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【World Wide Love ― 2人で1人の逃走譚 ―】  作者: KK
【第2部】第7章ー人の盾ー

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最後の勝負ー

ベルは水晶玉を握り締めたまま、自分の足元へ視線を落とした。


黒く揺れる影。


そこへ縋るように声を投げかける。


「ミ、ミカゲ……!」


すぐに返事が返ってきた。


『あなたの寿命を一年分。それで倒してあげましょうか?』


あまりにも淡々とした提案だった。


ベルは目を瞬かせる。


「わ、私の寿命が縮んだら、あいつの寿命も減るんじゃないの?」


昼と夜。


同じ存在なら、その代償も共有されるのではないか。


そんな疑問に、ミカゲは静かに答えた。


『……それはないですね』


影がわずかに揺れる。


『あなたの寿命の一年くらい、どうってことは――』


「一年は……どうってことあるわよ!」


ベルは思わず声を張り上げた。


公園に、その叫びだけが響く。


『そうですか』


「そうよ!」


『意外ですね』


「どこがよ!」


『あなたなら、もっとあっさり差し出すものだと思っていました』


ベルは唇を噛む。


一年。


その数字の重みが、胸の奥へずしりとのしかかる。


生きられる時間が一年減る。


笑える日も。


泣く日も。


誰かと過ごせる日も。


全部まとめて失うということだ。


「そんな簡単に決められるわけ、ないでしょ……」


影は静かに揺れた。


『では、どうしますか』


短い問いだけが投げられる。


ベルは答えられない。


ただ、水晶玉を握る手に力を込めることしかできなかった。


『あと一分もないですよ?』


足元の影から、ミカゲの淡々とした声が響く。


その宣告に、ベルの胸はぎゅっと締めつけられた。


影に絡め取られたままのデッドエンドが、くすくすと笑う。


「ほぉら〜♪ キスしちゃいなよ〜あっついのぉ♪ キャハハッ♪」


影の糸に身体を縛られ、胸まで沈められてなお、その表情に焦りはない。


むしろ、この状況すら愉しんでいるようだった。


その笑い声が、ベルの耳にまとわりつく。


「なんとかして! お願い!」


ベルは足元へ向かって叫ぶ。


影は静かに揺れるだけだった。


『……残り三十秒』


「ミカゲェッ!?」


叫びと同時だった。


ぐらり、と。


ベルの足元の影が大きく波打つ。


踏み締めていたはずの地面が、突然消えた。


「え!?」


片足が沈む。


続いてもう片方も。


支えを失った身体は、そのまま黒い水面へ飲み込まれていく。


「ちょ、待っ――」


抵抗する間もない。


腰まで。


胸まで。


首まで。


そして頭まで。


ベルは一気に影の底へ引きずり込まれた。


「もがっ……!」


口を開けば空気はない。


叫ぼうにも声にならない。


落ちる。


どこまでも。


どこまでも深く。


上を見上げても、もう空は見えない。


光は消え、周囲は黒一色。


自分が落ちているのか、浮いているのかさえ分からない。


その暗闇の中。


ふわり、と白いものが視界に映った。


ベルは目を見開く。


目の前。


ほんの数歩先。


同じように影へ沈められたダンデドールが、静かに佇んでいた。


純白の仮面。


後頭部に広がる巨大な綿毛。


感情のないその姿は、水底へ沈んだ人形のように微動だにしない。


ただ、ベルだけを見つめるように。


静寂の中で、そこに存在していた。


その時。


ベルの瞳が、ふっと赤く染まった。


暗闇の中で、二つの紅い光だけが静かに灯る。


黒髪が揺れる。


一本。


また一本と、その色が抜け落ちるように白く変わり、やがて月光のような銀へと染まっていく。


華奢だった肩幅が広がる。


細い腕に筋肉が宿り、骨格そのものが音もなく組み替えられていく。


伸びた髪はさらさらと短くなり、輪郭も少女の柔らかさを失って鋭さを帯びる。


小柄な身体はゆっくりと背丈を伸ばし、手足も一回り大きく変化していった。


衣服だけが水面に映る景色のように揺らぎ、その変化に合わせて馴染んでいく。


やがて。


変化は止まる。


そこにいたのは、もう黒髪の少女ではなかった。


銀髪の少年。


赤い瞳だけが静かに暗闇を見据えている。


その目が、目の前に漂うダンデドールを捉えた。


一瞬の沈黙。


そして少年は、口元だけをわずかに吊り上げる。


「……あぁ」


低く、落ち着いた声が影の底へ溶けていく。


「よくわかんねぇけど、倒せばいいんだな?」


影の底。


銀髪の少年は目の前のダンデドールを見据えたまま、迷いなく両腕を胸の前で交差させる。


「カタナ! やるぞ!」


指輪が淡く輝いた。


呼応するように、両肘から黒鉄の刃が音もなく伸びる。


何度となく使ってきた得物。


説明も確認もいらない。


身体の一部のように馴染んだ二振りを構え、そのまま前へ踏み出そうとした。


「おぉ!」


次の瞬間、身体がぐるりと回転した。


踏み出したはずの足が空を切り、勢いのまま一回転。


さらに半回転。


上も下もない。


右も左もない。


影の中では、自分がどちらを向いているのかさえ分からなくなる。


危うく刃を振り回しそうになり、慌てて身体を丸めて姿勢を整える。


その様子を見ていたのか。


暗闇のどこからともなく、くすくすと笑い声が聞こえた。


少年は眉をひそめる。


「ミカゲ! 笑ってないでちゃんとやってくれ!」


返事はない。


その代わり、足裏へ変化が訪れた。


何もないはずの場所に、確かな感触が生まれる。


地面。


そう呼ぶしかない踏み応えだった。


半信半疑のまま足を乗せる。


沈まない。


その場で何度か強く踏み鳴らす。


ばん。


ばん。


ばん。


しっかりと反力が返ってくる。


さらに軽く跳ねてみても、今度は身体が回転することはない。


「よし! いいぞ!」


そう言って足場を蹴る。


銀髪の少年は両肘から伸びる黒鉄の刃を構え直し、静かに佇むダンデドールへ真正面から向き合った。


「ん?」


銀髪の少年は目の前へ視線を向けた。


ダンデドールは影の中、静かに浮かんだまま微動だにしない。


綿毛も揺れず。


蔓も動かず。


まるで精巧な人形のように、その場へ止まっていた。


「こいつ……生きてんのか?」


「――あの操り手の女から見えないので動かしようがないのでしょう。それにー」


いつの間にか、その背後にミカゲが立っていた。


黒い衣を揺らしながら静かに歩み寄ると、自然な仕草でベルの背中へ両腕を回す。


そのまま肩越しにダンデドールを眺め、穏やかな声で続けた。


「捜査に必要な水晶玉は今、ご主人様の手の中に」


ベルは背後を振り返ることもなく、右手に持った水晶玉に視線を向ける。


「あぁ、なるほど」


短く呟き、両肘から伸びる黒鉄の刃を僅かに開く。


「それじゃ戦いとは言えないな」


少し考えるように顎を上げた。


「ミカゲ、キンサシャも呼んでくれよ」


背中越しにミカゲが小さく首を傾げる。


「わざわざ? このまま倒せば楽ですが?」


即座にベルは首を横へ振った。


「それはさすがに、フェアじゃねぇだろ」


一瞬だけ、ミカゲは目を細めた。


そして、ふわりと微笑む。


「仰せのままに」


その言葉が終わると同時に、頭上の闇が波打った。


「ひゃああああああぁぁぁぁっ!?」


甲高い悲鳴が響く。


黒い空間を突き破るように、一人の人影が真っ逆さまに落ちてきた。


手足をばたつかせながら落下したキンサシャは、そのまま勢いよくベルたちの前へ叩きつけられる。


何が起きたのか分からず、水晶玉を抱えたまま目を白黒させる。


その前では、銀髪の少年が静かに立ち尽くしていた。


両肘から伸びる黒鉄の刃だけが、静かにその存在を主張していた。


「よぉ、久しぶりだな!」


軽い調子の声。


その一言を聞いた瞬間、キンサシャの顔から血の気が引いた。


目を見開き、銀髪の少年を凝視する。


「ま……ままま魔王殺し!?」


悲鳴にも似た声を上げるや否や、踵を返して一目散に駆け出した。


ローブを翻し、裸足で影の地面を蹴る。


逃げる。


とにかく、この存在から離れなければ。


その背中を見送りながら、ベルは肩を竦めた。


「おいおい」


呆れたように呟くと、右手に持っていた水晶玉を軽く放り上げる。


くるり、と宙で一回転。


落ちてきたそれを掴み直し――。


「ほらよ」


野球の送球でもするような気軽さで、逃げるキンサシャへ向かって放り投げた。


水晶玉は綺麗な放物線を描き、影の世界を飛んでいく。


「ひぃっ!?」


背後から風を切る音に気付き、キンサシャが反射的に振り返る。


次の瞬間。


胸元へ飛んできた水晶玉を、条件反射で両手が受け止めていた。


ぽすっ。


小気味よい音と共に、水晶玉が腕の中へ収まる。


キンサシャは目をぱちくりと瞬かせる。


「……へ?」


その先で、ベルは両肘から伸びる黒鉄の刃を揺らしながら、不敵に笑っていた。


「それ、お前のだろ」



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