鴉の爪
乾いた足音が、灯の切れ目でぴたりと止まった。
クレイは手のひらをそちらへ向けたまま、動かなかった。
闇の奥から人が出てきた。三人いる。
先頭の男が灯のふちで足を止めた。背が高い。
革と鎖を継いだ古い鎧だ。腰に短い剣を二本提げている。
頬に古傷が一本走っていた。眠そうにも見える目が、三人を端から数える。
数え方が、素人のものではなかった。誰が前衛で誰が丸腰か、ひと目で仕分ける目だ。
「客がいたか」男が言った。低くて乱れない声だ。
セルカが剣の柄を握った。だが抜かなかった。
さっきティナに引かれた線を、まだ体が覚えている。
「あんたらこそ」セルカが言った。「奥から来たろ」
「下を見てきた」男が言った。「浅いほうが実入りがいい」
男の後ろから、二人出てきた。片方は細身の女だ。
腰に短い弓と、革を巻いた筒をいくつも提げている。斥候の身なりだった。
もう一人は若い。肩をいからせた前衛だ。セルカと同じ年ごろに見える。
その若いのが、白い殻を手の中で放って遊んでいた。
さっきセルカが割った、脚の多いものの殻だ。
「その殻」ティナが小声で言った。「削れば鎧の裏張りになる」
「浅層でまとまって採れる数少ない金だ」ティナが続けた。
「だから、浅いほうが実入りがいい」セルカが言った。
「三人とも、足が慣れてる」ティナが言った。
「濡れた岩を、迷わず避けてる」セルカが言った。
ティナの指が、帯の手帳の背に触れて止まった。
「深いところから、素材を提げてる」ティナが小さく言った。
「稼いでるってこと」セルカが返した。
「戻ってきてる、が正しい」ティナが言った。「奥から、生きて」
クレイは手のひらで、三人の気配を探った。
「弱った者は、目が粗い」クレイが小声で言った。「指が中へ入る」
「この三人は違う」クレイが言った。「びっしり詰まってる」
指を当てても、入る隙間がひとつもない。塞ぐ先が、どこにもなかった。
弱りを探る癖のついた手が、張りの前で行き場をなくす。
街道でも村でも、こういう手ざわりに手を向けたことはない。
息が乱れず、拍が揃っている。
「こっちより、ずっと長く生きてる」クレイが言った。
「長く生きた者は、多くの死を見てる」ティナが言った。
詰まった織りにも、古い繕いの痕がいくつも透けていた。
ティナが一歩、クレイの斜め前に出た。手帳は帯に挿したままだ。
「名乗る仲かな」ティナが言った。
「鴉の爪」男が言った。「俺はヴェイン。斥候がネイ。若いのがリドだ」
「聞いたことある」セルカが言った。「そこそこ名の売れた連中だ」
「そこそこ、は余計だ」リドが殻を握り直した。
「それ、あたしが割ったやつ」セルカが殻を顎で示した。
「落ちてた」リドが言った。「拾ったもん勝ちだろ」
「割ったのはあたし」
「担いで帰れんのか、あんたら」リドが笑った。「後衛が二人。運ぶ手がない」
「前衛はあたし一人で足りる」セルカが言った。
「一人か」リドが殻を放り上げた。「そりゃ心細い」
「あんたよりは、殻を割った」
「割った殻を、こうして拾われてるけどな」
リドがセルカの剣を見た。両手剣だ。
セルカがリドの構えを見た。腰の落とし方が堅い。
前衛どうし、互いの間合いを一度で測り合っていた。
セルカの足が一歩出かけた。
ティナの手が、その肩を後ろから押さえた。
「セルカ」ティナが低く言った。
セルカが足を止めた。奥歯を噛んで、殻から目を外す。
「線の内側。覚えてるよ」セルカがそう吐いて、柄から指を離した。
我慢したのが、クレイにはわかった。
張りの中で、拳の脈だけが速く鳴っている。
さっき、線の内で前に立つと決めた手だ。その手が今は、挑発の前で止まっていた。
リドがなお一歩、間合いを詰めた。
「リド」ヴェインが言った。それきりだった。
若いのの足が、そこで止まる。
「勝手には噛みつかないんだ」セルカが小さく言った。
「牙を出す先は、頭が決めてる」ティナが言った。
ヴェインは、その遣り取りを見ていなかった。
クレイを見ていた。端から数える目でなく、一点に絞った目だ。
「治療師だな、あんた」ヴェインが言った。
「そうだ」クレイが言った。
「妙だな」ティナが割って入った。「奥のほうが、素材の値は張るはずだ」
「今日は浅いのに用があった」ヴェインが言った。
「素材じゃなくて」
「素材じゃなくて」ヴェインが繰り返した。「浅層で妙な噂を拾った」
ヴェインの目が、クレイへ戻る。
「死にかけが、生きて帰る」ヴェインが言った。「そういう手の使い手がいると」
クレイは黙っていた。
「死人返しと、噂は呼んでた」ヴェインが言った。「死ぬ前へ戻す手だ」
「や、たいした手じゃない」クレイが言った。
自分の口が、昔の言い草をそのまま使ったのがわかった。
力の名は、もう手のなかにある。それでも外の相手には、古い覆いのほうが楽だった。
「浅層だけで、三組が同じ噂を口にしてた」ヴェインが言った。
「その噂、どこまで行くんだ」クレイが訊いた。
「行くところまで行く」ヴェインが言った。「値のつく噂は、足が速い」
クレイは、それきり訊かなかった。
噂は自分の外を勝手に走る。止める手立ては、手のなかにない。
「殻は好きに拾え」ティナが言った。「ここは早い者勝ちだ」
「話がわかるな」ヴェインが言った。
「かわりに、奥のことを一つ」ティナが言った。「下は、どうだった」
ヴェインが、少しだけ間を置いた。
「濃い」ヴェインが言った。「弱った連中の声が、層で溜まってる」
「戻らない者が増えてると、辻の立て札に出てた」
「増えてる」ヴェインが言った。「うちも、下では二人置いてきた」
ネイの手が、筒の一つを握って止まった。
「その筒だけ、巻きが新しい」ティナが小さく言った。
クレイは、その筒を見た。中身が誰のものだったかは訊かなかった。
訊かなくても、革の新しさが答えていた。
「手練れでも、下では死ぬ」ティナが低く言った。
目の詰まった織りの者が、それでも一人ぶん減って戻ってくる。
ネイが、細い骨箆でクレイの側を指した。
「その手、隠すのが下手だ」ネイが言った。「顔に出てる」
ティナがネイを見た。同じ商売の目だ。
「そっちも、読む口ぶりだね」ティナが言った。
「読むのが飯の種だ」ネイが言った。「あんたもだろ」
「その帳面」ネイが顎で示した。「戦いのたびに書くのか」
「起きたことを書く」ティナが言った。
「几帳面だ」ネイが言った。「うちは頭に入れる。荷になるものは持たない」
「忘れる者は、同じ手で二度死ぬ」ティナが言った。
ネイの口の端が、わずかに動いた。笑いに近い何かだ。
二人の斥候が、灯を挟んで互いを写し合う。
値踏みの拍が、しばらく静かに続いた。
クレイは、リドの張りを探っていた。
目の詰まった織りだ。だが一か所、糸が一本ほころびていた。
左の脇の下だ。浅くない。
殻の脚に裂かれた口が、鎧の内で膿みかけている。
本人は隠していた。肩をいからせて、痛みを張りで覆っている。
だが覆いきれていない。ほころびは、じきに織り全部へ回る。
張りで覆った傷は、覆ったぶんだけ後で重くなる。
クレイの手は、それを七年ぶん知っていた。
傷の話になると、口が勝手に細かくなる。
昔からそうだった。相手が誰であっても、傷だけは見えてしまう。
語尾が、そこだけ締まった。
「そこの若いの」クレイが言った。「左の脇、見せろ」
リドの手が止まった。
「は」
「殻の脚は鉤が内へ返る」クレイが言った。「引き抜くと肉を裂く。浅く見えて奥が広い」
「鎧の内で、もう膿みかけてる」クレイが言った。
「隠しても、張りは覆いきれてない」クレイが言った。「じきに全部へ回る」
リドの顔が、一瞬こわばった。図星だ。
「なんで、あんたにわかる」リドが言った。
クレイは答えなかった。手のひらのほころびを、指の腹でひとなでしただけだ。
ヴェインが、初めて灯のほうへ半歩寄った。
「見えるのか」ヴェインが言った。「傷が。触りもせずに」
「傷の話なら、わかる」クレイが言った。「それだけだ」
ヴェインの絞った目が、ほんの少し広がる。
噂の輪郭を一つ確かめた、そういう顔だった。
「触りもせずに、当てた」セルカが小声で言った。
「クレイの手は、そういう手だ」ティナが言った。
クレイは手を、ゆっくり握った。
リドは、掴めている。目が合い、声も交わした相手だ。
掴めていれば際は薄い。だからほころびが、指の腹まで届いてくる。
弱りは、線を引いた側の都合を知らない。
七年、隣の者だけを塞いできた手だ。
その手が今、知らない男の脇の膿みを勝手に数えている。
掴めていても、初めから何を塞ぐ約束もしていない相手だ。
届かないのではない。伸ばさないだけだ。
村では、線の内だけを数えていれば済んだ。
ここには、塞ぐ約束のない弱りが立って歩いている。手のひらの上を横切っていく。
さっきは、外へ出かけたセルカを声で内へ呼び戻せた。
この相手は、呼び戻す糸が初めから結ばれていない。
伸ばせば届く手を、クレイは握ったまま止めていた。
「それで」ティナがヴェインへ向き直った。「用は殻か。噂か」
「両方だ」ヴェインが言った。「だが今日は、顔を見にきただけだ」
「見て、どうする」
「覚えておく」ヴェインが言った。「同じ獲物を追う相手は、覚えておくものだ」
恨みの声ではなかった。脅しでもない。
商売敵をひとつ勘定に加える、それだけの声だった。
ヴェインが顎をしゃくった。ネイが筒を鳴らして下がる。
リドは殻を握ったまま、まだ動かなかった。
「その脇」クレイが言った。「今なら煮出した癒し草で間に合う。奥へ運ぶと、膿む」
リドが、殻を地面へ落とした。
「いらねえ世話だ」リドが言った。
だが落とした殻を、拾い直しはしなかった。
三人は、奥の暗がりへ引いていった。
乾いた足音が、来たときと同じ拍で遠ざかる。
クレイは手のひらを、その背へ向けたままでいた。
目の詰まった織りが、三つ、下りていく。
そのうちの一つに、ほころびが混じっていた。
リドの脇だ。膿みかけた口が、深いほうへ運ばれていく。
張りに覆われたぶん、気づかれるのが遅れる。
遅れたぶんだけ、開いたときは深い。
「追わないの」セルカが言った。「殻、置いてったよ」
「殻はいい」クレイが言った。
「あいつの脇」セルカが言った。「ほっとくの」
「向こうが、いらないと言った」クレイが言った。
言いながら、手のひらのほころびを見送っていた。
深いほうへ。俺が手を伸ばさなかった、外のほうへ。
「鴉の爪」ティナが帯から手帳を抜いた。「噂を追って、ここまで来た」
「素材だけじゃ、ないってこと」セルカが言った。
「あなたの手が、値のつくものになった」ティナが言った。「素材より高いと、向こうは言った」
「面倒だな」クレイが言った。
「面倒だ」ティナが書きながら言った。「噂は、こっちの都合じゃ止まらない」
「向こうは、また出てくる」ティナが手帳を閉じた。「素材の場でも、噂の先でも」
「そのたび、こうやって睨み合うわけ」セルカが言った。
「睨み合うだけなら、まだいい」ティナが言った。
「あいつら、下で二人亡くしてる」ティナが続けた。「それでも、また下りていった」
「命知らずだね」セルカが言った。
「命知らずじゃない」ティナが言った。「値のわかってる連中だ」
セルカが、遠ざかる暗がりを見た。
「あいつの脇が開いたら」セルカが言った。「あんた、どうすんの」
「そのとき考える」クレイが言った。
「それ、答えになってないよ」セルカが言った。
クレイは、答えを持っていなかった。
外の弱りに手が届くところまで来たとき、握るか、伸ばすか。
その拍は、まだ来ていない。だが、遠くない。
三人は、遠ざかる足音を聞いていた。
その拍が、じき乱れるだろう。クレイの手のひらだけが、そう知っていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
前回の終わり、奥から上ってきた弱っていない足音——今回それがようやく顔を見せます。競合パーティー『鴉の爪』。リーダーのヴェイン、斥候のネイ、若い前衛のリドの三人です。
彼らを、ただの悪役にはしたくありませんでした。同じ獲物を追う手練れの冒険者。恨みでも脅しでもなく、商売敵をひとり勘定に加えるだけの、乾いた値踏みの目。リドの挑発を頭のひと声で止めるヴェインの手綱の締め方や、下で二人を置いてきたという一言に、この一団の年季が出ればと思って書きました。
クレイにとって、この三人は初めて向き合う「弱っていない外の人間」でした。手のひらで探ると、弱った者のような隙間がない。目のびっしり詰まった織りのような手ざわり。ところが、その詰まった張りの中に、リドの脇の膿みが糸一本のほころびとして伝わってきます。弱りは、彼が引いた線の内も外も選んでくれません。掴めていれば、際は薄い。だから届いてしまう。それでもクレイは、何を塞ぐ約束もしていない相手へは手を伸ばしませんでした。届かないのではなく、伸ばさない。前回おぼえた「手を止める」制御の、その続きです。伸ばせば届く手を握ったまま止めること。その選択が、これから彼をどこへ連れていくのか。
鴉の爪は、また出てきます。リドの脇を抱えたまま、深いほうへ。どうか続けて見届けてやってください。




