3度目の正直ー
レストランを出た二人は、大通りをゆっくりと歩いていた。
頭上には雲ひとつない青空が広がり、燦々と降り注ぐ太陽が街並みを明るく照らしている。
石畳も建物の白い壁も光を受けて輝き、人々の笑い声が心地よく響いていた。
ベルは思いきり伸びをして空を見上げる。
「すごい、いい天気ー」
隣を歩くミリィも眩しそうに目を細めた。
「きっとお花も綺麗ですよー」
その時だった。
ふわり、と風に乗って白い小さなものが二人の前を横切る。
ひとつ、またひとつ。
ゆっくりと空中を漂いながら、陽の光を受けて淡く輝いていた。
ベルは足を止め、その白い粒を目で追う。
「花粉……じゃないか、綿毛?」
小さな綿毛は風に乗ってくるくると舞い上がり、人々の肩や街路樹の枝先をかすめながら、どこかへ流れていく。
ミリィも空を見上げ、その行方を目で追いかけていた。
二人は風に舞う白い綿毛を見送りながら、思わず顔を見合わせた。
さすが花の都。
そんな言葉が自然と頭に浮かぶほど、街全体が花と緑に包まれている。
けれど、感心していたのも束の間だった。
通りに並ぶ屋台から漂う甘い匂いや、色鮮やかな小物、ガラス細工、アクセサリーが次々と目に入り、二人の視線はあっという間にそちらへ引き寄せられていく。
ベルが楽しそうに口を開いた。
「あとで買い物もしたいかも」
その言葉に、ミリィはベルの服装をじっと見つめる。
「ベルさん、ずっと同じ服ですもんね」
ベルは少し困ったように笑った。
「……一応、デザインは似てるけどちょくちょく買い替えてるんだけど……」
ミリィはきょとんとした顔のまま瞬きを繰り返す。
「……うそですよね?」
ベルは真顔で首を横に振った。
「マジで」
しばらく沈黙が流れる。
ミリィは改めてベルの姿を上から下まで見直した。
何度見ても、いつもの服にしか見えない。
結局、小さく首を傾げたまま呟く。
「全然気づきませんでした……」
ベルは苦笑いを浮かべながら肩を落とした。
「結構ショックなんだけど、それ」
ベルは小さくため息をついた。
「私も、早く普通になって女の子ぽい服着たいー」
その言葉に、ミリィは思い出したように微笑む。
「こないだラインさんとデートする時はワンピースでしたもんね」
ベルの足がぴたりと止まる。
少しだけ頬を赤く染めながら、視線を逸らした。
「ま……まぁたまには……」
歯切れの悪い返事に、ミリィはくすっと笑う。
あの日、いつもの動きやすい服ではなく、淡い色のワンピースを選んでいたベルの姿は、今でも印象に残っていた。
ベルは照れ隠しをするように前を向き直り、歩幅を少しだけ速める。
「べ、別に深い意味はなかったし」
そう言いながらも、耳までほんのり赤い。
ミリィはその背中を見つめながら、小さく肩をすくめた。
「そういうことにしておきます」
ベルは何も言い返せず、むっとした顔のまま前を歩き続ける。
けれど、どこか嬉しそうな表情だけは隠しきれていなかった。
そんな他愛もない話をしながら歩き続けるうちに、人通りの多い大通りは次第に緑の多い並木道へと変わっていった。
そして――。
二人の視界が一気に開ける。
目の前に広がっていたのは、街の中心にあるとは思えないほど広大な公園だった。
色とりどりの花壇は丁寧に手入れされ、一輪一輪が陽の光を浴びて鮮やかに咲き誇っている。
赤、青、黄、白、紫。
季節ごとの花々が計算されたように植えられ、まるで一枚の絵画のような景色を作り上げていた。
石畳の遊歩道はゆるやかに園内を巡り、その両脇では噴水の水音が涼しげに響く。
花を眺めながら散歩する夫婦、芝生で寝転ぶ子どもたち、ベンチで本を読む老人。
誰もが穏やかな時間を過ごしていた。
ベルは思わず足を止め、目を輝かせる。
「わぁ……」
その一言だけで十分だった。
ミリィもゆっくりと周囲を見回し、小さく頷く。
「人気なのも納得ですね」
風が吹き抜けるたび、花壇から甘く優しい香りが漂ってくる。
その風に乗って、また白い綿毛がふわりと舞い上がり、公園の上空をゆっくりと流れていった。
二人はその景色に見入ったまま、しばらく言葉を忘れて立ち尽くしていた。
広大な花畑を前に、ベルは思わず息を呑んだ。
「これは……すごいね……」
風が吹くたび、色とりどりの花々が一斉に揺れ、まるで波のように景色を染めていく。
隣でミリィも静かに微笑んだ。
「ほんとに綺麗です」
二人がその光景に見入っていた、その時だった。
背後から、落ち着いた女性の声が聞こえてくる。
「本当に、心が洗われるわね」
その声を耳にした瞬間。
ベルとミリィの身体がぴたりと固まった。
聞き覚えがありすぎる。
振り返るまでもない。
ハーブだ。
ベルはぎこちなく首だけを動かし、ミリィも引きつった笑みを浮かべたままゆっくりと後ろを向く。
そこには、穏やかな表情で花畑を眺めるハーブの姿があった。
まるで偶然散歩に来ただけ、と言わんばかりに自然な佇まいで。
花畑を背にしたハーブは、柔らかな笑みを浮かべたまま二人を見つめた。
「こんにちわ」
その穏やかな挨拶とは裏腹に、ベルとミリィは反射的に半歩、いや一歩ほど距離を取る。
額にはじわりと汗が滲んでいた。
さっきまで見惚れていた花畑も、今は目に入らない。
ベルは警戒を隠そうともせず、じっとハーブを見つめる。
「……何しに来たの?」
ハーブは首をかしげると、周囲に広がる花畑へゆっくりと視線を向けた。
風に揺れる花々を眺めながら、その微笑みは少しも崩れない。
まるで本当に散歩の途中で偶然出会っただけのような、そんな自然な立ち姿だった。
ミリィは無意識のうちに一歩下がり、ベルの背後へ身を寄せた。
その動きを見たベルもまた、自然とミリィを庇うように前へ出る。
二人の間に流れる緊張は、花畑の穏やかな空気とはあまりにも対照的だった。
そんな様子を見たハーブは、くすりと笑う。
「あらあら? 警戒してる?」
その声だけで、ミリィの肩がびくりと震えた。
ベルは一歩も引かず、鋭い視線を向ける。
「当たり前でしょ! ミリィに何したのよ!?」
ハーブは首を傾げ、不思議そうな顔を浮かべる。
「あらー? 話してないのかしら?」
そのまま柔らかな笑みを崩さず、どこか残念そうに息をついた。
「楽しいことしようと思ったのに、気が付いたらいないんだもの。あれはショックだったわ」
花の香りが風に乗って流れる。
その穏やかな景色の中で、ハーブだけが異質だった。
ベルは唇を強く結び、はっきりと言い放つ。
「もう私たちの前に現れないでちょうだい!」
しかし、ハーブは困ったように肩をすくめただけだった。
「それは無理。だって連れ帰らないといけないんですもの」
その言葉に、ミリィはベルの服の裾をぎゅっと握り締める。
ベルもまた、一瞬たりともハーブから目を離さなかった。
ハーブは困ったように肩を落とし、それでも笑みだけは崩さなかった。
「私もねー、二回も失敗したでしょ?」
そう言って、どこか他人事のように小さく息をつく。
「もう後がないの。実験に失敗は必要という寛大なKeilflammeでもねー」
そこで右手を持ち上げると、指を三本立てて二人へ見せた。
「限度は三回まで」
白い指先が、花畑を背景にゆっくりと揺れる。
「今回失敗したら、私も終わりだからー」
その口調は軽い。
まるで今日の天気でも話しているかのようだった。
しかし、その言葉の重さにベルもミリィも表情を変えない。
ハーブは少しだけ肩をすくめ、困ったように笑った。
「なりふり構ってられないのよ。困ったわ」
風が吹き抜け、周囲の花々が静かに揺れる。
その穏やかな景色とは裏腹に、ベルの拳はぎゅっと握り締められていた。
ミリィもベルの背後で息を潜め、ハーブから一瞬たりとも目を逸らさない。
花の香りに包まれた公園は、いつの間にか張り詰めた空気に支配されていた。




