狙いはキンサシャ!ー
ベルは肩で息をしながら、公園へと飛び込んだ。
花々の向こう。
デッドエンドが、ぽかんと口を開けてこちらを見ている。
突然戻ってきた黒髪の少女に、しばらく瞬きすら忘れていた。
やがて、信じられないものを見るように首を傾げる。
「……え? ベルって、おバカなの?」
ベルは立ち止まったまま、荒い息を整えながら睨み返した。
「あなたには言われたくないわよ! 自分でもわかってるし!」
叫んだ直後、自分で少しだけ情けなくなる。
そう。
結局、何も思いつかなかった。
走って。
考えて。
悩んで。
迷って。
それでも答えは出ず、気付けば元いた場所へ戻ってきてしまっただけ。
違うことがあるとすれば。
さっきは自分が囲まれていた。
今は、自分から飛び込んできたということだけだった。
その姿を見ていたデッドエンドは、しばらく無言でベルを眺める。
そして額に手を当て、小さくため息をついた。
「……キャハッ」
笑いを堪えきれなかったように肩を震わせる。
「キャハハハハッ! なにそれー! ぐるっと一周して帰ってきただけじゃーん♪」
ベルは悔しそうに唇を噛む。
反論したくても、反論できない。
事実、その通りだった。
操り人形のように立ち尽くすミリィたちの姿が、ベルの胸を締めつけた。
虚ろな瞳。
意思のない立ち姿。
声をかけても、もう返事はない。
一刻も早く、解放しなくては。
ベルはゆっくりと視線を巡らせる。
その先。
ダンデドールの背後で、水晶玉を抱えたままぼんやりと立つキンサシャの姿があった。
震えることもなく。
喋ることもなく。
ただ命令を待つように、その場に立っている。
ベルの瞳が鋭く細められる。
――あそこだ。
キンサシャを抑えれば。
怪人は止まる。
怪人が止まれば、操られている人たちもきっと止まる。
まずは、あの人を。
まずは、操られているみんなを助ける。
ベルは静かに息を整えると、キンサシャだけを真っ直ぐ見据えた。
ベルはそっと両手を開いた。
指先に嵌められた九つの指輪が、陽の光を受けて静かに輝いている。
ミカゲ。
アカリ。
カタナ。
一つひとつへ視線を落としていく。
昼の自分では、姫神を呼び出せる保証はない。
それでも。
もし。
ほんの少しでも力を貸してくれたなら。
ほんの一瞬でも、この状況を切り開く力を与えてくれたなら。
ベルはぎゅっと拳を握り締めた。
「お願い……」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
指輪へ。
姫神へ。
それとも、自分自身へ。
ただ、今は奇跡に縋るしかなかった。
その時だった。
ベルの足元へ伸びる影が、不意にゆらりと揺れる。
『力をお貸ししましょうか?』
耳元ではない。
頭の中でもない。
影そのものから響いてくるような静かな声に、ベルは思わず肩を震わせた。
「う、うわっ!」
『……失礼な』
どこか心外そうな声音が返ってくる。
ベルは困ったように頬を引きつらせた。
「だ、だって……いきなりだから」
その声の主は、姫神ミカゲ。
ベルはなおもキンサシャから視線を逸らさぬまま、小さく唇を動かす。
「……力になって、くれるの?」
『それが親愛なるご主人様のためならば』
一拍置いて、淡々とした声が続く。
『あなたのことはどうでもいいんですけどね。あなたに何かあれば、ご主人様にも影響しますので』
あまりにも素っ気ない物言いに、ベルは思わず苦笑を漏らした。
「……上等」
その一言だけで十分だった。
誰のためでも構わない。
理由が打算でも皮肉でも構わない。
今、この瞬間。
自分は一人ではないのだから。
ベルは小さく息を吸い込んだ。
「ミカゲ……お願い。力を貸して」
影の奥から、気怠げなため息が漏れる。
「ですからー、そう言っているではありませんか」
「う、うん。あ、そーね」
思わず頬をかく。
言われてみれば、その通りだった。
ベルは咳払いを一つして、改めて問いかける。
「で、どうするの?」
少しだけ間を置き、ミカゲが淡々と告げた。
「そうですね。1年ぶんくらいの寿命をもらえたなら、この街の全員を拘束して差し上げましょう」
ベルの顔が引きつる。
「……もっとカジュアルで」
「……寿命1ヶ月で10分なら」
「寿命削らないやつで!」
影の奥から、大きなため息が響いた。
「わがままですね」
ぼそりと呟くと、ミカゲは面倒そうに続ける。
「ならば半分の体力で、この場にいる全員を5分拘束……」
「のった!」
食い気味だった。
迷う暇もない。
半分の体力くらい、くれてやる。
五分あればいい。
その五分でキンサシャまで辿り着き、止める。
ベルは真っ直ぐ前を見据えた。
もう迷いはなかった。
ミリィ。
ウルフ。
マリーナ。
マークス。
そして警察隊の面々。
ざっと数えて二十人弱。
さらにデッドエンド。
キンサシャ。
ダンデドール。
合わせて二十五人ほど。
ベルは静かにその顔ぶれを見回した。
五分。
たった五分。
だが、その全員を拘束してもらえるなら。
キンサシャまで一直線に走れる。
邪魔をされない。
ミリィを傷つけることもない。
マリーナとも戦わずに済む。
ウルフの拳を避ける必要もない。
警察隊を押しのける必要もない。
ただ、キンサシャだけを目指せばいい。
ベルは深く息を吸い込んだ。
「……いける」
五分あれば足りる。
いや。
足りなくても、足らせるしかない。
その瞳はもう迷っていなかった。
デッドエンドが首を傾げる。
「大丈夫〜? ぶつぶつぶつぶつ、頭おかしくなっちゃったの〜?」
その口元がゆっくりと吊り上がった。
「それともー姫神と話をしてるのかな〜? キャハハッ♪」
ベルの肩がぴくりと揺れる。
図星だった。
その僅かな反応を、デッドエンドは見逃さない。
背後ではキンサシャが静かに水晶玉へ舌を這わせた。
それに呼応するように、ダンデドールの頭を飾る綿毛がふわりと震える。
直後、虚ろな瞳のマリーナが一歩前へ出た。
続いてウルフ。
マークス。
ミリィ。
さらに警察隊の面々が無言のまま位置を変え、ゆっくりとキンサシャを取り囲むように壁を作っていく。
まるで最初からベルの狙いを読んでいたかのように。
その光景を眺めながら、デッドエンドは満足げににんまりと笑った。
「させないよ〜♪」
ベルは奥歯を噛み締める。
「くっ……」
最短の道は、最初から塞がれていた。
ベルは奥歯を噛み締めた。
「ミカゲ……読まれてる!」
焦りを滲ませた声が漏れる。
だが、影の奥から返ってきた声はどこまでも冷静だった。
「次第ありません」
その一言と同時に、ベルの足元の影がゆらりと揺れる。
まるで風もない水面へ小石が落ちたかのように、静かな波紋が広がった。
そして影は輪郭を失いながら、じわり、じわりと周囲へ浸食していく。
走るほど速くはない。
歩く程度の、ゆっくりとした速度。
それでも確実に。
黒い水たまりが大地を飲み込むように、少しずつ範囲を広げていった。
その異変に最初に気付いたのはデッドエンドだった。
楽しげだった笑みが消え、眉が僅かに寄る。
警戒するように一歩だけ後退り、足元へ視線を落とした。
人垣の隙間。
その向こうでは、キンサシャが何かを察したように慌てて身を引いている。
抱えた水晶玉を強く握り締め、落ち着きなく辺りを見回す姿が見えた。
ベルはその様子を見逃さなかった。
影は今もなお、静かに、確実に広がり続けていた。
やがて、ゆっくりと広がっていた影の先端が、一人の警察隊員の足元へ辿り着く。
次の瞬間。
まるで深い池へ足を踏み外したかのように、男の身体が音もなく沈み始めた。
「なっ……!?」
抵抗する間もなく膝まで。
腰まで。
そして胸元まで影へ飲み込まれていく。
デッドエンドの目が見開かれた。
「!?」
それを合図にしたかのように、周囲でも次々と異変が起こる。
マリーナが。
ウルフが。
マークスが。
警察隊の面々が。
まるで足元の地面そのものが底なし沼へ変わったかのように、次々と影へ沈み込んでいく。
完全に飲み込まれるわけではない。
胸の辺りで止まり、それ以上は沈まない。
だが、抜け出すこともできない。
もがき、腕を振り回し、必死に身体を引き上げようとしても、掴むべき地面はどこにもなく、影は水のように揺れるだけだった。
その光景を見つめながら、デッドエンドが低く呟く。
「べ〜ル〜……」
ベルは思わず拳を握り締めた。
「よし!」
小さくガッツポーズを作る。
だが、その喜びも一瞬だった。
視界が急激に白く霞む。
身体から力が抜け、足元が大きく揺らいだ。
「っ……!」
倒れる寸前で片足を踏ん張る。
しかし支え切れず、その場へ膝をついた。
息が上がる。
心臓が暴れる。
全身から一気に体力を引き剥がされたような虚脱感が襲ってきた。
「き……きたー……思ったより、きつい...」
ベルは苦しげに呟きながら、それでも顔だけは上げた。
五分。
残された時間は、もう動き始めていた。




