死の話ー
ミリィだけではない。
ウルフも。
マリーナも。
マークスも。
警察隊の面々も。
その場にいる全員が花々の間へ倒れ込み、苦しげに胸を押さえながら咳き込んでいた。
乾いた咳が、公園中に絶え間なく響く。
その様子は、一刻の猶予もないことを物語っていた。
ベルはゆっくりと顔を上げる。
視線の先には、デッドエンドの唇。
そして、その口元から今もなお溢れ続ける七色の粘液。
その視線に気付いたデッドエンドは、嬉しそうに目を細めた。
そのまま、ふっと投げキッスを送る。
ごぽっ。
勢いよく弾けた粘液が空中へ散り、近くの草花へ降り注いだ。
次の瞬間。
鮮やかに咲いていた花弁がみるみる萎れ、黒ずみ、力なく地面へ垂れ下がる。
ベルの背筋を、冷たいものが走った。
「みんなは……このままだと、どうなるの?」
デッドエンドは首を傾げ、考えるように視線をぐるりと巡らせる。
「え……? 死ぬ?」
あまりにもあっさりとした返答。
ベルの唇が震えた。
「……死……」
デッドエンドは慌てて手をひらひらと振る。
「いやいやー♪ 正確にはー、死ぬほどの毒とかじゃないよー♪」
ごぽ、ごぽり。
言葉の合間にも、七色の粘液が口元から溢れ落ちる。
「それって種子が肺に入って根付いてるから咳き込んでるだけだからー♪」
まるで庭の花の育て方でも説明するような口調だった。
「でもいずれ? 何日かしたら? 成長して?」
デッドエンドは自分の喉元を指でつつく。
「口から溢れて花が咲いたら?」
にたり、と笑う。
「死ぬ? みたいな?」
ベルはミリィを抱きかかえたまま、震える声で問いかけた。
「どうやったら……止められるの?」
その言葉を聞いたデッドエンドは、一瞬だけにこりと微笑む。
だが次の瞬間には眉を吊り上げ、頬を膨らませて怒鳴った。
「だからー! キスしたら止めてやるって言ってんじゃんか! ぐだぐだ言ってないでキスしろし!」
突然の剣幕に、ベルは思わず言葉を詰まらせる。
それでも視線を逸らさず、静かに尋ねた。
「……キスして、みんなが助かって……私は……どうなるの?」
デッドエンドはまたけろりと表情を変え、舌を覗かせて笑う。
「ベルはー♪ あちきの毒で意識無くしてバターンキュー♪」
指先で自分の頭の横をとんとんと叩きながら、楽しそうに続ける。
「そんでー♪ あちきがベルを連れ帰ってー♪ 任務かーんりょ? みたいな? キャハハッ♪」
その笑い声の向こうで、また誰かが激しく咳き込む。
花畑に横たわるウルフが苦しげに身を丸める。
マリーナは呼吸を整えようとしても咳が止まらず、マークスも地面を掴んだまま顔を上げられない。
腕の中のミリィも、小さな身体を震わせ続けていた。
ベルは唇を噛み締める。
目の前にあるのは、あまりにも残酷な二択だった。
デッドエンドはぱん、と手を叩いた。
「ここらでそろそろー♪ 今回のお人形さんを紹介しちゃうねー♪」
その背後で、花畑がざわりと揺れる。
風ではない。
一面に咲く花々と草が、自ら意思を持ったかのように波打ち始めた。
やがて一か所だけが大きく盛り上がる。
土を割る音はしない。
まるで地面そのものが呼吸するように、草の束がゆっくりと持ち上がっていく。
その中から、一つの人影が姿を現した。
「NO.3ダンデドール♪ キャハハッ♪」
細身の女性を思わせる輪郭。
しかし、それは人ではなかった。
全身は白と黒を基調とした植物質の外殻に覆われ、どこまでも優雅でありながら、生物らしい温もりは微塵も感じられない。
顔には目も口もなく、ただ滑らかな純白だけが広がっている。
仮面を被っているのか、それともそれ自体が顔なのか判別できない。
何の表情もないはずなのに、じっと見つめられているような錯覚だけが胸を締めつけた。
頭部の後方では、巨大なタンポポの綿毛にも似た冠が静かに広がり、無数の白い綿毛が昼の陽光を受けながら絶えず舞い落ちている。
背中からは幾本もの蔓と茎が放射状に伸び、その先には綿毛や蕾が揺れていた。
細長い腕がゆっくりと持ち上がる。
関節は植物の節そのもの。
指先は鋭く伸びた根と蔓へ変化し、静かに空を掻いた。
腰から下は枯葉と根が幾重にも重なり合い、まるで朽ちたドレスの裾を引くように地面へ広がっている。
一歩踏み出すたび、細い根が花畑へと這い、土へ潜り込んでいく。
美しい女性の姿を模した何か。
植物が人間という存在を真似て作り上げた、異質な生命。
その場にいる誰もが、本能的に理解した。
目の前に立つそれは、生き物ですらない。人という形だけを借りた、災厄そのものだった。
ベルは目の前の異形を見つめ、息を呑んだ。
「くっ……怪人」
デッドエンドは嬉しそうに両手を広げ、その背後に佇むダンデドールを親指で示す。
「このダンデドールが放つ綿毛ー♪」
ゆっくりと舞い落ちる白い綿毛が、陽光を受けてきらきらと輝く。
「ベル達も街に着いた時から見てたんじゃなーい?」
その言葉に、ベルの脳裏へ一つの光景が蘇る。
青空の下。
風に乗って流れてきた、小さな白い綿毛。
何気なく見上げながら交わした会話。
「……あの、白い綿毛……」
掠れた声が漏れる。
デッドエンドは顔をぐにゃりと歪め、心底愉快そうに笑った。
「見てたんよねー? でも気付かなかったー!? おしいよねー♪ くやしいよねー♪」
くるりと一回転しながら両腕を広げる。
「あの時気付いていたらねー?♪」
キャハハッ、と高い笑い声が花畑に響く。
その間にも、ダンデドールの頭上からは絶え間なく白い綿毛が舞い続けていた。
風に乗り。
花の間を漂い。
苦しむ人々の上を、何事もなかったかのように静かに流れていく。
ベルはようやく理解する。
あれは春の風物詩でも、花の綿毛でもなかった。
街へ足を踏み入れた、その瞬間から。
自分たちは、すでにデッドエンドの盤上に乗せられていたのだ。
デッドエンドは肩をすくめ、けらけらと笑った。
「もーいよー♪ どっちでーもー♪」
ベルは眉をひそめる。
「?」
デッドエンドは指を一本立てた。
「このままみんなが死ぬのを待つのもよーしー♪」
次に二本目の指を立てる。
「ベルがあちきにキスしてみんなを助けるのもよーしー♪」
ごぽり、と口元から七色の粘液が溢れ、顎を伝って滴り落ちる。
それすら気にすることなく、満面の笑みで両腕を広げた。
「どっちに転んでもよー♪ デッドちゃんの勝ちなんだし♪」
そして、ベルを真っすぐ指差す。
「ベルは詰んでるものー♪」
「キャハハッ♪」
高らかな笑い声が、公園いっぱいに響き渡る。
その背後では、ダンデドールが何も語らず静かに立ち尽くし、頭上の巨大な綿毛から白い種子を絶え間なく風へ乗せていた。
花畑を漂う無数の白は、まるで降り続ける雪のように美しい。
だからこそ、その光景は残酷だった。
ベルは腕の中で苦しむミリィを見下ろす。
周囲ではウルフも、マリーナも、マークスも、警察隊も、誰一人立ち上がれない。
デッドエンドの言葉に誇張はない。
盤面はとうの昔に完成していた。
今、ベルの前に残されているのは、選択という名の確認作業だけだった。
その時だった。
ダンデドールの向こう側。
花々の隙間から、もう一つの人影がゆっくりと歩み出る。
紫のローブを頭から深く被り、目元から下は薄いヴェールで覆われた女。
褐色の肌に黒髪。
目の周囲には小さな宝石が夜空の星のように散りばめられ、ローブの隙間から覗く両腕と両脚には幾重もの金のリングが揺れている。
靴は履いていない。
裸足のまま、花畑を踏みしめても足音一つ立てなかった。
ローブの裾が揺れるたび、その下からワンピース型の下着にも似た奇妙な衣装がちらりと覗く。
ベルの表情が険しくなる。
以前にも何度か相対したことのある、その姿。
右手には大きな水晶玉。
その表面を、女はぺろりと舌で舐める。
透明だった球体が妖しく光を宿った。
その瞬間。
微動だにしなかったダンデドールの首が、かすかにベルの方へ向く。
まるで見えない糸で操られた操り人形のように。
デッドエンドが満足そうに笑う。
「クソザコキンサシャでーす♪」
女は水晶玉を胸元へ抱き、ゆっくりと頭を下げた。
「あたしゃ、ただの操り手さねぇ」
澄んだ美しい声。
だが、その語り口だけは年老いた老婆そのものだった。
そう言いながら、もう一度、水晶玉を舌先でなぞる。
その仕草に合わせるように、ダンデドールの背中から無数の蔓が静かに蠢いた。




