デッドエンドの罠ー
ベルの頬から血の気が引く。
「……デッド……エンド」
「は〜い♪ デッドちゃんだよ〜ん♪」
その声と同時に、両サイドへ編み込まれていた銀髪がするりと解けた。
長い髪は揺れながら高い位置で二つに結ばれ、鋭いツインテールへと変わる。
同時に、ミントグリーンのワンピースが水面のように波打った。
白いレース手袋も、ショートブーツも、そのまま液体のように形を変え、身体を流れるように再構築されていく。
気品ある令嬢の装いは、毒々しい色彩のゴスロリボンテージへ。
脚には左右色違いのボーダーニーハイが現れ、右手にはいつの間にか派手な鞭が握られていた。
変わったのは髪型と装いだけ。
だが、目つきと笑みだけで、まるで別人のようだった。
そこにいたのは、穏やかなハーブではない。
舌を出して笑う、狂気の少女――デッドエンドだった。
マリーナが眉をひそめる。
「これか……二重人格」
デッドエンドは一瞬きょとんとした後、盛大に顔をしかめた。
「はーっ!? 二重人格!? んなつまんねーもんと一緒にすんなし!」
吐き捨てるように叫び、舌を出したまま肩を揺らして笑う。
ベルは困惑した表情で首を傾げた。
「……二重人格じゃ、ないの?」
するとデッドエンドは一転して、にこりと微笑む。
「ううんー♪ 二重人格とも言えなくもないー♪」
「キャハハッ♪」
「……どっちなのよ」
ベルが呆れたように漏らした、その時。
背後からウルフの声が飛ぶ。
「HEY! もう10分経った! いつでもいけるぜ!」
咳き込みながらも、左手の砂時計を掲げて叫ぶ。
ベルとマリーナは短く視線を交わし、互いに頷いた。
ベルが大きく息を吸う。
「ウルフ! それじゃー……」
その言葉を遮るように。
ビシィッ――!
乾いた衝撃音が公園中へ響き渡った。
デッドエンドが鞭を軽く振るっただけだった。
にやりと口角を吊り上げ、舌を覗かせる。
「こっちも準備かーんりょ♪」
「?」
ベルの表情に、わずかな困惑が浮かんだ。
その瞬間。
デッドエンドの背後で、ウルフが大きく身体を折った。
「ごほっ……!」
激しい咳と共に、その場へ両手をつく。
砂時計を握る左手が震え、肩が大きく上下した。
「ウルフ!?」
ベルが叫ぶ。
だが、それだけでは終わらなかった。
目の前でマリーナが膝をつく。
「……っ、ごほっ!」
続けてマークスも苦しげに胸を押さえ、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「マリーナさん!?マークスさん!……!」
周囲を包囲していた警察隊も、一人、また一人と咳き込み始める。
拳銃を取り落とす音。
膝をつく音。
身体を支えきれず倒れる音。
次々と公園に響き渡っていく。
ベルだけが立ち尽くしていた。
その時だった。
背後から、どさりと鈍い音が聞こえる。
嫌な予感に振り返る。
そこには、小さな身体を丸めて倒れ込むミリィの姿があった。
「ごほっ……ごほっ……!」
「ミリィ!」
ベルは慌てて駆け寄り、その身体を抱き起こす。
ミリィは何度も激しく咳き込み、息を吸おうとしても吸えない。
肩が震え、胸が大きく上下し、呼吸は浅く速く乱れていた。
過呼吸を起こしかけている。
苦しそうに口を開け、必死に空気を求めるミリィを前に、ベルの表情から余裕は完全に消え失せた。
周囲では、なおも咳が止まらない。
ウルフが地面に膝をつき、肩を震わせる。
マリーナはトンファーを杖代わりに身体を支え、それでも激しく咳き込んでいた。
マークスも、警察隊の面々も、次々と力を失って倒れていく。
その中心で、デッドエンドだけが愉快そうに笑っていた。
そしてベルは、苦しむミリィを必死に抱き起こしながら、その顔を見上げる。
怒りと焦りを滲ませ、デッドエンドを鋭く睨みつけた。
「何をしたの!?」
デッドエンドは舌を覗かせたまま、くすくすと肩を揺らす。
まるで、その問いを待っていたと言わんばかりに。
デッドエンドは胸を張ると、得意げに舌をべろりと出した。
「ベールー、罠ってのはー、ちゃーんと仕掛けないと意味ないんだよー? キャハハッ♪」
ミリィを抱き起こえたまま、ベルは鋭く睨み返す。
デッドエンドはその視線さえ愉快そうに受け止め、両手の人差し指で自分の頭をとんとんと叩いた。
「あちきがー、どーんだけ調べて仕掛けてると思ってんのー?」
にやりと笑う。
「何より情報がだいじなんだしー♪ 戦いはー、戦う前にー始まってんのー♪」
一拍置いて、口角を大きく吊り上げる。
「そしてー、終わってんのー♪ キャハハッ♪」
その笑い声だけが、咳き込む者たちで埋め尽くされた公園に、不気味なくらい軽やかに響き渡った。
ベルはミリィを支えたまま、静かにデッドエンドを見つめる。
怒りは胸の奥で煮えたぎっていた。
だが、それを表に出さない。
これ以上刺激してはいけない。
そう本能が告げていた。
「みんなに……何をしたの……答えなさい」
声は驚くほど冷静だった。
デッドエンドはその様子を眺めると、舌をぺろりと出して首を傾げる。
「んー♪ キスしてくれたらー教えちゃおっかなー?」
人差し指を唇へ当て、ぱちりとウインクした。
ベルの頬が引きつる。
「ふ、ふざけないでっ!」
その一言で。
デッドエンドの笑顔が、音を立てて崩れた。
「はーっ!? ふざけてねぇーし! 教えて欲しいならキスしろし!」
怒鳴り声が公園に響く。
さっきまで軽薄に笑っていた少女とは別人のような激昂。
目を吊り上げ、顔を真っ赤にして睨みつけてくる。
あまりの変わりように、ベルは思わず息を呑んだ。
その勢いに気圧され、返す言葉を失う。
ベルは息を呑む。
「そ……そんなことになんの意味が――」
言いかけた、その時だった。
デッドエンドが何も言わず、ゆっくりと口を開く。
ごぽっ。
ごぽごぽっ。
喉の奥から不気味な音が響き、口内にカラフルな粘液が溢れ出した。
紫。
紅。
翠。
青。
虹色の毒々しい液体が舌の上で揺れ、糸を引いて零れ落ちる。
ベルの瞳が大きく見開かれる。
「……まさか……!?」
デッドエンドは口元いっぱいに粘液を湛えたまま、にたりと笑った。
「そほだよー♪ ほの毒の液にキスしはよー♪」
粘液越しのくぐもった声が、公園に不気味に響いた。
デッドエンドは口を開いたまま、まるで水の中で喋っているかのように声を漏らした。
ごぽ、ごぽ、ごぽっ。
言葉を発するたび、喉の奥から不気味な音が鳴り、口いっぱいに溜まった七色の粘液が溢れ出していく。
紫、紅、翠、青、黄、桃。
虹色に揺らめく毒の液体は顎を伝い、糸を引きながらぽたぽたと零れ落ちた。
デッドエンドは慌てるどころか、両手を差し出してその粘液を受け止める。
手のひらに溜まった七色の液体を、宝物でも見せびらかすようにベルへ掲げた。
「ほれへー♪ ひすふるなはー♪ はすへてあーへーふー♪ キャハハッ♪」
ごぽごぽと音を立てながら笑うその姿は、もはや人間のそれではない。
粘液は指の隙間からとろりと零れ落ち、陽の光を受けて不気味な虹色の輝きを放つ。
ベルはミリィを抱えたまま、その光景から目を離せなかった。
ベルの視線が、デッドエンドの手の中で揺れる七色の粘液へ吸い寄せられる。
恐る恐る唇を動かした。
「そ……それ……触れても大丈夫……なわけ、ないよね……」
デッドエンドはごぽりと喉を鳴らし、嬉しそうに笑う。
「あーね♪ 大丈夫、死なんし♪」
受け止めた粘液を指先でくるくると弄びながら、さらりと言い放つ。
「ただ死ぬほどいたくてー♪ くるしくってー♪ 意識は数日戻ってこないー感じ? キャハハッ♪」
ごぽ、ごぽっ。
笑うたびに口元から新たな七色の粘液が溢れ、手のひらへと滴り落ちていく。
その無邪気な口調とは裏腹に、告げられた内容はあまりにも残酷だった。
ベルは思わずミリィを抱く腕に力を込める。
その腕の中で、ミリィはなおも苦しそうに咳き込み続けていた。




