キンサシャ散るー
「やろうぜ!」
ベルが口の端を吊り上げる。
その言葉に、キンサシャはぽかんと目を瞬かせた。
そして次の瞬間、深いため息を漏らす。
「……あんたがバカでよかったよ……」
震える指で水晶玉を持ち上げる。
その表面へ、ぬるりと舌を這わせた。
瞬間。
それまで人形のように静止していたダンデドールの指先がぴくりと動く。
続いて首が僅かに傾き、背中の蔓が生き物のように蠢いた。
ベルは黒鉄の刃を構えたまま、その変化を静かに見つめる。
キンサシャは笑う。
乾いた笑いだった。
「デッドエンドの作る怪人はどれも力は弱くて、直接戦闘は不向き……」
そう言いながら、水晶玉へ何度も舌を滑らせる。
「でも、そんなの関係ないさね」
その笑みが、徐々に狂気を帯びていく。
ダンデドールの胸部が音もなく左右へ開いた。
花弁が咲くように。
白い外殻の奥。
そこに収められていたものが姿を現す。
赤い光。
どくん。
どくん。
生きた心臓のように脈動を繰り返す魔王核。
影の世界の闇を赤く染めながら、不気味な鼓動だけが響いていた。
キンサシャはその光を見上げ、口元を大きく歪める。
「こいつを暴走させれば!」
どくん。
魔王核が脈打つ。
その鼓動と同時に、ダンデドールの全身がびくりと震えた。
細く美しかった肢体が、まるで糸を切られた操り人形のように力を失い、ぐにゃりと前へ折れ曲がる。
続いて、背中に咲いていた綿毛が一斉に開いた。
一輪。
二輪。
十輪。
百輪。
肩から。
腕から。
腰から。
脚から。
身体中を突き破るように新たな茎が伸び、大小様々な綿毛が咲き乱れる。
もはや飾りではない。
その一本一本が生き物のように揺れ、呼吸をしていた。
白い仮面に亀裂が走る。
ぱきり。
静かな音と共に仮面が左右へ裂け、その下から現れたのは顔ではなかった。
ぎっしりと詰まった根。
蔓。
花粉を纏う雄蕊のような器官が何重にも絡み合い、奥で赤い魔王核の光だけが脈打っている。
腕は細長い人の形を保てなくなる。
骨格そのものが消え、肘から先は何本もの蔓へと分裂し、空中を蛇の群れのようにうねり始めた。
指先だった場所には無数の種子が実り、膨らみ、今にも弾けそうに震えている。
脚もまた崩れ落ちる。
膝は消え、足首は裂け、そのまま地面へ向かって巨大な根となって広がっていく。
歩くためではない。
絡みつき、締め上げ、養分を奪うためだけの器官。
腰から下は一本の巨木の根株のように肥大し、そこから数え切れないほどの細根が髪の毛のように垂れ下がった。
胸だけが、不気味なほど大きく開いていた。
肋骨の代わりに木の枝のような骨組みが左右へ裂け、その中央で剥き出しの魔王核が鼓動している。
どくん。
どくん。
そのたびに全身の綿毛が一斉に震え、白い種子が雪のように舞い上がる。
人の姿は、もうどこにも残っていない。
そこに立っているのは植物でも怪物でもない。
ただ繁殖し、侵食し、世界を綿毛で埋め尽くすという本能だけが暴走した、一つの災害だった。
キンサシャの笑い声が影の世界へ響き渡る。
「ふはっ! ふはははははははっ!」
その顔に、先ほどまでの怯えはない。
追い詰められた獣のそれではなく、全てを巻き込む覚悟を決めた狂人の笑みだった。
ベルは静かに腰を落とす。
両肘から伸びる黒鉄の刃が、僅かに前へ傾いた。
いつでも踏み込める。
いつでも斬れる。
「今日という今日は……今までのお返しだ!」
叫ぶと同時に、キンサシャは水晶玉を抱き締める。
その表面へ、ねっとりと舌を這わせた。
どくん。
魔王核が応える。
どくん。
もう一度。
先ほどまで一定だった鼓動が、急激に速さを増していく。
それに合わせ、ダンデドールの全身が痙攣した。
背中一面に咲いた綿毛が総毛立ち、数え切れない種子が渦を巻くように舞い上がる。
蔓は地を叩き、根は悲鳴のような軋みを上げながらさらに太く、さらに長く膨れ上がっていく。
胸の中央で剥き出しになった魔王核は、もはや赤ではない。
眩いほどの深紅。
心臓というより、小さな太陽が閉じ込められているかのような光を放っていた。
周囲の闇さえ、その鼓動に合わせて明滅する。
ベルは黙ってその姿を見据えた。
銀の髪が、脈動する赤い光に照らされる。
口元だけが、僅かに吊り上がった。
「そうか」
短く呟く。
「やっと本気ってわけだ」
そして静かに右足を半歩前へ出した。
黒鉄の刃先が、巨大な植物へ真っ直ぐ向けられる。
影の世界に、戦いの始まりを告げる静寂だけが落ちていた。
ベルは目の前で脈打つ魔王核を見上げた。
赤い光が銀髪を照らす。
その瞳には恐怖も焦りもない。
ただ静かに、その鼓動を眺めていた。
「不思議だな」
ぽつりと漏らす。
「一年前くらいに初めて魔王核とやった時は……やべーとしか思わなかったが」
どくん。
魔王核が応えるように脈打つ。
綿毛が舞い、蔓がうねり、根が地を這う。
それでもベルは微動だにしない。
口元に、わずかな笑みだけを浮かべた。
「今じゃ、どうにでもなりそうだ」
両肘から伸びる黒鉄の刃を軽く構え直す。
「姫神呼ばなくてもな!」
その言葉に、キンサシャの顔が引き攣った。
次の瞬間、怒鳴るように叫ぶ。
「強がってんじゃないよ!」
水晶玉へ再び舌を這わせる。
どくん。
どくん。
どくん。
魔王核の鼓動がさらに速まる。
暴れ狂う蔓が影の地面を叩き、無数の綿毛が嵐のように舞い上がった。
だがベルは一歩も退かない。
むしろ半歩だけ前へ出る。
「強がり?」
肩を竦める。
「いや」
赤く脈打つ魔王核を真っ直ぐ見据えたまま、静かに笑った。
「ただの実感だ」
ベルが駆け出す。
迷いはない。
影の地面を蹴った瞬間、その姿は銀の残像だけを残して消えた。
「なっ――!」
キンサシャが息を呑む。
速い。
視線で追うことすらできない。
ただ一直線。
最短距離だけを選び、ベルは巨大化したダンデドールの懐へ飛び込んだ。
迎え撃つように無数の蔓が唸りを上げる。
蛇の群れのように絡みつこうと迫るそれらを、ベルは身体を僅かに捻るだけで掠めさせる。
一本。
二本。
三本。
紙一重でかわし、その勢いを一切殺さない。
「おせぇ」
低く呟く。
次の瞬間、地を蹴った。
身体が宙へ舞い上がる。
巨大な胸部。
剥き出しになった魔王核。
その目前まで一気に距離を詰める。
両腕を交差させた。
肘から伸びる黒鉄の刃が、赤い光を映して鈍く煌めく。
そして。
振り下ろす。
二本の刃が、寸分違わずダンデドールへ叩き込まれた。
黒鉄の刃が振り下ろされる。
次の瞬間。
ざんっ――。
鈍い音と共に、ダンデドールの身体が大きく裂けた。
蔓が宙を舞う。
根が千切れ飛ぶ。
白い綿毛が爆ぜ、雪嵐のように影の世界へ散乱した。
その一撃は止まらない。
肩口から胸へ。
胸から脇腹へ。
巨大な植物の身体を斜め一直線に切り裂き、内部に詰まっていた無数の根や茎までもまとめて断ち割っていく。
どくん、と脈打っていた魔王核が激しく揺れた。
「なっ……!」
キンサシャの笑みが凍りつく。
まさか。
こんなにも容易く。
暴走した魔王核の器を切り裂かれるなど、考えてもいなかった。
「う、嘘さね……!」
慌てて水晶玉を舐める。
一度。
二度。
何度も何度も。
舌を這わせ、必死に命令を送り込む。
「動け! 動くんだよ! 早く反撃しろ!」
その叫びに応えるように、切断面から新たな蔓が溢れ出す。
だが。
ベルはもう、その懐へ潜り込んでいた。
銀髪が赤い光を切り裂く。
キンサシャの額を、冷たい汗が一筋流れ落ちた。




