがて、ロディが低く言った。「もう、村がいくつも冷えてる。死んだものが、起き上がって歩く。癒しの手が、いくらあっても足りない。王都は、腕のいいのから順に北へ送ってる」


 「魔王か」ティナが、初めて口を開いた。


 「知らない」ロディが首を振った。「誰も、その名は口にしない。だが、婆さまの言う一線が北では毎晩やぶられてる。俺みたいなのを送ったところで、焼け石だ」


 ロディは、それきり背を向けた。戸口で一度だけ止まって、クレイのほうを見た。


 「あんたの手が本物なら」ロディが言った。「北へ来い。俺の恨みなんか、すぐどうでもよくなる。そういう場所だよ、あそこは」


 戸が、閉まった。足音が、朝の村へ遠ざかっていく。宛先を持てなかった恨みを、そのまま北へ運んでいく足音だった。




 小屋が、また黙った。レフの息だけが、間を置いて続いている。


 「クレイ」ガイが言った。「昨夜、言うなと言われた」


 「言ったな」クレイは応じた。


 「朝が来た」ガイが言った。「もう、言っていいか」


 クレイは、うなずいた。


 ガイは、膝の横の聖剣へ手を伸ばした。だが、柄は握らなかった。鞘ごと両手で持ち上げ、床のクレイの前へ、そっと横たえた。鞘の先が、藁の床にことりと触れて鳴った。柄の向きが、クレイのほうへ向いている。


 「戻ってきてくれ」ガイが言った。「暁の剣へ。……もう、名前だけの隊だ。俺と、そこで寝てるレフと。それだけしか残ってない。それでも、戻ってきてほしい」


 「魔王のためか」クレイは訊いた。


 「それも、ある」ガイは隠さなかった。「北は、俺一人の腕じゃもう届かない。だが、それだけじゃない」


 ガイが、顔を上げた。碧眼のまっすぐさは、七年前のままだ。ただ、そこにあった無邪気さだけが、抜け落ちていた。


 「もう一度」ガイが言った。「後ろに、あんたがいてほしい。七年、当たり前にあった場所だ。それを、俺は自分で捨てた。捨ててから、広さを知った。虫のいい話だ。わかってる」


 クレイは、すぐには答えなかった。


 揺れが、なかったと言えば嘘になる。


 この隊の火の輪の外れに、七年、自分の座る石があった。灰の匂いばかりが濃い、狭くて冷たい石だった。


 だが、それがなくなった朝、南の街道は途方もなく広かった。行く先は、一つもなかった。


 ガイの言う「場所」が何を指すのか、クレイにはわかりすぎるほどわかった。


 戻れば、また端の石に座れる。誰かの後ろで、黙って手を動かす。慣れた仕事だ。目をつぶってでもできる。それで、この胸の底の落ち着かなさが、いくらか収まる気さえした。


 だが——と、クレイは思う。その石を、いま差し出しているのは、誰の手だ。七年前、そこから自分を立たせて門の外へ出したのも、同じ手だった。戻るというのは、もう一度この男に、自分の座る場所を決めさせることだ。




 「ガイ」クレイは言った。「一つ、訊く」


 「なんだ」


 「七年前」と、クレイは切り出した。「あんたは、俺に出ていけと言った。あのとき、俺に返事の余地はあったか」


 ガイは、答えなかった。


 「なかった」クレイは自分で言った。「いてもいなくても同じだ。そう言われて、俺は荷をまとめた。行く先も、あんたが決めたようなもんだ。南へ流れたのは、ただ坂が下ってたからだ」


 「今度は」クレイは続けた。「戻ってこいと言う。出ていけと言ったのも戻れと言うのも、あんただ」


 ガイの喉が、動いた。


 「クレイ、俺は——」


 「責めてるんじゃない」クレイは遮った。「ただ、いま気づいた。俺の居場所を決めてきたのは、いつも俺の外側だった。追い出す手も呼び戻す手も、俺のものじゃなかった」


 クレイは、床に横たわった聖剣へ、目を落とした。抜く相手のいない剣だ。柄は、こちらを向いたまま光っている。


 左の掌を、いちど固く握って、ひらいた。喉の奥が、ひとつ上下する。


 「戻らない」クレイは言った。


 その返事は、思ったよりなめらかに喉を出た。恨みの熱は、そこになかった。


 「恨みでじゃない」クレイは続けた。「あんたを恨む気持ちは、まだ量りかねてる。昨夜も、そう言った。それとは、別の話だ」


 クレイは、左の手のひらを、ゆっくりひらいた。甲の線は、今朝は色が退いて、熱のひとつも持たない。


 「この手を、次にどこへ置くか」クレイは言った。「それを決めるのは、もうあんたじゃない。俺だ。七年で初めて、自分で決める。……それだけは、譲れない」


 言い終えて、胸の底がひとつ据わった。胸のすく思いはない。ただ、七年、他人任せだった一点を、初めて自分の側へ引き寄せた。その重みが、思っていたより静かに、手のなかへ収まっていた。




 「小僧」レフが、藁から薄く言った。「よく言った」


 クレイは、そちらへ膝を向けた。


 「ガイ」レフが続けた。「引き止めるな。この男を、もう一度あの端の石へ座らせるな。あそこは、寒い。七年、俺たちが暖を独り占めしてた席だ」


 ガイは、うつむいた。


 「行け、小僧」レフが言った。「お前が選んだ場所へな。……俺は選べる側に立ったお前を、一度でいいから見たかった。いま、見た。それで足りる」


 「レフ」ガイが呼んだ。


 「四千三百一回目は、拾えない」レフが天井へ言った。「それは、もう決まった勘定だ。だがな。その一回を、この男の首に結わえて引きずるのは話が違う。放してやれ」


 ガイは、長いあいだ、床の聖剣を見ていた。やがて、それを拾い、膝の横へ戻した。握りはしなかった。柄に手をかける、あの七年の癖が、今朝は出なかった。


 「わかった」ガイが言った。声は、掠れていた。「戻ってくれとは、もう言わない。言う資格が、初めからなかった」


 「資格の話じゃない」クレイは首を振った。「あんたが乞うのは、勝手だ。俺が断るのも、勝手だ。そこは、対等でいい」


 ガイが、顔を上げた。対等、という言葉に、殴られたような目をした。七年、後方の男とのあいだに、対等という秤を置いたことが一度もなかった、その目だった。




 セルカが、框から立ち上がった。


 「あたし」セルカが言った。「正直、拍子抜けだよ。もっと派手に啖呵切ってやると思ってた。あんたが」


 「柄じゃない」クレイは言った。


 「うん」セルカが笑った。八重歯が、久しぶりに見えた。「あんたの柄じゃないね。でも、いまのがいちばん効いてたよ。剣より」


 セルカは、聖剣を戻したガイのほうを、ちらと見た。


 「あたしはさ」セルカが言った。「置いてかれる側を、ずっと怖がってきた。荷物にされる側を。……でも、いま初めてわかった。置いてくほうも、決めなきゃいけないんだね。誰の後ろに立つか。誰を、置いていくか」


 「セルカ」


 「あんたは、置いていく側を初めて自分で選んだ」セルカが言った。「それだけのことなのに、なんか泣きそう」


 「泣くなよ」クレイは、口の端だけ緩めた。「まだ、朝だ」


 ティナが、帯からペンを抜いた。


 「書くのか」クレイは訊いた。


 「書く」ティナが言った。「これは、あんたが自分で決めたことだ。あんたのものだ。……昨夜のガイのは、書かなかった。あれは、あの男が持つものだから。だが、今朝のあんたのは残す。昔、書けなかったぶんも込めて」


 ティナは、短く一行を綴じた。何を書いたかは、見せなかった。だが、ペンを走らせる指が、いつもより深く紙を押していた。


 「クレイ」ティナが顔を上げた。「ティナさん、と呼ばなくていい日がいつか来るのかもしれない。あんたが、そうやって自分で決めるようになったならな」


 「呼ぶよ」クレイは言った。「それも、俺が決めることだ」


 ティナの口の端が、わずかに動いた。笑ったのだと、クレイは思った。この女が笑うのは、めずらしい。




 レフの息が、また間を空けた。白根の湯気が、椀から細く昇っている。


 ガイが、聖剣を握らないほうの手で、その椀を受け取った。


 「俺が、飲ませる」ガイが言った。「……せめて、それくらいはさせてくれ」


 クレイは、椀を渡した。手当ての手を、初めて誰かへ譲った気がした。ガイの太い指は、匙を持つとひどく不器用で、湯を半分こぼした。こぼれた湯が、藁へ落ちて、そこだけ色を濃くする。それでも、ガイは残りを、レフの唇の端まで運んだ。七年、剣しか握ってこなかった手だ。


 クレイは、戸口の光を見た。北の空だけが、朝になっても灰の色をしている。ロディの言葉が、まだ耳に残っていた。北へ来い。あんたの手が、本物なら。


 どこへ、この手を置くか。七年、考えたこともなかった問いが、いま初めて自分のものになっていた。答えは、まだない。


 だが、問いが自分のものであること——それだけで、南の街道が広すぎて怖かったあの朝とは、もう違っていた。広い道が、こわくない。行く先を、選べるからだ。


 「北のことだけど」ティナが、静かに言った。「ロディの言ったのが本当なら、村が冷えてるのはここだけじゃない。婆さまの一線が、毎晩やぶられてる。……あんたの手と、無縁の話とは思えない」


 「わからない」クレイは言った。「わからないから、たしかめる値打ちがある。あんたが、いつも言うことだ」


 「覚えてたか」ティナが言った。


 「あんたの口癖くらいは、覚える」


 村を発つのは、レフの熱が一段下りてからだ。それまでは、ここにいる。決めたのは、留まることではない。どこへ向かって発つか——その先を、初めて自分の手で選べるようになった、ということだった。


 北の空が、灰のまま、少しずつ明るくなっていく。


 クレイは、開いたままの左の手を、ゆっくりと握りしめた。まだ、どこへも向けていない手だ。だが、その向きを決めるのは、今日からは、この手の持ち主だった。



最後まで読んでいただきありがとうございました。第四アーク、旧パーティー再会編の七話目、自分で決める、です。


 前の話でガイの慟哭が声になり、頼みが喉まで出かかったところで、クレイが明日でいいと遮りました。今回は、その明日の朝の話です。書きたかったのは、断ることそのものより、断る資格を誰が持っているか、という一点でした。七年前、クレイに出ていけと言ったのはガイで、あのときクレイに返事の余地はありませんでした。居場所を、いつも自分の外側に決められてきた。だから今回の断りは、恨みを晴らす一言ではなく、初めて自分の側へ主導権を引き寄せる一言にしたかったのです。この手を次にどこへ置くか、決めるのは俺だ——静かですが、彼にとっては七年ぶんの重い一歩です。


 新しく出てきた回復役のロディは、縋るガイとは逆の側に置きました。名前も知らない前任者の穴に据えられて、勝手に比べられて潰れた男の、宛先のない恨みです。筋は通っていません。でも、追放された朝のクレイの胸にも、同じ渦がありました。だからクレイは、恨むなら俺でいい、とだけ返します。恨みで動かない人が、他人の恨みも静かに受け止める。そこにこの作品のいちばん柔らかい芯があると思っています。


 北の空だけが、灰の色のままです。ロディが運んでいった脅威が、そろそろ物語の正面に立ちます。次回、去る背中。クレイがどこへ、その手を置きに行くのか。どうか続けて見届けてやってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ